5-6 遥かシンハを離れて(3)
「まさか、あいつ。山に行ったのか」
シャールーズは血の気が引いた。
嘘だろ。なんでそんな真似をするんだよ。それもよりによって、今日かよ。
「お、俺……俺、行ってくる」
「待て。シャールーズ。そなたまで噴火に巻き込まれるぞ」
「でも、放っておけねぇよ。あいつ、俺のせいで山に」
立っているだけで膝ががくがくと震える。
自分の何気ない一言が、まさかラウルを追い込むなんて。
シャールーズは神殿を飛び出した。
神殿近くは草も木も多いけれど、山を登ると辺りはごつごつとした赤茶けた岩ばかりになる。
見上げる空には、灰色の噴煙がそびえ立って見える。
また噴火の音が聞こえた。
「うわっ」
激しい風にあおられて、シャールーズは地面に這いつくばった。
バラバラと降ってくるのは噴石だ。かなり大きな石もある。それらは地面にめり込んだり、山を転がったりしている。
「ちくしょう。大丈夫かよ、あいつ」
硫黄のにおいは濃厚で、息苦しくなる。
「おい、ラウル! いるなら返事しろ」
喉が痛くなるほどに大声で叫びながら、シャールーズは進んだ。
「……いるよ、ここに」
かすれた声が、かろうじて耳に届いた。
見れば、岩の陰に縮こまって隠れるラウルの姿があった。
「なにやってんだよ、お前!」
シャールーズは急いでラウルの元へと走った。
「う、うう、うわああん」
盛大に涙を流しながら、ラウルが岩から飛び出してくる。
その時、暗い影がラウルの姿を隠した。岩のように大きな石が、空から降ってくる。
「バカ! 隠れてろ」
泣きながらしがみついてきたラウルを、シャールーズはしっかりと抱きしめた。
片手を上げて、意識を集中する。
二人の周囲をシンハライトの結界が包んだ。
深い琥珀色に閉ざされた空間。けれどそれも一瞬だった。
巨大な岩がぶつかり、結界にひびが入る。
「次の噴火が来る前に、山を下りるんだ」
「シャールーズは?」
「俺が力を抜いたら、二人とも岩に潰されちまうだろ」
「やだっ!」
「抱きつくな。男なら泣くな。俺もすぐに山を下りるから」
そう嘘をつかないと、ラウルは納得しそうになかった。
いつまで力が持つか分からない。ここで二人とも潰されるわけにはいかないのだ。
(そんなことになったら、おばさんが悲しむもんな)
ぐずっているラウルの背中を、思いっきり蹴とばす。
うわぁぁぁん、と泣き叫びながら、ラウルは走って行った。
(これでいいんだ。あいつはいい石だから、俺みたいに地味じゃねぇから。きっと素晴らしい主に迎えられるさ)
ああ、でも主とやらに会ってみたかった。
自分の命に代えても相手を守りたいと思う、それほどの深い心。それってどんなだろう。
結界が砕け、きらめく破片が降ってくる。
これまでだ。
子どもなど容易に押しつぶす岩が、シャールーズに迫ってくる。
「ラウル。お前は西に行くんだぞ」
シャールーズの頭上で、岩が砕けた。粉砕された岩は一瞬にして小石交じりの砂となり、したたかにシャールーズを打ちつけた。
髪についた砂を払いながら見上げると、眼前に天の女主人が立っていた。
「そなたも行くのだと申したはずだ」
「おばさん!」
「無茶をしおって。さぁ、ラウルと共に港に向かえ。ちょうどサラーマへの交易船が入ってきたところだ」
「船? 俺らが乗るのか」
「キラドという男に任せよ。サラーマの王宮へと連れて行ってくれる。あと、この子らをそなたに託す」
女主人は、それぞれ布に包んだ二つの宝石をシャールーズに手渡した。
「幸せになるのだぞ」
「おばさんは? 一緒に行かないのか?」
「私の住処は天と、流れ着いたこの島に建てられた神殿だ。他の地に行っても、そこに私を信仰する者がいなければ、この身は儚く消えてしまう」
「俺たちが信じてる」
シャールーズは、女主人に抱きついた。だが彼女は静かに首をふる。
「そなたらは人ではないのだよ。私に属する者、いわば家族だ。大事に思ってくれるのは嬉しいが、共倒れになることを私は望まぬ」
「もしかして……もう、お別れなのか?」
二度と会えないのか、という言葉をシャールーズは飲みこんだ。
「そうだ。なぁ、シャールーズよ。神と宝石の共通点が分かるか?」
「……金がかかること」
ぷっと女主人は、笑った。
噴煙はなおも高く上がり、その暗い煙の中を走る雷も見える。
「確かにな、そなたらは高い。私も神殿だの供え物だの、金はかかるな。だが不正解だ」
「なんだよー」
「正解は、人の思いがあってこそ存在できるということだ。きらめく石を、人が綺麗と思ってくれるからこそ、そなたらは宝でいられる」
また噴石が飛んできた。
大量の石から守るように、女主人がシャールーズを抱きしめる。その背で無数の石を受けながら。
「は、離せよ。おばさん。怪我するぞ」
「そなたのために負う怪我なら、本望だ」
「なんでだよ。俺がおばさんを守るからさ」
「違うぞ、シャールーズ。そなたが守るのは、まだ見ぬ主だ。その人のために、健やかでありなさい。こんな所で負傷してはならぬ」
背中に受け続ける痛みをこらえ、女主人は歯を食いしばっている。
それでも足を踏ん張って、耐えている。
ああ、これが守るということなんだ。
自分よりももっと大事な誰かが、いるんだ。
守る相手がいることも、守ってくれる人がいることも。とても幸せなことで。だから、こんなにも胸が苦しくなるんだ。