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 螺旋階段をふたたびのぼって、一同は星見の部屋に戻っていった。

 少し風が出てきたのか、窓を開け放した暗い広間に、ゆるやかな空気の流れがある。

 汗ばむようだった昼間の熱気もすっかり抜けて、少しあたたかみのあるミルクがちょうどいいくらいの室温だ。

 蔵書室の匂いとちがい、こちらの部屋の祭壇では少量のタイムが焚かれていて、いい香りがふんわり鼻をくすぐった。


「リデルお姉さま、セレナお姉さま」

 大人たちの間にいたエセル姫が、姉たちをみつけてうれしそうな声をあげた。丸テーブルの上に新築された積み木の城を、得意げに指さしてみせる。

「ほら、お城つくったの。小人さんが住むのよ」

 にこにこしながら言った直後に、両手を口元に当てて大きなあくびをした。


「眠くなっちゃったのね」

 リデルも思わず笑いながら、小さな妹に近づいた。いつ寝てしまってもおかしくない時刻なのだが、五歳のお姫さまはブルブル頭を振って眠気を払いつつ、きっぱりと言い返した。

「眠くない。お星さまにお願いするんだもん」

「どんなことを?」 

「エセルはね、ひとりで上手にお馬さんに乗れますようにってお願いするの」


 予想していなかった答えに、リデルはちょっとたじろいだ。

 ここ数日、エセルは思いついたいろいろな願いごとを並べては、あれにしようかこれにしようかと迷っていた。その大半が、たわいなかったり突飛だったりする内容なのだが、真剣で現実的なものも中には混じっていたらしい。

 馬に乗るというのは、父のエルランス殿下につながる大切な思い出だ。

 流れ星に願いをたくそうとする、妹の強い気持ちが伝わってきた。


 エルランス殿下は生前、エセルがもう少し大きくなったら二人乗りで馬に乗せてあげると約束していたのだった。

 年長のリデルやセレナは、父との乗馬を何度か経験している。けれどエセルはまだ小さすぎたので、実際に乗せてもらえる日を楽しみに待っていた。

 その日が絶対に訪れないと知ったとき、彼女はひどく悲しんで、泣いたりぐずったりして周囲をずいぶん困らせた。

 最近は言わなくなったと思っていたら……いつのまにか、自分ひとりで馬に乗ることを願うくらい成長している。


「うまく三回言えるといいんだけど」

 成長というには幼すぎる声で、妹姫が呟いた。

「できるわ、きっと」

 リデルは彼女を励ましながら、自分も手伝ってあげようかしらと思いはじめていた。

 できるだけ応援してあげたい。もちろん、わたしの一番のお願いはセレナのことに決まっているけど、それがすんだら……。流星はたくさん降ると言われているから、がんばればふたつめの願いごとだって、きっと。


「でもねえ、姫さま」

 と、そばにいた侍女のリタが、のんびりした声をはさんできた.

「うまくお星さまをみつけることのほうが大変かもしれませんよ。先ほどから、ちょっと雲が出てきてしまっているんです」

「えっ?」

 驚きの声を上げて、リデル姫は窓辺を見やった。昼間の雲が戻ってきてしまったのだろうか。

 リタがあわてて言い添える。

「あ、いえ、完全に曇ることはないと思いますけどね」

 

 なぜリタがのんびりしていたかと言えば、大人たちはみな、ゆったりした夜の時間を楽しんでいて、それだけで案外満足してしまっているのだった。

 男性陣の中には、葡萄酒をたしなみながら、待ち時間をさらに有意義にしている者もいる。星見の広間でこんなふうにつどえるなんて、めったにない機会だ。


 それでついのんきな言い方をしたわけだが、当然ながらリデル姫はそうは感じず、動揺した様子で呟いた。

「晴れてくれないと困るわ。わたし、どうしてもお願いしなきゃいけないのに」

「そ、そうですね。本当に困りますね」

「リタだって願いごとを決めてるんでしょ?」

「はい、一応。わたしは夫が早くよくなりますようにと願うつもりなんです」


 普段のリタはしっかり者で通っているのだが、くつろぎの場に長くいたおかげで、今夜はまたもや余計な発言をした。リデル姫が聞き逃すわけはなく、すぐに真剣な問いかけが返ってきた。

「ホーマーさんの具合が悪いの?」

「あ、いえいえ、大丈夫なんですよ。ただ最近暑いので、ちょっとばててしまったみたいで」

「だから、ここに来ていないのね」


 リタの夫は王城に住み込んでいる書記官で、姉妹の遊び相手をつとめることもあった。そんな人物が寝込んでいるなんて心配だ。リデルが眉を寄せたとき、もうひとりのお姫さまがやはり心配そうな顔つきで近づいてきた。

「ほんとに平気?」


 セレナ姫は、はちみつ入りのミルクをもらったあと、室内にあるリンドドレイクの祭壇にもう一杯のミルクを供えに行っていたのだった。ハリエットの発案だったが、お供えしたことで気持ちがだいぶ落ち着いたらしい。

 リタが恐縮しながら姉妹にあやまる。

「あらあら、ご心配をおかけしてすみません。本当にたいしたことないんです。重病だったら、わたしがここにいるはずないんですから」


 ホーマーさんが寝込んだなんて聞いたことがない、とリデルは考えた。いつも元気いっぱいな人なのに……。

 わたしはセレナのことを一番にお願いして、エセルのことを二番目にお願いするつもりだけれど、もしかして二番目はホーマーさんにしたほうがいいかしら……?


「ほかのみんなは何をお願いするの?」

 と、姉と同じように眉を寄せていたセレナが、急に気づいたように周囲の人々を見まわした。集まってきていた家臣のひとりが、生真面目に答えた。

「小麦がたくさん収穫できますようにとお願いするつもりです。初夏の刈り入れ分がちょっと少なかったので」

「少ないの?」

「はい、去年にくらべますと」


 雨が多すぎたせいかあまり実らなかったのだと、家臣が説明した。主食の小麦がとれないなんて、とても困った問題だ。

 それについてもお願いしないと……ええと、四番目? でも食べ物は国民みんなに関わる大事なことなのだから、一番最初に願わないといけないのかも……。


「わたしはですね」

 と、たずねられてもいないのに、次の家臣がしゃべりはじめた。葡萄酒のせいで口が軽くなっていたし、何しろ部屋が暗いので、お姫さまの様子の変化が目につかなかったのだ。

「厩舎の馬が出産間近でして。ぜひ安産になるようお願いを」

「お馬さん!」

 あくびを連発していたエセルが、いきなり目を輝かせた。

「赤ちゃんが生まれるの?」

「はい。でも逆子かもしれなくて、ちょっと心配しているのです」

 そんなことを聞いてしまうと、リデルの返事にも力が入らざるをえなかった。

「それは心配ね!」

 厩舎の馬たちのことはリデルも大好きだったし、出産に危険がつきものであることも知っている。ぜひ無事に生まれてもらいたい。


「あなたは?」

 と、セレナがダズリー伯爵のほうを見た。

「わたしは無論」

 伯爵が、これも真面目くさって答えた。

「アデライーダ女王の御代に光がありますようにと」

 ほかの者たちにくらべ、かなり大きく出ていたが、リデルは深くうなずいた。


 わたしもそれにしようかしら、と、ごく小さな声でセレナ姫が呟いた。驚いたリデルがセレナ自身のお願いを思い出させると、妹は小さな声のまま、けれどしっかりした口調でこう言った。

「お姉さま、わたしね。今度<逢瀬の間>に連れていってもらって、リンディさまにちゃんとあやまろうと思うの。わたしは直接会うことができるんだから、そうしたほうがいいのよ。だからお星さまのお願いは、ほかの人たちのために使いたいの」

「まあ、セレナ……」


 リデル姫は心を動かされた。なんて勇気がある子なんだろうと思う反面、こんな良い子にばちが当たるなんて絶対に困るとも考える。セレナ自身が願わなくても、わたしが願ってあげないと……。

 リデルの小さな頭の中は、そろそろ満杯だった。考えれば考えるほど、わけがわからなくなってくる。

 そのとき。


「あら、嫌だ。ずいぶん曇ってきましたわ。そろそろ時間だっていうのに」

 窓辺にいた侍女のひとりが、残念そうな声を上げた。

 リデルははっとして思索を放り出すと、窓に走り寄り、大急ぎで夜の空を仰ぎ見た。

 少し前まで、漆黒のベルベットをひろげたようにつややかだった星空に、灰色がかったまだらな雲がかかっている。上空はかなり風が強いらしく、雲はどんどん寄り集まって、もっと大きくなりそうだ。


 そんな……せっかく流星群の来る時間になったのに。

 リデルは目を見開いて空をみつめたが、見ているうちにもどんどん曇ってしまう気がして、視線をはずした。そして、ふと下方に目をやった。

 下に何かあると思ったわけではない。けれど、眼下にひろがる風景が目に映ったとき、彼女は思わず息を呑んだ。


 暗闇の底に沈んでいるのは、王都パステナーシュの町並みだった。

 王城はなだらかな丘の上にあり、南の塔の最上階は中でも一番高い場所だったから、町並みを一望のもとに見渡すことができる。

 昼間見れば壮観だが、月明かりのない深夜なので何ひとつ見分けることはできない。ところどころに常夜灯がついているかもしれないが、ここからはほとんど見えず、ひたすらの暗闇だ。

 にもかかわらず。


 リデルは感じたのだった。都に住むたくさんの人たちが、たったいま、固唾を吞みながらこの夜空を見上げていることを。

 いや、都だけではない。都より小さい町でも、さらに小さい町でも、ひなびた田舎の村々でも──おそらく国中のあらゆる場所で、人々がいま、流星群を待っている。

 それぞれの願いごとを胸に抱きながら、夜の空をみつめている。


 自分の思いになんだか圧倒されながら、リデル姫は身じろぎすると、ふたたび上空に視線を移した。

 その瞬間に光がよぎった。

 雲の後ろから小さな小さな光が飛び出して、尾をひきながら流れていく。天の扉からこぼれ出てきたかがり火が、暗い夜空を流れて落ちる。

 リデルの瞳は、それをしっかりとらえていた。

 そしてとらえると同時に、声に出して願いごとを叫んでいた。

「お空が晴れますように」


 わたしの力はちっぽけだから、みんなの願いをとなえることはできないけれど。お星さまをみつけることも三回となえることも、ひとりひとりが一生懸命がんばるしかないのだけれど。

 でもせめて、みんなが精一杯願えるよう、お空がきれいに晴れていますように……!


 それを叫んだのはリデルだけではなかった。かたわらに来ていたセレナも、空を仰ぎながら、姉の声にかぶせるようにして声を上げていた。

「お空が晴れますように」

 乳母に抱き上げられた幼いエセルも、姉たちに遅れまいとあどけない声を張り上げた。

「お空が晴れますように!」


 星が流れるのは本当に一瞬の出来事で、流星は文字通りまたたくまに消えてしまった。

 失望をにじませたリデル姫が、大人たちのほうを振り向いて呟いた。

「一回しかとなえられなかったわ……」

 後ろで見守っていた大人たちは、みなほほえみを浮かべていた。

 ダズリー伯爵が代表して、お姫さまにこう教えた。

「ちゃんと三回、となえていらっしゃいましたよ」


 その晩──。

 願いが天に届いたのかどうか、上空の風は雲をさらに押し流していき、しまいには快晴の星空があらわれた。

 期待通りにたくさんの星が降ったが、三人のお姫さまたちは結局、空が晴れることだけを願い続けて夜を過ごした。そして流星群が去っていったころには、三人そろってその場で眠ってしまっていた。


 乳母や侍女たちは、自分たちの判断は正しかったとうなずきあった。

 こうなることを予想して、お姫さまたちには最初から夜着を着せ、上着をはおってもらっている。

 わざわざ着替えさせなくても、あとは上着をとってあげさえすればいいのだ。



         ☆



 ──流星群は、その後も何年かおきにレントリアの空にあらわれて、人々を楽しませてくれている。

 でも、あの晩の星の多さは、やはり数十年に一度のものだったと、リデルライナ姫は時おりなつかしく思い出す。


 当時から母親似だと言われていた彼女は、容貌も気質もますます母に近づき、二十歳を過ぎたいまは、次期女王にふさわしいと誰もが認める姫君になった。

 けれどそう評価されるのは、母の素質を受け継いだせいではなく、本人の心がけと努力の賜物だということも、また誰もが認めるところだった。


 セレスティーナ姫には幸いばちは当たらなかった。

 守護聖獣に感謝しながら、姉とともに研鑽をつんでいるうちに、隣国の王子と出会って見初められ、婚約の儀をとりおこなった。

 いまはまだレントリアの王城にいて、隣国の守護聖獣のことなどを学びながら過ごしている。


 ひとりで馬に乗りたがっていたエセルシータ姫は、馬どころか天馬にまでひとりで乗るほど、おてんばな姫君に成長した。

 五歳という幼さだった彼女にとって、あの夜の記憶はかなりぼんやりしていて曖昧だ。


 ただ、特別な夜をみんなで過ごした楽しさは、いまも何となく覚えているし、同じ言葉を繰り返していた姉たちの声も、ちゃんと耳に残っている。


 だからかもしれない。

 流星群が来るという夜に、夜空を仰いで星をさがしているときに、ふっとこんなふうに思うのだ。

 こうして星をさがすことができるのは、空が晴れているおかげ。

「空が晴れますように」とどこかで願ってくれている、やさしい誰かのおかげではないだろうかと。




         終


次回はあとがきとFAです。

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