7-5 置いていく
正妃の元を辞してから、アフタルはシャールーズにラウルとの契約について相談した。
「まぁ、いいんじゃないか。別に問題ないだろ」
「気にならないんですか?」
シャールーズは階段を上がり、廊下を先に進んでいく。彼の背中を、アフタルが小走りになって追いかける。
普段なら、そんなに先に歩いていかないのに。ラウルの話が出てからのシャールーズは、心ここにあらずといった感じで、待ってもくれない。
「緊急事態なんだろ。なら、しょうがねぇな」
シャールーズは背を向けたままで、ひらひらと手を振った。
そしてアフタルの隣の部屋へと入っていく。
「じゃあ、また後でな。用事があったら呼んでくれ」
部屋が別々であることに不満を洩らしていたのに。シャールーズはあっさりと自室に入り、扉を閉めてしまった。
遠慮のない仲なのだから。自分もシャールーズの部屋に入っていけばいいのに。アフタルはなぜか扉に当てた手を、ノックすることができなかった。
◇◇◇
隣の部屋の扉がパタンと閉じる音を聞いて、シャールーズは肩を落とした。
背中は、自室の扉につけたままだ。
(なにを落ち込んでんだよ。ノックされなかったことか? 自分から閉じておいて、無理に扉をこじ開けられたかったのか? 馬鹿か、俺は)
分かっている。ラウルを蒼氷のダイヤモンドに戻さぬためには、アフタルとの契約が一番であることを。
実際、シャールーズが不在の時に、アフタルはラウルをうまく使いこなしていた。
むしろ気分次第で命令を選ぶシャールーズよりは、ラウルの方が僕としてはふさわしいだろう。
(だが、本当にそれでいいのか?)
ラウルは王たる者の証だ。アフタルがラウルを持つには、あまりにも荷が重すぎやしないか?
今後、アフタルが王家の争いに巻き込まれてしまうのではないか?
「……なんて、言えるかよ。自分の主には安全圏にいてほしいなんて」
危険と無縁ではいられない王家の人間だからこそ、精霊の護りが必要なのに。
何も背負う物のない、おとなしいだけの女性に、精霊が付き従うはずがないのだから。
「にしても、契約解除とか一方的だよな」
ティルダードにちゃんと確認した方がいいに違いない。
「一度、王宮へ戻ってみるか。ラウルがついていてくれるなら、アフタルも問題ないだろうし」
その時、コンコンと扉がノックされた。
せっかちなノックの音は、アフタルではない。扉を開くと、そこに立っていたのはラウルだった。
「よぉ」
「アフタルさまの元にいるとばかり、思っていましたが」
「まぁ、主を独り占めするわけにもいかなくなったからな」
シャールーズの言葉に、ラウルが片方の眉を上げる。
「まだ姫さまからは、お返事をいただいておりませんが」
「アフタルに拒否する権利はねぇだろ」
お前はそれだけ価値ある存在なんだからな……と言いそうになって、やめた。
まるで僻んでいるみたいで、みっともない。男の嫉妬なんて醜いものだ。
ラウルを部屋に入れ、椅子に座らせる。自分の部屋だと言われても、使っていないのでどこに何があるのか分からない。
アフタルの部屋ほどの華やいだ雰囲気がないのは、装飾が少ないからなのか、それとも単に自分自身がこの部屋に興味がないからなのか。
「で、俺に何の用だ?」
「過去視につきあっていただきたくて」
シャールーズと向かい合わせる形で、椅子に腰を下ろしたラウルが身を乗りだしてくる。
「そりゃ、構わねぇけど」
ラウルは目を丸くした後に「ふっ」と小さく笑った。今にも消えてしまいそうな、儚げな姿だ。
「まず何の過去を見るのかを聞いてから、受けるかどうか判断しないんですか?」
「ああ、そういうもんか」
「あなたのそういうところが、苦手ですよ。私のことを煙たがっているかと思えば、姫さまとの契約も反対しないし。それに……危険を冒してまでも、火山に捜しにくるし」
火山……懐かしい昔語りだ。
「弟分が危ないのに、兄貴分が素知らぬ顔なんかできねぇだろ」
「そういうところだけ物分かりがいいのは、姫さまを不安にさせますよ」
「ほら、さっさと過去視をするぞ」
強引すぎるほどに話を打ち切る。
分かっている。本当は他の誰にもアフタルを預けたくない。触れさせたくない。けれどそんなのはただの嫉妬だ。
「視たいのは、ティルダード殿下についてです」
小さな紙を、ラウルがさしだす。アフタルがショックを受けていた手紙だ。
――ラウル、いらない。姉さま、いらない。
「この手紙の前が、なぜ自分を連れて行ってくれなかったのかと問う内容でした。正妃は、時機を待つようにとを御心を尽くして返事をなさったのに。急に、殿下が頑なになられて」
「了解。内容が微妙につながってないってことだな」
シャールーズはラウルがてのひらに載せた紙に、指を触れる。
厳密には紙ではなく文字に、だ。
「金の標石、ミリアリウム・アウレウム。このしたためられた文字、群青色のインクの過去を示せ」
「蒼穹の聖道に点った標石の灯りを、今ここに」
二人の声が詠唱する。
澄んだ琥珀色と、魂さえも奪いそうな清冽な蒼の光の粒が、向かい合う宝石精霊たちを包む。
灰色の雲が垂れこめた空を飛ぶ鳩が見えた。だがその鳩は大きな鷹に襲われた。手紙を足につけた鳩は逃げるが、猛禽に敵うはずがない。
羽根や羽毛が舞い散る光景が脳裏に浮かび、シャールーズは顔をしかめた。
地面に叩きつけられた鳩の足から、手紙を奪う男がいた。銀の長い髪、弓を担いだ騎士だ。
そこまでだった。
「なるほど。本来ティルダードに届くはずだった手紙は、偽物に差し替えられたってことか」
「伝書用の鳩は一羽ではないようですね。あの男は近衛騎士団長アズレットです」
「……なぁ、まずいんじゃないか」
これまで母や姉を信じていたティルダードに、不信を植え付けられている。
ラウルはうなずいた。
「殿下に直接お会いして、お話をしたいのですが」
「俺が行く。お前はアフタルを守れ」
「ですが」
「頼んだぞ」
王の証たる至宝を、危険な場所に放り込めるはずがない。それに相手は、王女であっても躊躇なく矢を放つ奴らだ。
「了解しました。ですが、また姫さまを置いていくのですか?」
「仕方ねぇだろ。アフタルには言うなよ。あいつ、王女のくせにのこのことついて来そうだからな」
「寂しがられますよ」
「だろうな」
シャールーズは笑みを浮かべた。
なぜか口許が引きつって上手く笑えなかったが。
泣こうが喚こうが、寂しがろうが、アフタルは置いていく。
そう、危険なことは自分一人で充分なのだから。