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 その日の夜も、シセルとハシムラは繁華街を歩いていた。酒に酔った人も多いし、どことなく柄の悪い人が多い。シセルは辺りを見回しながら、歩いていた。周りに気を配っているのは、いつ酔っ払いがハシムラに絡んでくるか警戒しているためだ。


 だが、その時、人混みの中に、街灯に反射する銀色を見た。思わずシセルの体が動いた。

 ハシムラは、急に駆け出したシセルを、慌てて追いかけた。


「シセル君?」

「すみません、僕……ちょっと用があるので、ここで失礼します!」


 ハシムラは戸惑っていたが、シセルはなりふりかまっていられなかった。


 夜の暗がりの中でも、磨いた金属のように輝く銀色の髪。確かにシセルはそれを見た。


 この世界の人間は、皆黒い髪なのかと思ったが、そうではない。茶色や赤、金、それらの混じった色、様々な髪の色の人間がいる。だが、あの色は、シセルの世界の人間が持つものにあまりに似ていた。


「すみません! すみません!」


 追い掛けてどうしようとは考えていなかった。だが、この世界で初めて見た、向こう側の景色。

 すれ違う人とぶつかり、悪態をつかれたが、それでも走った。銀色の髪が、近付いてくる。シセルはもう一度呼びかけたが、聞こえていないのか、相手は振り向かない。その肩に手を置いた。


「っ!」


 瞬間、相手は素早く身を振り払い、シセルはつんのめって転ぶ。膝をついた。そこで始めて、シセルは相手の顔を見た。

 銀の髪の人は、初老の女性だった。相手は突然肩をつかんできたシセルを睨みつけていたが、すぐに、はっとした表情に変わる。


 その表情を見てシセルは確信した。

 自分の金の髪と瞳を見て、向こうの世界の人間だと気付いてくれたのだ。彼女の銀の瞳は、暗がりでも分かるほど大きく見開かれていた。



 シセルが連れてこられたのは、酒場だった。そのまま店の裏で待つように言われる。女性はこの酒場の主人のようだった。


「店があるから、話はあとで聞く。腹が減っているなら、これでも食っておきな」


 そう言われて出されたのは、湯気の立つ汁物だった。中に、細長くて柔らかい黄色い何かと、色々な細かい粒が浮いている。どういう仕組みか、器はやたらと軽かった。

 どう食べていいか戸惑ったのは最初だけで、気付けば夢中で食べていた。塩辛かったが、とにかく温かいものを食べられるということだけで必死だった。


 空が明るくなり始めた頃、女性は店を閉めた。そしてシセルの前に座り、大きく溜息をついた。


「何てことだろうね……何から話せばいい……。いや、まずはあんたの話を聞こう。いや、……名前も聞いてなかったか。あんた、名前は」

「シセル……です」

「シセルか。私も、混乱しているんだ。まさか、……あっちの人間にここで会うことになるとはね。私の名前は……ナターシャだ」


 ナターシャが名前を言うまでに、だいぶ間があった。そして、付け加える。


「こっちの世界では、ナカザキエリスと名乗ってる」

「ナカザキエ……」


 こちらの世界の人の名前は長いし、区切れが分からない。ナターシャは、近くにあった紙に『仲崎エリス』と書いた。


「文字は分からないかい」

「はい……」

「そうだろうね。……どうしてこっちの世界に来た。向こうの世界はどうなってる」


 初老の女性は、それから、シセルの話にじっと耳を傾けていた。魔物との戦いが苦戦していて、勇者召喚のためにこちらに来たことを話すと、ナターシャは呻き声を上げた。


「……あの」

「私が来たのはね……五十年も前の話になるのさ」


 ナターシャが向こうの世界にいた頃もまた、魔物との戦いが激しかった時だという。ナターシャは聖教会に仕える神官だった。聖教会には連日、傷ついた戦士が運び込まれた。傷の手当の甲斐なく死んでいく者も多かった。また、傷を治した戦士は決まって戦場に戻り、再び傷ついて戻るか、遺体となって帰ってきた。


「そして、予言があった……この戦いを終わらせる、救いの聖女が異世界に居るとね。私は聖女の召喚の(いかり)となった」

「召喚が……五十年前にも」

「知らないかい? あんたが生まれるよりずっと前の話なんだろうが、激しい戦いだった。それは……どうなったんだ。本当に……」


 ナターシャの言葉に、シセルは力なく首を振った。自分が恥ずかしかった。確かに、過去にも異世界から召喚があった話は聞いていたが、自分の国の歴史さえ不勉強だった。

 ナターシャは、シセルと同じように、自分が去った後の世界がどうなったか気がかりのまま、五十年も過ごしてきたのだ。それに答えられない自分が、ひどく情けなかった。


「……そうか……そんなものなのかね。もう、とっくに諦めていたつもりだったけど……」


 ナターシャは、じゃあ行こう、とシセルを促した。戸惑うシセルに、ナターシャは、私の家だよ、と言った。


「シセル、行くところ、あるのかい」

「……。え……」


「私がこっちに来た頃は、どうにもこっちの世界もね、世の中がごちゃごちゃしていた頃で、戸籍とかも何とかなったんだが、今はなかなかそうもいかないだろ。行く場所がないなら、うちにおいで」


 それでもシセルは、戸惑った。ここでナターシャについていくより他に、道はない。だが。


「いいんですか……? 僕は……」

「馬鹿だね」


 ナターシャはぴしゃりと言った。


「あんたは、私が嫌だって言おうと、どうにかしがみついていかなきゃなんない立場だろうが。別世界で生きていくなんて、そうさ、必死に食らいついていかなきゃいけないんだ」


 そして、ナターシャはそうしてきたのだ。

 シセルは、ふらふらと立ち上がった。



 ナターシャの家は、ハシムラの家とよく似た、二階建てで小さな部屋のいくつか集まった、四角い灰色の建物だった。

 そこで久しぶりに、温かい湯で体の汚れを落とし、ゆっくりと眠った。夢は見なかった。


 次の日、ナターシャはシセルを連れ出して、服を買った。この世界の人と同じ服だ。シセルが来ていた黒いローブはボロボロで、洗ってもきれいにならず、結局捨ててしまった。

 ナターシャの、「どこに着ていくんだい」という言葉に、何も言い返せなかったのだ。


 そしてナターシャは、シセルに文字を教えた。まずは名前として、“仲崎シセル”という文字だけを、とにかく覚えるようにと言われた。また、会話はできるんだから、あとは何とか覚えなと、テレビと呼ばれる四角い箱を見ているように言われた。四角い箱は、魔法の水晶球のように様々な風景と音楽を映した。

 シセルは、それをずっと見ていたが、とても理解できるものではなかった。


「ナターシャさんは、どうやって、この世界の文字や……生活を手に入れたんですか」


 シセルの問いに、ナターシャは、「色々ね」と短く答えて、あとは何も話そうとはしなかった。


 日が暮れ、夕食を食べた後、ナターシャは仕事に出掛けると言った。


「先に寝てな。私は夜が明ける前には帰るから」

「……あの……僕、行かないといけない、場所があって」


 シセルの言葉に、ナターシャは驚いたようだった。


「どこに。バイトでもしてるのかい?」


 シセルは首を振った。


「……人と待ち合わせをしていて……僕が最初、この世界に来た時に助けてくれたんです。それで……」

「……。ふうん」


 ナターシャは、しばらく考えていたが、好きにしな、と言った。



 ハシムラの部屋の前についたシセルは、少し緊張した。昨日、あんな風に放り出していってしまい、気分を害したかもしれない。とにかく謝ろうと決心していたが、ハシムラは、いつもと変わらずにシセルを迎えてくれた。


「昨日は驚いたわ。急に走りだしていっちゃうから」


 シセルは、すみません、と謝った。


「それに……いつも着てたあの黒い上着、どうしたの?」

「あの……いえ、新しく、服をもらって」

「?」


 シセルは少し考えたが、ハシムラにはできるだけ正直に話しておくことにした。異世界については伏せるとしても、ナターシャに会えたことは伝えておくべきだと思った。あくまでハシムラは、シセルを記憶喪失の少年だと思っており、弟のことに加えて、自分のことも心配してくれているのだ。


「昨日……自分のことを知っている人を、見つけて」

「え!」

「それで、昨日はその人と話して」

「知っている人って……?」


 シセルは何と言えばいいか困り、少し迷った。ナターシャを友達と言うのは少し無理がある。


「あの……向こうは僕のことを知っていたんですが、僕は向こうのこと、よく覚えてなくて」

「で、でも。昨日いきなり走っていったのは、その人を見つけたからなんでしょう?」


 シセルは頷いた。


「じゃあ、その知り合いの人が分かったってことは、きっと無意識のうちに思い出せているのよ。良かった、じゃあ記憶が戻ってきているんだわ」


 ハシムラは喜んだ。騙しているようで、少し胸が痛む。


「でも、じゃあ……もうシセル君、こうやって街を歩き回る必要ないじゃない、もっとその人に話を聞いた方が、自分のことを思い出すのには早いはずよ」

「あ、あの」


 シセルは焦った。そういう話になるとは思っていなかった。


「でも……僕は」


 うまい言い訳や作り話は咄嗟に出てこなかった。言葉に詰まる。いつだってこうだった。どう言ったらいいか分からない。


「どうしたの?」

「……僕は……ハシムラさんの弟さんを捜すのを、手伝いたいんです」


 下手な答えだと思った。

 だが、ハシムラは、口を押さえ、何か少し呟いた。


「……そう、だね……最初からシセル君は、そう言ってたんだよね……。ありがとう。本当に、ありがとね」


 その目が少し赤く滲んでいて、シセルはまた、何を言っていいか分からなくなった。だけど、いつものように胸の奥に澱が溜まったような気分ではなかった。


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