2-2 主従が逆転しています
アフタル達は、闘技場からさほど離れていない神殿を訪れた。
サラーマでは、巡礼の旅の者や事情を抱えた者は、神殿に泊まることが出来る。
すぐにでも王宮に戻った方が安全なのだが、さすがにもうアフタルに動く気力はない。
普段から馬車での移動だから、長い距離を歩くことすら慣れていないのだ。
不用意に出歩いて、誘拐犯に見つかれば、また闘技場に戻されることだろう。
「こちらへどうぞ」
巫女に案内された部屋は簡素で、床にベッドがひとつ置かれていた。ベッドといっても、寝台の上に布の袋に枯れ草を詰めたものが置かれている。
手で触れるとごわついた感触と、かさかさという音がした。
「慣れねぇか。王宮じゃ、もっといい寝床なんだろ?」
「平気です。贅沢は言っては申し訳ないです」
シャールーズの問いかけに、アフタルは微笑みで返した。
確かに普段は羽毛が詰まった柔らかな寝具を使っている。
でも身元を明かさない自分たちを、神殿の人たちは受け入れてくれたのだ。
「しゃあねぇな。ほら、来いよ」
ベッドに腰を下ろしたシャールーズが、腕を広げる。
「来いって?」
「俺の腕の中で寝ろってことさ。まったく全部言わせんなよ」
「な……ななっ、なんでですかっ」
「なんで?」
こいつ、何を言うんだという風にシャールーズが首を傾げる。
「そりゃ、枯れ草よりも気持ちいいからだろ。ほどよくついた筋肉、少々じょりっとするひげ。甘さと痛みを兼ね備えた、最高のベッドだろ」
目眩がした。
シャールーズは騎士ではないけれど。いったいどこの騎士が主に向かって「ベッドが硬いから、自分を敷いて寝てください」とか言うのだろう。
水たまりがあったら、その上に横たわって「さぁ、私を踏んでください」とでも言うのだろうか。
サラーマでは聞いたことがないけれど。シャールーズの国ではあり得ることなのかもしれない。
もしかして変態の国?
「おいおい、なんでそんな蔑むような目で見るんだよ」
「ヤフダ姉さまが仰ってました。変わった性癖の殿方もいると。シャールーズはお仕置きというものが、好きなのですか?」
「……盛大な誤解が生じているようだな。まぁ、いいか別に」
手を引っぱられ、そのままシャールーズの腕の中にすっぽりと収まってしまう。
「さっきは抱き上げても平気だっただろ」
「い、今は非常事態ではありませんっ」
アフタルは慌てて立ち上がろうとしたけれど。強い力で封じられて、身動きが取れない。
「細かいことだ。気にするな」
「気にします。だって嫁入り前なんですよ」
「振られたところだろ。それに次の相手も決まってねぇ」
「そういうことでは……」
「俺にしておけよ。主従の関係だけじゃなく」
耳元で囁かれて、アフタルは顔を真っ赤にした。
「……離してください」
「いやだね」
初恋もまだなのに。こんなの、恥ずかしすぎる。
「俺のことが嫌いなら、男女別の大部屋があったろ。そっちを選んだはずだ」
「一人きりになるのが、怖かったんです」
「なるほど。見知らぬ女性と一緒にいるよりも、俺と同室の方が安心ってわけだな。認めてもらえて光栄だな」
「……うっ」
間違いではない。
アフタルは両手で顔を覆った。けれど強い力で、アフタルの手は簡単に引きはがされた。
「顔、真っ赤だぞ」
「見ないでください」
「見せろよ」
「……どうして、あなたが命令するんですか? わたくしのことを主と言ったじゃないですか」
「じゃあ、アフタルが命令してみろよ」
唇をきゅっと引き結ぶと、アフタルはシャールーズを睨みつけた。
「手を離しなさい」
確かにそう告げたのに、シャールーズはアフタルの頬にくちづけた。
そよ風が撫でるように、そっと。
「なっ、なっ……!」
もう言葉にもならない。
「いやー、俺の耳には『叩かれた痕が痛いから、キスしてください』って聞こえたぜ」
「言ってません。絶対に言ってません」
「心の声」
にやりと笑うと、シャールーズはアフタルの胸元を拳で軽く叩いた。まるでノックするように。
「淫らです」
「そりゃどうも。別にこれくらい、どうってことねぇけどな」
「褒めてません。罵ってるんです!」
「そんな愛らしい声で罵られたら、ぞくぞくするな」
変態だ。この精霊は変態の殿方の分類だ。
「まぁ、それは冗談として。文句を言うだけの気力があるんだ。よかったな。心配してたんだぜ」
「え?」
アフタルは驚いてシャールーズを見上げた。
琥珀色の瞳は、優しく細められている。
(わたくしを元気づけようとして?)
いやいや、それは考えすぎだろう。
シャールーズの長い指が、アフタルの金の髪を弄んでいる。
「柔らかいな、アフタルは。髪も体も」
「だから、そういうことを言わないでください」
「命令か?」
「命令です」
「却下だ」
だから、どうしてそうなるのか。アフタルは肩を落とした。
「今日はゆっくり休むんだ。つらい目に遭って、しかも一日中気を張ってただろ。キラド家で見せた気の強いお前も嫌いじゃないけどな。あれは、アフタルの本質じゃない。もういつものお前に戻っていいんだ」
「いつものわたくし?」
出会ったばかりなのに。まだ一日も経っていないのに。
「ロヴナに捨てるように投げつけられた俺の石を、大事にしてくれただろ。優しいんだよ、アフタルは。今日はよく頑張った、だからもう寝ろ」
低くて甘い声が、アフタルを眠りに誘う。
けれど、アフタルは顔を背けた。照れた表情を見られたくなかったのだ。
「ほら、僕命令だ。顔を見せろ、我が主」
「だから、命令されるなんておかしいです」
「たまには主従が逆転すんのもいいだろ。ほら、」
「……そういうことじゃなくて。こんな変な顔を見られたくないんです」
これまで人前で照れた記憶がない。鏡もないし、どんなみっともない表情をしているのか分からないのが怖い。
「変じゃないぜ。アフタルは可愛い」
「可愛くなんてないです。ロヴナにも馬鹿にされました」
「あいつは目が悪いんだろ」
「でも美しくないって。綺麗なのはフィラだって」
「俺にしてみれば、アフタルがロヴナの好みじゃなくて良かったけどな」
恐る恐るふり返ると、シャールーズは真面目な顔をしていた。
そっと手を伸ばして、アフタルは白い指で彼の前髪をかきあげた。
少し硬い金の髪だ。琥珀と金を合わせたような美しい瞳に、とまどったアフタルの顔が映りこんでいる。
「……意外です」
「ん?」
「いえ、なんでもありません」
少しだけ嘘をついた。
なんでもなく、ない。シャールーズのことをとても美しいと思ったのだ。
落ち着いた渋い色味のシンハライトの美しさに気づく人が少ないように。おそらくシャールーズが端正であると見抜く者も多くはないだろう。
「ほら、もう寝るぞ」
「……はい」
アフタルは素直に従った。
体も痛いし、頭痛もする。それでもシャールーズの腕の中に閉じ込められたままベッドに横たわると、不思議と心地よかった。