私の承認欲求が服を着て、勝手に街を歩き回ってるようです。
『愛穂、大変! あんたの承認欲求が服着て、銀座を歩き回ってるよ!!』
友達の希美から送られてきたそのメッセージに、私はそんな馬鹿なと思わず独り言を言ってしまう。確かに承認欲求は強い方だし、私の意志とは別に好き勝手に暴れまわる時だってある。でも、だからといって、私の内側から承認欲求が飛び出し、そのまま服を着て街を歩き回るなんてそんな馬鹿なことがあるわけないでしょ。まあ、タチの悪い冗談なんだろうな。私は既読スルーを決め込んで、読みかけの文庫本を再び手にとった。
しかし、文庫本を開いたその瞬間、私はある違和感に気がついた。私はスマホを手に取り、それからすぐに自分のSNSアプリを開いた。最終ログイン時刻は昨日の夜。投稿に至っては、昨日のお昼過ぎに一度だけ。私はその履歴を見て、自分の目を疑った。一分一秒たりとも携帯を離さないSNS中毒の私が、一体どういうわけで昨日の夜から一度もSNSを開かず、家でゆったりと文庫本を読んでいるんだろう。読書自体は別に珍しいことじゃない。それでも、いつもなら本を読んでいる間にも常に頭の中ではSNSが気にかかっていて、数分おきにSNSをチェックするはず。風呂上がりの写真や自作料理の写真をアップせず、家でゆったりと本を読んで過ごす。こんなこと、ここ数年の間、一度たりともなかったはずなのに。
希美からのメッセージが頭をかすめる。不安に駆られた私はクローゼットを開け、自分の持っている服を一つ一つ確認してみた。しかし、ある一着だけがどうしても見つからない。そしてその一着は、私が持っている服の中で、一番なくなったらまずいものだった。私はゆっくりとクローゼットを閉じる。冷たい汗が私の背中を伝っていくのがわかった。
そのタイミングでもう一度希美からメッセージが届いた。私は恐る恐るそのメッセージを確認する。メッセージには希美が携帯で撮った動画が添付されていた。私はその動画を再生する。画面に映し出されたのは、胸元がパックリ開いたカジュアルドレスを身にまとった、丸々と太った私の承認欲求だった。
私の承認欲求は高級デパートのベンチに座っていた。脚を組み、ドレスのスリットからは大根のように太い足が覗いている。樽のような巨体をふるふると震わせ、目の前を男性が通り過ぎるたびに彼らへ色目を送っている。そして、彼らが一瞬でも自分の方を見るやいなや、脚を組み直し、身体を前かがみにして胸の谷間を強調する。動画を見終わった瞬間、強烈なめまいが私を襲った。私の承認欲求が今この瞬間も、男に対してそのような破廉恥な行動をしていることは想像できた。そして、自分の承認欲求のみっともない姿を想像するだけで、私は恥ずかしさのあまり顔が燃え上がりそうになる。
事の重大さをようやく理解した私は、慌てて身支度を済まし、希美がいる銀座へと飛んでいった。駅で希美と合流し、私は開口一番自分の承認欲求が今どこにいるのかと彼女に尋ねる。しかし、希美は肩をすくめ、申し訳無さそうに首を横に振るだけだった。
「こっそり後をつけていたんだけど、途中で見失っちゃってさ。今はどこにいるのかわかんないの」
はあ、友達の一大事だっていうのに、何よそれ? しかし、私は苛立ちをぐっと抑え、とりあえず手分けして承認欲求を探そうと希美に提案する。すると希美は私に、こういう時は警察を頼ればいいんじゃないと気怠そうにアドバイスする。その態度にまた怒りが込み上がってきたが、確かに希美の言うことにも一理ある。私は頷き、希美を連れて一緒に駅前の交番へと駆け込んだ。
「承認欲求の捜索願ですね。はい。大丈夫ですよ、受理できます。最近、こういう届出が増えてるんですよね」
私は警察官に促されるまま、机に座る。一緒に来てくれた希美も、少しだけ迷いつつも私の隣へと腰掛けてくれる。警察官が引き出しから捜索願の申請書類を取り出してきて、それでは色々と質問させていただきますねと私達に説明する。
「それでは早速、行方不明中の承認欲求の特徴を教えていただけますか?」
「え、特徴ですか?」
質問に私が答えあぐねていると、警察官は例えば体つきとか、服装とかそういうものを教えてくださいと教えてくれる。
「えっと、体型は……私自身は普通の体型なんですが、承認欲求は太って……じゃなくて、ぽっちゃりしてます……」
「服装はどうです? 服を着て歩いているということでしたが」
「服は、えっと、その……」
言い淀む私の隣で、しびれを切らした希美が口を挟んでくる。
「胸元がぱっくり空いたカジュアルドレスです。あと、スリットが入っていて、生足が見えるようになってます」
そうですかと警察官がうなずき、手元の紙にメモをする。私は希美を横目できっと睨みつけた後で、誤解されちゃたまらんと慌てて補足を行った。
「確かに承認欲求はその服を着てるんですが……私がそういう服を日頃から来てるわけじゃなくてですね、ただSNSにあげるために買って、写真を撮ったらそのままクローゼットにしまってたものなんです」
はあ、そうですか。警察官がわかったようなわからないような表情を浮かべた後でうなずいた。何必死になってるんだと思われているような気がして、私は羞恥のあまり思わず顔をうつむけてしまう。それから二、三の項目を追加で質問され、私は承認欲求の捜索届けを提出した。特徴的な承認欲求なので、すぐに見つかると思いますよ。警察官が申請書類を受け取りながら、私に微笑みかける。しかし、辱めを受けた今の私には、その優しそうな警察官の微笑みの中にさえ、嘲りと侮蔑が含まれているような気がしてならなかった。
私と希美はそのまま交番を出る。ふらふらと足取りのおぼつかない私に、希美がちょっと休憩しようかと提案し、私達はすぐ近くの喫茶店へと入っていった。
「そういえばだけどさ、SNSで探せば見つかるんじゃない? あれだけ立派な承認欲求なら、ネットで話題になってるかもよ」
穏やかなBGMが流れる店内。希美は注文したコーヒーを飲みながら、悪魔のようなアイデアを私に伝えてくる。私は希美と目を合わせる。そんなはずないよ。私は引きつった笑顔を浮かべながらも、ひょっとしたらという疑惑が湧き上がってくる。私は不可抗力のまま携帯を取り出し、SNSで『銀座 承認欲求』と検索をかけてみる。そして、ヒットした検索結果はまさに、私にとっての地獄そのものだった。
大通りを大股で歩きながら、すれ違う男たちに色目を使っている私の承認欲求。服の胸元をぐっと伸ばし、胸の谷間をわざとらしくアピールする承認欲求。醜く太った脚を、スリットから覗かせる承認欲求。さまざまな画像や目撃情報がSNSを駆け巡っていた。そして、人々が私の承認欲求について話題にすると同時に、このみっともない承認欲求の持ち主は誰なのかという議論が行われていた。もちろんまだそれが私の承認欲求だとバレているわけではない。それでも、今現在承認欲求が来ている服は、私が数ヶ月前に試着し、SNSにアップしたものだったし、特定される可能性だって十分にある。
私はスマホをうつ伏せにした状態で机の上に置き、こみ上げてくる猛烈な吐き気をぐっと堪えた。その時、同じくSNSで検索をかけていた希美があっと声を上げ、ねえ、これみてよと自分のスマホの画面を私に見せてくる。希美のスマホの画面に映し出されていたのは、数時間前に開設されたばかりの、私の承認欲求のSNSアカウントだった。
自分の胸元をプロフィール画像にしたそのSNSアカウントは、いくつかのセクシーな画像や卑猥なつぶやきをいくつも投稿していて、盛った男たちによるリプライで地獄絵図となっていた。画面を更新するたびに、フォロワー数は増え、すでに本体である私のフォロワー数を追い抜いていた。
「こ、こんな恥ずかしいことするなんて……ありえない! それに、なんで私のフォロワーよりこっちの方が多いのよ!!」
「ここまで露骨ではないけど……愛穂も時々自分のアカウントで似たような投稿してるじゃん」
「そんなはずないでしょ!」
私がこの承認欲求の持ち主だとみんなが知ったら、どう思われるだろう。そのことを考えただけで、私は首を吊って死にたくなる。こんなことなら、そのまま放っておけばよかった。私は独り言のようにそうつぶやく。そもそも承認欲求なんて百害あって一利なしだし、私の中から出ていったところで生活に支障なんてないし、考えれば考えるほど不必要なもののように思えてくる。しかし、もう手遅れだ。警察に捜索届を出し、この破廉恥な承認欲求は私の持ち主だと自分で説明してしまっている。今更捜索届を取り下げようにも、再びあの交番に行く必要があるけれど、それすら今の私には耐えられる自信がない。
私と希美はそのまま喫茶店を出て、電車に乗って自分の家へと帰った。帰る途中、私は顔を俯け、身体を縮こませ、少しでも目立たないように心がけた。家に帰って、緊張から解放された後も、自分の承認欲求の姿がフラッシュバックして、恥ずかしさのあまり奇声をあげて悶えてしまう。あの若い警察官が私の承認欲求を見て眉をひそめる姿。街行く人が私の承認欲求を指差し、あざ笑う姿。友達の希美だって、私の承認欲求を見た瞬間に、あまりのみっともなさに苦笑していたのかもしれない。
私はメイクも落とさないまま、布団の中へともぐり込む。承認欲求なんてなくなってしまえばいいんだ。そうだ。今日の出来事は夢だったと思い込もう。明日の朝には、すべてが元通りになっていて、辱めを受けたことも全部、夢の中の出来事なんだ。私はぐっと力を込めて目を閉じる。そして、あれは夢なのだと繰り返し繰り返しつぶやきながら、ただひたすら一刻も早く眠りに落ちることを願った。
*****
「千賀愛穂さんですね。はい、伺っています。先ほどご連絡したように、千賀様の承認欲求を保護していますので、こちらへどうぞ」
承認欲求がいなくなった翌日の正午。ネットカフェで私の承認欲求を保護したとの連絡を受け、私はその身柄を受け取りに交番にやってきていた。私は警察官と簡単な打ち合わせをしながら、自分の情緒が昨日よりもずっと落ち着いていることに気がつく。あれだけ死にたいと思っていた気持ちは霧のように消え去り、むしろ以前よりもずっと前向きで、明るい気持ちになれていた。必要書類の記載を終えると、私は奥の部屋へと案内され、派手な服装のまま、脚を組んで待機していた承認欲求と対面する。
「とりあえず一緒の部屋で生活をしてれば、そのうち千賀さんの元へもどりますよ」
警察官がじろじろと私を見ながら、そう教えてくれる。私はありがとうございましたとお礼を言い、承認欲求と一緒に交番の外へ出た。私とその横に立つ承認欲求に気がついた何人かが、私たちの方をちらりと見て、そのうちのひとりがニヤニヤと笑う。しかし、その様子を見ても、私の心がざわつくことはなかった。笑うならどうぞ、ご勝手に。私は晴れ晴れとした気持ちのまま、銀座を行き交う人々を眺めた。
そして、その時。私の携帯にメッセージが届く。なんだろうと思って確認してみると、それは昨日と同じ、希美からのメッセージだった。
『愛穂、大変! 今度はあんたの羞恥心が服着て、渋谷を歩き回ってるよ!!』
私は希美のメッセージを読み、なるほどと自分で納得する。続けて希美から、『昨日と同じように、警察に捜索届け出す?』と確認のメッセージが届く。私は自分の横に立つ醜く太った承認欲求をちらりと見て、そしてそれから昨日の自分の乱れっぷりを思い出す。あんな苦しい思いはもうたくさんだし、羞恥心なんてあったところで、昨日みたいに私を苦しめるだけ。私は自分で自分の考えに納得し、希美への返信メッセージを打ち込んだ。
『別になくても済むものだし、ほっとこう』
私は携帯をポケットに戻し、深く息を吸い込む。そしてそれから。すっぴんでジャージ姿の自分を周りに見せつけるように、大股で銀座の街を歩いていった。