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宝石精霊の溺愛  作者: 絹乃
7 儚さ
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7-6 ラウルとの契約

 一人きりだと、部屋はこんなにも広かっただろうか。

 アフタルはそわそわと室内を歩き回っていた。

 ベランダに出て隣の部屋を見ようとしても、そもそもシャールーズの部屋は窓が開いていない。


(普通にドアをノックすればいいだけなのに)


 どうして自分にはそれができないのだろう。


「おい、入るぞ」


 突然扉が開かれて、アフタルは心臓が口から飛び出しそうになった。

 机や椅子にぶつかりながらも、慌ててベランダから戻ったが。すでにシャールーズが部屋に入ってきている。


「急に入ってこないでください」

「声はかけたぞ」


 不遜な態度。いつもの彼だ。

 アフタルは、ほっと安堵の息をついた。


「入って来いよ」


 シャールーズは入り口に向かって声をかけた。促されて室内に入ってきたのは、ラウルだ。「失礼します」と丁寧に頭を下げている。

 何の用なのだろうと思いながら、アフタルは二人に椅子を勧めた。


「お前ら、今すぐ契約しろ」


 突然命じたのは、シャールーズだ。


「え?」

「何を言うのですか、急に」


 アフタルもラウルもきょとんとしている。

 シャールーズはソファーに座り、膝に両肘をついた。窓から吹きこむ温い風が、彼の金の髪を揺らす。


「ラウル。手をアフタルに見せてみろ」

「ですが」

「早くしろ」


 有無を言わせない強い語調。ラウルはおずおずと手をさしだした。

 男性にしては細く華奢な指を目にしたアフタルは、息を呑んだ。

 指先が透けている。床の木目が見えるほどに。


「……気づいていたのですか?」

「さっき過去視をした時に、手に触れただろ。俺たちは二人とも、人の姿を保てなくなったことがあるから、お前も分かってんだろ」


 ラウルは、シャールーズから視線を外した。


「俺に遠慮することはない。アフタルとラウルなら、ちゃんとした主従になれるさ」

「あなたは、それでいいんですか? アフタルさまを独占したいくせに」

「選ぶのは俺じゃなくて、アフタルだ」


 シャールーズは立ち上がると、アフタルの元へやって来た。

 そして手を伸ばして、椅子に座るアフタルの顎に手をかける。

 その大きな手、節くれだった無骨な指。馴染んだ感覚に、思わずアフタルは瞼を閉じそうになる。


「……ずるいです。ちゃんと約束したのに」

「約束は守るぜ。他の奴にキスなんかしないし、抱きしめて眠ったりしない」

「そういうことじゃなくて!」


 いや、確かにそんなことを言ったけれど。本質は、二人の時間がいつまでも続くようにと願ったのだ。


「俺にはアフタルだけだ」

「でも、ラウルと契約をしろと……」


 顎に添えられた手に力が入る。アフタルは、顔をぐいっと上に向けられた。

 そのままくちづけされる。ラウルの前だというのに。


「や……っ」


 アフタルは思わず、シャールーズを押しのけようとした。けれど力で敵うはずがない。


「信じろ、俺を」

「シャールーズ?」


 間近にある琥珀の瞳は、切なさを湛えたように睫毛が伏せられていた。


「信じてくれ。それしか言えねぇ」


 かすれた声は、苦しそうだ。

 アフタルはシャールーズの手を取り、そっと自分の頬に触れさせた。

 なめらかな手触り。いつからだろう。彼が無精ひげを生やさなくなったのは。

 小綺麗にしていても、そうでなくても、シャールーズであることに変わりはないから。あまり気にしていなかった。


「わたくしには伝えられないことがあるのですね。分かりました、あなたの仰る通りにします」


 大丈夫。縁が切れるわけではない。

 新たにラウルとの縁を重ねるだけなのだから。


「アフタルさま、本当によろしいのですか?」


 椅子から立ち上がったラウルが、不安そうに問いかけてくる。


「ええ。契約を結びましょう」


 アフタルがラウルに向かい合ったとき、シャールーズがその手を離した。指先が離れる瞬間、冷たい風が吹いた気がした。寒い季節ではないのに。


(シャールーズ?)


 なぜだろう。一瞬、別れの予感がした。

 だが確認するよりも先に、契約の儀が始まってしまった。


 ラウルは自分の親指を噛むと、滲む血をアフタルのてのひらにつけた。

 そして向かい合う形で、恭しくひざまずく。


「天の女主人より命を授かりし、我が名はラウル。光満ちるアフタル・サラーマの影として、我が石が砕け、光が失せるその日まで、常に己より彼女の益を優先することを、天の女主人に誓う」


 涼しい声だった。

 ラウルはアフタルの手を、自分の額につけた。

 触れた箇所から、清冽な蒼の光が広がっていく。光はラウルとアフタルを包み、そして静かに消えていった。


「これより私は、アフタルさまのしもべ。心を込めて、お仕え致します」

「これで終わりなのですか?」

「はい」


 あまりにも呆気なく新たな契約は結ばれた。

 呆然としているアフタルに、ラウルが囁く。


「ただの主従と割り切らせてください」

「それは、どういうことですか?」

「アフタルさまとの関係に、様々な感情を抱え込みたくはないのです」


 ラウルが指す感情が、どのようなものかは分からない。きっと追求しない方がいいのだろう。

 それにティルダードのことも聞かない方がいいに違いない。

 あんなにもティルダードのことを可愛がっていたラウルが、あの子のことを口にしないのは理由があってのことだ。


「これでいいんですよね? シャールーズ」


 シャールーズは瞬きすらせずに、アフタルのことをじっと見据えている。


「大丈夫ですか?」

「あ、ああ。なんでもない」

「終わりましたよ」

「そうだな。ラウル、手はどうだ?」


 問われたラウルが手をさしだす。もう床が透けて見えることもない。


(よかった。人の形が保てるのですね)


 それだけでも、この契約には意味があったのだと思える。


「じゃあ、これで問題なしってことだ」


 シャールーズは、ひらひらと手を振って部屋を出ていこうとする。

 アフタルは思わず、彼の服の裾を掴んだ。

 このまま行かせてはいけないような気がしたから。理由は分からないけれど。


「何か用か?」

「用がなければ、引き止めてはいけませんか?」

「まぁ、いけなくはねぇな」


 アフタルの心に影がよぎった。


(いえ。きっと思い過ごしです)


 ラウルが部屋にいるにもかかわらず、アフタルはシャールーズにぎゅっとしがみつく。

 その途端、シャールーズがびくっと身をすくめたのが伝わってきた。


(どうして?)


 しばらく彼の胴に腕をまわしていたけれど、いつものようにシャールーズが抱き返してくれない。

 まるで柱に抱き付いているみたいだ。


「もう気は済んだだろ?」

「えっ?」

「じゃあな。用事があるから、もう行くぜ」

「どこに行くんですか? 用事って?」

「主の許可がないと、俺は出歩いちゃいけないのか?」


 まるで突き放すような話し方だ。


(いいえ、きっと理由があるんです。だって「信じろ」と言われたじゃないですか)


 アフタルは、そっと腕を離した。

 聞き分けが良くて真面目で、いい子でいようとする自分を、初めて恨めしいと思った。


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