8-7 興味などない
シャールーズは観客席から、決闘を眺めていた。
アリーナの真ん中で、砂混じりの風にスカートを翻しながら立っているのはミトラだ。
乱れた赤毛を手で押さえ、倒れた剣闘士を凝視している。
「これで文句ないわよね」
そんな言葉が聞こえた。
「あら。真下にいるのはアフタルではなくて?」
けばけばしい帽子をかぶったエラが、閉じた扇子でシャールーズの腕をつついた。
派手なピンクの帽子に巨大な黒いリボン。さらにそのリボンは背中に長く垂れているので、踏んづけやしないかと不安になる。
(まぁ、こいつが転んでも護衛が助けるだろうけどな。俺にしがみつかれたら、困る)
「シャルちゃん!」
ぱしん、と扇子で叩かれた。
「その呼び名はやめろ。虫唾が走る」
「あら、どんなにいきがっても、私から見ればあなたなんて可愛いものよ」
(うう。つらい。なんで俺はこんな苦行に耐えなきゃならないんだ)
シャールーズは静かに瞼を閉じた。今は闘技場の観客席だから、風がきつい香水のにおいを紛らわせてくれるが。
とにかくティルダードをこいつの側から、離さなければならない。
そのためにやむなく、王宮で暮らしているが。
「ねぇ、シャルちゃん」
「だから、普通に呼べよ」
「ほんと、あなたって生意気で可愛いわね。私は年上で、しかも王族なのよ。少しは敬いなさいな」
あー、はいはい。すみませんね。こっちは、生まれたのは百年くらい前ですけどね。眠りこけていたもんで。若造で申し訳ありませんね。
まともに会話するのも嫌になる。
「ほら、あそこ。アフタルがいるじゃない。あなたがこの間まで護っていた。もういいの?」
「興味ねぇな」
「あらま。冷たい護衛だこと」
ほほほ、とエラは満足そうに笑った。化粧が濃いから、目尻のしわが目立っている。
「ふーん。シャルちゃんったら拗ねちゃったのかしら。アフタルと一緒にいるのって、ティルダードのお目付け役じゃない」
「そうだな」
「身を引いたのね。かわいそうに。大丈夫、私があなたを雇ってあげるわ」
「そうだな」
深く考えるのも面倒くさいから、シャールーズは適当に同じ返事をくり返した。
幸いにも、シャールーズとラウルに関しては二人が宝石精霊であることがばれていない。
正妃パルトと側室のタフミネフについていたヤフダとミトラは、精霊であるとエラは知っているが。
まぁ、人のふりでもしておくのが一番だろう。
エラの隣に、長い銀髪を一つに結んだ男が現れた。近衛騎士団長のアズレットだ。
「あの赤毛の精霊。邪魔よね」
エラは何も命じたわけではない。なのにアズレットは、背の矢筒から矢を引き抜いた。
(おいおい、マジかよ)
かつてシャールーズは背中に矢を受け、怪我を負ったけれど。あれは相当距離があった。今のアズレットとミトラの間には高低差はあるが、距離はさほど離れていない。
(こんな場所から射られたら、あいつ割れちまうぞ)
息を呑むシャールーズを、エラが冷たい瞳で見上げている。
いけない。感情を読まれるな。心を乱すな。
アフタルやラウルは、王宮に入りこむことが出来ない。自分だけでも、意地でも王宮内に残らないといけないんだ。
エラを見下ろし、シャールーズはにやりと笑みを浮かべる。
「どうせなら、派手な方が楽しいぜ。矢が飛んできて、あの赤毛が倒れても、観客は状況が分かんねぇだろ」
「シャルちゃん?」
「分かりやすく倒すなら。決闘だろ?」
済まねぇな、ミトラ。
観客席とアリーナを隔てる壁を、ひらりと乗り越えて、シャールーズは地面に降り立った。
「そこの赤毛。俺と闘え」
双子神の剣を鞘から抜き、ミトラを睨みつける。ミトラは無言でうなずいた。
「シャールーズ! どうして?」
背後から聞こえる悲鳴にも似た声は、愛しい人のものだ。
ふり返るな。決意が鈍らないためにも。
砂をまき散らしながら、走ってくる足音が聞こえる。
「来るな!」
「シャールーズ……」
「聞こえなかったのか? 俺は離宮で別れを告げたはずだ」
「……嫌です、わたくしは」
かすれる声。涙をこらえているのが分かる。
(なんで聞き分けがないんだよ。おとなしく待ってりゃいいのに)
主の願いよりも、主の安全を守るのが精霊の務め。
今はラウルに託しているから、アフタルの安全は守られる。そう考えたからこそ、彼女の願いを叶えようとしているのに。
(……この、馬鹿娘)
言いたくもない言葉を、言わなければならなくなるじゃないか。
お前のことを、傷つけたくなどないのに。
細くて華奢な指が、シャールーズの手に触れた。温かく、馴染んだ感触。
今すぐにもふり向いて、抱きしめたくなる。
けれど、それはできない。
シャールーズは奥歯をぎりっと噛みしめた。
「わたくしも一緒に連れて行ってください。お願いです。足を引っ張ったりしませんから」
「……邪魔だ」
「え?」
「今、すでに俺の邪魔をしていると分からないのか」
冷たく言い放ち、アフタルの手をふり払う。ぱしん、と音がするほどに。
きっとアフタルの手は赤くなっているだろう。鈍く痛んでいるはずだ。
シャールーズはきつく瞼を閉じると、天を仰いだ。闘技場の形のまま、楕円形に切り取られた空。
まるで自分の心のように、ぽっかりと穴が開いているかのようだ。
双子神の剣を地面に突き立て、素早く腕を動かす。
舞いあがった砂が落ち着いた時、地面には横一文字に線が刻まれていた。
「この線から入ってくるな」
「待ってください」
線を越えて進むシャールーズを、アフタルはなおも追いかけようとした。
シャールーズは剣の切っ先を、アフタルに向けた。
「俺は入るなと言った。命令だ。従え」
「シャールーズ……」
「俺は、あんたにもう興味がない。つきまとわれると迷惑だ。そんなことも分からないのか」
アフタルの瞳から光が失せる。
口から出ていく言葉が刃となり、アフタルの心を切り刻んでいくのが分かった。