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宝石精霊の溺愛  作者: 絹乃
6 カシア
30/62

6-4 会いたかったんです

 オスティアの道は、先日の雨でぬかるんでいた。サラーマのように石で舗装されておらず、水たまりにはボウフラが湧いているところもある。


「もうここに守り人はいないのでしょうか」


 国境を守る拠点にしては、衛生状態がよくない。

 店らしい看板も見えるが、どこも閉店している。


「こっちが兵舎ですね」


 ミーリャに案内された先には、木造の小屋が並んでいた。一見、倉庫のようにも見える簡素さだ。

 扉を開けようとすると、ラウルに制止された。


「私が先に安全を確認いたします。姫さまは、後で」


 どうやらアフタルを、塔に一人で上がらせたことを後悔しているらしい。ラウルが扉を開くと、中は乱雑に散らかっていた。

 かつてはここで生活していたのだろう。皿や鍋がテーブルに放置され、寝具代わりの毛布と毛皮が丸められている。

 次々と小屋を覗くが、どれも似たような有様だった。


「慌てて出ていったようにも、思えますが」

「そうですね。小屋自体は古いですが、毛布はさほど時を経ているとも思えません」


 アフタルは、ラウルに応じた。

 カシアは現在、サラーマともウェドとも戦争状態にはない。兵士が出征したという状況でもなさそうだし、とアフタルは考え込んだ。

 ふと、そのとき鼻先を石鹸の匂いがかすめた。


「人がいるみたいです」


 急ぎ足で進み、一軒の小屋の前で立ち止まる。隣接する小屋の軒と軒の間から、シャボン玉がふわふわと漂ってくる。

 風に乗った小さなシャボン玉は、まるで空に吸い込まれるように上がっていった。


「姫さまっ!」


 突然ラウルに肩を掴まれ、後方に体を引っぱられた。

 それまでシャボン玉を遊ばせていたそよ風とは違う。まっすぐに一陣の突風が吹き抜けた。

 風が鳴る。その時、人が飛び出した。


 バキッ! 激しい音を立てて、何かが粉々になった。飛び散っているのは、木片だ。どうやら砕けたのは桶のようだ。

 そして小屋の扉に、細いものが突き刺さった。足元にバラバラと木片が落ちていく。

 石鹸がつよく香った。


「あっぶねーな。何考えてんだよ、あの女」


 小屋の扉に短剣が刺さっていた。

 一瞬の出来事に、何が起こったのか分からなかったアフタルは瞠目した。


 陽光に煌めく短い金の髪、琥珀色の肌とやんちゃそうな瞳。

 愛しい人が、誰よりも会いたかった人がそこにいた。


「おい、怪我はないか。アフタル」

 

 会いたくて、たまらなかった。

 なのに返事ができない。声が出てこない。


「ちょっと、まじで大丈夫かよ。険を投げた奴を、ぶん殴ってこようか?」


 アフタルの両肩を、大きな手が包み込む。ぶんぶんと体を前後に揺すられても、まだ応えることができない。

 信じていた、大丈夫だと。生きてることを、疑うこともなかった。

 でも、そうしないと。自分の心が折れてしまいそうで。


「ふ……ふっ、うううっ……ううっ」


 少し痩せたその人の姿が、滲んでぼやけて、ちゃんと見えなくなる。

 ぼろぼろとアフタルは涙の粒をこぼした。地面に落ちた涙は、すぐに土に吸い込まれてしまう。


「な、なんで泣いてんだ? おい、ラウル。お前、ちゃんとアフタルを守ってたんだろうな」

「……ゔ……っ」


 ラウルは両手の拳を握りしめ、歯を食いしばっている。けれど、堪えようとしても涙がぽたりと落ちる。


「ちょっと待て。ラウルまで泣く理由が分かんねぇ」


 おろおろするシャールーズに、アフタルはしがみついた。

 しっかりと抱きしめて、そのたくましい胸に顔を埋める。

 離れていた日々は長くはない。なのに、こんなにも懐かしい。


「泣くなってば。ほら、ちゃんと俺はいるだろ?」

「います……けど、いませんでした」

「もう離れねぇからよ」

「そんな約束、あてになりません」


 ぐずぐずと泣きながら訴える声。シャールーズは困ったような表情を浮かべたが、その瞳はとても穏やかで優しかった。

 アフタルの背中に回された手が、ためらいがちに動くから。またアフタルは、シャールーズをぎゅっと抱きしめる。


「これからも俺は、自身よりもアフタルの安全を最優先させるぜ?」

「いやです! あなたが一番じゃないと困ります」

「そんな守護精霊がいるかよ」


 困った奴だな、と耳元で吐息のように囁かれた。

 なぜかその声は甘く、耳がくすぐったい。


「でも、嫌いじゃない。聞き分けのいいアフタルよりも、我儘を言ってくれた方が好きだぜ」

「どうして?」

「他の奴には我儘を言いそうにないからさ。俺は特別ってことだろ。こんな風に抱きついてくるのも、俺だけにだもんな」

「……うっ……ううっ」


 込み上げてくる感情が、自分でもわからない。

 会えてうれしいのに、恥ずかしくて。アフタルは思わずシャールーズから手を離しそうになった。


「ダメだ。そのまま抱きついとけ」

「め、命令ですか?」

「そうだ。アフタルの最愛の守護精霊さまからの命令だ」


 忘れていた。こういう人だった。

 恥ずかしさに、かぁぁっと顔が赤くなる。

 ラウルは手の甲で涙をぬぐいながら、いつの間にか平静な表情に戻っていた。


「なんだ、ラウル。お前も抱きつきたいんじゃなかったのか?」

「そんなはずは、ありません」

「アフタルの次なら、少しくらい構わねぇぞ。特別に時間を割いてやる」


 ラウルは唇を引き結ぶと、シャールーズに背中を向けてしまった。


「あなたのような人でも、死んでしまったかもしれないと思うと美化してしまう自分が恐ろしいです」

「へぇ、どんなふうに美化してたんだよ」

「知りません」


 シャールーズは笑った後、アフタルとラウルの二人を、とろけるような眼差しで眺めた。


「約束してただろ、アフタル。手当てしてもらうって」

「はい」


 アフタルはうなずいた。


「まだ間に合うか?」

「いつでも……いつまでも約束は有効です」


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