アトピー患者とOLとジャカロ①
皮賀 荒太はアトピー患者である。
45歳、独身男性のサラリーマン。肥満体型である。
荒太は10歳の頃に重症アトピー性皮膚炎を煩い、顔面の皮膚がひどく荒れてしまった。
それ以来ずっと治療を続けているが、一向に治ることがなく、誰も彼もに気持ち悪がられてきた。
中学校の頃、好きだった女子に告白したところ、泣いて嫌がられてしまい、「性犯罪者」「痴漢」などと蔑まれ、制裁の名の下に女子達にこっぴどく虐められてしまった。それ以来、荒太は女性という存在そのものに強い恐怖を抱くとともに、自分の顔にコンプレックスを抱くようになった。
高校でも大学でも、荒太と積極的に仲良くしようとする者はいなかった。原因は明白だ。アトピーの症状によって醜く荒れた顔が気持ち悪がられたためである。
多くの人々は「日本では病気による差別なんてない」と考えている。だが荒太は知っている。病気そのものに対する差別という形ではなく、病気の症状に基づいた影響によって「周囲を不快な気持ちにさせたことへの制裁」という形で、病人に対する差別は容赦なく行われるということを。荒太が何か悪いことをしたのだろうか?「イジメは虐められる側にも原因がある」などと言われるが、「顔面が皮膚病で荒れて醜いから」という理由に、正当性はあるのだろうか。
これまでの人生で、荒太はつくづく思い知らされた。
世の中に「イジメる側」と「イジメられる側」がいるとしたら、幸福な人生を送れるのは「イジメる側」だということを。
フィクションの世界では、イジメを行った者たちが「悪」として扱われて制裁や天罰を受ける。イジメを受けた者が「善」として手を差し伸べられて、味方と「絆」を結び、救われる。……そういったパターンが多い。だが、それは娯楽作品であるが故に、「現実ではあり得ない慰め」を読者に与えているにすぎないのだ……荒太はそう実感していた。
現実では違う。集団でイジメを行った者達は「正義」の名の下に「絆」を結び、他者を集団で踏みにじる。学生時代にそういった行為を繰り返すことができた者達が、「社会正義」を行使して己の望みを強引に押し通す力を身につける。その力を使い、彼らは人生を成功させていく。つまりイジメとは、「社会正義」を身につけるための訓練であり、そのための遊びである。そして成功者たちが正義をふりかざす訓練の生け贄となった者達……つまり勝手に悪役扱いされてイジメられた者達は、「集団による社会正義の行使」に怯え、強い主張をせずに生きるようになり、あらゆる場面で損をしていくことになる。……45歳になっても結婚できていない荒太は、彼をイジメた大勢のクラスメート達が次々と家庭を持ったことを小耳に挟みながら、その考えを確信していた。
世の中の成功者は皆、「全ての人はそれぞれ果たすべき役割を与えられて産まれてきた」なんてきれい事を吐く。皮膚病で醜い顔面となった荒太に役割が与えられたとするならば、それは「強者が強者として育まれる訓練のための生け贄」だったのだろうか。
荒太は仕事の帰りに漫画雑誌を買い、自室で読んだ。
どの作品でも、主人公やその味方キャラクターは、整った容姿をした者達ばかりである。
そして悪役の人間達は、醜い顔の者もいるが……、荒太のように荒れた肌をしているわけではなかった。漫画雑誌で見つけた中で最も荒太に似ているのは、主人公に蹴散らされるモンスター共であった。……荒太は苦笑した。自分のような醜い者は、主人公になれないどころか、華のある悪役として物語を彩ることもできない。正義の主人公から暴力を受けて排除されるだけだ。……荒太の人生そのものを垣間見ているようであった。荒太はなんだか哀しくなって、その場で泣いてしまった。「漫画に出てくる醜いモンスターに自己投影して泣いてしまう者」なんて世の中には自分くらいしかないのだろう、と……荒太は惨めな気持ちになった。
では、そんな荒太は「醜い容姿でありながらも、心は優しい善人」なのかというと、そうでもない。
長い人生を、コンプレックスに苛まれ、煙たがれ続けて生きてきたものが、フィクション作品の主人公のように清い心を持ち続けられるはずがないのである。踏みにじられ続けてきた荒太の心には、歪みが生じていたのだ。
荒太は居酒屋チェーン店「客神堂」の本部で中間管理職として活躍している。そこで各店舗の店長へ、厳しいノルマを課して、奴隷のようにこき使っている。荒太はそれなりの立場を手にして、人に指示を出せる力を手に入れた今、これまで踏んだり蹴ったりされてきた人生への復讐(八つ当たりともいう)とでもいわんばかりに、周囲の人物へ熾烈なパワハラやセクハラをするようになっていた。とある店舗の店長「三木谷 底助」も、荒太からパワハラを受けている者の一人であった。荒太は、底助たちが疲弊し、苦しんでいることを知っている。知った上で尚、「甘えたことをいうな」「会社のために尽くせ」「会社の利益こそ絶対正義だ、それに反する者は悪だ」といわんばかりに労働搾取をしているのである。
荒太は上司や経営者に大変気に入られていた。常人の精神では、各店舗の店長を気遣ってしまい、激務を強いるのは躊躇してしまうことが多い。しかし心の歪んだ荒太は、容赦なく激務を強い、労働搾取ができる。どうせ誰にも愛されない、誰からも嫌われる、誰からも気持ち悪がられるのだと開き直っているが故に、荒太は無敵なのだ。そうであるが故に、「儲かりさえすれば現場の人間達がどれだけ疲弊しようが潰れようが構わない」というポリシーの経営者からすると、大変重宝する人材なのである。
そうして、かつては周囲の人物からさんざん嫌われ、正義の名の下に虐められてきた荒太は今、正義の名の下に他者を虐げる側となったのである。
そんな荒太は、ソープに通うのが趣味になっていた。
自分のような醜い容姿の客であっても、金を払っている以上、ソープ嬢は拒絶することができない。
荒太は、ソープ嬢達が自分を気持ち悪がっているのを分かっている。だが、だからこそ金で彼女達に言うことを聞かせられることに喜びを感じるのである。荒太はソープ嬢達へ、かつて学生時代に自分を虐めてきたクラスの女子生徒達の面影を重ねているのである。
しかし、そんな中、新型コロナウィルスの蔓延が発生する。ソープのような性風俗店は、濃厚接触を繰り返す場であるため、まさに感染の震源地となった。荒太も最初の頃はソープ通いを我慢していたが、やがて一人でシコシコと自己満足を得るのでは我慢できなくなり、「そろそろ大丈夫だろ」とソープへ行った。……その後、案の定、荒太は見事に新型コロナウィルスに感染した。それだけではない。新型コロナウイルスだけでなく、梅毒にも同時に感染してしまったのだ。二つの病に蝕まれ、生死の境を彷徨った荒太だが、なんとかコロナの方からだけは回復し、職場に復帰することができた。……それっきり、荒太は性風俗店に行かなくなった。梅毒は残ったままだから仕方ない。自分が嬢にうつすのは別にいいが、嬢から自分が病を貰うのは御免被りたいのである。
だが、それでは足りない。温もりが足りない。
アダルト雑誌を眺めながら自己満足をしても心が満たされない。
女性社員にセクハラをしても心が満たされない。
寂しい。
そんな気持ちが、荒太の心を埋め尽くした。
誰でもいいから、いくらでも払うから、自分を受け入れてほしい。
そう願ってマッチングアプリを利用して、金を欲しがっている女性とのパパ活を試みるも、「キモすぎて無理」といつも断られてしまう。
荒太は部屋で一人、頭を抱えて泣いていた。
本当は愛されたい。
無条件で愛されたい。
金を払わずに愛されたい。
この醜い顔面を拒絶せずに受け入れて欲しい。
そんな叶うはずのない願望を抱きながら、荒太は泣きわめいた。
……そんなある日。彼に転機が訪れた。
2021年3月3日のことであった。