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宝石精霊の溺愛  作者: 絹乃
7 儚さ
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7-7 屋根の上で

 シャールーズは、自室のベッドにごろりと横になっていた。

 一人の部屋は静かすぎて、窓を閉めていても鳥のさえずりや湖の波音が耳につく。


「つまんねぇ」


 ぽつりと呟いた自分の言葉ですら、やたらと大きく聞こえてしまう。

 瞼を閉じると、アフタルとラウルの契約の場面が何度も繰り返し浮かんでくる。

 ラウルが、アフタルの手をひたいに触れさせた時、もう少しで「俺のアフタルに触れるな」と叫び出しそうになった。

 それを堪えるので、精一杯だったなんて。どれだけ心が狭いんだ。


 アフタルは大事だ。たった一人の、誰にも代えることのできない唯一の人。

 ラウルのことも、まぁ大事だ。本人にはあまり言いたくはないけれど。


(俺の中では、あいつはまだ後追いばかりする生意気で泣き虫のガキなんだよな)


 そんな大切な二人が、互いに契約を結び、さらに後のことを任せられるのだから。こんなに幸いなことはない。


(なのに、なんでため息が出ちまうんだよ)


 考えるのは性に合わない。

 シャールーズはベッドから降りると、王都へ向かう用意を始めた。

 とはいえ、持って行く物は多くない。双子神ディオスクリの長剣と正妃から持たされた金貨や銀貨、着替えくらいだ。


 ガタッ、という音が上の方から聞こえた。何だろうと思いつつ窓を開くと、あろうことか隣の部屋のアフタルがベランダの手すりに足をかけているではないか。


「あと、もう少し……」


 両手を屋根にかけ、背伸びした状態で足はふるふると小刻みに震えている。


「待っていてくださいね」

(おいおい、屋根に上るつもりかよ。っていうか、誰に話しかけてんだ?)


 いつもならすぐに飛び出して、助けるところだが。これから先、しばらく自分は離宮を不在にするのだ。


(ああ、もう早く来いよ、ラウル。これからはお前がアフタルを支えるってのによ)


 なんとかアフタルは屋根によじ登った。

 王女が何やってんだ、と呆れながらも見守ることしかできない。

 ベランダの手すりから身を乗りだして眺めると、どうやら屋根の上で何かを拾っているらしい。

 大事そうにそっと両手で包みこみ「もう大丈夫ですよ」と声をかけている。

 屋根から降りられなくなった猫でも助けたのだろうか。


(だが「大丈夫」って、そこからどうやって降りるつもりだよ)


 案じた通り、アフタルは屋根から下を見て怖気づいたように固まってしまった。

 立つこともできないようで、座りこんだままだ。


「シャ……」


 呼びかけてやめたその名は、シャールーズのものだった。

 不思議だ。ラウルと契約を結んだばかりとはいえ、真っ先に頼ってくれるのは自分なのだと、うぬぼれてしまう。


「無理ですよね、冷たくされたんですもの。それに、こんな所に上っているのがばれたら、こっぴどく叱られます」

(叱られるって、分かってんじゃねぇか)

「なんとか、こっそりと部屋に戻らないと」


 だが二階の屋根から地面は、かなりの高さがある。ベランダの中に飛び降りることができるほど、アフタルは運動神経がよくない。


(さーて、どうするんだ? お手並み拝見といこうか?)


 シャールーズは腕を組んで、にやにやとアフタルの様子を眺めた。

 趣味が悪いと思うし、意地悪いとも思う。だが、こうして弄って遊んでいられる内は、平和なのだと実感できる。

 しばらくすると、軒から白い足が伸びてきた。踵を上にしているから、屋根に腹這いになっている状態だろう。


「おいおい、マジかよ」


 続いて二本目の足も。足は空中でばたばたと動かされるが、無論、どこにも届くはずがない。


「う……うぅ。助けてください」


 呟く声は、今にも風にさらわれそうに小さい。


(しょうがねぇなぁ。こいつは)


 シャールーズは苦笑しつつ、屋根を仰いだ。


「聞こえねぇぞ」

「シャールーズ! そこにいるんですか? 用事があるのでは……」

「いたら、悪いのか?」

「悪くありません。大歓迎です……けど、どうして助けてくれないんですか?」


 面白いから、と言ったら怒るな。きっと。

 シャールーズはにやけないように、自分の頬を軽く叩いた。


「俺のことを呼ばなかっただろ」

「呼びました」

「聞いてない」


 そう「シャ……」しか聞いていないのだ。


「で、どうする? 王女さまがドレスの裾を盛大に風に翻しつつ、足をさらしているのを眺めるのも悪くはないが。離宮には正妃も使用人も、カシアからの客もいるぞ」

「きゃーっ!」


 突然、アフタルは叫んだ。


「ダメです、無理です。恥ずかしいです! シャールーズっ!」

「ちょっと、おとなしくしろって。まるで俺が襲ってるような悲鳴を上げるなって」


 シャールーズは軒に手をかけると、そのままひらりと屋根に飛び乗った。

 こんな簡単なことが、なぜアフタルにはできないのか不思議でならない。


 二階の部屋よりもさらに高い位置なので、屋根の上は眺望が良い。木々の上から見渡す湖。その水平線の先にうっすらと見えるのは、この間までいたオスティアだろう。

 爽やかな風が吹き抜けていく。

 屋根にしがみついていたアフタルは、頭上に鳥を乗せていた。周囲には羽根や羽毛が散っている。


「伝書鳩だな」


 過去視で見たように、どうやら鷹に襲われたようだ。鳩の足についている管を開くと、中から正妃の手紙が出てきた。

 他人の手紙を勝手に読むわけにはいかないが。母からの手紙すら封じてしまわれたら、まだ幼い少年は縋るものを失ってしまうだろう。


「この鳥が、猛禽に襲われているところが見えたので。助けてあげようと思ったんです」


 アフタルはなんとか両足を屋根の上に上げて、落ち着いたようだ。


「はしたないですよね。皆さんには、屋根に上がったことを内緒にしてくださいね」

「ご褒美がないと無理だな」

「ご褒美って……」


 すぐには思いつかないようで、アフタルは首を傾げた。その拍子に鳩が頭から落ちそうになり、慌てて両手で支えている。

 シャールーズは鳩を受け取った。幸い、ひどい怪我ではなさそうだ。


「そうだな。アフタルからキスしてもらおうか」

「ほんの少し前にされたばかりです!」

「あれは、俺からだから。数の内に入らない」

「こんなに明るくて、外なのに?」

「さっきはラウルに見られてたぜ? しかもオスティアでも外だったな」


 にやにやと笑いながら、アフタルを眺めていると、しだいに彼女の顔が赤く染まる。


「だって、シャールーズが無理に……わたくしは恥ずかしくて」

「恥ずかしいから、いいんだろ? その方が楽しい」

「変態っ!」

「最高の褒め言葉だな」


 ここには投げつけるクッションがないから、アフタルは悔しそうにスカートを掴んでいる。


「よかったな、お前。俺の所に避難しておいて。ぬいぐるみとかと間違えられて、投げつけられたら大変だぞ」


 自分の膝にのせた鳩に、シャールーズは囁いた。

 アフタルはもじもじしながら、左右に視線を走らせていたが。さすがに屋根の上に人目はないと諦めたのか、自ら身を乗りだしてきた。


「頬でいいですか?」

「なんで?」

「は、恥ずかしいからです」


 アフタルの頬が、朱に染まる。


「しょうがねぇな」


 シャールーズはアフタルに左の頬を向けた。あまりからかうと、それすらも拒否されてしまう。加減が難しいのだ。

 ふわっと、頬を撫でるようなキスだった。


「おいおい、ふざけてんのか?」


 シャールーズは膝から鳩を降ろして、身を乗りだした。アフタルはその分、後ろに下がる。

 屋根の上だから逃げ場はない。細い手首を捕まえると、深緑の瞳が潤んでいた。


「だって、あんなラウルに見せつけるようなキスをされて、平気なわけがありません」

(だよな。俺だって、見せつけられるような契約をされて、平気なわけじゃないんだぜ)


 自分から勧めた契約だから、決して口にはできないけれど。

 ラウルは、アフタルのことを気に入っている。たぶんラウル自身もその感情を考えないようにしているから、シャールーズも追及はしない。


 人の心は自由だ。たとえその身体を拘束しても、心までは縛れない。

 アフタルの手を離すと、シャールーズは彼女の襟を力任せに開いた。


「えっ?」


 鎖骨の少し下、胸元にくちづける。力を込めて。


「い、痛いです」

「我慢しろ」


 アフタルがシャールーズの髪に指をさし入れる。左手は、背中にしがみつく。力のこもるその指先に、彼女が今、ひりつく痛みを感じているのだと思うと、ぞくぞくする。

 たっぷりと時間をかけた後で、シャールーズは唇を離した。

 白い肌に赤っぽい痕が残っている。


(この痣が消えるまでに、戻ってこられたらいいんだけどな)


 自分の胸元に残る痕を見て、アフタルはおろおろと視線をさまよわせている。


「困ります……こんなの」

「侍女に着替えさせてもらっているのか?」

「いえ、そうではありませんけど」

「じゃあ、風呂に入った時に侍女に体を洗ってもらっているのか?」

「……自分で洗っています。そこまで甘えたくないですから。入浴後の香油はつけてもらっていますけど」

「なら、問題はねぇな」

「おおありですよ」


 恨みがましい瞳で見据えられても、今更消せやしない。


「よし、分かった。俺にもつけていいぜ。それで、おあいこだろ?」

「おあいこって、全然平等じゃないです。わたくしがつけるんでしょう?」

「それじゃあ、他の奴に頼もうか? ミーリャとか?」


 提案すると、アフタルは明らかに動揺した。胸元は大胆に開いたままで、襟のボタンを留めようともしない。


「俺は、アフタル以外は嫌だぜ」

「わたくしもです」

「なら、交渉成立だな」


 シャールーズはにやっと笑った。自分の襟元を広げ、鎖骨の辺りを指さす。


「すぐに放すなよ。あと、力が弱いと痕がつかない。ちゃんと痕を残すまで、何度でもさせるからな」

「脅迫ですよ、こんなの」

「脅迫ですけど、なにか?」


 いつまでもこうして二人で軽口をたたいていたい。けれど時間は有限だ。だからこそ、こんなバカなやりとりが愛おしくてしょうがない。


 愛しているぜ、アフタル。お前だけが俺のすべてだ。


 戸惑いながらも、アフタルがシャールーズの胸元に唇を寄せる。

 ぴりっとした痛みが走った。初めての感覚だ。

 今日もジャスミンの香りがする。

 アフタルは色んなことを教えてくれた。香りも味も、酒を飲むと人は変わることも。そして恋をすると、こんなにも切ないということも。


「……これで、いいですか?」


 アフタルが上目遣いに見上げてくる。


 それくらいで解放するわけないだろ。

 シャールーズは、アフタルと唇を重ねた。


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