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降るように星のまたたく、真夏の晩のことだった。
高い塔のてっぺんにある窓辺にたたずみ、リデルライナ姫はじっと空を見上げていた。
流れ星が見えるのは、今日と明日の境目の、少し手前あたりから。見上げて待つにはちょっと早いとわかっていたが、待ちきれなかったのだ。
リデルは八歳、母親ゆずりのさらさらした金髪と、透きとおる青い瞳が印象的なお姫さまだ。
いつもなら、とうにベッドで夢をみている時間だが、今夜だけは起きることを許されて、こうして窓辺にたたずんでいる。
今宵は数十年に一度しかない流星まつり。たくさんの小さな星々が、はるかな天のいただきから流れて落ちる、特別な夜。
降るようにという言い方は、今夜ばかりは単なる比喩ではないのだった。
どこの国でも星にまつわる物語があるように、ここレントリアでも、古くからの言い伝えが人々のあいだに息づいていた。
それによると、流れ星というのは、天の扉の向こうで燃えるかがり火の明かりなのだそうだ。
天に住む星の神さまは、時おり扉をひらいて地上の様子を確認する。そのとき、奥にあるかがり火の明かりが、隙間から外へとこぼれてくる。
それが流れ星として、地上で見上げる人々の目にうつるのだ。
だから、こぼれた光が消えないうちに──つまり扉が閉まらないうちに願いごとをとなえれば、その声が神さまの耳にとどいて、願いをかなえてもらえるのだという。
ただし、となえるのは一度ではなく三度。光が消えてしまう前に、全部言い終わらなければいけない。
空はこんなに広くて、お星さまもこんなにたくさんあるのに……と、金色の頭を少しかしげてリデルは考えた。
この星空の中を流れて消える、一瞬の小さな光を、ちゃんとみつけることができるかしら?
たとえみつけられたとしても、ちゃんと三回、お願いすることができるかしら?
昼間薄雲がかかっていた空は、いまは冴え冴えとした漆黒で、はるか彼方にうっすらと天の川の光沢が見えていた。
流れ星があらわれるのは、幸いなことにそれとは反対の方角だ。月はかすれる細さの三日月だから、こちらも星をみつける邪魔にはならない。
辛抱強く待っていれば、きっとみつかるとは思うけれど……。
小さな口元をかすかに動かし、彼女は胸に秘めた願いごとを、そっと唇にのせてみた。
──立派な女王さまになれますように。
八歳の少女にしては壮大な願いごとだが、リデルにとって、それはごくあたりまえのものだった。母であるアデライーダ女王から、いずれは星冠を受け継ぐ身の上だったからだ。
すぐれた剣士の息子が剣士にあこがれるように、うるわしい吟遊詩人の娘が詩人にあこがれるように、第一王女は母にあこがれ、少しでも近づきたいと思っていた。
「姫さま、こちらにいらっしゃいませ」
背後から笑いを含んだ声がした。振り向くと、薄暗がりの中で乳母のハリエットがほほえんでいる。
「わたし、お星さまをみつける練習をしているの」
澄んだ声でリデル姫が言うと、乳母はさらにほほえんだ。
「いまからがんばっていらしては、肝心なときに疲れてしまいますよ」
「そうかしら……」
乳母の横にいた侍女のリタが、やはり笑いながら、陶器のカップを持ち上げてみせた。
「こちらに少しあたためたミルクがございますよ」
「はちみつ入りの?」
「もちろんです」
そこでリデルは、窓辺をはなれて少し休憩することにした。
窓側にある燭台の灯がすべて消されているので、室内はいつもにくらべてずいぶん暗い。星の光をさまたげないようにするためだ。
明かりはリンドドレイクの祭壇に飾られたろうそくと、床やテーブルに置かれたランプだけ。それでも、漆黒の夜空を眺め続けていたリデルの目には、部屋の様子が十分に見渡せた。
塔の最上階は王族以外にも開放されていて、城に住む幾人もの家臣たちや侍従、侍女たちがつどっていた。
みんなくつろいだ表情で、衣服もゆったりと楽なものを身につけている。
思い思いの場所にたたずんだり、置かれた椅子にすわったり、床の敷物の上に直接腰をおろしたり。会話している者たちもいるが、神秘的で静かな夜にふさわしく、けして声高にはなっていない。
南の塔は星見の塔、そのてっぺんは、小高い丘に建つ王城の中でもっとも星に近い場所だ。数十年に一度しかない光景を眺めようと、一同はここに集まり、その時が来るのをおだやかに待っているのだった。
ただ、いつもなら人々の中心でほほえんでいるアデライーダ女王の姿は、いまこの場所にはなかった。スーラで開催されている流星まつりに招かれて、そちらに臨席しているのだ。
ここにお母さまがいらっしゃらないのは、ほんとに残念なことだわ、とリデルは思った。
でも仕方ない。スーラの流星まつりは、星の神さまを奉る聖魔法院が主催していて、女王がいなければはじまらない大切なものだ。
昼間の式典も終わり、お母さまもいまごろきっと、くつろぎながら夜空を見上げていらっしゃることだろう。
母の不在はたしかに少しさびしかったが、女王として精力的に活動している姿は、リデルの目にとてもまぶしくうつっている。
それに、星まつりの開催も女王の行幸もありえなかった昨年の夏を思えば、数日会えないくらいでがっかりするわけにはいかなかった。
父であり王配であるエルランス殿下が、魔物に襲われ身罷ってから、一年とちょうど半年──。深い悲しみを乗り越えて、レントリアの人々はいま、よりよい明日を築くために力を合わせてすすんでいる。
そんな時期だからなおのこと、訪れる流星群は、この国にふさわしい吉兆としてみんなから歓迎されていた。
と、静かな室内に、ひときわかわいらしい笑い声が響いた。
続いて、軽やかな拍手の音。小さな手を打ち合わせて喜んでいるのは、丸テーブルの席にいたエセルシータ姫だった。
少し癖のある金髪と茶色い瞳のエセル姫は、三人姉妹の末っ子で、まだたったの五歳だ。
そんな幼い子が起きているにはずいぶん遅い時刻だが、まったく眠そうには見えない。夕方までたっぷり昼寝していたおかげだ。
テーブル上には、小さなお姫さまががんばって積んだ、おもちゃの積み木がおかれていた。拍手は、思いどおりのかたちに積めたお祝いだったようだ。
まわりには家臣や侍女などの大人が集まっていたが、みんな幼い姫同様にこにこしている。か細い指先がすべりはしないかと、いままで緊張しながら見守っていたにちがいない。
エセルがすわっているのは、家臣であるダズリー伯爵の膝の上だったのだが、普段はしかめつらしい顔を崩さない伯爵までが、こころなしか表情をゆるめていた。
自分が動いて作品が台無しになっては大変と、こちらも緊張していたのだろう。
部屋が静かだった一因は、あの積み木のお城だったわけだ。
ちょっとだけ、わたしもやってみようかしら。甘いミルクを飲みながら、リデルはランプと手燭の両方に照らされているテーブル席を眺めた。
わたしだったらあのお城に塔を足せるし、きっとそんなに時間もかからない。
でも積み木を積むのは、なんといってもセレナが一番上手だけれど……あら?
ふいにリデルは、もうひとりの妹姫が見当たらないことに気がついた。
どこに行ったんだろう。別の窓辺で星見の練習していると思っていたのに。
「セレナは?」
問いかけると、リタが少し困ったような笑みで答えた。
「それが……退屈だから、ちょっと蔵書室に行ってくるとおっしゃって」
「まあ」
蔵書室は最上階のひとつ下にある部屋で、大人の本から子ども用の絵本まで、たくさんの読み物がそろっている。リデルも好きな場所だったが、いま行くのにふさわしいとは思えない。
リデルは飲み終えたカップをおいて立ち上がった。
セレナも本が大好きだから、夢中になったら星が降る瞬間を見逃してしまう。連れ戻してこなきゃ。
そばにあった手燭を手にとり、彼女は急ぎ足で星見の部屋をあとにした。