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(君はまたそうやって優しく微笑むだけなのか)
幼い頃からずっと一緒にいた。どんな遊びでもリリィは優しく微笑んで手を繋ぎ笑いあった。だが少しずつ大人になり始めると、その優しさがつまらないモノに感じはじめてしまった。
私が態度を冷たくしても、他の令嬢と親しげにしてもリリィは俯きながらも優しく微笑むだけ。
(退屈な女)
その一言だった。リリィは幼い頃から泣いたり、怒ったり等、一度もしなかった。唯、優しく微笑む眼差しだけ。
そんな時だった、成長した従姉妹のサフィア嬢と出会ったのは。舞踏会で偶々話す機会があり、サフィア嬢はリリィと違いコロコロと表情を変えてそれが好ましく、楽しい時間だった。
私がサフィア嬢と親しげにしていても、リリィは俯き微笑むだけ。それが面白くなく、私はサフィア嬢と親密な仲をリリィに見せつけた。
リリィは怒るだろうか、それとも泣くのだろうか。だが、リリィは私に注意はするが眉を下げ微笑むだけだった。
リリィもサフィア嬢の様にコロコロと表情を変えれば良いのに。怒ったり、笑ったり……そうしたらきっと、リリィも可愛らしいのに。
そんな時、リリィとの形式的になってしまったお茶にわざと遅れて行く。二時間も遅れているのだ、少しは怒るだろうかと、使用人に通された部屋に入る。するとリリィは今まで着た事のない様な真っ赤なドレスを身に纏い。今にも雨が降りそうな空の下、優しい笑みでバルコニーに立っていた。
綺麗なブラウンの髪と、翡翠色の瞳には似合わない真っ赤なドレスを見て何か嫌な予感がした。だが、私の口から漏れる言葉はリリィを皮肉る言葉だった。
「珍しいな、君がそんな派手なドレスを着てるなんて」
「ふふっ、一種の覚悟の現れですよ」
いつもと同じ様で違う優しい笑みで、リリィは素早くバルコニーの手摺りに登った。私が感じたのは恐怖。普通の恐怖じゃない、リリィが手の届かない所に行ってしまうという恐怖だった。
体が少し遅れて動き出すが、リリィが張り詰めた声、心からの叫声にすら聞こえる声で私を制止した。初めて聞いたリリィの心の声。
「馬鹿なことは止めて降りるんだ!!」
「馬鹿な事?ああ、確かに馬鹿かもしれません。こんなにも貴方が憎らしいのに、こんな事でしか恋心を消せないなんて……」
憎らしい?恋心?どうして、どうしてそれを言葉にして伝えてくれなかった。そうだ、私はリリィの気持ちが知りたかっただけなのだと、今更になって気付いた。
ポタポタと雨が降り出し、まるでリリィが泣いている様に水滴が頬を撫でる。いや、リリィの頬を撫でているのは涙だ。歪な優しい笑みを浮かべリリィは言葉を紡ぐ。
「どうか、貴方の記憶の中で色鮮やかに眠らせてください」
「リリィ!!」
もう何年も呼んでいないリリーナの愛称が口から出る。必死にリリィを掴もうとするが、時は残酷だ。私の手はリリィには届かず、堕ちていくリリィを見ていることしかできなかった。
直様駆け出し、使用人にリリィがバルコニーから落ちた事を告げリリィの元へ行く。リリィは痛みから呻き声を出しながら血を吐く。どんどん水と混じり合い血が流れてゆく。
「リリィ!!何でこんな……医者をはやく!!」
リリィは痛みを無視したように艶やかに笑う。今ままで見た事の無い笑みだった。私は高を括りリリィに酷い仕打ちをしていた事に今さら後悔をする。
「すまない、リリィ……ああ、どうすれば。
俺は取り返しのつかない事を……」
ポタポタと私の後悔と懺悔の涙が零れ落ち、リリィの顔を濡らす。
「リリィ……リリィ……すまない……すまない……こんな……」
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リリィが昏睡状態になって一ヶ月が経った。
今でもリリィの歪な優しい笑みが頭から消えず、何度も何度も同じシーンを夢に見る。手を伸ばしても、その手はリリィに届かず空を掴むだけ。
この一ヶ月の間にサフィア嬢に今までの関係を謝罪し、別れを告げた。そしてリリィの父親であるジュラード子爵に今までの事を話し顔を殴られ、婚約破棄を告げられたが、何度もジュラード子爵の元へ通い婚約破棄は保留という事にしてもらった。
(神がいるのならどうか、リリィの目を覚ませて下さい。その為なら私はどのような罰でも受けるし、何でも差し出しましょう。)
ある日リリィの見舞いに来た時、屋敷が騒がしかった。持っていた花束を落とし、使用人の制止も聞かずにリリィの寝室へと走って向かう。
扉を開けリリィが眠るベッドへと目を向けるとリリィが目を覚まし此方をジッと見つめていた。だが、いつもと同じ優しい笑みでなく、眉を下げ嫌悪感が感じられる瞳で私に罰の言葉を紡いだ。
「リリィ……!!良かった……」
「申し訳ありません……どちら様でいらっしゃいますか……?」
「リリィ……?私が誰か分からないのか……?」
「ええ、申し訳ございません」
「なんて事だ……私は君の婚約者のアシュナード・ベラールだ。君とは幼い頃から一緒で……何一つ覚えていないのかい?」
ああ、これが神が与えた罰なのかと腑に落ちた。
当たり前にあったあの優しい笑みはもう二度と見られないのだろう。一番近くにいて、気づかなかった優しく微笑む大事な人はもう戻って来ない。だが、心が体がリリィの元へと近くへと動くが、ジュラード子爵に止められた。
「アシュナード様、娘は今さっき目覚めたばかりです。今日の所はお引き取り下さい」
その言葉で我に返り、私はリリィから向けられた嫌悪の瞳と言葉にショックを隠せなかった。唇を噛み締めていないと今にも泣いてしまいそうな感情、喪失感。私は身を引くべきなのだろう。だが、リリィを諦められない感情が止められない。
(すまない、リリィ。私はまた君を苦しめてしまうのだろう。だけど、私は君を諦められない)