8-3 謁見の間
王宮に到着したシャールーズを出迎えたのは、ティルダードだった。
彼はまだ即位してもいないのに、わざわざ謁見の間に通された。
(こういう部屋って、王と大使とかが会うための場所じゃねぇのかよ)
アーチ型の窓が並んだ、だだっ広い部屋。木の床には、モザイク画で植物が描かれている。
玉座は、低い階段を八段ほど上がったところにあった。
緋色と金に彩られた玉座に、ちんまりと座るティルダード。シャールーズとの距離は遠い。
「お久しぶりですね。シャールーズさん」
柔らかな金糸の髪、若草のような緑の瞳。その華やいだ見た目に変わりはないのに。表情だけが暗く陰鬱だ。
「お前……変わったな」
「無礼なことを言う人ですね」
ぎろりと睨みつけられた。まだ十歳の少年だから背は低く、玉座には、ごく浅く腰掛けなければ、足も床に届かないほどだ。
「正妃から、これを預かってきた」
シャールーズは手紙を取りだした。今のティルダードに直接何かを手渡すことは、できないようだ。従者が手紙を受け取ると、段を上り、それを恭しくティルダードに差し出す。
「それが本当の正妃からの手紙だ。王宮から離宮に送った伝書鳩は、鷹に襲われていたんだ。そのことは知っているか?」
「さぁ? 鷹は自然の生き物ですからね。鳩を襲うこともあるでしょう」
「それが意図的であったとしても? 正妃からお前に宛てた手紙は、途中ですり替えられていたんだぞ」
「へぇ」
ティルダードは興味なさそうに、話を受け流す。
とても十歳の子どもには見えない。ラウルが慈しんだ、あのあどけない表情の面影はどこにもない。
ティルダードは、母からの手紙を開こうともせずに破り捨てた。
丹念に破られた紙の破片が、ひらひらと床に落ちていく。
「それが答えか。お前を離宮へ……母親の元へ連れて行こうとしたラウルは、お前を守って傷を負ったんだぞ」
「でも、結局ぼくを置いていきましたよ」
「状況が許さなかったのだと、分かるはずだろ。お前は聡明な子だ」
いや「聡明な子だった」なのか。
突然、ティルダードはぱんっ!と手を打った。
それまでの暗い表情から一転して、朗らかな笑みを浮かべる。
「シャールーズさんを、晩餐にご招待しますね」
「いらん。どうせ俺は何も食わねぇ」
「まぁ、そう仰らずに。お付き合いしてもらわないと、ぼく、一人で食事するのが寂しいんですよ」
にこにこと、まるで面のように貼りついた笑顔。
なんだ、こいつ。
気持ち悪い。薄気味悪い変貌だ。
「それに、もし断ったら。うーん、そうだなぁ。エラ伯母さまに、内緒にしてることを話しちゃおうっかなぁ」
「内緒って、なんだよ」
嫌な予感に、シャールーズは眉根を寄せた。
「決まってるじゃないですか。……の、ことですよ」
「聞こえねぇぞ」
「あれ? おかしいな。出てこない」
喉の調子が悪いのかと、ティルダードは咳きこんでいる。
「……が、実は……だって。え、なんで?」
「お前、何が言いたいんだよ」
「シャールーズさん、あなたは宝石精霊でしょ。ヤフダ姉さまもミトラ姉さまも、だから彼も。ほら、ぼくの……あれ? どうして?」
ティルダードは小さな両手で、頭を抱えた。
「分かってるんだよ? 名前も顔も、知ってるもの。さっきそいつの話をしたもの」
ティルダードの言葉から、嫌味な慇懃無礼さが抜けた。焦っている証拠だ。
「そいつは、シャールーズさんと同じ……で、ぼくの……で、腹が立つから解除して。もうどうでもいいから」
「ふーん。契約を解除したから、そいつの名前が出てこねぇんじゃないのか?」
なるほど。ラウルのことを忘れたか。いや、正確には覚えているが、口に出せない状態なのだろう。
シャールーズは腰に手を当てて、ティルダードを見据えた。
「大事な奴を、簡単に切り捨てるもんじゃねぇな。やむにやまれぬ事情があるって、本当は分かってんだろ?」
契約を解除されても、ラウルはティルダードの名を口にしていた。ならば、何かしら他の力が働いているのかもしれない。
だが、それは悟られない方がよさそうだ。精霊をないがしろにした為と思わせておいた方がいい。
そう、サラーマの人間にとって精霊の力は加護だが。カシアで長く暮らしていたエラにとっては、精霊の力は呪術だろうから。
(原因は分からねぇが、こっちにとっては好都合だな)
ティルダードは癇癪を起こしたらしく、玉座の肘置きの部分をバシバシと叩いている。
「おいおい、貴重な王の椅子が壊れちまうぞ。大事にしろって教えられてないのか?」
「うるさい。ぼくに指図するな!」
甲高い声が、謁見の間に響く。
あの素直な少年は、どこへ消えてしまったのだろう。姉を国を守るために頑張っていたのが、この子の本当の姿だろうに。
「伯母さま! エラ伯母さまっ!」
ティルダードは金切り声を上げた。
謁見の間の扉が開き、カツカツと音を立てながら足早にエラがやって来た。
「あらまぁ、どうしたの。ティル」
「こいつが、ぼくに命令するんだ。何とかしてよ」
エラは孔雀の羽根をだらりと顔の前に垂らしながら、うなずいた。
「そうね、ひどい男ね。招待したのは私だから、この私が責任を取るわね。それで許してくれるかしら、ティル」
「責任ってどんなの?」
玉座から飛び降りたティルダードは、エラの腰にしがみついた。まるで母親にするかのように。
「もちろん、あなたの望むようにしますよ。ね、ティル。わたくしは、いつでもあなたの味方。ずっと一緒にいるでしょう?」
「……うん」
ティルダードは、エラに抱きついたまま瞼を閉じた。
以前は、ラウルに甘えていた。常にまとわりつき、くっついて。
それが今は、エラに代わったのだ。
(実の母親である正妃に甘えない分、他の誰かを欲しているのか)
互いに遠慮のある母子の関係を、エラは利用している。
(肉体的には誰もティルダードを傷つけない。精神的にも、傷めつけられているわけではないかもしれない。だが、子どもの寂しさにするりと入りこんで、信頼を得る。これがエラのやり方か)
王都で見た、娯楽や快楽に酔いしれる民衆も、エラのことを悪くは言わないだろう。
おそらく毎日が楽しいのだから。
晩餐は辞退して、シャールーズはアフタルが使っていた部屋に入った。
勝手に部屋を選んだシャールーズを、侍女たちは咎めたが。知ったことじゃない。
馴染んだ部屋が一番だ。
扉を開き中に入ると、懐かしい香りがした。
「あいつの香りが残ってるんだな」
ジャスミンの匂いの空気を胸いっぱいに吸い込む。それだけで心が満たされる。
いつかまた一緒に戻ってこれらる日のために。
「まずはティルダードのエラへの依存を、どうにかしないとな」
窓を開け放ちベランダに出ると、宵闇の空にぼんやりと山脈を望むことが出来た。あの山の向こうは離宮のあるパラティアだ。
「あんまり寂しがるなよな。すぐに戻るから」
荷物と一緒に持参した剣を手にすると、水晶の柄がほんのりと光を放っていた。
双子の神が持っていたと謂れがある物だからだろうか。二本の剣は、互いに呼び合っているのかもしれない。
「入るわよ」
ノックもなく、シャールーズの返事も待たずに、突然エラが現れた。
夜用のドレスに着替えているが、これがまた年甲斐もない総レースの派手で高そうなドレスで。胸もとには、重そうなダイヤモンドのネックレスが輝いている。
「うへぇ」
思わず口に出してしまった。
こんな風に加工されて、嫌いなヤツの胸元を飾るような憂き目には遭いたくないな。
「サラーマは財政難じゃなかったのかよ。そのせいでアフタルをロヴナと無理矢理婚約させたくせに」
「この宝石もドレスも国の物ではなく、私のものよ」
「趣味の悪ぃ金ぴかの馬車も、個人の所有かよ」
「ほほほ。あんな地味な小娘なんて捨てて、私の護衛にならないこと? あなたみたいな野性味に溢れた青年には、興味があるわ」
ぞぞぞーっと悪寒が走る。
まるで背中をムカデが這っているかのような感覚だ。
(頼むから、俺を獲物にしないでくれ)
いろんな意味で、怖いんです。貞操の危機を感じるんです。このおばさん。
たとえエロ精霊と罵られていても、アフタルのためにも、清らかでいたいんです。