居酒屋チェーン店の店長とジャカロ①
未来谷 底助は、居酒屋チェーン店の店長である。
35歳男性。交際経験は皆無だ。
それはそうだろう。彼には金も時間もないのだから。
その日も底助は、午後2時にアラームの目覚ましで起床した。
前日は深夜2時まで働いており、帰宅してから就寝したのは深夜4時であった。
現在15連勤目であり、今日の仕事が終わればようやく一日だけ休日をとれる予定だ。
底助はオンボロの中古車に乗り込み、居酒屋「客神堂」へ出勤した。
2021年3月の現在、新型コロナウィルスの大流行によって客の数が激減してしまい、売り上げが大幅に下落している。
しかしながら、本部からの売上ノルマは相変わらず厳しいままであり、「たかが疫病が流行ったくらいで売上を落すな」「成果を出せないのはお前の怠慢だ」と日々きつく叱咤されていた。
底助は低賃金重労働の昼夜逆転生活をかれこれ十数年続けている。精神的に参ってしまい、この仕事をやめようと思ったことが何度もあった。だがいざ本部にその話をすると……
「お前が辞めて売上が落ちたら、その損失額分の賠償責任がお前に発生するんだが?ざっくり500万円は軽いな。お前が払えなかったら親に払って貰うからな」
「お前みたいな無能なんて他じゃ絶対雇ってもらえないぞ」
等、脅迫めいた「説得」をされてしまう。結果、心が強くない底助は、やめるにやめられない状況になっている。
そもそも底助には、失業後に再就職するまでの間生活できるほどの貯蓄がない。毎日4時間の残業をしているものの、残業代を一切出してもらえないのだ。一度勇気を出して本部に文句を言ったことがあったのだが、こっぴどい叱責と陰湿な嫌がらせを受け、心が折れて請求をやめてしまった。(労基に訴えるなどして根気強く交渉を続けていれば、残業代をもらえていたかもしれないが、底助はそんなことができるほど図太くないのである。)安い給料で長時間の労働をしているため、自炊によって食費を浮かせるだけの時間的余裕がなく、食事はコンビニ弁当で済ませる。そのため食費がかさんでしまい、給与のすべてが必要最低限の生活費へと消えていく。……それ故に、貯蓄したり娯楽に回せるような金など底助にはないのである。
その日の労働も、大変にしんどいものであった。
30名規模の予約があり、せっせと仕込みをしていたのだが、いざ時間になっても団体客は来ない。
予約者に電話をかけてみてが、なんと着信拒否されていた。
理由は聞かなくても分かる。おそらく団体客の誰かが新型コロナウィルスに感染したため、飲み会が中止になったのだろう。同じ事がこれまでに何度もあった。無断ドタキャンをした客達から、キャンセル料を回収できたケースは決して多くない。
たまに来る客は、材料費の値上がりによるメニューの高騰に対してひどく文句を言ってくる。底助はこっぴどく罵倒されながら平謝りをしていた。
そして夜の24時になると、底助は余った食材を大量に廃棄した。そして2時間ほど残業をしてから帰宅した。底助はボロアパートの狭い部屋へ入ると、着替えもせずベッドに倒れ込んだ。
「いよいよ明日は、15日ぶりの休日だ。ひさびさにアラームをかけずに寝よう……」
そう独り言を言った後、底助はすぐに眠りについた。
ところが翌日、底助はスマホの着信音で目を覚ました。
従業員二名が新型コロナウィルスの症状を発症してしまい、急遽シフトを代わらなくてはならなくなったのである。
底助は泣きながらシャワーを浴び、嫌々ながら車で出勤した。
逃げたい。
どんな手段でもいいから、この激務に縛られた生活をもうやめたい。
この苦しみから解放されたい。
……底助は、誰にも届かない願いを心の底に抱いていた。
ガソリンスタンドで給油している間、車のラジオでニュースが流れていた。
『昨日午後15時、回転寿司チェーン店の「からくり寿司」店長が、駐車場で焼身自殺をする事件が発生しました』
そのニュースを聞いた底助は、雷鳴に打たれたようなショックを受けた。
「……そっか。ぼくと同じように、この人も苦しんでたんだ……。ああそうか、死ねば楽になれるんだ……」
給油を終えた底助は、通勤途中にある歩道橋のそばで車を停めた。
そして歩道橋を上ると、下を車が通りかかるタイミングを見計らって、身を投げようとした……。
だが。
「何やってるんですか!やめて下さい!」
そう叫んだスーツ姿の男性に、底助は自殺を阻まれた。
「いいですか?自殺なんてのは、この世で最も愚かな行為です。生きていればいいことがあるんですから、馬鹿なこと考えずに強く生きて下さい!私のように!」
高級スーツに身を包んだ男性から、自信満々の説教をされる底助。
「私も昔辛かったことはあります。でもめげずに努力を続けた結果、今やこの若さで大企業の重役ですよ!あなたもきっとビッグチャンスをつかめます!この私のように!だから強く生きましょう!」
説得の現場を見ていた野次馬達が、スーツ男に拍手喝采する。
(なんでだ……ぼくは死なせてすらもらえないのか……。それどころか、こんな人生うまく行ってそうな勝ち組が賞賛されるための肥やしにされるのか……)
投身自殺を阻まれた底助は、結局そのまま職場に出勤し、ストレスフルな激務をした。
……全く調子が出ない。軽微なミスを頻発してしまう。頭が回らない。他の職員にサポートしてもらいながら、なんとかその日の仕事を終えたが、底助はもう体力的にも精神的にも限界を超えていた。しかしながら、翌日のシフトが埋まらなかったため、結局明日も出勤しなければならなくなってしまった。
深夜3時。車で帰宅する底助。
運転中につい居眠りをしてしまい、車が街路樹に突っ込んだ。
スピードを出していなかったおかげで、車はバンパーやボンネットが凹む程度で済んだのだが、街路樹は折れてしまった。
本来ならば保険会社や警察へ報告する義務があるのだが、精神的余裕も金銭的余裕もない底助はそこまで気が回らず、「街路樹を折った程度なら大したことないだろ」と、そのまま車を走らせた。
車を降りた底助は、駐車場のど真ん中で、ぺたんと座り込んでしまった。
このまま自宅へ帰っても、明日の仕事の準備のために寝るだけだ。
学生時代のように、寝落ちするまでアニメを観たりゲームをやったりすることなどできない。かつては所謂アニメオタク的な生活をしていたのだが、もはやアニメやゲームをやれるだけの気力もなく、今SNSで流行の話題にもまったくついていけなくなっていた。
「こんな日々がこの先ずっと続くのなら……もう何もしたくない。もう……何もかも疲れた……」
もはや底助には、駐車場から立ち上がり、ベッドで寝る気力すら残っていなかった。
その時。
「あの……大丈夫ですか?」
背後から女性の声が聞こえた。底助は後ろを振り返った。
そこには、うさぎの耳と、鹿の角、鹿の尻尾が生えた、ミニスカメイド服のような露出度の高い衣装を纏った美少女がいた。