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宝石精霊の溺愛  作者: 絹乃
5 三王国の湖
21/62

5-2 会いたくもありませんが

 焚き火の煙を見て、迎えに来てくれたのはミトラだった。


「ラウル。アフタルをお願いね」

「はい。姫さま、私がお連れいたします」


 シャールーズほど軽々とではないが、アフタルを横抱きにしてラウルは草むらを進んだ。

 彼の肩ごしに、鏡のような湖面が見える。きっとシャールーズは助かっている。自力で泳いで岸に上がっているに違いない。今はただ、戻ってこられないくらい疲れ切っているのだ。そう考えないと、そう信じていないと……心が折れてしまいそうだ。

 小刻みに震えるアフタルの肩、ラウルはそれを知っていたが、気付かぬふりをした。


 離宮は王宮ほどには大きくはないが、白く瀟洒な建物と湖から水を引き入れた美しい回遊式の庭園がある。

 庭は古い時代の遺跡でもあり、池の端には朽ちた柱が並び、女人像が水面を見下ろしている。

 庭を見たラウルは、はっとした表情を浮かべた。


「……ここが、サラーマ王家の離宮なのですか」

「ええ。ラウルは初めて訪れますね」

「あの像は、何ですか? 列柱のところの」


 池のほとりの女人像に、ラウルは視線を向ける。想像上の動物だろうか。鼻の長い生き物が、女人像に寄り添っている。


「プリミゲニアの像です」

「女神ですか?」

「おそらくは。ただプリミゲニアというのは、始祖という意味なので。実際どの女神なのかは明らかになっていません。サラーマは多神教の国です。それぞれに信じる神が違うということは、時代を経れば忘れられる神もあるのです」


 かつてはプリミゲニアの像も、美しい白亜であったかもしれない。

 今はくすみ、古色蒼然とした像でしかないが。

 宵闇が降りる空を、白い鳥が飛んでいる。巣に帰るのだろうか。


 正妃パルトは、広間でアフタルを迎えてくれた。

 実の息子であるティルダードを連れてくることができなかったのに、正妃は決してアフタルを責めることはなかった。むしろ「あなたが王宮を逃れることができてよかった」と、抱きしめてくれたのだ。

 正妃の傍らに控えるヤフダは、これまで見たことがないほどに穏やかな表情をしていた。


 夕食を終え、自室に入ったアフタルはベッドに腰を下ろした。

 サイドテーブルには、女官長が用意してくれた消毒薬の入った瓶や包帯が置かれている。

 馬車でアフタルを庇ってくれたときも、矢を背中に受けたときも、ちゃんと手当てをすると約束したのだ。

 きっとゾヤ女官長は、部屋を整えるのと同時に薬を用意してくれたのだろう。


「……嘘つき」


 アフタルの洩らした声は、震えていた。


 疲れて眠ってしまったのだろう。夜中にアフタルは目覚めた。

 天井が違うことに、自分がどこにいるのか一瞬分からなくなった。


「お目覚めでいらっしゃいますか」


 アフタルの顔を覗きこんできたのは、ラウルだ。


「えっ。ここってわたくしの部屋ですよね」

「存じ上げております」

「どうして勝手に入っているんですか?」


 ラウルは屈みこんで「しーっ」と言いながら、唇の前で人差し指を立てた。


「離宮の庭に、人影を見ました」

「まさか。シャールーズ?」

「いいえ。残念ながら」


 ラウルは静かに首を振る。アフタルは落胆に肩を落とした。

 分かっている。あんな矢傷を負って、普通に戻ってこられるわけがないことを。


「門番はいないのですか?」

「正妃さまの護衛はおりますが。他に男性といえば、御者に庭師、下働きの者くらいだそうです」


 アフタルは寝間着の上からガウンを羽織り、長い髪を一つにまとめた。


「ミトラ姉さまと一緒に行きましょう。護衛とヤフダ姉さまは、正妃さまのお側に」

「了解いたしました」


 恭しく頭を下げ、ラウルは部屋を出ていった。

 アフタルは双子神ディオスクリの短剣を手にして、廊下へと出る。

 夜の静寂を破るように、離宮の扉を派手に叩く音が聞こえた。


「開けてください! 人を捜しているんです!」


 ホールへと続く階段を下りながら、アフタルとラウルは顔を見合わせた。


「人捜しに離宮へ? なんとも奇妙なことです」

「この声、聞き覚えがあります」


 アフタルは額を指で押さえた。

 懐かしいと言えなくもない、聞きたくもない声だ。


「ぼくの大事な人が、姿を消してしまったんです! こちらにいるはずなんです」


 けたたましく扉を叩く音。

 正妃についている護衛のうちの一人が、二階の廊下を駆けてきた。


「平気。あたしにまかせて!」


 護衛を押しとどめて、階段の手すりを滑り降りてきたのはミトラだった。

 細い手すりの上に立ち、あっという間に一階に到着だ。見事な平衡感覚としかいいようがない。


「ミトラ姉さま。さすがにそれはお行儀がよろしくないかと」

「うん。そう思ってね、淑女らしく手すりを跨いだりしなかったわ」

「……そこですか」


 ラウルがため息をついた。誰を相手にしても、彼は苦労性のようだ。


(まぁ、わたくしはそんなにラウルに心配をかけていませんよね)


 うんうん、とアフタルはうなずいた。


「あんた、誰よ! ここが王家の離宮であると知ってるんでしょうね」

「知っています。開けてください」

「名乗れって言ってんでしょ」

「ぼ、ぼくは、ロヴナ・キラドです」


 ドカッ!

 ミトラの蹴りで、重いはずの扉が勢いよく開いた。たぶんゆっくりと扉が開かれると思っていたのだろう。暗闇に、顔を押さえてしゃがみこむロヴナの姿があった。


「ア、アフタル! フィラを知らないか?」


 鼻を赤くしながら、ロヴナがアフタルの肩を掴む。だがすぐにアフタルの左右に視線を走らせた。


「あいつは? あの粗野な男は」

「少し席を外しているだけです。あなたほど粗野で乱暴な男性は、わたくしの知人にはおりませんが」


 ロヴナが、ほっと息をついた。だがすぐにミトラがロヴナに釘つき棒を突きつける。


「えっと、この女性は? 変わった護衛だね。えらく物騒だ」

「わたくしの姉、第二王女ミトラです」


 喉の奥にヒキガエルでも飼っているのかというような奇妙な音を、ロヴナが発した。


「あんたさぁ、なんで婚約破棄しておいて、何度もアフタルに関わるわけ? 別に王家はもうキラド家の交易に便宜を図ろうとも思わないし、あんたも誰と結婚しようが勝手だけどさ。今更、妹の周囲をちょろちょろされちゃ迷惑なのよ」

「フィラはこちらにはおりません。では失礼」


 アフタルはロヴナの眼前で、扉を閉めた。


「待ってくれ、アフタル。ぼくのフィラを返してくれ。君が彼女を隠したんじゃないのか?」


 扉を叩く音は、いつまでも止むことがなかった。


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