アトピー患者とOLとジャカロ②
居酒屋チェーン店「客神堂」は、若者に大変人気のある店である。
サービスは並。料理の味も並。酒のラインナップも並。
それでも客神堂が人気を集めている理由はただひとつ。「コスパの良さ」……すなわち「安い」ことだ。
仲間と飲み会をやりたいが、高い酒や豪華な料理を気兼ねなく頼めるほど懐に余裕がない……
でも少ない酒や料理では満足できない。
そんなジレンマに悩む、少ない給料の大部分を税金や年金や保険料でもっていかれるイマドキの若者達にとっては、同業他社に比べて頭ひとつ抜けたコスパの良さを誇る客神堂は、大変魅力的に映るのである。
では、一体どうやってそんなコスパの良さを実現しているのであろうか?
……居酒屋という典型的な労働集約型の業務において、低価格を実現して尚経営を安定させる方法はただひとつ。
安い人件費で、大きな収益を出す。
すなわち、少ない従業員を低賃金で長時間拘束し、重労働を課すことに限る。
しかしながら、何の工夫もなく低賃金にしたり、サービス残業をさせようとしてもうまくいかない。労働者側にも労基に訴えるなり、転職するなどの対抗手段がある。十数年ほど前、サービスや料理の質で同業他社に負けていた客神堂の経営陣は、低賃金重労働のブラック体制を作ることで企業競争を勝ち抜こうと試みた。しかし、その試みは一度失敗した。その理想を実現できる中間管理職が社内にいなかったのである。ある程度マトモな人間ならば、現場の労働者や店長に対して家畜以下の扱いを課すことに対して躊躇してしまう。それは良心の呵責によるものであったり、はたまた周囲に嫌われることへの抵抗感であったりする。良心が欠如した者が中間管理職となり、現場にブラック労働を強いたことがあったが、怒った現場から大量退職や内部告発などの猛反発を受けてしまったこともあった。
そんな中、頭角を現したのが皮賀 荒太である。彼は自分が誰にも愛されないことを理解していた。彼は全ての人間が嫌いだった。人並みの幸せを得ている者達へ強い嫉妬を抱き、復讐(というか八つ当たり)の機会に飢えていた。そんな荒太だからこそ、心を鬼にすることに全く抵抗がなかったのである。荒太は用意周到であり、計算高く、卑劣だった。彼は仕組みを作った。人材を確保し、逆らえないように洗脳し、辞めないように脅迫する仕組みを作り上げ、運用したのである。
客神堂では、「責任感が強く、主体性がなく、『いい子』に育てられたような者」をどんどん昇進させ、能力に不相応な高い地位……「店長」の座を与える。本作序盤の話、『居酒屋チェーン店の店長とジャカロ①~③』に登場した店長、「未来谷 底助」を覚えているだろうか。彼は客神堂によって店長の座を与えられ、いいようにこき使われている人物の典型的な例である。
支店の売上が下がった場合は、店長にこう言う。
「お前が支店の運営を怠けているせいで、みんな迷惑してんだぞ。申し訳ないと思わないのか!償う気持ちがあるんなら、もっと時間を延ばして働け。良いとこ見せてくれよ」
その言葉に罪悪感を感じた店長は、償いのために言いなりになるのである。
つらさに限界が来て辞めようとした者がいたら、こう言う。
「辞めたらみんなに迷惑がかかるんだぞ。そのせいで会社に損失が出たら、お前は訴訟されて賠償金を大量に支払うことになる。今まで何人もそうやって自滅した社会不適合者を見てきた。お前もそうなりたいのか?他じゃ通用しないダメなお前を雇ってやってることに感謝の気持ちはないのか?報いて見せろ、期待してるんだぞ」
社会正義を盾にして脅迫し、不安をかきたて、「辞めたら今よりもっと悪い状況になる」と思い込ませることで、辞表を取り下げさせるのである。
このように、荒太はいつも「被害者」の立場をとり、相手を「加害者」に据えて糾弾し、罪悪感を責めることで精神をコントロールするのである。善人であるほどこの手に踊らされる。そうして、現場の労働者達は、人生のリソースの全てを労働のために使い潰させらることになる。荒太がこの仕組みを取り入れて以来、会社の業績は大きく向上した。荒太は経営陣に大変高く評価されたのである。
さて。ここひとつ問おう。
皮賀 荒太は、悪人なのであろうか?
彼のさんざんな所業を知った多くの方は、荒太は悪人である、と答えるだろう。
なにせ違法な労働を強いて、店員達を不幸にしているのだから。
労働基準法違反は明確な犯罪である。それを犯しているゆえに荒太を悪人とみなすという判断基準は、ひとつの正答といえる。
……しかしながら、奇妙なことに。
荒太のおかげで不幸になる者よりも、幸福になる者の方が多いのである。
当然のことだ。
飲食店における「店員」と「客」の数を比べたら、客の方が圧倒的に多い。
その大勢の客達は、荒太が作り上げた非人道的労働搾取システムのおかげで、安く飲食を楽しむことができ、満足しているのである。
客の中には、客神堂がブラック企業であることを知っている者もいる。だが、彼らの多くはそれを知っていながら、あえて目をつぶっている。もしも客神堂に対して労働環境の改善をさせたならば、「コスパのいい店」を失うことになるからである。
人は自分にとって無害かつ得である限り、「自分に都合がいい悪事をしてくれる者」の立場を暗に支持するのである。これこそ、客神堂のようなブラック企業が無くならない理由である。
……そうはいってもだ。
荒太から直接のハラスメント被害を受ける者にとっては、たまったもんではないのである。
霊頭 百合華は、客神堂の本部で事務職を務めているOLである。
最近の悩みはもっぱら、醜い顔と心を持つ上司、荒太から受けるセクハラとパワハラである。
セクハラといっても、百合華の体を直接手で触られたりすることはない。
いやらしい視線を向けられたり、性的な冗談を言われたりする程度である。
だが、「その程度」のことが、百合華には耐えがたい苦痛であった。
訴訟したところで、セクシャルハラスメントとみなされるかは難しいラインである。それに荒太は経営陣から高く評価され、気に入られているため、荒太を相手にして社内で争ったところで、味方についてくれる者は少ないだろう。荒太に「性的な目でなんて見ていない、自意識過剰も甚だしい。逆に名誉毀損で訴えてやる」などと言われたら逆に身の破滅になり得る。それ故に、百合華は泣き寝入りすることしかできなかった。
百合華に味方が少ない理由はもうひとつある。彼女はレズビアンである。
百合華本人は隠しているのだが、ふとしたきっかけで、「そっちの気があるのでは」ということを疑われることがあるのである。そのせいで女性社員達には、「優しくして惚れられたらやだな」と思われることもあるらしく、あまりお近づきになりたくない人物とみられるときがあるようだ。
百合華もまた、日々を孤独に苛まれる人物であった。
願わくば、自分を受け入れてくれる同性のパートナーが欲しい。
だが、そんな女性は都合良く見つからない……。
荒太からのセクハラだけではなく、マイノリティであるが故の苦悩にも、思い悩む日々であった。
そんな彼女に転機が訪れる。
それは、2021年3月3日のことであった。