(4)
盗賊から逃げた後も、恐ろしくて、元の公園や、人気のない場所にいく気にはなれなかった。だが、夜でも灯りが眩しく、人通りも騒がしくてここでは眠れない。
仕方なく、路上に座り込み、人の流れを見ていた。すると人混みの中に、見覚えのある姿を見つけた。
(あれは、ハシムラ……?)
シセルは彼女を遠くから見つけられたのは、彼女の姿が回りから浮いていたからだろう。夜の街を往く人たちは、派手な格好をして、どこか気だるげに歩いていた。なのに彼女は、灰色の地味な服で、せかせかと歩いているのだ。
遠くから見ていたが、彼女は時折、柄の悪そうな男に話し掛けられていた。彼女はそれを振り払うように無視して、足早に歩く。公園と違い、人通りも多いので、シセルがそうされたように襲われることはないと思うが――あまり良い状況ではない。
体の痛みは引いていた。シセルは立ち上がり、彼女を追い掛けた。人混みの中を、どんどん歩いて行く彼女に追いつくのは大変だったが、走ればどうにか追いついた。
「……ハシムラさん」
「あなた……シセル君」
シセルを見て、彼女は驚いたようだった。追いついたものの、自分などがどうしていいのか分からなかったが、とにかく、これだけは言わなければと思った。
「……夜の街は……危ないですよ」
ハシムラは、一瞬きょとんとしたが、首を振って言った。疲れた様子だった。
「……ありがとう」
シセルは、俯いた。
青白い灯りが、真っ暗な道を照らし、長く影を伸ばした。シセルの世界では、街中であっても、万が一魔物が出たらいけないから、こんな夜中に出歩く人は滅多にいなかったものだし、月のない夜は常に完全な闇だった。
「私ね、小さい時に、父を亡くしていて。弟が生まれる直前だった」
ハシムラはそう話し始めた。
「それから母が働いて、私と弟を――雄二を育てることになったんだけど、雄二の面倒は私が見ることが多かった。でも、それでも母も、無理してたからか、二年前に他界して」
「……はい」
言葉は分かるはずなのに、言葉が出てこなかった。足音が、黒く固められた地面に擦れて響く。
「ごめんね、こんな話して」
「いえ」
「雄二、優しい子で、高校を辞めて働こうとしてくれたり、それは止めたんだけど、……バイトとか頑張ったりしてくれて。周りには昔からよく言われたの、弟の面倒見て偉いねって、でも」
そこで、唐突に言葉と、足音が切れた。
「でも……私、雄二が居たから、頑張れたんだ」
暗がりで顔は見えなかったが、彼女は泣いていた。顔を見ることなど、できそうになかった。
「こんな風に、何のあてもなく捜し続けたって……無茶してるって、分かってるけど……それでも、捜すしかない。絶対に勝手にいなくなるような子じゃないの……本当なの……」
振り絞るような声だった。隠すこともなく、彼女は泣いていた。大切なたった一人の家族が、突然理由も分からずいなくなったのだ。
「本当に、本当に……絶対に何かあったの……家出なんかじゃない」
「……分かってます」
「本当に! ……絶対……誰も……。何で……」
「分かってます!」
シセルは思わず声を上げていた。
「分かってます! 弟さんはきっと……きっと、ハシムラさんのところに帰りたがっているんです! だって……あの……何があったかは……分からないけど……だけど」
胸が痛んだ。
彼女の弟を、奪い取ったのは、自分たちだ。
だが、しかし。これ以上魔物との戦いを長引かせるわけにはいかない。戦いで死んだ仲間もたくさんいた。その中には、シセルの友人も多くいた。彼らの家族が、友人が泣く姿だって、シセルは何度も何度も見てきた。
戦いを終わらせるためには、勇者が必要だった。
自分たちの世界の命を救うために、勇者を欲した。身勝手なことだなんて、こちらに来るまで考えたこともなかった。だが、それが分かっていたとしても、多くの命を救うために、自分は勇者を呼んだだろう。
シセルは、ハシムラが落ち着くまで、どれほどの時間でも、ここに居ようと思った。
シセルが最初にこの世界に落ちてきた場所。勇者がこの世界から、消えた場所。ハシムラの家を訪れるのは、これで三度目だろうか。玄関先で、ハシムラはシセルにお礼を言った。
「送ってくれてありがとう。そういえば……シセル君は、今は、どうしているの?」
「……何とか、やっています」
「そう……。何か、自分のこと、思い出せたのかしら……」
少し考えたが、シセルは首を横に振った。何も答えられることがないのは、前と変わらない。
「……そう……困ったわね……病院には行ったの?」
「僕は、大丈夫です」
ハシムラは、その答えに、少し戸惑ったようだった。
「いえ、まあ……思い出せたら、いいなとは思います」
成り行きで記憶喪失のふりをすることになったが、どう振る舞うのがもっともらしいのか分からない。それでも、ハシムラに余計な心配をかけたくなかった。
「……そう。じゃあ、夜も遅いから、シセル君も気を付けてね」
ハシムラは、そう言って、扉を閉めようとした。扉を閉めようとして、俯いた時、彼女の長い髪が、顔に影を落とした。
その時、シセルは、衝動的に叫んでいた。
「あの!」
「な、何かしら」
「……あ、明日も……もしかして、弟さんを捜すつもりなんですか……」
ハシムラは、辛そうに頷いた。そうせずにはいられないのだ。
「だったら……僕も一緒に行って、いいですか」
「え?」
「だから、もし良かったら、……僕も一緒に捜させてください、弟さんのこと」
「でも、そんな」
「あの僕、……その……僕も、自分が誰なのかとか、探しているんです、思い出そうとして……それで、全然あてもなく、街とか歩いていて……僕、弟さんのこと知らないですけど、一緒に歩き回るくらいなら、できるので」
必死に理由をでっちあげてまくし立てた。自分探しなんか嘘だ。弟が決して見つからないことも分かっている。
それでも、彼女に夜の街を一人で歩かせたくなかった。一人になった彼女を、泣きそうな顔で。
「お願いします!」
気付けば、頭まで下げていた。
しばらく、そのまま、ハシムラは困ったように黙っていたが、やがて、くすりと、小さな笑い声が聞こえた。
「どうして……シセル君が、お願いするの」
「あ……はは」
シセルも、小さく笑った。確かに滑稽に見えただろう。自分の笑い声も、久しぶりに聞いた。
次の日から、シセルはハシムラが弟を捜すのについて行った。
ハシムラは最初に、弟の肖像画を見せてくれた。手のひらほどの大きさの紙に、随分精巧に描きこまれている。
この少年が勇者なのか。
「あまり写真なかったんだけど、それは入学式の時の写真」
「ええ……」
ハシムラは、若者が多そうな街の様々な場所で、弟のシャシンという肖像画を見せ、どこかで見なかったかと聞きこんでいた。分からない、知らないと何度言われても、彼女は諦めずに次の店へと向かう。
「ところで……この子には、見覚えありませんか」
弟のことを聞いた後、ハシムラはシセルの方を差し、シセルのことを知らないかどうかも尋ねてくれた。当然、シセルを知っている人はいないのだが。
ハシムラが弟を捜すことができるのは、夜だけだった。昼間は仕事をしているからだと言う。
「……でも、疲れませんか」
ハシムラは、力なく笑う。
こんなことをしていても無駄なのだと、ハシムラに教えるべきなのかどうか、シセルは考える。だが、すぐに、説明する方法がないという結論に至る。
当ても、意味もない捜索は、一日に数時間しかとれない。ハシムラにとって、それだけの時間を日々かけるのも苦しいだろう。一方、意味のない生活を送っていたシセルにとって、それは予想以上に大きな時間になっていった。ハシムラが話し掛けてくれる、そんなことを喜んでいる自分が、確かにいる。
日が暮れる頃にハシムラの家に迎えに行き、ハシムラをまた家まで送り届けるまで付き添う。朝や昼間は食べるものを探し、公園の隅で休むという浮浪者のような生活は変わらなかったが、それは全て、夜の時間の為だと思えた。
その繰り返しが、しばらく続いた時だった。