11-1 求婚
離宮に戻るのは、アフタルやラウルの体力が戻ってからと決まった。
これまで素知らぬふりを決め込んでいた大臣たちは、アフタルを大公に叙任するために慌てて動き出した。
王家の不祥事、王国の腐敗。さすがに事なかれ主義を貫くことはできなかったのだろう。かりに王制を打倒しようと庶民が蜂起すれば、貴族である大臣たちの身分も危ないのだから。
王女がサラーマを支援する国の大公となる。それはめでたく、喜ばしいことだ。
「……ん」
寝返りを打ったアフタルが、ゆっくりと瞼を開いた。早朝の光に照らされて、深緑の瞳が美しく見える。
まだ半分眠りの中にいるのか、アフタルはぼうっとした表情をしている。
なのにシャールーズの姿を認めてにこっと微笑んだ。とても嬉しそうに。
「よかった……」
「なにがだ?」
「あなたがいてくれて。夢じゃなかったんですね」
「なっ!」
シャールーズは慌ててアフタルに背中を向けた。
そんな素直な言葉を投げつけられたら、どんな顔をしていいのか分からなくなる。
(参ったな)
しばらく離れていたからか、アフタルの素直さが一つ一つ胸を貫く。
まるで乙女のように、とくん……とか音がしそうだ。
(ああ、俺は彼女のことが大好きなんだな)
今更だが、改めて自分の気持ちに気づく。
とんとん、と背中をつつかれてふり返ると、アフタルが不安そうな表情を浮かべていた。
「わたくし、何か失礼なことを言ってしまいましたか?」
「言ってねぇ」
それでもまだ浮かない顔で、アフタルが上体を起こす。寝間着の胸元から覗く、花びらのような痣。肌の色が薄いからか、今も痕が残っている。
「アフタル」
シャールーズはアフタルに向き直った。その声が真剣だったからなのか、アフタルはベッドの上で姿勢を正して座った。
ただふかふかのベッドなので、正座で座り続けるには、体のバランスが要求されるようで。ともすれば右に左にと傾く体を、なんとか立て直そうとしている。
「……場所が悪いな」
「場所ですか? では、どこで」
シャールーズはアフタルを抱き上げると、窓辺に向かった。
開いた窓から見える王都の空は、茜色に染まっている。
アフタルを椅子に降ろし、自身はその前に立つ。
何か真面目な話があるのは察しているらしく、アフタルは神妙に椅子に座っている。畏まった様子で。
まるで叱られるのを待っている子どもだ。
「ああ、もう。そんなに硬くならなくていいから」
「は、はい」
返事する声が裏返っている。
どうせ、あれだろ? 寝相が悪くて、シャールーズを蹴とばしてしまったのかしら。とか考えてんだろ?
などといらぬことを考えてしまうあたり、シャールーズもまた緊張している。本人は気付いていないが。
雲間から指す光が、窓際に座るアフタルの髪を輝かせている。
シャールーズは彼女の前にひざまずき、その手を取った。
そして白い手の甲にくちづける。
「俺と結婚してほしい」
アフタルは瞬きを繰り返すばかりで、返事をしない。
沈黙が辺りを支配する。
「……いや、大公になる方が重要なのは分かってるんだけどな。だから今すぐというわけじゃなくても。俺は何年でも待つから」
「嫌です」
「はっ?」
思わぬ返事に、シャールーズは我が耳を疑った。まさか断られるとは思わなかった。一瞬にして、地の底に落とされた気分を味わった。
やはり嘘をついて突き放したのが、アフタルの心をいたく傷つけたからか。
「……何年も待つのは、嫌です」
「え、そっちなのか?」
「他に何かあるのですか?」
反対に問い返されて、シャールーズはがくっと肩を落とした。
だよな。このお嬢さんはいつだってまっすぐに、自分のことを好いてくれていたんだ。
それがどれほど幸せなことか。改めて噛み締める。
「わたくしからのお願いも聞いてくださいますか?」
「どうぞ」
「結婚したら、毎朝、おはようのキスをしてくださいね」
予想外の願いに、シャールーズは瞬きをくり返した。
「それは構わないが。なんで、また?」
「だって、喧嘩をしてもちゃんと仲直りができるでしょう? それに……わたくしが……その、嬉しいからです」
アフタルの頬が朱に染まる。まるで朝焼けを映したかのような色だ。
「えっと、ですね。大公になっても、シャールーズが朝のキスをしてくれたら、一日頑張れるって思うんです」
自分で口にして恥ずかしいのか、アフタルは両手の指を組んで、もじもじと動かしている。
シャールーズは、ふっと笑みを浮かべた。
「じゃあ、今日が約束の一日目だな」
「まだ式を挙げていませんよ」
「やっぱり、俺も待っていられない」
椅子の肘掛けに手をついて、シャールーズは身を乗りだす。
そして柔らかなアフタルの唇をふさいだ。
最初は戸惑うようにシャールーズの肩に触れていたアフタルの手が、背中に回される。
「俺のアフタル……」
キスとキスの合間に、シャールーズは囁いた。
朝の風に乗って、ジャスミンが甘く香った。