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宝石精霊の溺愛  作者: 絹乃
1 シンハライトの精霊
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1-2 誘拐されました

 キラドの邸の車寄せに、王家の馬車が停まっている。


「護衛がいないようですが」

「王宮から急な招集があったとのことで、先に戻りました。私に後を任せると」


 御者の説明に、アフタルは首を傾げた。普段ならば常に護衛がついているのに。

 何があったのだろう。


  最近、王宮は混乱を極めている。国民には知らされていないが、七か月前に王が崩御したのだ。

 事実を知っているのは王族と、宰相やごく一部の大臣とわずかな使用人だけ。

 いまだ、弔いの鐘は鳴らされていない。


 世継ぎの王太子はいるが、すぐに王として即位することは難しい。

 だからこそ、アフタルは結婚を急がねばならなかった。


 不思議と姉たちには、輿入れの話が持ち上がらないのだが。


(弟を……ティルダードを、わたくしやお姉さま方で守ってさしあげないと)


 さらに彼の母親の正妃は、体を壊して寝込んでしまっている。

 無理もない。

 不幸は重なるもので、王亡き後、王家の宝であるダイヤモンドが失われてしまったのだから。

 氷河の蒼を思わせる、ひきこまれそうなアイスブルーのダイヤモンド。アフタルも一度だけ、見たことがある。

 その石は、王家を守護するのだと伝えられている。


(どうしてこんな悪いことばかり)


 キラド家との繋がりが断たれるのは、今の状況ではかなり厳しい。

 大商人とはいえ、キラド家は王家と釣り合いの取れる身分ではない。

 だが現在は、平時ではない。


 傾いた国を立て直すためには、財源が必要だと伯母が勧めたこの婚約。

 それが一方的に破棄されたなどと、とても伝えられない。


 馬車に乗ったアフタルは、懐にねじ込まれた小箱を開いた。

 慰謝料と言われたけれど、受け取りたくはない。また正式に返却しなければ。

 今アフタルが返したとしても、ロヴナはきっと逆上するだけだろう。


「まぁ。なんて、きれいなの」


 箱の中を確認したアフタルは、思わず吐息をもらした。

 布の上には一粒の宝石が載っていた。


 褐色と金が混じったような色合いの、澄んだ石だ。

 派手さはないし、人によっては地味だと興味も示さないかもしれない。でも、とても上質な美しい石であることは分かる。

 きっとロヴナは、この宝石を大事にしないだろう。


「捨てられたり、顧みられないのは忍びないです」


 アフタルは小さな宝石を、指先でそっと撫でた。


「俺をここから出したいか?」

「はい?」

「いいぜ。お前が望むなら、いつでも傍にいてやる」


 馬車の中には、アフタル一人しかいないのに。男性の低い声が聞こえた。

 前方を見ても、御者が話しかけている様子はない。


「空耳でしょうか」


 ロヴナとフィラのことがショックで、混乱しているのかもしれない。

 その時、馬車が急に角を曲がった。

 スピードを上げて走る馬。アフタルの体は上下に揺さぶられて、長い金髪が乱れる。


「どうしたのですか?」

「姫さま。しっかりと掴まっていてください。賊に追われています」

「賊?」


 こんな街中で? アフタルは後ろを見ようとした。


「おやめください。お付きの者もおらず、姫さまがお一人で乗っていらっしゃるとばれたら、どうなることか」

「どうって……」

「誘拐される可能性もあります」


 そんな。血の気が引くのが分かった。


「お願い、逃げ切ってください」


 御者は「当然です」と告げると、馬に鞭をふるった。

 古代の遺跡である水道橋をくぐり抜け、馬車は土煙を上げてひた走る。

 どこをどう進んだのか分からない。外を見る余裕なんてないし、頭をぶつけないように身を屈めているしかなかった。


 だから信じていた。王宮に戻れるのだと。

 それがどんなに甘い考えであったのか、アフタルが気付いたのは、馬車が停まってからだった。




「へーえ。これが第三王女か」


 派手な音を立てて、馬車の扉がこじ開けられる。

 太く毛むくじゃらな手が、アフタルの髪を乱暴に掴んだ。

 痛みにアフタルは顔をしかめた。


「売れば相当の値がつくんじゃねぇか?」

「ばーか。見てみろ、胸にも尻にもたいして肉がついてねぇだろ。誰がこんな貧相なのを抱きたいっていうんだ」

「それもそうか」


 下卑た笑い声に、けたたましいカラスの鳴き声が重なる。


「きゃあ!」


 アフタルの体は、馬車から引きずり出された。ぬかるんだ地面に倒れ、手もドレスも泥だらけだ。


「御者は? 大丈夫なんですか?」


 前方を見やるが、さっきまで御者が座っていた席は空だ。


「おいおい、他人の心配なんかしている場合じゃないだろ。そもそもお前を売ったのは、あの御者だぞ」

「いい加減なことを言わないでください!」


 アフタルは二人の大男を見据えた。

 たとえ泥まみれの地面とはいえ、座っていてよかった。もし立っていたら、恐ろしさで膝が震えているに違いない。


 サラーマ王家の花は蓮。

 たとえ泥の中にいたとしても、凛と気品を保って咲き誇る蓮の花であれと、今は亡き父王やお妃さまから教えられている。


「おとなしそうな顔をして、気丈なもんだ」


 アフタルの顎に手をかけて、男が顔を近づける。酒臭い息に、気分が悪くなる。

 男の息と体臭に混じるのは、えた腐臭。

 空が暗くなるほどに多いカラス。その羽ばたきは、澱んだ空気をただかき混ぜるだけだ。


(ああ、ここは闘技場なのですね)


 サラーマ王国は闘技が盛んだ。現在では主に闘犬や、牛同士が争う闘牛だが。古代には人と猛獣を戦わせたり、人を争わせたりという見世物があった。

 どちらかが亡くなるまでが勝負。それは人と人の戦いでも同じこと。


「おい、急げよ」

「ああ、そうだな。もう時間だ」


 男たちはうなずきあうと、アフタルを肩に担いだ。


「何をするのです。下ろしなさい」

「おいおい、我儘言わんでくれよな。下ろしたら逃げるんだろ? あんたの代金はもう貰っちまってんだ。こっちも金額分は働かないとな」


 ぐへへ、と下卑た笑いを洩らしながら、男は闘技場へと入っていく。


「最近は、なんでだか王家の取り締まりもゆるくてな。古代みたいに剣闘士も復活してよ。楽しみも増えたってもんよ」

「そうそう。この間の少年とライオンの戦いは良かったな。まぁ、ちぃと最期がえげつなかったが」

「吐いてる女もいたからな。まぁ、懐古主義っつうか、それも含めて風情ってもんだ」


 男たちはアフタルを肩に担ぎ上げ、闘技場の中へと入った。

 一度、闘技を見に来たことはある。二人の姉ヤフダとミトラ、そして弟ティルダードと一緒だった。

 あの時は王家専用の入り口と、観覧席だったが。男たちは薄汚れた通用門を入っていった。


 奥の広間に運命の女神、フォルトゥーナの像があった。右手に舵、左手に豊穣の角を持つ石像だ。女神の足元に、力なく座りこむ剣闘士たちが見えた。

 誘拐犯の言ったとおりだ。


「場違いな娘が来やがった」


 剣闘士はどろりとした目で、アフタルを一瞥する。戦いに倦んでいるが、戦わねば命がない……その疲労感が辺りの空気を重くしている。


「場違いじゃねぇぜ」


 ふんっ、とアフタルを担いだままの男が鼻息を荒くした。


「出し物が変更になったのさ。確か豹がいたよな。あれを使うか」


 楽し気な男の言葉に、剣闘士たちに緊張が走った。

 皆、憐みの瞳でアフタルを見つめては、深いため息をつく。神に祈りを捧げる形に手を組む者もいる。


(わたしが……見世物になるということなの?)


 絶望で目の前が暗くなる。


「その子には、ちゃんと扱えんだろうが。せめて盾と剣くらいは持たせてやってくれんか」

「はぁぁ? この女は剣奴けんどじゃねぇんだ。剣なんざ重くて、持ち上げることもできんだろうさ。ムダ、ムダ」


 アフタルは言葉もなかった。

 誘拐されて身代金を要求されたり、王家が隠している王の崩御について明らかにしろと脅されるのだと思っていた。


(甘かったのですね。わたくしを殺すのが目的だったのですね)


 今日は人生で最悪の日だ。



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