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救急車が走り去って、しばらくして・・・
お姉さんが振り返った。
俺は、ビックリした。
だって、お姉さんが泣いていたから・・・。
最初から最後までテキパキと対応していたお姉さんが、泣いていたから・・・。
でも、その顔は・・・
しっかりとしていた。
ばあちゃんの顔に似ていた。
病室の扉で、じいちゃんを見て泣いて・・・
泣きながらもしっかりした顔をしていたばあちゃんの顔に、似ていた・・・。
じいちゃんの“俺のお母さん”である、ばあちゃんに、似ていたんだ・・・。
そして、泣きながらもしっかりとした顔で、“お姉さん”は俺に近付いてきた。
「一成君、おいで。
お母さんに頼まれてるから。
お父さんが来るまでは、うちにおいで。」
「・・・大丈夫。
夜ご飯のトンカツあるし、家にいる。」
“お姉さん”は何か少し悩み・・・
また、すぐに口を開いた。
「トンカツ、持っておいでよ。
この匂い、うちは今日カレーだから。
カツカレーにしよう。」
「カツカレー・・・?」
「カレーライスにトンカツのせるの。」
「そんな・・・夢みたいなこと、していいの?」
トンカツを持って、隣の家に。
“お姉さん”が家の前で待っていてくれると思ったら、いなかった。
どうしようかと、一瞬悩んだけど・・・
“カツカレー”という、夢みたいな食べ物を食べてみたかった。
トンカツを持ち、少し震える手でインターフォンを押した。
*
「一成君、瑠美から聞いた。
大変だったわね~。」
うちと同じリビングに通され、でも家具とかも違うから別な家のようだった。
“お姉さん”のお母さんにトンカツを渡すと、そう言われた。
「手洗って、一成君。」
階段から降りてきたお姉さんが、俺を見て言うので・・・俺は両手を広げ見下ろした。
「汚れてないけど・・・」
「帰ってきたら、手洗うの。」
“お姉さん”がそう言って、俺を洗面所に案内した。
うちと同じ間取りなのに。
「これ、ハンドソープね。」
「うん・・・。」
そう言われ、水を出して手を洗う。
使ったことのないハンドソープ・・・ポンプを押してみると、フワフワの泡が出てきた。
「泡だ!」
「一成君の家は、液体?」
「手洗うのに、石鹸使ったことない!!」
答えると“お姉さん”は、洗面台の鏡越しに小さく笑った。
「手が綺麗になるだけじゃなくて、少しだけスッキリするよ。
家に帰ってきて手を綺麗に洗うと、少しだけスッキリするから。」
そんなことを言われ・・・
フワフワの泡で手をゴシゴシと洗い、水で流すと・・・
確かに、少しだけスッキリした気持ちになった。
「まだ少し早いけど、夜ご飯にしちゃうわね?」
“お姉さん”のお母さんに言われ、時計を見ると・・・まだ夜ご飯には早い。
それに・・・
「一成君、お腹空いてない?」
“お姉さん”がすぐに聞いてくれ、俺は頷いた。
少し、“お姉さん”が何かを考え・・・
「引っ越してくる前は、山を駆け回ってる子ってお母さんから聞いたよ。
私と少し走りに行く?」
「走るのか・・・。
でも、裸足で走れないし空気も悪いし・・・。
どこかで・・・泳げない?」
俺が聞いてみると、“お姉さん”は少し驚いた顔になった。
でも、すぐに小さく笑ってくれた。
「行こうか、気になってる区民プールあるんだよね。
窓が大きいの。ここから少し電車に乗るけど。」
そう言って、“お姉さん”が立ち上がった。
「水着持っておいで。」
「水着・・・。
小学校で、夏休み前の授業で使ってたのでいい?」
*
お姉さんと電車に少し乗って、着いたのは・・・大きな建物。
「ここが、プールなの?」
「うん、私も初めて来たけど。
友達がここで泳いだら良かったって言ってたの。」
初めて来たわりには、“お姉さん”は迷うことなく真っ直ぐと建物の中に入っていく。
“お姉さん”の白いTシャツ、“努力に勝る才能はない!”の文字が少し遠くなり・・・
俺は慌てて走って追いかけた。
お姉さんが機械に小銭を入れて、小さな紙を俺に渡した。
「俺、お金持ってきてなくて。
電車も・・・ごめん。」
「知ってる。今度返してくれればいいから。」
“お姉さん”が小さく笑いながらそう言ってくれたので、俺はしっかり頷いた。
そんな俺を見て・・・少し考えた様子になり、紙を渡した男の人に話し掛けた。
「すみません、この子大きいんですけど、まだ小学校1年生になったばっかりで。
地方に住んでいて数日前に引っ越してきて・・・ロッカーとか使えるか心配なので、女子更衣室の方でもいいですか?
次からは必ず男子更衣室を使いますので・・・」
*
「俺、1人でも大丈夫だったのに・・・」
「念の為だよ。私はそっちに行けないから。
周りに教えてくれる人もいないと、プールまで辿り着けないからね。」
“お姉さん”がそう言いながら、ロッカーに鞄を入れ・・・白いTシャツを勢い良く脱いだ。
お母さんとは違うようなブラジャーみたいなやつも、素早く脱ぎ・・・
パンツも一気に脱いで・・・
素っ裸に、なった・・・。
お母さんとも違う・・・
近所に住んでいた女の子達とも違う・・・
なんだか・・・
凄い綺麗だった。
しばらく動けずに、“お姉さん”が水着を着るのを見ていると・・・。
素っ裸も綺麗だったけど、水着を着た方がもっと綺麗だった。
そんな“お姉さん”がメガネを外して、目に何かを入れていて・・・
「何それ?」
「コンタクト。
プールに入る時はコンタクトに変えるの。」
コンタクトというのをした、眼鏡を外した“お姉さん”は・・・さっきまでと印象が随分違った。
「眼鏡ない方がいいんじゃん?」
「たまに言われる。」
“お姉さん”は少し笑いながら、肩より少し長い髪の毛を後ろに結んだ。
そこに帽子を被り、眼鏡みたいなのをオデコにつけた。
「メガネあるじゃん。」
「これ?これはゴーグル。
プールの中でもよく見えるの。」
「そんなのなくても目開ければ見えるよ?」
「でもぼやけるし、目も痛くなるから。」
「そう?俺海で目開けてても気にならなかった。」
「海で目開けてたんだ。」
「じいちゃんと泳ぎに行ってた。
水着も着ないで素っ裸で泳いでた。」
それには“お姉さん”も驚いたのか、少し驚いた顔をして・・・でも笑った。
さっきよりも大きく笑っていた。
「早く着替えな?
あんまり遅いと置いてっちゃうよ?」
そう、言って・・・。
この“お姉さん”なら本当に置いていくと分かっているので、俺は慌てて水着に着替えた。
お姉さんについていくとシャワーを掛けられ、そのままプールに向かった。
小学校とは違う大きな屋内のプール。
屋内だからか、変な匂いが強くしている。
お姉さんはプールに持って行った鞄を網の棚にのせると、少しスマホを見ていた。
「一成君のお母さん、一先ず落ち着いたって。
でも、これから入院になるみたい。」
そんなことを、言われ・・・
なんだか、怖くなった・・・。
怖く、なった・・・。
声が、出ない・・・。
声がいつも出ないんだ、俺は・・・。
じいちゃんが言う通り、俺は弱い・・・。
俺は、心が弱い・・・。
俺は、弱いんだ・・・
そう思った時・・・
「一成君が急いで動いたからね。」
“お姉さん”がそう言いながら、プールサイドの端に寄り・・・体操みたいなのを始めた。
「家から飛び出してくるのも、隣の家のインターフォンを押すのも、そこからうちの方に走ってインターフォンを押すのも見てた。
だから、私も急いで走った。」
俺が固まっていると、“お姉さん”が座って足を広げてまた身体を動かしていて・・・
「お母さんとお腹の中の赤ちゃんを助ける為に、よく動けたね。」
そう、言ってくれ・・・
涙が流れた・・・。
口から、やっと声が出てくる・・・。
でも、それは・・・
それは・・・
「お母さん、死んだらどうしよう・・・。
赤ちゃんも・・・。
俺、救急車の番号が分からなくなった。
お母さんに言われるまで、動くことも出来なかった・・・。
俺のせいで、お母さんも赤ちゃんも死んだらどうしよう・・・。」
涙と一緒に出てきたのは、こんな言葉だった・・・。
さっきからずっと怖かった、こんな考えだった。
そんな俺を、“お姉さん”が立ち上がり・・・見下ろした。
「そしたら、その時考えよう。
もしも、死んでしまったとしても、それは今考えることじゃないから。
その時に何を思うのか、途中である今、想像する必要はないから。」
そんな、そんな、ことを言って・・・。
小さく、笑った。
「私の方が6歳も上だから。
そんな私からの“教え”。」
「教え・・・。」
俺よりも6歳も上の“お姉さん”がそう言うなら、そうなのかもしれない。
そう思ったら、気持ちが少し軽くなった。
お姉さんはプールに向かい、歩き始めた。
「泳ごう、一成君。」
そう言いながら、俺の方は向かず・・・
歩き始めてしまう。
そして・・・
「置いてっちゃうよ。」
と、また言われ・・・。
この“お姉さん”は本当に置いていくので、俺は慌ててついていった。




