7-2 蜂蜜酒のせいです
アフタルの隣の部屋に、シャールーズの部屋は用意されていた。
ゆっくりと休めるようにと、ゾヤ女官長が気を利かせてくれたのだ。
「なのに、どうしてわたくしの部屋にいるのですか?」
「女官長は意地悪だな。俺はアフタルと同室がいいのに」
シャールーズはアフタルのベッドであおむけになっている。長い足を組み、ふてくされた様子だ。
アフタルはミーリャが用意してくれた飲み物を持って、窓辺に座った。
ミーリャがカシアの王女であると判明したが、彼女自身は侍女のままでいたいと願い出た。
「カイはミーリャの友人だそうですよ」
「恋人の間違いじゃねぇのか?」
「まぁ、詮索はよしておきましょう」
アフタルには分かる。ミーリャがどれほどカイを大切に思っているのか。もし身分違いの恋であれば、迂闊に「好き」とは言いにくいことも。
(ミーリャが、ロヴナの結婚の邪魔をしたのも、わたくしを利用するためだけではなかったのかもしれませんね)
湖を渡る風が肌に涼しい。カイも今、カシアから吹くこの風を感じているだろうか。
アフタルはミントの葉とレモンが入った飲み物を、口に含んだ。喉が渇いていたせいで、半分くらい飲み進めてようやく気付いた。
「これ、お酒が入っています」
「酒? ああ、神殿で見たことがあるぞ。確か椰子から作った酒を、よく神官が供えていたな。それがどうかしたのか」
「いえ、なんでもありません」
アフタルはベランダに出て、シャールーズに背中を向けた。
飲食物を口にしない彼は、酒を飲むこともない。ということは、酔うこともないわけで。
(最近はワインも飲んでいませんでしたから、お酒に慣れていませんし。このお酒は……蜂蜜酒ですね。蜂蜜酒はワインよりも歴史が古くて簡単にできるのですが。流通させるには蜂蜜の生産量が追いつかないのですよね。ああ、ワインが出回らないと思ったら、カシアに流れていたのですね)
考えが止まらない。すでに自分が酔っていることに、アフタルは気付いていない。
(それよりもラウルとティルのことです。、ああ、ティルだなんて、幼児の時の愛称を今さら……いけません、ティルダード殿下なのですから。でも……もうすぐ陛下になってしまうのですね)
アルコールのせいで、思考がぐるぐると回っている。
(契約解除をしたら、どうなるのでしょう。そうです、シャールーズに訊けばいいのです)
名案とばかりに、アフタルはシャールーズの元へと急いだ。
酔っている自分を見られたくなくて、彼の視線を避けていたことを、忘れてしまっている。
◇◇◇
「……どうしたんだ? 妙だぞ」
ベッドで上体を起こしたシャールーズは、目を丸くした。
自分に向かってくるアフタルが、ほんのわずかだが床から浮いているように思えたからだ。
それが足取りがしっかりしていないせいだと気付くのに、しばらくかかった。
「何がですか? わたくしは普通ですよ」
「なんか、ふわふわしてる」
「それはですね、湖から夜に吹く風のことを『夜風』というからです」
「訳分かんねぇ。っていうか、それとアフタルの様子が変なのと何の関係があるんだ?」
アフタルはグラスを置いて、ベッドに上がった。
「天気予報官は、言葉選びに情緒がないのです。そうですね。『小夜風』とか、いかがでしょう。ただの夜風よりも素敵ですよね」
「……夜が小さくなっただけじゃねぇか」
「もうっ。シャールーズも風情や趣を解さない人なんですか? 困ります、そういうの」
頬を膨らませたアフタルは、シャールーズにしがみついた。
何事が起っているのか分からないシャールーズは、目をしばたたいている。
見上げてくるアフタルは、なぜか膨れっ面だ。
「えーとですね、アフタルさん? 俺は何か悪いことをしましたかね」
「悪いことだらけです」
アフタルは手を伸ばすと、シャールーズの両頬をつねった。
「すぐにわたくしに意地悪するし」
「まぁ、可愛いものは虐めたくなるよな。よくない趣味だとは思うけどな」
「可愛いだなんて」
アフタルは、ぽっと頬を朱に染めた。だがすぐに真顔に戻る。
(なんだ、これ?)
カシアで、アフタルの新たな面を見た時も、正直驚いたが。
真面目でおとなしい王女の衣を脱ぎ捨てた時のアフタルは、非常に興味深い。
「いえ、論点はそこではありません。わたくしに黙って姿を消すし」
「しょうがねぇよな。怪我もかなりひどかったしな。カイがいなけりゃ、俺は未だに湖の底だ」
「許しません!」
「なにを?」
「勝手に湖の底に沈むなんて。わたくしの許可を得ていません」
「おいおい……」
シャールーズは困り顔で天井を仰いだ。これは女官長を呼んできた方がいいだろうか。
さっきアフタルは何かを飲んでいたが、妙な薬でも入ってたんじゃないだろうな。
アフタルにのしかかられたままで、シャールーズは動かない。非力な王女の体をのけることなど簡単なのだが……。
(こんなアフタルも珍しいし、面白いから。まぁいいか)
翻弄されるのも、悪くはない。
「手当てだって、まだです」
ぐいっとアフタルが顔を寄せてくる。
「近い、近い。キスしてほしいのか?」
「そんなことは言ってません。またエロ精霊と罵られますよ。シャールーズには、ラウルのような真面目さが足りないんです」
「まぁな。守護精霊としてなら、奴の方が向いてるだろうさ。職務に忠実だからな。たとえ主が女だったとしても恋なんかしないだろうし……」
ラウルはティルダードとの関わりが途絶え、意気消沈しているだろう。
ミトラは主が亡くなったが、娘であるアフタルを守れとの遺志に従い、今も元気すぎるほどだが。
ラウルはティルダードから、何も命じられていない。何も託されていない。ただお目付け役として王子を導き、守っていた。
(あいつの契約は、正しかったのか?)
王家の至宝であるラウルが、次代の王に仕えるのは当然のことと疑わなかったが。
何かが、閃きそうな気がした。けれどそれは靄のようにすぐに消えてしまった。
シャールーズは仰向けになり、両腕だけでアフタルの体を持ち上げる。柔らかな金髪が、寝具に届いたが、アフタル自体は中途半端に宙に浮いた状態で、もぞもぞしている。
「離してください」
「離したら、どうするんだよ」
今更正気に戻って、逃げられたらつまらない。
「約束を果たすんです」
はい?