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宝石精霊の溺愛  作者: 絹乃
6 カシア
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6-2 湖を渡ります

 国境を越えるというアフタルに、ラウルとミーリャがついてくることになった。

 離宮を出ると、湖まではすぐだ。

 林に入ると波の音と水の匂いを感じた。


「海のような潮の香りとは、また違うんですね」


 ラウルが遠いまなざしをする。


「早く乗って。対岸まで送るわよ」


 湖畔の杭に泊めてある舟の舳先に、ミトラが立っている。腕を組んで、たいそう勇ましい。小舟よりも軍艦が似合いそうにも思う。


「ミトラ姉さま、舟を漕げるんですか?」

「離宮に来るたびに、舟遊びしていたのよ」


 きらめく湖面を、すべるように進む小舟。舟のへりから手を差し伸べて、冷たい水に触れる……なんて、優雅な遊びを想像したが。


「出航―っ。行くわよ」


 どばばばば! 人……じゃないけど、とても人力とは思えないほどの力強さでミトラは櫂を動かした。

 顔にかかる水飛沫。上下する舟、いやむしろ空中に浮いては湖面に叩き付けられている。そのたびに胃が浮き上がる気がする。


「ね、姉さま。もっと……静かに」

「しゃべると、舌を噛むわよ」


 なぜかミトラは「あはははは」と笑いながら、舟を漕ぐ。

 速い。速すぎる。湖畔の風景は、まるで飛んでいくように後方に流れていく。岸辺で釣りをしている人が、ぽかんと口を開けてミトラの舟を見送っている。


「やっぱり馬よりも、自分の力で進むってのが、いいわよねー。ほら、動物に遠慮しなくて済むじゃない?」


 人間にも遠慮してください。


「動物愛護は大事だものね」


 人間も愛護してください。


 三王国の湖は大きいのに。あっという間に対岸に到着した。


「ウェドじゃなくて、カシア側でいいのよね。ミーリャ」

「はい、ミトラさま」


 なぜかミーリャはけろりとしている。

 アフタルとラウルは、気持ち悪さに舟を下りてもしゃがみこんでいた。


「……地面が揺れている気がするんですけど」

「奇遇ですね、アフタルさま。私もです」


 帰りは遠回りになっても、陸路で帰ろう。来た時よりも、激しく跳ねながら戻っていく舟を見送りながら、アフタルは心に決めた。


 ようやく落ち着いたアフタルは、ラウルに地図を出してもらった。

 ミーリャは地図を読むのが得意とのことなので、何処へ行けばいいのか確認してもらう。


(そういえば、ヤフダ姉さまから本を渡されていましたっけ)


 平易な会話本を、アフタルは荷物から取り出した。


『簡単カシア語会話。これであなたも侵入者』

『簡単ウェド語会話。これであなたも侵犯者』


 なんと直接的な書名なのだろうか。

 二冊の本の奥付を見ると、著者や製本所の情報の他に、見知った名前と住所があった。


「このキラドという名は、ロヴナの父上のことですね」


 どうやら発行者として、ロヴナの父親が関わっているらしい。国を越えて商売をするのは、貿易商としては普通かもしれないが。手広く商売をしているようだ。


「キラド家は、カシアやウェドとも武器の売買をしていますよ」


 アフタルの手元を覗きこんで、ミーリャが教えてくれた。しゃべっていなければ、寝ているのか起きているのか分からない目の細さだ。


「そうだったのですか?」

「はい。だから、あたしは反対でした。姫さまが、キラド家に降嫁なさるのは。あの家の息子が、別の女性にうつつを抜かしたのは、かえって良かったのではないかと思います」


 一瞬、ミーリャの瞳が大きく見開かれた。

 それまでのおとなしくて、おどおどした彼女とは一変して、芯の強さが垣間見えた気がした。

 日々、顔を合わせているのだから、どこかで会ったような……という言い方は変だが。誰かに印象が重なる気がした。


「恥ずかしいです。わたくしは、キラド家の実情も知らずに、ただ王家のためになればと……迂闊でした」

「ですが、姫さまの嫁ぎ先をお決めになったのは、前王では?」


 ラウルの問いかけに、アフタルは瞼を閉じた。

 嫁ぎ先の候補はいくつもあった。有力だったのは、ウェド王家だ。

 だがその話は流れた。

 思えばおかしな話だ。ヤフダとミトラは王家の守護精霊なのだから、政略結婚に適しているのはアフタルしかいない。

 父は、姉二人が自分の娘でないことを知っていたからこそ、姉には結婚の話がなかったのに。


 ふいに、ひんやりとした感触を、眉間に感じた。驚いたアフタルは、目を開いた。

 ちょうどラウルが人差し指で、アフタルの眉間に触れているところだった。


「力がこもっています」

「えっ?」

「……済みません、つい。姫さまは、殿下ではいらっしゃらないのに」

「ありがとう。心配してくれているのですね」


 ティルダードが悩んでいる時にも、よくそうしているのだろう。微笑ましい反面、やはりラウルにとってもティルダードにとっても、お互い離れていることは寂しくつらいに違いない。

 早く王都に戻れるようにしなければ。


「わたくしの嫁ぎ先を決めたのは、お父さまとエラ伯母さまです」


 次に眉間にしわを寄せたのは、ミーリャだった。

 木々の葉を透かした光が、ミーリャの顔に緑の色を落とす。

 不健全で不健康な色だった。


「お父さまは、わたくしをウェドの王家に嫁がせたかったようですが。伯母さまが反対されたとかで、実現には至りませんでした」


 財政的に厳しいからと、納得してロヴナと婚約したけれど。今なら身分違いの婚約話がいとも簡単に進められた理由が分かる。

 もしアフタルがウェドに嫁いでいたら。ウェドの王家を巻きこんで、サラーマに内政干渉する可能性があったからだ。


「では、あの退廃的な男が婚約を破棄してくれたのは、むしろ幸運であったと言えますね」

「ええ。商人の妻という立場では、王族である伯母さまに対して物申すことができませんから」


 ラウルにはそう答えたが、アフタルは顎に指を当てて考え込んだ。

 幸運。それだけで済ませていいのだろうか。


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