5-3 動けねぇ
シャールーズは波の音で目が覚めた。どうやら古びた小屋の床に横たわっているらしい。
物置小屋のようで、風が吹きこんでくる。窓が開いているのではなく、壁の木と木の隙間があいてるのだ。
目許が冷たいと思ったら、なぜか濡れていた。
「どこだよ、ここ」
体を起こすと、背中に激しい痛みが走った。見れば、上半身裸の状態で包帯がぐるぐる巻きにされている。
「……手当てさせるって約束を、破っちまったな」
荒っぽく巻かれた包帯に、シャールーズは手を触れた。
アフタルは心配しているだろう。していないはずがない。
「参ったよな」
大きなため息をつくと、背中がひどく痛んだ。だが、アフタルの心はもっと傷ついているだろう。
「ちくしょう……」
壁に手をかけ、なんとか立ち上がりはしたが、一歩踏み出したとたん、目眩がした。
「離宮に行かねぇと。あいつが待ってるんだ」
大事な人と離れ離れになる辛さは、嫌というほど知っている。あんな気持ちを、アフタルに抱かせたくはない。
「ぜってぇ、たどり着いてやる」
床に置いてある双子神の長剣を支えにして、再び立ち上がる。目眩どころか、今度は吐き気だ。
何も食ってないのに、何を吐くのだろうと考えると、可笑しくなった。
天の女主人は、自分たちのことを人間っぽく創りすぎなんだ。
かろうじて扉の把手に手をかけた時、外から扉が開かれた。
「熊……かよ」
入り口にのっそりと立つ姿を見て、シャールーズは呟いた。
「熊、違う。カイだ」
「しゃべれる熊かよ」
「……カイと言っている」
カイと名乗った大男は、シャールーズのわきに両手をさしいれて持ち上げた。肩に担がれ、寝台代わりに毛皮を敷いた場所に戻される。
男に軽々と担がれる。それはなんというか、屈辱だ。
(ラウルに会ったら、謝っておくか)
「気が付いて、よかった」
カイはシャールーズに向き合うように、あぐらをかいて座った。
「あんたが助けてくれたんだな。感謝するぜ。ありがとうな」
「魚を捕りに舟から潜ったら、お前、いた」
ぼそぼそと低い声でカイは話す。やたらと体がでかくて、胸板の厚さや上腕の筋肉も服の上から分かるほどだ。
「あのさ、俺は離宮に行きたいんだが。ここからどっちに向かえばいいんだ?」
だが、カイは首を傾げるだけだ。
「離宮だよ、王家の。あるんだろ」
「行ったこと、ない」
「そりゃそうかもしれねぇけどさ。見たことくらいはあるだろ?」
またもカイは首を傾げる。
「参ったな……波の音が聞こえるから、湖の近くなんだろ、ここ。三王国の湖って、そんなにでけぇのかよ」
「三王国。カシアにウェド……それとサラーマ」
「そうそう」
毛皮の上に腰を下ろしたシャールーズは身を乗りだしたが、背の痛みにうずくまってしまった。
「眠っていろ」
「いや、平気だから」
「眠れ」
力任せに横たえられる。
なんだ、これ。怪我のせいで力が入らないからか? それともこいつが怪力なのか?
あまりにも簡単にあしらわれて、シャールーズは唇を引き結んだ。
「ん? お前さ、三王国って聞いたときにまずカシアを先に口にしたよな」
「カシア、ここだ」
「なんてこった」
シャールーズは横になったまま頭を抱えた。溺れて助けられたついでに国境を越えちまったのか。
そういえばカイの言葉は、サラーマ語ではあるが片言だ。
「カシアの辺境、あー、防衛拠点? オスティア」
「なるほど国境の湖だからな。けどよ、防衛拠点にしちゃ、えらく静かじゃねぇか?」
兵士が常駐しているならば、もっと話し声や生活音などが聞こえてくるものだ。
だが、木々の葉擦れの音や鳥のさえずり、波音くらいしか音がない。
人の気配を感じないのだ。
「オスティアの兵、連れ去られた」
「どこに? あんたみたいな屈強な奴らなら、対抗出来るだろ」
「……女神の命、逆らえない」
カシアは確か神を信じない国じゃなかったか?
考え込むシャールーズの顔を、カイが覗きこんできた。瞬きもせずにじっと見つめられるから、穴が開きそうだ。
ぺらぺらとカイが何かをまくし立てる。きっとカシア語なのだろう。とても流暢に話す。だが、さっぱり聞き取れない。
今まであまりにも自然で疑問にも思わなかったが。故郷の島で使用していた言語は、サラーマ語だ。
(古くからシンハとサラーマは交易が盛んだったからか?)
謎だ。アフタルなら明確な答えをくれるかもしれないが。
(あいつも謎だよな。か弱くて儚く見えるのに、いざとなれば頼もしいっつうか、強いからな)
双子神の片割れを、アフタルは持っていてくれるだろうか。双子は、呼び合ってくれるだろうか。
自分が無事であることだけでも、彼女に伝えたいのに。
その時、太くて無骨な指がシャールーズの眉間を押した。
「また、泣きだしそうだ」
「は? 俺が?」
「寝ている時、お前、泣いていた」
「……マジかよ」
涙を流したのなんか、何年ぶりだよ。 ああ、九十八年だったっけか。そりゃあ、久しぶりだ。