アトピー患者とOLとジャカロ③
霊頭 百合華には親友がいる。
名は鳥居ミサ。
同僚の中で、唯一「男嫌い」の価値観を共有できる友であった。
他の同僚のOL達とは、男性上司の悪口を言ったり、無理な男性について語ったりすることならできる。しかし、大人気の男性アイドルや、男性配信者、俳優といったイケメン有名人の話になると、同僚達は黄色い声を上げて褒め始める。
百合華にとっては男性そのものが気持ち悪いと思うため、「でもあの人って~~じゃない?男なんてどうせ~~だよ」とイケメン有名人に対する嫌悪をついうっかり話してしまう。すると同僚達は怒ってイケメン有名人を擁護し、百合華に敵愾心を見せるのである。
気持ち悪い物を気持ち悪いと言って何が悪いのだろうか?セクハラパワハラ上司である皮賀 荒太に対する嫌悪はみんなで共有できたはずだ。それなのに何故イケメン芸能人に対する嫌悪感は共有できないのか。あんなものホストの延長線上ではないか。女性の心を食い物にして金銭を搾取しているだけの詐欺師ではないのか。そう思わずには居られないのだった。自分が嫌だと思うものはみんな嫌じゃないのか?自分が好きなものはみんな好きなんじゃないのか。
みんな小学校の道徳の授業で習ったはずだ。「人が嫌がることはやっちゃいけません」と。それなのに、なぜ自分が嫌いなものを周囲は尊び、その価値観を押しつけてくるのか。百合華は生きづらさを感じずにはいられなかった。
そんな中、鳥居ミサと出会った。彼女とはいつまでも男性に対する嫌悪感を共有する話ができた。オスの加害性がどうだとか、犯罪者の割合がどうのとか、社会の男性優遇がどうのとか。そんな話でいつまでも盛り上がり続けることができた。百合華は初めてまともな『人間』と話すことができた気がした。ああ、きっとこれは運命の出会いだ。鳥居ミサは一生に一度だけ会えるであろう、運命の人なのだ。そう感じずにはいられなかった。自分が抱える不満をいくらでも聞いてくれて、共感してくれる。そんな最高の親友を得た百合華は、いつしかミサに恋心を抱いていた。
今までの人生では、自分がレズビアンであることをずっと隠し続けてきた。ばれてしまう度に、気持ち悪がられ、拒絶されてしまうからだ。でもミサなら違う気がする。運命の赤い糸で結ばれたミサならばきっと!自分が抑圧し続けてきた男性への嫌悪だけでなく、その先にある同性愛の心さえも受け入れてくれるに違いない!確証もある。だって、ミサも男が嫌いなんだから。それなら女性が好きなのだろう、きっと!そう自分に言い聞かせて勇気を奮い立たせた。妄想が捗る。これからきっと自分は、ミサと共に幸せに暮らしていけるんだ。同棲したら猫を飼いたい。猫にはゴスロリ風の可愛い猫用服を着せて、自分とミサの二人のドライブに連れて行きたい。そんな妄想を毎日続けた。
そしてある日ついに百合華は……ミサに愛の告白をした。
ミサは驚いたような顔をして……
しばらくうつむいてから。口を開いた。
「……ごめん、私そういうのじゃあなくって……。ごめん」
愛の告白は受け入れてもらえなかった。百合華は自分の人生が全て否定された気がした。そして百合華は逆上した。自分の人生がどれだけ抑圧され続けてきたのかを伝えた。自分がどれだけ可哀想なのかを伝えた。そんな自分がこれまでどれだけミサに心を救われてきたか伝えた。これからミサと二人で幸せになりたいと伝えた。だが、話に熱が入れば入るほど、ミサの顔は曇っていった。
「百合華、ごめん、ほんと、そういうの私無理だから……それじゃ……」
そしてミサは走り去っていった。
翌日以降、ミサは職場で百合華に挨拶されても、軽く会釈を返すくらいだった。「この間はごめん。でも、仲の良い親友でいようね」と言ってみても、ミサはよそよそしい感じを出していた。告白する前のようにおしゃべりをしようとしても、明らかに「早く話が終わらないかな」と考えながら適当に相づちをしているのが分かった。
とくだん同僚達の百合華への態度が悪化したとか、そういう事はなかった。もしもミサが百合華に告白されたことを同僚達に言いふらし、傷ついたと泣きつけば、百合華は同僚達からしこたま正義のイジメを受けていたはずだ。だがそうはなっていない。それはミサが百合華からの告白を言いふらしていないという事実を示していた。
ミサはどこまでも優しかった。百合華からの告白はミサにとって不快だったに違い無い。だが、そこに悪気がないことを知っていたから。悪意のある加害行為ではないことを知っていたから。百合華のことをせいいっぱい思いやり、百合華が不幸にならないように、同僚へ気持ちを吐き出すのを我慢してくれたのだ。ミサは今も尚、百合華を気遣っているのだ。……そんな優しいミサであっても、百合華とこれ以上仲良く話すのは無理だということなのだろう。
いっそ嫌ってくれればせいせいした。ミサが、百合華に告白されたことを同僚にいいふらしてくれるなら、それはそれで救われた。愛する価値のない人だったのだと自分を納得させることができたから。だがそうではなかった。どれだけ百合華への気持ちが嫌悪に変わったとしても、嫌悪する相手にすら気遣い、優しさを持てるのがミサなのだ。そんな最高の女性を、自分の愛が傷つけてしまったことが、百合華にはかえって深いショックとなった。
……その晩、百合華は枕に顔をうずめながら、深く深く泣いた。自分の呪われた人生を憎み、恨み、慟哭するかのような、苦しみのこもった泣き声だった。なぜ自分は人を愛してはいけないのか。テレビではよく言うではないか、『愛と平和が世界を救う』などと。ラブ&ピースが何よりも大事だと言うではないか。ならばなぜ自分の愛は拒絶され、気持ち悪がられてしまうのか。話が違うではないか。人を愛することが許されないのなら、この世界に何の価値があるというのか。誰にもその激情を吐き出すこともできず、ただただ泣いた。……それが、2021年3月3日の夜だった。
翌朝。来てほしくもない翌朝がスマホのアラームによって告げられた。百合華は無気力状態になっていた。 もう仕事に行きたくない。生きていたくもない。誰とも会いたくない。
だが、それでも朝は来る。仕方が無いので、スマホを手に取り、そのまま惰性でまとめサイトをチェックした。
すると「ジャカロ」という生物の出現が話題になっていた。無気力状態の百合華もさすがに驚いた。正体不明のヒト型生物が世界中に出現したというのだ。成体ジャカロやちびジャカロの写真がアップロードされている。とても美しくて可愛らしかった。時間が許す限り見ていたかったが、遅刻すると荒太から1時間以上も説教されるので、仕方なく出勤した。
職場の更衣室や食堂で、同僚達がジャカロの話で盛り上がっていた。少年型ジャカロ「ショタジャカロ」の写真を見ながら、可愛いーーーとか飼いたいーーーーとか言っている。自分もその話に混ざって成体女性型ジャカロの美しさについて語りたかったが、職場の人間関係がこれ以上こじれるのも、自分がこれ以上傷つくのも嫌だったので、話に混ざれなかった。
世間はこんなにも、楽しい話題で溢れているのに。
自分はなぜこんなにも孤独なのだろうか。
自分を救ってくれる希望の光など、この世界にはないのだろうか。
自分を受け入れてくれる運命の人など、この世界には現われないのだろうか。
どれだけ人と愛し合いたいと思っても、誰もが自分を拒絶する。
どれだけ世界に受け入れられたいと思っても、世界は自分を拒絶する。
自分はこの世界の鼻つまみもの。この世界は、自分に消えて欲しいのだ。
……毎日、そう思いながら、陰鬱とした気分が続いていた。
そんなある日。
世間では、だんだんとジャカロについての詳しい情報が紐解かれ始めており、共有知となり始めていた。どうやらジャカロは、どんな人間のことも愛してくれるらしい。ワーキングプアの弱者男性であっても。認知症の祖父母の介護に明け暮れるシングルマザーであっても。移民であっても、難民であっても。病気があっても、障害があっても。
……ならば。自分のことも受け入れてくれるのではないか。
百合華は最後の希望をジャカロに見出した。
これで受け入れてもらえなかったら自殺しよう。そう心に決めた百合華は、ネットで『野良ジャカロ出没マップ』なるサイトを開いてジャカロがいそうな所を調べ、車でそこへ向かった。
午後16時。3月の空は、もう夕日が沈みかけて暗くなり始めていた。
山道の端に車を停めた百合華は、山の高い方へ向かって歩いていた。ジャカロの声が聞こえてこないかと耳を澄ますと、木々のざわめき、小川のせせらぎが聞こえてくる。心地良い音だ。心がリラックスする。普段はずっと人混みの中で電子音を聞きながら、安直な手段で脳をドーパミンで満たそうとする毎日だった。底の抜けた柄杓で幸せの甘い水を掬い上げて心を満たそうとするような、空虚な日々だった。自然が与えてくれる静かな安らぎは、百合華の疲れ荒んだ心にわずかな癒やしを与えた。
だがそこへ、見知った声が聞こえてきた。
「あれ?百合華ちゃん?百合華ちゃんじゃない?ねー!なんでここにいるの?」
背後から聞こえてきた声のほうを、嫌そうな表情で振り向く百合華。
そこに立っていたのは、大嫌いなセクハラパワハラ上司。顔の皮膚がボコボコに荒れた、醜い容姿の気持ち悪い肥満ハゲ気味男。皮賀 荒太であった。
「え……なんでここにいるんスか」
別にその理由を知りたくも無いが、遠回しに「会いたくなかった」というニュアンスを込めて、百合華は荒太にそう言った。
「ああ、うん。ジャカロを探しに来たのヨ」
「ジャカロを?なぜですか」
「……」
荒太は少しの間うつむいていた。だが、やがて口を開いた。
「ここでなら……好きになってもいい相手が、見つかるかも知れねえと思ってね」
「え……」
なんということだ。それはまさしく、百合華と同じ理由だったのだ。荒太は続けて話した。
「俺さ……昔からキモがられててさ。顔のブツブツ、昔からこうだったのヨ。クラスの女子からはばい菌扱いされてさ。そいつらからウケを狙いたい男子からも同じくばい菌扱いされてた」
「……」
百合華は、少しだけ荒太の気持ちがわかった気がした。自分もレズビアンだとばれると変なからかい方をされて気持ち悪がられたからだ。
「イジメから庇ってくれた女の子もいたんだけどさ。その子のこと好きになって、告白したら……泣かれた。俺さ、悪者なんだってさ。はは。人を好きになっちゃいけねーんだとさ」
「……」
つい最近、百合華は同じ思いをしたばかりであった。
「Jポップでも映画でもドラマでも漫画でもさ、みんな言ってるよな。愛は美しい、人を愛することが一番大切だって。でもさ、それは『人を愛する資格がある勝ち組』だけが共有してる価値観なんだよナ。俺みたいなモンスターはさ、ヒロインに言い寄って、嫌がられて、そこに駆けつけた主人公にぶっとばされる役回りの方なんだ。『人を愛してはいけない負け組』が、この世にはいるんだ。俺は自分がそれだと、40年の人生でよーーーーーくわかった」
「……わかります」
「だからもう、嫌われることなんて怖くなかった。俺も人間が、この世界が嫌いになったから。人間なんてクソだ。愛する価値なんてない……そう気づけたからな。でも今の仕事は好きだ。若くて幸せそうな奴らからこっぴどく労働搾取しまくってると、部長や社長が褒めてくれるからな。いいぞ、もっと搾り取れ、って。だから人生捨てたもんじゃねえな……そう思ったよ」
「……」
自分も荒太のように開き直れたら少しは幸せになれるのだろうか。でも、自分に鬱憤をぶつけるのはやめてほしいが……。
「でもさぁ……!?人間じゃない人間が来たんだ。誰のことでも愛してくれるらしい、天使みたいなおにゃのこが突然現われたんだ。こんなクソみたいな世界にさ!それならさあ!ワンチャン狙ってもいいだろ!?俺ぁ自分がキモいことなんて分かってる!でもさぁ!人生一度くらい!神頼みしてもいいだろ!?なあ!」
「いいっすよ!もちろん!!」
「だろ!?分かってるなぁ百合華ちゃん!」
「人があたしを愛してくれないのはもう分かってる……でも、人じゃないものなら、あたしのこと愛してくれるかもしれねえんすよ!」
「だよなぁ!……あー。百合華ちゃんはなんでここに来たの?百合華ちゃんはふつーに顔もいいし、嫌われるような子じゃなくない?」
「……レズなんすよ私」
「……そっか」
空にはもう月が出始めていた。
「……ねえ、皮賀さん。愛ってなんなんでしょうね。愛が美しいとか言い出したの誰なんでしょうね」
「そりゃ、そう子供に言い残せた連中だろうネ」
「……わたしらみたいな、人を愛しちゃダメな側の人間の心は、遺らなかったってことッスね」
「……悪いことじゃないはずなのにな、人を愛することって。なのに、なんで俺のそれは、加害行為になっちゃうんだろうな」
「……」
二人はジャカロを捜し続けた。




