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こちらは個人サイトで2014年に発表したものになります。
今や、小説家になろう発の、異世界転移・転生系の物語が、メディアミックスなどもされ、書店でたくさん見かけるようになりました。が、当時の私は異世界転移ものというのをほとんど読んだことがない状態。(そもそも、なろうユーザーじゃなかった)
そんな時、今は異世界転移が流行なんだよ! と友人に言われ、書いてみた小説。
足元から吹き出した眩しい光が、自分を包んだ――覚えているのはここまでだった。次に気が付いた時には、冷たい床に倒れていた。
小さく呻き、ゆっくりと目を開ける。瞼がひどく重い。何故か、全力でマラソンでも走った後のように、疲れている。
『……うっ』
周りで人がざわつく気配があった。何だ、誰かいるのだろうか。
『勇者様』
そんな声が――聞こえた。不思議な感覚だ。知らない音の響きのような気がするのに、だけど知っている言葉のような気もする――。
『勇者様』
『は……?』
誰かいるのなら、助け起こしてくれよ、と思った。渋々体を起こし、そしてまだぼんやりした目で、周りを見渡した。
見覚えのない場所だった。どこか外国のようだ。石造りの建物。自分の倒れていた床も、磨かれた石のようだ。こちらを見下ろしているのは、黒や紺のずるずると長い服を着ている、外国人のような人々。髪の色が、輝くような金や銀だ。
これはなんだ。彼は急に不安に襲われ、自分の体を見た。そこには、普段通りの自分がいた。いつもと同じ高校の学ラン。そこで、自分が普段通り、アパートを出て登校しようとした矢先、急に吹き出した閃光に目が眩み、意識を失ったことを思い出した。
中央にいた、黒い服を着た男が屈みこみ、混乱する少年に話し掛けた。
『勇者様……名を、お教え願いますか』
『いや…俺は』
そう答えてぞっとした。自分の声もまた、知らない言葉と、知っている言葉が、テレビの副音声のように重なって聞こえる。
『俺は……』
『戸惑われているかと思います。ここは貴方様のいた場所とは別の世界なのです――。そして、今この国は、邪悪なる魔物により、危機に瀕しております。どうか貴方様の御力を貸して頂けないでしょうか。我らをお救い下さいませ』
理解が追いつかなかった。まるでこんなの――何かのおとぎ話のようだ。夢ではないかと、疑った。
とにかく立ち上がろうとした。だが、体に力が入らない。床に手をついた時、自分を中心とした床に、複雑な模様が赤い字で描かれているのを見た。
どこかで見たことがあるような。そうだ、ゲームか何かで。
魔法陣。
『おい、竜の剣を、勇者様に!』
男の指示に従い、白い服を着た少女が、銀色の盆に剣を載せて、恭しく運んできた。彼女もまた、透き通るような銀髪だった。その顔立ちもまるで人形のようで、見とれる、というより、驚く。こんな綺麗な人がいるだろうか。
彼女は白銀に輝く剣を、起き上がれずにいる彼の前に差し出した。
『……あ、あの』
『剣を取ってください。あなたにはその力があります』
押し寄せてくる世界に飲まれ、また、少女の水色の瞳に見つめられ、彼はふらふらとその剣を握った。その瞬間、握った手が急に熱くなり、力が全身にみなぎる。彼は立ち上がった。そして、剣に導かれるまま、それを掲げる。青い光が刀身からほとばしり、暗い部屋を照らしだした。
『おお……』
黒い服の男は、顔を抑え、そして床に額づいた。倣うように、周りの人々も跪く。少年自身、なぜこんなことができたのか分からなかった。そして、水色の瞳の少女は、そんな少年にゆっくりと告げた。
『異世界より来たりし勇者様――。どうか我らをお救いください。どうか……戦いを終わらせてください』
その瞳から、一筋、涙が零れた。少年ははっとした。
彼女は、よく知っている人に似ていた――勿論、容姿はまるで違う。思い起こさせたのは、その瞳の透明さだ。
意識が失われる、と思った瞬間、シセルは灰色の床に、したたかに全身を打ち付けた。
「くっ……」
彼は、痛みに顔を歪めた。だが、そのことより、体に痺れが走り、思うように動かない。
召喚の魔術の反動は、師から聞いて覚悟していたが、実際に味わってみれば、耐えがたい苦痛だ。
だが、と、シセルは懸命に目を開き、周りを見る。灰色のざらついた岩の床は、さっきまでシセルの居た、儀式の間のものではない。低い天井には、奇妙な青白い火のついたランプがついている。ざあざあとした聞きなれない音。
ここは異世界なのだ。
自分がこうして異世界にいるということは、魔術は成功したらしい。彼の世界に、この異世界から勇者を召喚する、最大の魔術は。
それならば、自分の役目はもはや果たされた。シセルは、息をついた。そしてそのまま、床に倒れたまま、意識を失った。
水色の瞳が、自分を見つけて声を掛けた。
『シセル……本当にシセルが、召喚の碇となるの?』
『ガーベラ……』
『司祭様から聞いたの。最近、様子がおかしいとは思っていたけど、……ねえ』
シセルは、首を振った。
『分かってたことだろう? 多くの魔術師が既に戦いで死んだ――これ以上、優秀な魔術師を失うわけにはいかないし――魔術を学んでいて、戦場に行っていないのは僕くらいだ』
ガーベラは唇を噛んだ。何か言いたそうにするが、そのまま首を振る。
『……』
『君は、剣の巫女になるんだって』
『ええ……』
幼い頃より、神聖魔法の修行を積んだガーベラにはふさわしい大役だとシセルは思った。彼女なら、きっと、勇者を導き、この忌まわしい戦いを終わらせてくれるだろう。
シセルは窓の外を見た。東の森は、先日の戦いで焼け落ちた。村一つと、多くの兵士の命を犠牲にして、邪悪な魔物どもから、何とかこの王都を守ることができた。だが、また次に攻めてこられた時、疲弊した今の戦力では、同じようにはいかないだろう。
だからこそ、勇者が必要なのだ。この世界とは別の次元に存在する、異なる世界。そこには、この世界と異なる法則が働き、我々とは異なる種族が生きているという。その異世界から、強い力を持った者を選び、召喚する。
過去にも、破壊と殺戮を好む魔物たちの力が強まり、世界が危機に陥った時、その召喚の秘術は行われてきたのだという。
そして、司祭が、異世界に強き力を育む、聖剣に選ばれし勇者在り、と神託を得たのが、五日前のことだった。
それを聞き、王宮魔術師たちは、すぐに魔術の準備に取り掛かった。そして、王宮魔術師の一人であるシセルの師は、シセルにこう命じたのだ。
『召喚には“碇”が必要だ――シセル、今からお前に“碇”の呪文を教える。お前が勇者をこの世界に呼ぶのだ』
シセルは頷いた。それが自分のような者がこの世界のためにできる、唯一のことだったから。
深い湖に沈むようにまどろむ意識が、ふいに水面に引き上げられた。
「君……ねえ、君、大丈夫?」
「う……」
シセルは、その声で目を覚ました。そして、自分を見下ろす人の姿が目に入った。
黒い髪に黒い瞳。女性のようだ。だが、見たこともない相手……そしてシセルは思い出した。自分は、異世界に来たのだ。
「……大丈夫……です」
反射的にそう答えた。体は未だ痺れていたが、シセルはどうにか顔を上げ、顔にまとわりつく髪を払った。空はいつの間にか、薄暗くなっていた。自分はどれだけの間寝ていたのだろう。
「そう……それならいいのだけど……救急車、呼ぼうか……? 良かったら電話、貸すけれど」
女性は、さっきから心配そうに声をかけてきてくれる。だが、シセルには、その言葉の意味を理解できたが、いくつかの単語が理解できなかった。キューキューシャ。デンワ。
“碇”として、この異世界に来たシセルは、この世界の言葉を理解できてはいる。しかし、異世界の言葉が理解できても、異世界の文化が理解できるわけではない。
「いえ、大丈夫……ですから」
とにかく会話を終わらせようと、そう答えるしかなかった。体は鉛でも詰まったように重かったが、そう言った手前仕方なく、どうにかこの場を立ち去ろうとした。魔術師の正装である黒いローブは、灰色の床に広がって、土埃で汚れている。シセルが起き上がった時、女性は、あっと声を上げた。
「これ! 雄二の鞄……」
「え?」
シセルの体の下敷きになっていたのは、黒く四角い鞄だった。ちょうどローブの下になって見えなかったらしい。そしてそれは彼女にとって見覚えがあるものらしく、それを慌てて拾い上げる。
「……間違いない、雄二の……どうしてこんなところに落ちていて……あなたがそこに……」
彼女は、驚いた目でシセルを見た。反射的にシセルは身構えた。
「え? いえ……」
「……雄二……!?」
彼女は慌てて、近くの扉を開けた。
シセルは何となく、その場から動けなかった。体の自由が完全に利かなかったこともあるが、それ以上に、女性の慌てた様子の声に、突き刺されるものを感じたからだ。
彼女が、慌てた様子で外に出てきた。そして、辺りを見回し、シセルに詰め寄る。
「あなた、見ていない? この鞄を持っていたはずの高校生がいたはずなの! どうして、家の鍵まで開けたままで……おかしいわ……」
「……あの、僕は……何も……」
シセルは、薄々気づいていた。おそらくこの女性が探しているのは――。
彼女は、自分の荷物から手に収まるほどの小さな板のようなものを取り出し、その表面を何度か指で素早くなぞった。そしてその板を耳に当てる。それとほぼ同時に、虫の羽音のようなブブブ、といった音が、彼女の抱えていた、黒く四角い鞄から鳴った。
「……」
失望したような顔で、彼女は板を耳から外し、強く握った。その後も彼女は、その板を指でなぞっては耳に当てる動作を何回も繰り返した。
シセルは、必死にそうする彼女から、そっと離れた。間違いないだろう。彼女は誰かを探している。その誰かがいなくなったのは、僕のせいだ。
シセルは、召喚される勇者と入れ替わりに、こちら側の世界へ落ちてきたのだから。
空は紫色になっており、夕暮れから夜になるところだった。