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宝石精霊の溺愛  作者: 絹乃
10 再会
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10-2 嬉しい

 アフタルは自分が陸に上がったのだと気付いた。

 濡れた服や髪が、急に重みを増したからだ。


「アフタル」


 また彼の声が届く。本当に神さまは寛大だ。シャールーズの声を何度も聞かせてくれるのだから。

 低くて、微かに甘さを含んだ彼の声をいつまでも覚えておこう。

 けれど吹く風にさらされ、アフタルは歯が噛みあわずにガチガチと音を立てた。


「寒い……寒い」


 アフタルの唇は紫で、肌も青白い。

 シャールーズはアフタルを抱き上げて、日当りのいい場所へと連れて行った。

 つま先にカツンと何かが当たり、シャールーズは足下を見た。

 それは短剣だった。

 水晶の柄は、ほんのりと光を宿している。


「少し、我慢しろよ。他の奴らに見えねぇように気をつけるから」


 シャールーズはアフタルの耳元で囁き、彼女の服のボタンを外した。

 手慣れているはずなのに、うまく外れない。

 指先が定まらず、爪で引っかけながらようやくボタンを外す。


「何をしているの! アフタルを池に戻しなさい」


 エラが命じる声がする。

 だが近衛騎士は動く気配がない。


「さぁ、早く!」


 庭を吹き抜け、池の水面を波立たせる風に、エラの命令がさらわれる。

 シャールーズは自分の背でアフタルの姿を隠しながら、濡れた服を脱がせた。

 すぐに自分の上着で彼女をくるむ。


「これで少しはましか?」


 アフタルは安堵の息をついた。

 まだ寒いけれど、懐かしいにおいに、心が落ち着くのが分かる。

 シャールーズの香りだ。


「夢みたい……本当にあなたが、いてくださるのですね」


 冷えきった手を伸ばし、覗きこんでくるシャールーズの頬に触れる。

 滲む視界の向こうに、不安そうな琥珀の宝石のような瞳が見えた。


「わたくしを受け入れてくださるのですか?」

「当り前だ」

「もう、わたくしのことを嫌っていないのですか?」

「……一度も嫌ったことなどない」


 武骨な指が、アフタルの頬に触れる。その指を温かいと思うほどに、体温が下がってしまっていた。


「嘘だったのですね?」

「ああ、嘘だ」

「嬉しい」


 アフタルは微笑んだ。

 信じていた、きっと理由があるのだと。それでも、もしかしたら自分に都合のよい解釈なのかもしれないと、不安になることも多かった。

 もっともっとシャールーズと話したい。なのに。


「……寒い」


 口から出てきた言葉は、望んだものではなかった。


「……寒い……です」


 陽光の温もりすらも、凍えたアフタルを癒してはくれない。


 ◇◇◇


「アフタル」


 シャールーズは、アフタルをきつく抱きしめた。懸命に抱き返してくれるけれど。

 その力の弱さに胸が詰まる。


(俺が人なら。もっと体温が高ければ、温めてやれるのに)


 アフタルはシャールーズを人として愛してくれる。けれど。精霊の力なんて、たった一人の愛する人を温めることすらできやしない。


「シャールーズ! 姉さまを中に。暖炉に火を入れさせました」


 王宮の窓から、ティルダードが叫ぶ。状況を判断して、すぐに使用人に命じてくれたのだろう。

 アフタルを抱き上げて、中へ向かおうと歩きだした時。エラが立ちはだかった。


「アフタルをお放しなさい。シャールーズ」

「へぇ、もうあの気持ち悪い呼び方をしねぇのかよ」


 赤い唇を歪ませて、エラがシャールーズを睨みつける。

 けれどすぐに艶然とした笑みを浮かべた。若い頃は、その惑わすような表情が魅力だったのかもしれないが。

 エラの極端に変わる表情に、ぞっとするほどの薄気味悪さを覚える。


「あんた、情緒不安定なんじゃねぇの」

「今なら、気の迷いだと許してあげるわ。さぁ、戻っていらっしゃい」


 腕の中のアフタルが、シャールーズの首にしがみついた。


「安心しろ。俺はもうお前を離したりしねぇよ」


 アフタルは小さくうなずいた。眩しい太陽に照らされても、その顔色は青白く。見ているだけで、心が苦しくなる。


「退けよ。俺は急いでるんだ」

「奇遇ね。私も急いでるの」


 エラはまるで飛びつくようにシャールーズに向かってきた。けれど伸ばした手が掴んだのは、アフタルの結んだ髪だった。


「さぁ、もっときれいな花を咲かせましょうね」

「……くっ……」


 痛みに、アフタルが呻き声を洩らす。


「ほら、皆が見てくれているのよ。泥の中でも清浄な花を咲かせる蓮が、サラーマの象徴。アフタル、あなたは私という汚泥の中、清らかなままでいられるかしらね」

「てめぇ、いい加減にしやがれ」


 シャールーズはエラの手を払いのけると、思いきり彼女を蹴とばした。

 どさり、とエラが地面に倒れた。アフタルからしたたり落ちた水で、地面は濡れている。


「ふふ、悪い子ね」


 髪や顔に泥をつけたエラが、上体を起こす。そんな彼女を助け起こすかどうか、騎士達は顔を見合わせている。


「アフタルとシャールーズ。二人とも私には必要ないわ。もう殺しておしまいなさい」


 騎士は動かない。ただ一人、アズレットが剣を構えた。

 風を受ける銀の髪。そのまま突進してくる。

 シャールーズはアフタルを庇い、うずくまった。


「いやです。もう、あなたを傷つけたくありません」


 アフタルはシャールーズの腕から抜け出した。


「馬鹿。何してるんだ」

「伯母さまが憎いのは、わたくしだけのはず」


 細い背中が、シャールーズの眼前にある。

 駄目だ、自分を犠牲にしては。お前は護られるべき王女なのに。

 シャールーズはアフタルの手首を掴んで、その体を引いた。


「ぎゃあああっ!」


 目の前で起こっていることが、一瞬、信じられなかった。

 アズレットの剣が貫いたのは、アフタルの体ではなく、エラだった。


「なにを……私を裏切ったの?」

「裏切るも何も。アフタル王女が謀反を起こすからと、近衛騎士団長たる私はあなたに仕えていたが。これは、どうやらただの私怨のようだ」

「謀反を起こしたじゃないの。剣闘士を引き入れたじゃないの」


 げほっと咳きこむと、エラは口から血を吐いた。


「確かに。だが、この国の腐敗を招いたのは、カシアから出戻ったあなただ」

「……アズレット」

「楽しかったですか? 王たる器もないくせに、人形を操り、国を動かすのは。ですが、あなたのままごとに付き合わされるのは、もう御免だ」


 エラの背中に突き立てた剣を、アズレットはさらに力まかせに押し込んだ。

 腹部から、剣の切っ先が見えている。

 ごとりと、無機質な音を立ててエラは倒れた。見開かれたままの瞳は、もう何も映してはいない。


「エラさま、ご安心を。今更アフタル王女に仕えようなど、虫のいいことは申しません。私はただ、王宮を穢した輩を排除するだけ」


 アズレットは、血に濡れた剣を見据えた。


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