6-5 選択肢がおかしいです
扉に突き刺さった短剣は、ミトラが湖上の舟から投げつけたものだった。
水晶の柄に紙が結んであり、開いてみると『忘れ物よ』と書いてあった。
「どんだけ剛腕なんだよ。あいつは」
シャールーズがふり返ると、湖に面した木々の葉や小枝が地面に散乱していた。遠くに見える船から、ミトラが手を振っている。
しかも短剣は鞘がついたままだ。どれほどの力で投げれば、鞘付きの剣が刺さると言うのだろう。
「私が抜いておきます」
「まぁ、頼んだぞ。無理すんな」
ラウルの申し出を、シャールーズは受けた。
「ダメそうなら、そこの侍女にも手伝ってもらえ」
「私一人で充分です」
小屋の後ろから飛んでいたシャボン玉は、洗濯の途中だったらしい。
異変を察知して表に駆けつけてくれたようだが、そのせいで桶は粉砕し、洗濯物は放りだしたままだそうだ。
「とりあえず片づけてくる」
「わたくしも参ります」
歩きだしたシャールーズは背中が痛むようで、小屋の陰に入ったとたん、立ち止まってしまった。やはり無理をしてくれたのだろう。
矢傷も一つや二つではなかったはずだ。
「肩に手を置いてください」
アフタルが申し出ると、ラウルが慌てて駆け寄ってきた。
「姫さまでは無理です。身長差がありすぎますし、彼を支えることは難しいかと」
「まぁ、そう言うなって」
ラウルを手で制し、シャールーズはアフタルに寄りかかった。当たり前のことだが、体格のいい男性の体重をかけられて平気なはずがない。
アフタルはよろけて、壁際にしゃがみこんでしまった。
「ご、ごめんなさい。わたくしったら。やっぱりラウルに頼んだ方がいいですよね。呼んできます」
立ち上がろうとしたが、シャールーズに腕を掴まれて、動くことができなかった。
「あの?」
「静かに」
「何か、異変でも?」
アフタルの問いかけに、シャールーズはうなずいた。
「そうだな、人が来たら困る」
「でも、さっきの剣は、ミトラ姉さまが湖上から投げつけただけですよね。たとえ王宮から追手が来たとしても、さすがにカシアまでは……」
最後の言葉は、発することができなかった。
シャールーズに唇を塞がれたから。
「……なっ」
「ほらな。人が来たら困るだろ」
しゃがみ込んでいる上に、シャールーズに覆いかぶさられている状態で、身動きが取れない。
「それとも、呼んだ方がいいか? 選ばせてやるぜ。呼ばなければ、二人だけでキス。呼べば、見せつけてのキスってとこか」
「そ、そんな二択、おかしすぎです」
「選ぶのは、アフタルだ」
シャールーズの背中が太陽を遮っているから、彼の顔は影に沈んでいる。
薄暗い中でも、彼の瞳だけは、とても真摯だ。
「俺がいなくて、寂しかっただろ?」
当たり前のことを聞かないでほしい。
分かっているくせに。どれほどあなたのことを好きか、知っているくせに。
(少しだけ、仕返しです)
アフタルは上体を伸ばして、シャールーズの耳元に唇を寄せた。
「……二人だけの方が、いいに決まっています」
吐息のように囁いてみる。
うまくいくかどうか、分からないけれど。
今までの自分なら、絶対に言わないような言葉を告げる。
しばしの沈黙が訪れた。ラウルとミーリャの話し声と、鳥の囀りが聞こえてくる。
次の瞬間、シャールーズがアフタルの肩に顔を埋めた。
近くにある彼の耳が赤く染まっている。
「え? どうしたんですか? 大丈夫ですか」
「もうダメだ」
「怪我が痛むんですか?」
アフタルはおろおろと、シャールーズの背中に触れた。まさか傷口が開いたのだろうか。
(ミトラ姉さまに、舟を岸につけてもらいましょう。ラウルに背負ってもらえば桟橋まで行けるでしょうか)
ふと、シャールーズの手が、アフタルの顎に添えられた。
「あの……今、ラウルを呼びます」
「呼ばなくていいと言ったのは、アフタルだ」
上を向かされたと思うと、再び唇が重なった。
しかも深く、何度も。
アフタルは思わず、シャールーズの腕にしがみついた。
「ほんの少し離れていただけなのにな。いつの間にか大人の女性になってたんだな」
「……わたくしは……ただ」
答えようとする言葉も、くちづけに奪われてしまう。
思考が閉ざされ、アフタルの瞳が潤む。
「他の誰にも見せられねぇ表情だな」
くすっと小さく笑われて、アフタルは顔だけでなく首も熱くなるのを感じた。
それに気づいたのか、今度は首筋にくちづけられる。
甘くて、痺れそうなキスだ。
「それと……俺をからかうなら、ちゃんと覚悟しておけよ」
「……はい」
情けないことに、かすれた声しか出せなかった。