6-6 追いかけてください
兵舎の後ろは、共同の洗濯場になっていた。湖に流れる川の畔に桶がいくつか置いてあり、物干しの縄が張ってある。
しわくちゃの洗濯物が、縄にかけられてぼたぼたと水を落としていた。しかも洗濯物は泡だらけだ。
「これは、ひどいですね」
いつの間に現れたのか、ミーリャが洗濯物を見上げている。
「まぁ、たとえ桶を持っていなくても石鹸の匂いをさせていなくても、誰が洗ったのか一目瞭然です」
ラウルも、ミーリャの言葉にうんうんと頷いてる。ようやく短剣が抜けたようで、アフタルに手渡してくれた。
「……主を襲うよりも、まずは家事を覚えるべきでは?」
冷ややかな目つきで、ラウルはシャールーズを睨む。
「家事精霊か。なんか、違う気もするけどな」
「きっと、もてますよ。あなた、女性といちゃいちゃするのがお好きでしょうし」
完全にばれている。
アフタルはまるで自分が責められているかのように、顔を赤らめた。
つい唇に手を触れてしまい、それをラウルが見咎める。
「アフタルさまは、拒否してもよろしいと思いますよ」
「ラウル?」
「主に無理強いする僕など、有り得ませんから。場合によっては、主従の契約を解消してもよろしいかと」
(そんな!)
アフタルは、思わず身を乗りだした。
シャールーズは確かに強引だったけれど。強要されたわけではないし、アフタル自身も応えたのだ。
契約を解除すると、二人の繋がりが断たれてしまいそうで。それが怖い。
ミーリャが、びしょびしょの服を絞りなおして、干すために広げた。
その時、彼女は「あっ!」と声を上げた。アフタルは驚いてふり返る。
「ミーリャ? どうかしましたか?」
「シャールーズさん!」
ミーリャは服を鷲掴みにしたまま、シャールーズに詰め寄った。
「『さん』づけで呼ばれるのも新鮮だな」
「そんなこと、どうでもいいです! この服、カシア語で『カイ』って縫い取りがありますけど」
「ああ。俺を助けてくれたのが、カイだ。それは兵士服だな」
「熊みたいに大きな人でしたか? カイは今どこに? 元気でしたか?」
次々にミーリャにまくし立てられて、シャールーズは困ったように頭を掻いた。
大きく見開かれたミーリャの瞳。化粧っけはないが、確かに見覚えのある顔だ。
「熊は合っている。元気そうではあった。だが、もうここにはいねぇ。馬車が来る頃だと言って出かけたな。ほんの少し前のことだが」
「どうして? 行き先はどこですか?」
ずんずんとミーリャが迫っていくから、とうとうシャールーズは川辺まで下がった。
「カイは、仲間を助けに行くと言っていた」
その言葉に、ミーリャは踵を返した。
「おい、待て。女が一人で乗り込める場所じゃねぇぞ」
「分かってます。でも、放っておけないもの!」
ミーリャはスカートの裾を翻して走った。泥を跳ね飛ばしながら、通りへ出て駆けていく。
「ラウル。追ってください」
「御意」
アフタルの命令に、ラウルはうなずくと両手を胸の前に掲げた。
「石よ、岩よ。我が友よ。その目を用い、網を張り、仮の主が求める者を追え」
ふいに、地面から糸が何本も立ちのぼる。
とても細い繊維のようだが、ピキッ……という硬い音を立てるそれは、糸状の石だった。
「行け」
ラウルが命じると、無数の石の糸はうねるように宙に放たれた。
「石の網か。俺にはできねぇ技だな」
細く長く、空に伸びていく石をシャールーズは見送る。
「さきほどは、あの石の網に助けられたんです。ね、ラウル」
「はい。姫さまが塔から落下なさった時は、身も凍る思いでした」
「ま、待て。それは聞いてねぇ」
シャールーズの顔が蒼白になる。
「話しませんでしたっけ?」
「初耳だ。っていうか、塔って見張りの塔か? あれは木が腐ってんだぞ」
「だから階段を踏み抜いて、手すりも脆かったんですね」
頷くアフタルの言葉に、シャールーズの口が開いたままになった。
「なんで勝手にそんな所に上がるんだ! おい、ラウル。どうして止めなかった」
「お一人でも大丈夫かと判断して」
「実際、大丈夫じゃなかっただろ!」
「あの、怒鳴られると気が散ります……」
ラウルの言葉は正論だったので、シャールーズは仕方なくといった様子で引き下がった。
「本当に大丈夫なのか、アフタル」
アフタルの両頬を、大きな手が挟む。顔を動かすこともできなくて、目で「うんうん」と合図するしかなかった。
「……心配させんなよ」
「ごめんなさい」
「捜しに来てくれたのは嬉しい。それは真実だ。けどな、お前が怪我をするくらいなら、俺のことなんか放っておいてくれていいんだ」
アフタルは、シャールーズの手にそっと指を添えた。
「……無理ですよ。そんなの」
小さく呟くと、伏せた瞼にシャールーズの唇が触れた。
「参ったな」
ため息のような言葉だった。
「これじゃ、なんのための主従か分からねぇ」
「立場が逆転してるのなんて、いつものことじゃないですか」
「それとは違う」
まただ。シャールーズの目つきが、とても真面目になる。
能天気な表情の裏側に、大事なものを失うことを恐れる心が垣間見える。
本人は隠しているのかもしれないが。深い喪失を経験したのかもしれない。
空に向かって伸びていた糸の束が、ビキッと硬い音を立てた。
「どうやら見つけたようです。行きましょう」
ラウルは立ち上がり、石を追った。