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リハビリがてらメイドのヤナリの手を取り歩く。すると少し屋敷が騒がしくなり、兄の怒声が此方まで響いてくる。またアシュナード様が来たのだろう。毎度毎度同じ事をして楽しいのだろうか。
しばらくすると静かになりアシュナード様が色とりどりの花束をもって現れた。全くもって好みの色じゃない。
眉間にシワを寄せ、不機嫌な顔で挨拶をする。
「やあ、リリィ……その顔は持って来た花束が気に食わないからか?」
「全くもってその通りです。私は真っ赤な薔薇が好きなので」
「……この花は昔、君が良く好きだと言っていた花達なんだ」
「いえ?私は特段好きな花などありませんでしたよ?」
おそらく答えは簡単だ。アシュナード様から頂いた花だから好きなのであって、私の好み等些細な事だっただけだ。そして私が本当に好きだった花は薔薇だ。似合わないと思い髪飾りも薔薇の形のものは一個もない。
「アシュナード様お茶でもしましょう」
「ああ、気遣い有り難う」
庭のサロンで紅茶を飲む私をアシュナード様は悲しげに見つめている。なんだか紅茶が飲みづらい。
「ねえ、アシュナード様。前へと進んでいるつもりで、過去にぶつかる事がある。それが、もう取り返しのつかない過去だった時、心は後悔しますでしょ?アシュナード様、貴方は過去をどう受け止めますか?」
アシュナード様の顔が可愛らしく歪む。痛いところを抉っているのだから当たり前か。もっと抉ってしまおうか。
「アシュナード様が生きて誰かの希望を壊したら?もし追い詰めて死なせたらアシュナード様の責任は?その人にどうやって償うの?」
私はテーブルに肘をつけ顔を手の上に乗せる。嗤いながらアシュナード様の返答を待つが、アシュナード様は口を開いたり閉じたりしている。
(アシュナード様、もっと私だけを考えて)
『リリィ』の気持ちが流れ込んでくる。だが、私にはこの男との思い出すらない。
「……償いは一生を掛けてでも償おう……リリィ」
「そうですか……なら償ってもらいましょう?」
私は歪んだ笑みのままアシュナード様の歪んだ頬を撫でる。
来月に舞踏会があったはずだ。それまでにはこの体を完璧に治さなければ。これは『私』のゲームだ。私が全てを思い出したらさぞや面白いだろう。
「ねえ、アシュナード様。もしリリィを取り戻しても、それはもうリリィじゃないかもしれないですよ」
「それは一体……」
「ご自分で考えて下さいませ」
「まるで君はリリーナの顔をした別人に見えるよ……」
クスクス嗤いながらアシュナードを見る。
「貴方が壊したのでしょう?」
その言葉にアシュナード様は項垂れる。返す言葉も見つからないようだ。冷めた紅茶を飲み干し、アシュナード様に別れの言葉を告げる。
「それではアシュナード様、またのお越しをお待ちしております」
ヤナリの手を借り自室へと戻る。今日はなんだか疲れてしまった。部屋に着くと私はベッドへと横になる。『リリィ』のアシュナード様に対する憎しみと恋心が流れ込んでくるが、私にはアシュナード様の記憶が無い。どうしたら記憶を取り戻せるのか。どうやって取り戻してくれるのか。私は観客席で『リリィ』とアシュナード様の馬鹿げた芝居を見る。
さっさと終わらせれば良いものを私の中のリリィがアシュナード様に記憶が無くても執着してしまう。本当に面倒くさい。さっさと次へ行けば良いのに。
まあ、良い。一年でリリィを取り戻せなかったら婚約破棄だ。アシュナード様はあれこれ頑張るのだろう。記憶が戻るのは神のみぞ知るだ。
「リリィ、大丈夫だったかい?アシュナードには来るなと言ってるんだが、毎回すまないな」
「お兄様、これは私達のゲームなのですから追い返さなくても大丈夫ですよ」
「ゲーム?」
「はい。リリィの記憶を取り戻せるかどうかの」
リゼットお兄様は何かを考えるように黙ってしまった。
「リリィはアシュナードの記憶が無くなってから別人の様だな。いや、悪い意味ではないんだが……」
その時頭に激しい頭痛が走る。何かを思い出すように。
(僕はリリィの優しい笑顔が好きだな)
これはリリィの記憶の欠片。壊れてしまったものの一部。
ああ、分かった。何故リリィは冷遇されても優しく微笑んでいたのかが。アシュナード様のたった一言でずっとそうする様に心がけていたのだ。愛されたいがために。本当に馬鹿な女だ……愚直にも程がある。恋は人を盲目にするというが、本当らしい。
「大丈夫か!?リリィ!!」
「ヤナリ……桶を」
桶に胃の中身を全てぶちまける。私はアシュナード様にもリリィ……自分自身にも嫌悪感を感じてしまう。
「本当……嫌な物語」