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後編 手紙


 ゆうり君と出会って一年が過ぎた。


 辺りはすっかり冬景色だ。昨日の雨で出来た水溜まりはすっかり凍りつき、足元でパリパリと音を立てている。

 白い息を吐きながら、山へと続く道をいつも通り自転車で駆け抜ける。


 けれどそんな日常の風景の中に、いつもとは違うものが混ざっていた。

 お母さんが、山道の入口に立っている。引き返そうかと自転車のハンドルを動かした瞬間、目ざとく見付けられてしまった。


「まつり、あんた山に何しに行くの」

「が、学校の宿題で、冬の植物探しにいかないといけなくて……」


 我ながらナイスな言い訳だ。

 しかしお母さんは全てを見透かしているようだった。


「嘘。お母さん知ってるんだよ、あんたがあの家の殺人鬼と仲良くしてるの。あんなに近付くなって言ったじゃない! 何かあったらどうするの!」


 段々と声が大きくなり、しまいには近所に聞こえてしまうんじゃないかというぐらいの声量になる。心配してくれているのは表情から察したけど、わたしにとっては鬱陶しいだけだった。


「何かってなに!」

「殺されちゃうかもしれないのよ。あんたに何かあったら、あたし一人ぼっちになっちゃうんだからね!」

「黒は……ゆうり君は、そんな人じゃないもん!」

「知らないからそんな事言えるのよ!」


 お母さんは怒った顔で、服のポケットから折り畳んだ紙を取り出して広げた。

 それは新聞記事のコピーだった。見出しには大きくおどろおどろしい字体で、【一家殺害 犯人は九歳長男】と書かれている。

 読めと言わんばかりに突き出してくるので、渋々受け取って目を通す。


 記事にはこう書かれていた。


〝21日深夜、〇〇町に住む屋寺さん一家が殺害された。

 被害者は夫の隆太さん(43)、妻の藍菜さん(36)、次男のえるちゃん(3)の三人。犯人はこの家に住む長男で、発見当時彼は凶器の包丁を持ったまま、殺害現場である寝室から離れたリビングでテレビを見ていたという。

 死因は三人とも刺殺。犯行の理由については「カッとなってやった」と供述。以前から親子喧嘩が堪えず、物を投げたり壊したりする音が近所にも聞こえていた〟


 読めない字も多かったけど、何となく記事の内容の不穏さは察した。

 そして、ゆうり君がお父さんとお母さん、兄弟の三人を殺したことも。


「ほらね、あの子はおかしい子なのよ! 怒らせたら何するか分からないの。まつりに何かあってからじゃ遅いんだから!」


 …………違う。

 違うよ。黒はそんな人じゃない。


 黒は、ゆうり君は──……。


「――なんにも知らないくせにッ!!」


 わたしは山に向けてがむしゃらに走った。

 お母さんは反応が遅れ、わたしを引き留めようと手を伸ばしたけど空振りに終わる。そのまま後ろを追い掛けてきたけど、普段デスクワークばかりでろくに運動もしていないせいか、山道に苦戦しているようだ。そもそも、ヒールを履いて山道を容易に登れる訳がない。


「まつり、待ちなさい! まつりっ!」


 どんどんお母さんの姿が遠くなるのを確認しながら、尚も全力で道を駆け上がっていく。

 一年間ほぼ毎日通った山道だ、誰よりも早く登れる自信があった。どんどんスピードを増していくのを感じる。


 お母さんの姿がいよいよ見えなくなった頃、枝分かれの小道が見えてきた。ここを曲がって真っすぐ行けば、ゆうり君と会える。

 お母さんには見付けられない、二人だけの秘密の場所。


 鼓動が速まっていく。

 足が軽くなって、まるで羽根でも生えたみたいだ。


 一刻も早く会いたい。

 今すぐに。


「──ゆうり君!」


 開けた場所に出る。


 くすんだ木の小屋、錆びたベンチ。見慣れた光景だ。

 しかし、そこに彼の姿は無かった。


 居ると期待していただけに、姿がないのには少し落胆してしまった。けどたまにそういう事もあって、来れない時はベンチの上に置き手紙を置いておいてくれるので、問題はなかった。


 ベンチに近寄ってみると、そこにはいつもの簡素な置き手紙とは違う、封筒に入れられたちゃんとした手紙が置かれていた。手紙が飛ばされないようにいつも置かれていた石ころは、ガラス製のペーパーウェイトになっている。透明なガラスの中にお花が入っていて、とても綺麗だ。

 ベンチに座り、手紙を読んでみる。



〝オオカミ様へ


 本名忘れた。あと、手紙書いたことないから読みづらいかも。

 今日、家に大勢の大人が押しかけてきた。お前と遊んでるのがバレたみたいだ。もう遊ぶなって言われた。

 父さんそれで参っちゃって、引っ越すって。多分お前がこの手紙読んでる頃には、もう荷物まとめ終えてると思う。言おうかと思ったんだけど、お前がいつも通り楽しそうに笑ってるから、どうしても言い出せなかった。

 それと絵本だけど、見せられなくてごめん。まだ完成してないから、引っ越しのダンボールに入れて持って行くよ。お前とまた会えた時に、完成品を見せられるように。


 この町は嫌いだったけど、お前と会えたことで少しだけ好きになれたよ。

 俺と友達になってくれて、ありがとう。

 このペーパーウェイトはお礼の印です。大切にしろよ。


 黒より〟



 手紙の字は汚くて、その上スカスカのボールペンで書いたのか、所々インクが切れていた。別れの手紙とは思えないクオリティーだ。

 しかも、「ありがとう」の辺りで何かを零したのか、文字がじんわりと(にじ)んでいる。とても読みにくい。


 でも、何を零したのか、わたしには分かっていた。

 この滲んだ「ありがとう」だけで、彼の気持ちは伝わっていた。


 わたしは手紙とペーパーウェイトを胸に抱いて、下りの道を駆け出す。

 途中お母さんと出くわすかと思ったけど、幸いにも頂上に着いてそのまま違うルートで下山したのか、会うことは無かった。

 どこをどう走ったのか、よく覚えていない。気づけば自転車を停めて、黒の家の前に来ていた。


 表札は剥がされていて、もう無かった。

 家の電気も点いていない。自転車もバイクも車も、全てが跡形も無くなっていた。


 もう、遅かったんだ。


 力が抜けていくようだった。魂がほんの少し軽くなったように、自分というものが遠くなる。現実味がなくて、夢の中にいるみたい。

 それでも空っぽの家も、手紙も。現実として、目の前にある。


 ねえ、黒。

 黒は、この町が少しだけ好きになれたって言ったけど。


 ……わたしは、嫌いになっちゃったよ。


 自然と涙が零れ出てくる。

 とめどない悲しみが、幾筋も頬を伝う。


 どうして黒は、この町を出なきゃならなかったんだろう。



 どうして、友達を作っちゃいけなかったんだろう。




 ***




 後から分かったことだけど、ゆうり君の顔の傷は、実親からの虐待によるものだった。

 頬の大きなカサブタも、ケロイドという火傷の傷痕。


 殺害した両親は二人目の親で、この人達も虐待の気があった。最初こそ優しかったけど、実子が生まれてからはゆうり君を邪険に扱うようになっていた。その頃にはもうゆうり君も反発する意思と力を持っていて、それが近所には、親子喧嘩と取られたようだった。


 ゆうり君は助けを呼ぶことをしなかった。それは何故か。

 救われたと思ったのに、また同じことが繰り返されてしまったからだ。


 誰も助けてくれない、ゆうり君はそう思ってしまったんだろう。


 だから、自分の手で終わらせてしまった。


 ゆうり君にも非はある。

 自分の手で解決するのはあまりにも早計で、愚策だ。だけど彼には、すがるべき綱が見えていなかった。


 盲目になってしまうんだ。

 自分の身を護る殻を、見付けられなくなってしまう。


 だからわたしは、その殻になることに決めた。


 相手の傷に寄り添い、雛が成長するその時まで守り続ける、強固な殻に。




「……話してくれてありがとう。あなたの事は、わたしが、わたし達が守るから。もうすぐの辛抱だからね。必ず助けるよ」


 電話越しの幼い声が震えている。よっぽど怖い思いをしたんだろう。


 

「浅田さん、〇〇町〇〇区、〇〇-〇、渡来あきちゃん。今要請の電話があったから、児童相談所と連携して、保護に移れるようにして」

「はいっ!」


 指示を飛ばしながら、パソコンで他の案件も進める。

 今日だけで五件ぐらい処理しただろうか。それでもまだこの国には救われていない児童がいると思うと、とてもやりきれない気持ちになる。


 ふと、デスクに置いたペーパーウェイトに視線を落とす。

 ファッションじゃなくて福祉の仕事に就いたこと、黒が知ったら怒るだろうか。でもさすがに仮面を流行らせるのは無理があった。


 傷を隠すのではなく、寄り添う。わたしがたどり着いたのはそこだった。

 ちょうど世間では、児童相談所の仕事量が増えてずさんな対応が問題になってきた頃で、それに伴い立ち上げられたのが〝つながりたすけるプロジェクト〟だった。


 要は全国各地に保護施設を増やし、更に児童相談所で処理しきれない分も手を取り合い、一緒に何とかしていこうという計画だ。


 本当は地元を出るつもりだったけど、地元にプロジェクトの影響で新しい保護施設が出来るという噂を聞き、そこで働くことにした。

 施設の名前は「ひよこの巣」、雛が巣立つ時まで大切に守る、そういう意味が込められているそうだ。


「まつりちゃーん、休んでいいよー」

「はーい」


 上司の声に応え、ランチバッグを持って休憩室に行く。

 唯一気が休まるのは、この時間だけだ。


 休憩室とは名ばかりの会議室には、長テーブルと何脚かのパイプ椅子、ホワイトボード、それから申し訳程度にテレビが置かれている。

 いつものようにテレビを点け、目当ての情報番組を見付ける。新作映画の公開についてやっていた。


 それを眺めながら弁当箱を開くと、見事にぐちゃぐちゃになっていた。恐らく今朝、自転車ごと派手にすっ転んだのが原因だろう。

 米粒だらけになった卵焼きを口に運ぶ。実に多彩な味だ。

 卵焼きをつまんでもぐもぐやっている内にコーナーが切り替わり、書籍の紹介になった。

 何やら人気作家の本が今日発売されるらしく、画面の中にわいわい人が溢れている。


「本日の紹介はこちら、村下秋先生の新作『下弦の月の下』です! ファンの方が書店の外にまで列を作っていますねー!」


 人に埋もれるようにしてアナウンサーがマイクを握り、声を張り上げている。

 地方じゃそれほど並びもしないのに、本一冊のために待たされるなんて大変だ。そんな事を思いながら、磯辺揚げをもぐもぐ。うん、美味しい。

 アナウンサーが人を掻き分けながら準備中の書店に入り、人気の本の棚に平置きされた、例の本を手で示す。


「やー、凄い。こちらにも山積みになっていますね!」


 本当に凄いな。なにが凄いって、カメラが書店の外を向いた瞬間に自動ドア越しにピースする人の多いこと多いこと。記念写真じゃないんだから。


 久々に帰りに本屋へ絵本の物色をしに行こうとしていたけど、やめた。たぶん人でごった返しているだろう。

 絵本探しは休日にしよう。


 昼休みを終え、午後も何件かの仕事をこなし、ようやく終業時間になった。

 仕事も終わり、家までの道のりをトボトボ歩く。


 疲れた、めっちゃ疲れた。早く家に帰ってお風呂に入りたい。

 実家暮らしはこういう時便利だ、ご飯とお風呂が出来上がっているから。まあいずれは出るんだけど。


「ただいまー」


 煌々と明かりが漏れる、磨りガラスのドアを開ける。

 出迎えたお母さんは、すでに顔が若干赤かった。


「おかえり~」

「もう晩酌始めてるの?」

「いいじゃな~い、疲れてるんだからあ~」


 女手ひとつでわたしを育て、今もなお家事を担ってくれているからあまり強くは言えない。言えないけど、早い時間帯からお酒を飲んでベロンベロンに酔っ払っているのは、娘としてどうかと思う。


「あ、あんたにこれ届いてたわよ」

「え?」


 唐突に、テーブルの上に置かれていた薄い郵便パックを手渡される。

 送り主の欄には、江田黒斗と書かれてあった。


 ……えだ? 誰だろう。知らない名前だ。


 送り先を間違えているのでは、という考えが過ぎったが、確かに「文乃まつり様」とわたしの名前が書かれている。

 中身は硬くて薄っぺらい。


 勇気を出して封を開けると、そこには一冊の絵本が入っていた。


【オオカミちゃんと 黒ずきんくん】


 そして覚えのある、釘で引っ掻いたような、酷い文字の手紙。



〝オオカミ様へ


 何年も経っちゃったけど、無事に完成しました。来月に東京の書店で握手会も開かれます。来てくれると嬉しいです。

 それと、名前変えました。黒を使いたかったから、黒斗にしました。


 クロトね。コクトじゃないから間違えるなよ。

「こうだこくと」だと思われて「コーク」とかあだ名付けられて、未だにそう呼ばれてるんだ。

 でもお前は黒って呼べよな。絶対だぞ。


 黒より〟



「あんたなに泣きながら笑ってんの?」


 お母さんの怪訝(けげん)そうな声が聞こえる。

 目の前がよく見えなかった。熱い雫がポタポタと落ち、最後の文面が滲んでいく。


「……わたし来月、東京に旅行に行くよ。友達に会いに行くんだ」



 古ぼけたゲーム機と、通信ケーブルを持って。




 END.


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