9-3 牢の中で
「よかった。死んでなくて」
塔にある牢に顔を出したのは、ティルダードだった。
夜更けなので、辺りは寝静まっている。この牢には見張りもいない。ティルダードに護衛が一人ついているだけだ。
おそらくは、正妃パルトの従弟だという騎士団の副団長、ササンだろう。
とうてい男には見えぬ、たおやかな姿。もし髪を伸ばしたら、肉のついていない女性で通用しそうだ。
なんでこいつが副団長を務められるんだ、とシャールーズは訝しんだ。
「別に死ぬとも思ってなかっただろ」
「まぁね。でも見ものだったよ、エラ伯母さま。あなたが倒れて、すっごく慌ててたから」
倒れた後の記憶はない。
元の部屋ではなく、牢にぶち込まれたのは、ティルダードの命令によるものだろう。
「お前の方が、エラに依存してると思ったけどな」
「だってか弱くて力のない子どもの方が、守られるでしょ。まぁ、ワインの件は、ちょっと強引だったけどね」
そりゃあ、飼い犬……しかも子犬が牙を剥いたら驚くよな。
シャールーズは胡坐をかいて座り、格子の向こうのティルダードに向き合った。
「俺が死んでたら、どうするつもりだったんだ?」
「うーん、伯母さまにばれないように吐いてたから、平気だとは思ったけど。ちょっとは毒がまわっちゃった? ごめんなさい」
上目づかいで謝られ、一瞬絶句した。なんなんだ、こいつ。
「いい加減にしろ!」
「え?」
シャールーズに怒鳴りつけられて、ティルダードはびっくりしたように瞠目した。
「謝れば、何をしてもいいってもんじゃねぇだろ」
「……だって、あなたは人間じゃないし。要はただの宝石でしょ」
なるほどな。シャールーズは納得して頷いた。
「ラウルとお前の契約が間違っていたってのが、今なら分かるぜ」
「どういうこと? ねぇ、変な雑音が聞こえるよ」
「自分で考えろ。お前はこの先、一生精霊の加護を受けることはないだろうけどな。ま、ラウルを解放してくれたことは、礼を言うぜ」
ティルダードは、言葉を発しようと口を閉じたり開いたりしている。
けれどやはり、ラウルの名を口にすることはできないし。そもそもラウルの名前だけが耳に入らないようだ。
焦る王子を、背後に立つササンが憐れむように見つめている。
宝石精霊を宝石が変化したものとしか認識できない相手に対しては、たとえ主従の契約を交わしたとしても、それは仮でしかないようだ。
「とりあえず、王家の事情は分かったぜ。あのワインには毒草が浸けこんであり、王はそれで暗殺された。お前の母親、正妃もその毒のせいで、離宮で静養してるんだろ。もちろん、犯人はエラだ」
窓から差し込む月光が、ティルダードの足元まで伸びている。
彼が持つ手燭の灯が風に揺らめき、顔に陰影を落とす。
「伯母さまのことが分かったのは、最近だよ。料理長が古いワインを利用しようとした時、伯母さまがすごく怒ったんだ。すぐに捨てろって」
現在ワインは貴重なので、ビネガーとして使用できるかもしれない、火を通せば料理に使えるかもしれないと主張する料理長を、エラはその場で殺したのだそうだ。
「えぐいな」
「直接に手を下したのは、騎士団長のアズレットである」
一礼してから、ササンが口を挟んだ。やけに古風な喋り方をする。女性っぽく見えたが、声の低さは男性だ。
その現場を思い出したのか、ササンは手巾を取りだすと口を押さえた。
「おい、大丈夫か?」
「済まぬな。我は……血に弱くてな」
おいおい、マジかよ。よくそれで、近衛騎士団に入団できたな。っていうか、こんなので出世できたのが不思議だ。
シャールーズの考えを察したのか、ササンは口を押さえながらも背筋を正した。
「我が副団長にまで成り上がったのは、従姉であるパルトの七光りである。こんな使えぬ騎士など、戦場で戦えるはずもなかろう」
自信満々に、己が非力であると主張されてもなぁ。
シャールーズは呆れるしかなかった。
ワインのことを不審に思ったティルダードは、ササンと共にこっそりとワインを盗みだし、庭に来る鳥に飲ませてみたらしい。
鳥は体が小さいこともあるが、即死だったそうだ。
「なんで王殺しの犯人だと分かっているのに、あの女は断罪されねぇんだ?」
「伯母さまの身分は、今もカシアの亡き王子の妃だからだよ。このサラーマの人間が伯母さまを処刑なんてしようものなら、カシアが黙ってないよ」
シャールーズの問いに、ティルダードが答える。
「外交問題に繋がるということか」
「うん。エラ伯母さまは、髪が短いままでしょ。たとえサラーマに戻って来ても、今もカシアのしきたりに従ってるってことだよね。つまり伯母さまは、まだカシアの妃殿下でもあるんだ」
ティルダードは、自分の髪の毛先を指で触れた。
「へーんなの。夫を偲び、二夫にまみえないといっても、伯母さまってすぐに男の人を侍らすのにね」
髪を弄っていた手を下ろし、ティルダードはうつむいた。疲れたように、足元に視線を落としている。
「ぼくは、誰を信じたらいいのさ。伯母さまは、ぼくのことをちやほやするけど、結局は駒としてしか見ていない。大臣たちに打ち明けても、皆自分の身が大事だから、誰も取り合ってくれない。離宮にいる姉さまや母さまに手紙を出したけど。返事も来ない」
「だから、それはアズレットが放った鷹に鳩が襲われて……」
「そんなの関係ないよ。ぼくは寂しいんだ。姉さま達は、なんでぼくを放っておくのさ」
「己の寂しさを優先させるか?」
シャールーズは呆れを隠すことができなかった。
「ぼくは子どもだよ。何が悪いの?」
「ああ、子どもとしてなら問題のない主張だ」
だが、王としてはまずいだろ。
「まぁいい、話を戻そう。エラが玉座を狙っても、国を統治する力なんかねぇだろうが」
「うん。好き放題に豪遊して散財するだけだから」
話題が逸れたことで、ティルダードは平静を取り戻した。
「なるほど。豪遊ための金がアフタルの結婚であり、闘技場の儲けであり、カシアへのワインの輸出ってことか。どうするんだろうな、エラは。カシアにいる異端……神を信じる兵士をカシアから排除するのと引き換えに、あの国のワイン市場を独占してるんじゃねぇのか?」
シャールーズの言葉に、ティルダードはきょとんとしたように目を見開いた。
王宮から滅多に出ることのない少年には、具体的な金の出どころまでは思い至らなかったらしい。
「これはアフタルの見解だ。葡萄が豊作なのに、王都に一向に入ってこないワイン。その流通先を考えていたんだ」
「姉さまの?」
「王都を離れたから見えてくるものもある。そもそもアフタルとロヴナ……キラド家の婚約を破棄に導いたのも、カシアでは異端とされる者の関係者だしな」
シャールーズは、ミーリャがエラの娘であることは伏せておいた。
エラが怖いから、大臣や役人は黙したままで保身に徹している。
あるいは、かつてエラに意見したことで、葬り去られた者がいるのかもしれない。
「平和な国だと思っていたんだがな」
サラーマは約束の地。主を得て、平穏が訪れる。
天の女主人の言葉は、間違いだと思いたくはないが。
「楽園は……与えられる物ではない」
ぽつりと、ササンが呟いた。