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区民プールで泳ぐ時は、のんびりと長く長く・・・
他の人達の状況にもよるけれど、空いていたらほぼ止まることなく1時間半泳ぐ。
でも、今日は・・・
もしかしたら一成が見ているかもしれないから、高校生ぶりに本気で泳いだ。
全力で泳ぐとも、約束していたし・・・。
全力で、全力で、泳ぐ・・・
苦しいくらい、全力で・・・
全力で泳ぐと、苦しい・・・
でも、気持ちが良い・・・
それと、懐かしい・・・。
水中のキラキラなんて確認出来ないくらい、全力で泳いだ。
そして、最後の一掻き・・・
思いっきり伸びてから・・・
ゴールである壁に、指先からつけるイメージで、ゴールをした。
水泳は、瞬き1回の世界。
瞬き1回の瞬間で、勝負が決まる。
そんな狭い瞬間の中で、このゴールに触れる。
瞬き1回の瞬間で、天国にも地獄にもなる、そんなスポーツ・・・。
肩で大きく呼吸をして、何度も空気を吸う。
数年ぶり・・・8年?8年ぶりの全力は、辛かった・・・。
呼吸が少し整ってから、歩く一成を確認しようとした時・・・
「久しぶりですね?」
と・・・。
ゴールでもある壁、そこに続くプールサイドから声を掛けられ振り向くと・・・
男の人が、いた。
何度か世間話をしたことがある人で、確か私より年上で・・・結構年上で、35歳くらいだったか・・・。
不思議なテンポで話す人だけど、穏やかで優しい人。
「お久しぶりです。」
「1ヶ月半と数日ぶりくらいですか?」
そう聞きながら、隣のレーン・・・25メートルのレーンに移動して水の中に静かに入った。
「その期間で相違ありません。
よくご存知ですね。」
「日曜日に来られていたので、僕も日曜日の人間なので。」
「そう言われてみると、日曜日の方でしたね?」
プールの中だけで、たまにしか話したことはないけれど、日焼けも一切していない真っ白な身体・・・
無精髭はあるけれど、綺麗な顔をしている男の人。
確かに、日曜日によく見ていたように思う。
男の人が私を見て、また口を開こうとした時・・・
「瑠美、知り合い?」
と、一成が私の方のプールサイドに立って・・・
立って・・・
立って、
それから、入ってきた。
入ってきた。
50メートルのレーン、私のすぐ横に、入ってきた・・・。
一成が、男の人と私の間に立って・・・
大きな一成の身体で、男の人の姿が一切見えなくなる。
「瑠美と知り合いですか?」
「日曜日によくお会いしていて、たまにお話させてもらっていました。
今日は1ヶ月半と数日ぶりにお会いしたので、声を掛けた次第です。」
「・・・そんなに細かく覚えてるんですね。」
「数字は得意ですので。
貴方は1回目の方ですね。」
不思議なテンポの話し方なので、毎回クスッとしていたけど、一成が相手でもこんな感じらしい。
「そうですね、あなたに会ったのは1回目の男ですね・・・。」
「このプールの何曜日の方ですか?」
「・・・小学校1年生、8月23日・・・たしか木曜日の男です。」
そんな一成の返事に・・・私は笑った。
一成の背中に少し触れ、男の人に顔だけ出す。
「昔、1度だけ連れてきたことがあって。
それが8月23日・・・木曜日だったんです。」
「そうですか、どんな方でもこういう場所から始めるものなんですか?」
不思議なテンポの男の人が、一成に不思議な質問をする。
一成と2人で首を傾げていると・・・
「お名前に“一”が入っていて、大きな水泳の大会で3位になった方ですよね?
3年半程前のニュースで見た記憶があります。」
そんな、そんなことを言って・・・。
「それでは、失礼します。」
不思議なテンポの男の人は、いつものようにこちらの返事も待たず、25メートルのレーンで泳ぎ始めた。
筋肉も何もないのうな細い身体なのに、結構綺麗に泳ぐ。
でも・・・
「綺麗に泳ぐわりに、全然進まないのか・・・。」
私と同じ気持ちを一成が口にしたので、両手で口を隠して少し声を出し笑ってしまった。
そしたら、一成が振り向き、甘く整った顔をもっと甘くして・・・私を見下ろす。
「瑠美のブレストが、1番綺麗だよね。
色んな選手見てきたけど、俺には瑠美のブレストが1番綺麗に見える。」
「一成にそう言って貰えるのは、嬉しい。 ありがとう。」
一成にお礼を伝えると、一成が優しく笑った後・・・
25メートルのゴールを眺めた。
その横顔を、見上げる。
昔から、一成はよくプールのゴールをジッと眺めていた。
闘うような鋭い目ではなく、キラキラとした目で・・・いつも少しだけ笑っている。
今も、昔と同じ顔をしている・・・。
今も、昔と同じ顔をしている・・・。
水泳を始めた頃と、選手コースで泳いでいた頃と、水泳選手として大きな大会で闘っていた頃と、同じ顔をしている・・・。
一成の身体の筋肉は、“KONDO”のサポート支援センターでのトレーニングで戻してくれたもの。
プールではなく、陸で出来るトレーニングだけでのものだけど。
でも、それでも、一成の身体は・・・
プールに戻ろうとしていたと、私は思っている。
一成のツルツルの身体を見る。
他の選手でも、塩素で体毛が薄くなる人が多くいた。
これは体毛が薄くなっているというより、色素が抜けているから薄く見えると言われているけれど・・・
実際、処理をしていなくてもツルツルに見えるような女の子が結構いた。
私も元々そんなにないタイプだったからか、ほとんど生えてこなかった。
でも、一成のこれは・・・一般的なそれとも違うように私には見えた。
一成の身体は、陸ではなく水の中に適応するよう、変化したように思う。
だって、小学1年生の時の一成は・・・違ったから。
その頃から、私は知っているから。
一成の身体は、高校2年生で止まっている。
でも、それは悪い意味ではない。
一成は“アレルギー”のことを意識したかもしれないけど、私はその意味で伝えたわけではない。
微妙なニュアンスで、伝えただけ。
高校2年生のあの時から、一成の身体は止まっていてくれたと、私は思っている。
いつか水の中に戻るその時まで、止まってくれていた・・・。
あとは、止まっていた時間を動かすだけ・・・。
止まっていた人生を、進めるだけ・・・。
それは、高校2年生のままではいられないから・・・。
それは、二十歳の一成として、また進める・・・。
進もう、一成・・・。
進もう、一成・・・。
あの日から、進もう・・・。
そう、願いながら、一成の横顔を眺めていると・・・
一成がゴーグルを、外した。
そして、そのゴーグルを私に渡してきて・・・
ゴールをキラキラした目でまた見て、笑った。
そして・・・
「すぐ、追い付くから・・・。」
そう、小さな声で呟いた後・・・
水の中に、消えた・・・。




