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宝石精霊の溺愛  作者: 絹乃
8 出発
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8-8 嘘でしょう

 信じられなかった。シャールーズにはっきりと拒絶されたことが。

 アフタルは呆然と立ち尽くした。

 目の前に引かれた一本の線。

 アフタルはこの線の向こうへ進むことも、シャールーズはこの線のこちらへ戻ることもない。


「……嘘でしょう」


 よろけたアフタルを背後から支えたのは、ラウルだった。

 背中に感じる胸板の厚さが違う。抱きとめる腕の逞しさが違う。

 それを考えるだけで、喉が塞がれたように苦しくなり。アフタルはラウルの腕から離れた。


「ラウル。どうしてなんですか? シャールーズはなぜわたくしを突き放すのですか」


 訴えても、ラウルに驚いた様子はない。ただ平然と、ミトラの元に向かうシャールーズの背を眺めているだけだ。


「シャールーズの言う通りにした方がいいと思います」

「でも」

「これ以上の我儘を仰ると、彼の方から契約の解除を申し出る可能性があります」


 そんな。

 アフタルは、血の気が引くのを感じた。

 契約は、約束は絶対だと信じていた。生きている限り、ずっと続くのだと。


(そんなことはないと知っているのに)


 現に、ラウルとティルダードの契約は破棄されたではないか。


「わたくしの気持ちは、我儘ですか。迷惑なのですか」


 シャールーズに嫌いと言われたも同然だ。

 アフタルは拳を握りしめた。関節が白くなるほどに、力を込めて。


「シャールーズとミトラの決闘が始まるようです」


 ラウルに促されて、アリーナの中央に目を向ける。ミトラは厳しい表情で、シャールーズと向き合っている。


「俺たちが闘うなんざ、天の女主人が見たら叱るだろうな」

「あたしは会ったことないのよ。創造主といっても、シンハにいた頃のあたしは石のままだったからね」


 ミトラは腰に手を当てて、えらそうに顎を上げる。


「それもそうだな。あの南の島も天の女主人のことも、お前にとっては懐かしくはないか」

「まぁね。あんたが兄貴分っていうよりも、アフタルが妹っていう方がしっくりくるわ。あたしを石から解放してくれたのは、主であるタフミネフだし」


 観客席にまで二人の声は届かないようだ。


「だから、妹を泣かせる奴は許せないのよ」

「……泣かしたいわけじゃねぇよ」


 ぽつりとシャールーズは呟いた。その声は小さく、聞き取ったのはミトラだけだった。


「でも、また泣かせちまうんだろうな。あんたはアフタルと仲がいいからな」


 ミトラは息を呑んだ。

 つらそうに眉根を寄せるシャールーズの表情から、すべてを察したように。


「いいわよ、あたしは。中途退場は、ほんとは嫌いだけどね」

わりぃな」

「きっと新しい主が、あたしを目覚めさせてくれるでしょうよ」


 ふっと笑うと、ミトラは通用口の方へ視線を向けた。

 今見える全てを、記憶にとどめておこうとするように。

 短剣を構えるでもなく、ただミトラは凛と立った。


「ねぇ、シャールーズ。あたしが消えたら、あんたも悲しい?」

「そうだな。賑やかでやかましい妹がいなくなると、寂しいかもな」

「でしょうね。あんた、泣いてるもの。珍しいものが見られたわ」

「おやすみ、ミトラ」


 シャールーズはミトラを斬りつけた。やいばがくせ毛に触れた時、霧が大気に溶けるように、ミトラは消えた。ただ赤い髪が千切れ、風に舞っている。

 闘技場は、しんと静まり返った。

 シャールーズの流した涙が、音もなく砂地に吸い込まれていく。


(シャールーズがミトラ姉さまを? なぜ?)


 アフタルには理解できなかった。目に映る光景を信じることができなかった。

 シャールーズは地面に落ちた短剣と、宝石を拾い上げた。


「ラウル」


 短く名を呼ぶと、その二つをラウルに向かって放り投げる。

 そのまま無言で、観客席へと跳びあがる。

 彼を迎えるのは、派手な帽子をかぶったエラだ。

 満面の笑顔で両腕を広げ、シャールーズを抱きしめる。彼女の後ろに立つアズレットが、苦々しい表情で矢を矢筒に戻した。


「よくやったわ、シャルちゃん。王女を騙る精霊が、昔から鬱陶しくてしょうがなかったのよ。あの赤毛はどうなったの?」

「砕けた。もう元には戻らないし、精霊も宿っていない。あれはただの石の欠片だ」

「ふふ、じゃあ戻りましょう。そうそう、アフタル」


 観客席から見下ろしながら、エラがアフタルを名指しする。


「よければ王宮にいらっしゃいな。泊まるところもないでしょう? 歓迎してあげるわよ。それと……」


 帽子のつばの影から、ぎろりとミーリャを睨みつける。

 蛇が小動物を見つけたかのような、鋭さだ。


「裏切り者は、不要よ」

「……それはお互い様です」


 ミーリャの返事をまともに聞くこともなく、エラは歩きだした。

 彼女が進むたびに、けばけばしい羽根がひらひらと揺れる。


 シャールーズはふり返ることもなく、エラと共に去った。

 小さくなる背中が、滲み、ぼやけていく。

 追いかけて尋ねたい。あなたは何がしたいのかと。

 けれど、それすらも拒絶されそうで。

 言葉をかけることも、近くに行くこともなにもかも嫌がられるのなら。


「どうして最初にわたくしを助けたのですか」


 どうせ捨てるのならば、救わなければよかったのだ。

 この同じ闘技場で、自分は彼に命を救われ、ミトラは命を奪われた。

 てのひらに爪が食い込むほどに、強く両の拳を握りしめる。


「ミトラ姉さまは、関係ありません。わたくしのことが嫌になったのなら、わたくしを斬ればいいじゃないですか!」


 大声で叫んでも、シャールーズはアフタルの方を向いてもくれない。

 もう自分の言葉では、彼の心をほんのわずかでも動かすことはできないのだ。


 地面に力なくうずくまったアフタルに、ミーリャが寄り添ってくれる。


「大丈夫です、アフタルさま。あたしは信じています」

「ミーリャ?」

「あの猪みたいな人が、そんな簡単にやられるなんて、有り得ません」


 ミーリャの目には力がこもっている。ミトラに対して文句ばかりを言っていた彼女なのに。

 誰よりもミトラのことを信頼しているように見えた。


 シャールーズやエラの姿が完全に見えなくなり、さらにしばらく経った頃。

 アフタルの前に、ラウルがひざまずいた。


「アフタルさま、これを」


 ラウルは何か大事なものを包んでいるかのように合わせた左右の手を、アフタルに差し出した。

 それは傷一つない、美しい緑の宝石だった。

 鮮やかな緑が、陽の光を受けてラウルのてのひらに複雑な色の光を反射する。


「近衛騎士団長のアズレットの姿がありました。シャールーズや姫さまに矢を射かけたことのある男です」

「まさか、ミトラ姉さまをアズレットが割ろうとして?」

「推測でしかありませんが。恐らくは」


 割られるくらいなら、先に石に戻す。いかに弓の名手であろうとも、離れた位置の大きくもない宝石を射抜くことなど不可能だから。

 もし、それが真実なら。

 希望が泡となって、水底から立ちのぼってくる気がした。

 だが、その泡は儚く消えてしまう。


「待ってください、ラウル。こんなことがエラ伯母さまにばれたら、シャールーズの身が」

「ええ、危険でしょうね。それを覚悟で、ミトラを守ったのだと思います」


 あの兄は、過保護ですから。と、ラウルは苦しそうな笑みを浮かべた。


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