2-3 心が欲しいんです
室内は狭く、蝋燭が灯っているだけだ。
窓から吹き込む風に、微かな炎が揺れている。
「あなたはどこから来たんですか?」
シャールーズの腕を枕にしながら、アフタルは尋ねた。
薄暗くてよかった。
こんなに間近にシャールーズの顔があって。もし明るければ、羞恥で眠るどころではないだろう。
「遥かな南の海に、シンハっていう島がある。俺らは、そこで生まれることが多い」
「俺ら?」
「宝石の精霊さ。といってもどんな石にも精霊が宿るわけじゃねぇ。天の女主人に気に入られた宝石だけだ」
天の女主人というものが、どういうものか想像がつかない。
今いる神殿でまつられているのは、女神フォルトゥーナだ。
それぞれに信じる神が違うのは分かるけれど。シャールーズの場合は、人よりももっと神に近い場所にいるのだろう。
「俺はシンハで取引され、この国にやって来た。何の手違いでか、キラド家の所有となり、あの我儘お坊ちゃんに与えられた。まぁあいつは俺のことなんか、見向きもしなかったけどな」
「……分かります」
「あの馬鹿坊やはド派手なのが好きだからな。俺を手放したことがばれたら、親父さんにこっぴどく叱られるぜ。それだけじゃねぇ。破談に関しては激怒だろうな」
「そうでしょうか。意外とフィラが、ご両親に気に入られるかもしれません」
「んなわけねぇだろ。キラド家は爵位がねぇから、貴族から見下されてんだ。そのせいで、商売でも苦労してる。アフタルとの結婚は、キラド家にとっては願ってもない話だったんだぞ」
たとえロヴナが両親に叱られたところで、婚約破棄を取り消すとは思えないけれど。
「ですが、シンハライトはさすがにロヴナに返した方がいいですよね」
「はぁー?」と、シャールーズは顔をしかめた。
意外と笑っている時よりも、渋い表情を浮かべている時の方が、シャールーズは美しく見える。
明るいし、実際に陽気な性質だと思う。けれど、どこかシャールーズには陰がある気がする。
もちろん、まだ出会ったばかりで彼のことなどアフタルには何一つ分かっていないけれど。
(でも、シャールーズが精霊として生を享けてから、私には想像もできないほどの時が経っているはずです)
その間、他に主と決めた人はいないのだろうか。
もしいたら、どんな風に接していたのだろう。
「どうした? じっと見つめて」
「……いえ、なんでもないです」
「なんでもねぇってことは、ないだろ。そんな切ない眼で俺のことを見てんのにさ」
「本当に何でもないですから」
体を離そうとしたのに、シャールーズの腕に拘束されているからうまくいかない。
「言ってみな。聞いてやるからよ」
「……わたくしはただ寂しいだけかもしれませんし。側にいてくれる誰かを独占したいだけかもしれませんから」
「誰かじゃなくて、俺を独占したいんだろ?」
はっきりと言わないでほしい。
シャールーズには、翻弄されてばかりだ。主に心を。
「独占すりゃいいじゃねぇか。俺はアフタルのもんだぜ。そう契約したからな」
たぶんシャールーズには分からない。アフタルだって、こんな気持ちは初めてなのだから。
幼い頃から、国のため王家のために結婚するものだと教えられてきたから。恋なんて考えたこともなかった。
(たぶんわたくしは、契約で縛られた関係ではなく……ただ愛しいという気持ちだけで寄り添っていたいのです)
十八年生きてきて、自分に恋する気持ちがあったことに驚いた。
物語の中の恋愛は、ときめいて、きらめいて美しかったのに。
シャールーズが他の誰かを、こんな風に抱きしめていたことがあるのかもと思うだけで、とてもつらくなる。
そんな嫉妬をする自分が、いやだ。
物語で読んだ、ふわふわした甘いだけの恋愛と全然違う。
アフタルを腕の中に閉じ込めたままで、シャールーズは瞼を閉じている。すでに眠っているようだ。
長い睫毛に、異国の顔立ち。
(起きない……ですよね)
そっと指先で、シャールーズの頬に触れた。
精霊に出会ったのは初めてだが、滑らかな肌は人と変わらない。
ためらいがちに、指を横にずらす。
少し乾いた彼の唇に、アフタルの指の腹が触れた。
初めてのくちづけを奪った唇だ。そう考えると、恥ずかしさにいたたまれなくなった。
(今夜のわたくしは、おかしいです)
もう寝よう。それがいい。朝になれば、きっと普通の毎日が戻ってくるに決まっているのだから。