8-6 決闘
急遽、闘技場の出し物は変更された。
「お集りの皆さん。今日は特別な演目がございますよ」
司会者が高らかに口上を述べる。
「なんと剣闘士とか弱い淑女の決闘です。いやー、世も末ですね。たおやかな女性を、じわじわと殺していくんでしょうか」
闘技場から、どよめきが起こる。悲鳴のように聞こえなくもないが、どうにも期待に満ちた叫びだ。
「腕をもぎ取るんでしょうか。腹を掻っ捌くんでしょうか。ああ、恐ろしい、恐ろしい」
歓声はひときわ、大きくなる。
短剣だけでは対抗できないからと、剣闘士がミトラに剣をさしだしている。
「あたしって、か弱い淑女で、たおやかな女性なんだってさ」
「黙って、体を動かさずに足を揃えて座っていらっしゃれば、淑女に見えますよ。ミトラ姉さまは」
「アフタル。あんた、あたしに死ねって言うの?」
どうしてそうなるのだろう。屈強なゲラーシーとの闘いは平然と受けるのに。ただ物静かに座っていることは、ミトラには解せないらしい。
「じゃ、後は任せて」
「頑張ってくださいね、ミトラ姉さま」
「心配無用よ」
ひらひらと手を振って、ミトラは通用口からアリーナへと向かった。
アフタルとラウル、ミーリャの三人は、アリーナの入り口で姉を見守る。
砂に染み込んだ血のにおい、獣のにおいがする。
向かい合ったミトラとゲラーシーは、すぐに剣を交えた。
「剣じゃないです。あれ、棒です」
まさか、剣闘士の剣を断ったのか。姉さまは。
「何を考えているんですか。ミトラは」
「ど、どうしましょう。ラウル。いくら姉さまでも短剣だけで闘うなんて」
アフタルは、ラウルの腕にしがみついた。だがラウルは、目をすがめてアリーナを見据えている。
大声でわめきながら、ゲラーシーが飛び出した。振りかぶる剣を、ミトラはひょいひょいとかわす。
そのたびにスカートの裾が翻り、まるで踊っているかのようだ。
「女だからと手加減はしねぇぞ」
「それはどうも」
身軽なミトラに比べ、体の重いゲラーシーの動きは遅い。だが腕力では敵わないだろう。
ゲラーシーの剣を、ミトラは釘つき棒で受けた。
「無理よ。あんなのじゃ」
ミーリャが引きつった声を上げる。
みしり、と木の裂ける音。次の瞬間、棒は砕け散った。
「あらま。新作なのに」
掌が痛むのか、ミトラは手をぶらぶらと振っている。
「あのさー、釘を一本一本打っていくのって、結構大変なのよ。密度とか場所とか深さとか」
軽口を叩いているけれど、ミトラの緑の目は真剣だ。
「姉さま!」
アフタルは叫んだ。通用口に置いてあった剣を取り、アリーナに出ていこうとする。武器さえあれば、ミトラが負けるはずはない。
(でも、本当に?)
アフタルの母の遺志だから、ミトラは自分のことを守ってくれているけれど。精霊の糧は、主の想いだとシャールーズは言っていた。
「ミトラ姉さま……」
双子神の短剣を取りだしたミトラは、鞘を抜いた。
その透きとおった柄が、仄明るく光る。
にやっとミトラが笑みを浮かべた。
ゲラーシーの剣が、ミトラの顔面目がけて突きだされる。地面を蹴ったミトラの体が、宙に浮かんだ。体をひねり、優雅な動きで後方に着地する。
「どうよ、ミーリャ。あたしだって『ひらり』って感じで着地できるんだからね」
「なっ……そういう問題じゃないでしょうが!」
「えー、面倒だなぁ。じゃあ今度は『すっ』っていう着地がいいの?」
緊張感のないミトラの様子に、ミーリャは首筋も顔も赤くしている。
「いい加減にしてください。こっちは心配してるんですよっ!」
「心配? あたしのことを?」
「当り前じゃないですか!」
ミーリャは目に涙を浮かべている。
肩車で仲良くなったとは、到底考えられないけれど。
ミトラが精霊と分かった今でも、以前から王宮に侍女として仕えていたミーリャには、思うところがあるらしい。
「あなたみたいないい加減な人でも、いなくなったら困る人がいるんでしょ。遊んでないで、さっさと決着をつけてくださいよ」
「もしかして、あたし……怒られてる?」
ミトラは、ミーリャが感情を爆発させている理由が分からずに、首を傾げた。
「怒ってますよ。めちゃくちゃ、腹を立ててます。心配してるのが、分からないんですか?」
「分かった……気がする」
うん、と自分を納得させるように、ミトラはうなずいた。
「久しぶりだわ。本気で怒られたのって。タフミネフが、あたしのことが心配だからって、よく叱られたけど。それと同じってことか」
「お母さまが?」
アフタルは驚いた。
タフミネフは、アフタルが幼い頃に亡くなったから。母のことを誰かから聞く機会は、ほとんどない。
アフタルから尋ねることが、ないからかもしれないが。
「負けないでくださいよ」
ミーリャがミトラに声をかける。その一言一言に、力がこもっていた。
「大丈夫。あたし、強いから」
そう答えると、ミトラはゲラーシーに向かって突進した。そのまま短剣で切りつけるのかと思ったが、一瞬、ミトラがアリーナを取り囲む観客席に視線を向けた。
つられてアフタルも観客席を見上げた。
「……っ!」
声を出すことができなかった。騒いでいる観客の中を、前方に進む姿が見えたから。
どんなに大勢の人の中でも、見間違えるはずがない。
「シャールーズ!」
アフタルはその名を叫んだ。けれど声が届かない。アリーナに飛び出して、彼からも確実に見える位置に移動したけれど。
シャールーズはアフタルの方を見てもくれない。ただ闘っているミトラを見据えているだけだ。
その時、割れんばかりの歓声が起こった。
ふり返ると、ゲラーシーが倒れていた。