2
塔の階段は、柱を中心にぐるぐるまわる螺旋状になっている。
ころばないようドレスの裾を持ち上げながら、リデルは一階分をまわりきって蔵書室に足を踏み入れた。
夜中の蔵書室は、昼間とはかなり雰囲気がちがっていた。
暗い中にずらりと並んだ書架の列。皮表紙と綴じられた大量の紙、古びたインクの匂い──。
圧倒されて思わず立ちすくんだリデルだが、目が慣れてくると、あちこちの窓辺に人が立っているのがわかった。どうやら、こわがらなくてもいいらしい。
上階の人々のようなおしゃべりはせず、静かに時を待っているのは、流星群が来ることを告げた星見の学者たちだった。今夜はもちろん夜通し起きて、星の観測をするのだろう。
リデル姫に気づいた彼らが、ほほえみながら礼をしたので、彼女も会釈してこたえた。
目当てのセレスティーナ姫はというと、学者たちといっしょにはいなかった。
窓からちょっと離れた壁際にしゃがみこみ、手燭の灯りで、床にひろげた大判の本を眺めていた。
三人姉妹のまんなかにあたるセレナは、リデルよりひとつ年下の七歳だ。金髪と青い瞳はリデルと同じ、ただし髪は肩先でくるくる巻かれている。
金の巻き毛とふんわりはおったレースの上着が、ろうそくの炎に照らされて、なんだか彼女自身が小さな灯りのように見えた。
「セレナ、戻りましょうよ」
リデルは近づくと、本から目を離さない妹に声をかけた。
「こんなところにいたら、流れ星を見逃しちゃうわ」
すると妹は顔も上げずに答えた。
「まだ平気よ」
「そんなことないわ。本が見たいなら上に持っていけばいいじゃない」
「嫌よ、重いもの」
その声が妙に暗かったので、リデルはあらと思った。めずらしく機嫌が悪いらしい。
難しい本を読んでいるのかしら。
かがんでのぞいたが、全然難しいものではなく、幼いころからよく知っている絵本だった。
見開きページにのっているのは、建国女王エルフリーデと守護聖獣リンドドレイクがなかよく寄り添う、おなじみの絵だ。
女王は小さな女の子で、竜体の守護聖獣もそれに釣り合う程度の大きさに描かれ、絵本にふさわしくほのぼのとしている。
不機嫌の原因がわからず、リデルはちょっと当惑してあたりを見まわした。
離れたところでこちらを見守る、セレナ付きの侍女の姿が目に入る。けれど侍女にもわけがわからないらしく、少し肩をすくめた笑顔が返ってきただけだった。
どうも、あまり簡単ではなさそうだ……。
でも、それでは困るとリデルは思った。妹のそばにしゃがみこみ、さらに声をかけることにする。
「ねえ。上に行って積み木で遊ばない? 楽しいわよ」
「積み木はたぶんできないわ……わたし、眠くなっちゃった」
「セレナったら」
リデルはあきれたあと、声をひそめて少し強い口調になった。
「どうしたのよ。あなた約束してくれたじゃない。いっしょにお星さまにお願いしてくれるって」
実はリデルは、前もって妹に頼んでいたのだった。自分の願いごとをいっしょにとなえてくれるようにと。
流れ星は一瞬だから、自分だけではうまくみつけられないかもしれない。みつけられたとしても三回もとなえるなんて、きっとすごく難しい。
でもふたりでやれば、きっとどちらかが成功する……。
リデルが気持ちを打ち明けると、仲のいい妹はふたつ返事で引き受けてくれた。お手伝いするのはうれしいと本人以上に乗り気になって、熱心に三回となえる練習までしてくれたのだ。
それなのに。
「お願いなんかしなくたって、お姉さまなら大丈夫よ」
ページの端をいじりながら、妹姫が熱のこもらない口調で言った。
ていねいに思慮深く話すリデルとちがい、セレナは率直な言い方をする。普段はそれが好ましかったが、いまのような場合、感じがいいとはけして言えない。
「そんなこと、どうしてわかるの?」
「お姉さまはお母さまにそっくりだって、みんな言ってるもの。心配しなくたって平気だわ」
「それは見かけの話でしょ。わたしの気持ち、セレナはわかってくれてると思ってたのに」
リデルはいらいらしてきた。話が通じていたはずの妹に、いまごろこんなことを言われるなんて。
レントリア王家では代々、王または女王の第一子が星冠を受け継ぐよう定められている。建国当初から長きにわたって続いてきたし、他国でも一般的なしきたりらしいので、受け入れるのが嫌なわけではない。
ただ、リデルはときどき不安になるのだった。
わたしはお母さまみたいになれるのかしら──最近とくに、そんな思いが湧き上がって離れなくなることがある。
誰もがほめたたえる、毅然として美しい女王さまになることができるかしら。
星の冠をいただいて、民たちみんなのことを考えながら国を治めていくなんて。そんな大きな役目が、本当にわたしにつとまるのかしら──。
「ハリエットに頼んでみたら?」
と、跡継ぎの悩みのない第二王女が、絵本に目を落としたまま呟いた。
「きっと上手に三回となえてくれるわ。大人なんだもの」
「それができれば、あなたなんかに頼まないわよ」
第一王女の口調がいよいよ尖った。
次期女王として、臣下にそれを頼むのはあまりにも情けない──ような気がする。そう思ったから我慢した。母にさえ言えずにいる本音を、年子の妹だけに打ち明けた。
エセルは小さすぎて話にならないが、ひとつしかちがっていないセレナなら。でも結局……。
リデルの口が、あやうくこんなふうに動きかけた。
──セレナはいいわ、跡継ぎじゃないんだもの。でも、わたしはのんきにしてられないの。
けれど、実際に動き出す一瞬前に、妹姫が伏せていた目を上げた。
驚いたことに、大きな青い瞳には涙がいっぱいたまっていた。