表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
宝石精霊の溺愛  作者: 絹乃
4 離宮へ
15/62

4-1 鐘が鳴りました

 アフタルは庭で調べ物をしていた。

 古サラーマ語は難しいので、第一王女のヤフダも付き合ってくれている。

 大きな池に面したあずまやの机に本を積み上げ、熟読していく。

 この本は女官長のゾヤに手伝ってもらい、用意したものだ。


 アフタルの教育係でもあったゾヤは、今は女官長として仕えてくれている。母が生きていたなら、同じくらいの年だろうか。

 早くに母を喪ったアフタルにとって、ゾヤは母親のような存在だ。


 池の畔では、なぜか第二王女のミトラとシャールーズが、剣のようなものを打ち合っている。

 いや、正確にはミトラが持っているのは釘を打ちつけた棒だ。


「シンハライトの精。あんたがアフタルにふさわしいか、見極めてあげるわ」


 ミトラはそう叫んで、シャールーズに襲いかかった。くせの強い赤毛と、スカートの裾を揺らしながら。ミトラとヤフダは母親が同じなのに、不思議なくらい髪色が全く違う。


「あっぶねー。俺を殺す気かよ」

「聞いたわよ、ラウルから。あんた、公衆の面前でアフタルに恥ずかしいことをしたそうじゃないの」

「あー、契約だからしゃあねぇよな」


 ガスッ!

 釘つき棒が、地面の土をえぐる。


「お前、なんで王女なんかやってんだよ」


 剣を持ったシャールーズは、肩をすくめた。


「ヤフダ姉さま。ミトラ姉さまを止めなくて大丈夫でしょうか」

「平気でしょう。それよりも厄介な人が来ましたよ」


 アフタルの隣に座っていたヤフダが、立ち上がった。きっちりと結い上げた黒髪、目の覚めるような青い瞳に警戒心が宿っている。

 カツカツ……と足音を立てながらやって来たのは、伯母のエラだった。


「あら、三姉妹で遊んでいるなんて呑気だこと。今、サラーマが大変な時だというのに」


 アフタルやティルダードによく似たエラの金髪は、うなじが見えるほどに短い。

 今は亡き王の姉のエラは、カシアに嫁いでいたが、夫と死別して今はサラーマに戻っている。


「アフタル。聞いたわよ。大変だったそうね」

「え、ええ。エラ伯母さま」

「婚約破棄された上に、御者に売られたそうじゃないの。本当に無事でよかったわ」


 椅子から立ち上がったアフタルを、エラがぎゅううと抱きしめる。


「あの、誰からお聞きになったんですか?」

「ティルダードの護衛よ。あの子も闘技場で危ない目に遭うところだったそうじゃない。王太子ともあろうものが、お忍びで出かけるなんて。本当に恐ろしい」

「護衛って、アイスブルーの瞳のラウルさんじゃないですよね。あの方はお目付け役のようですし」

「お目付け役?」


 アフタルの言葉に、エラは片方の眉を上げた。


「馬鹿言っちゃいけないわ。あんなどこの馬の骨とも分からない男を、ティルダードはやすやすと信じて。あのラウルという男、貴族ですらないと聞いたわ。あなたも気をつけなさい。よく知らぬ下賤の者を王宮に入れてはダメよ」


 エラはそう告げると、シャールーズとミトラを睨みつけた。

 エラは、ヤフダやミトラのことをあからさまに無視する。正妃の娘である二人を軽んじて、側室の娘でしかないアフタルを気にかける理由が分からない。


「身元のはっきりしないティルダードのお目付け役に、不審者のようなあなたの護衛。気をおつけなさい、アフタル。この王宮を怪物の住処にしてはいけませんよ」

「怪物だなんて。シャールーズは……」

「アフタル!」


 伯母に反論しようとするアフタルを止めたのは、シャールーズだった。


「何も言わなくていい」

「王女に向かって失礼な口をきくのね、その者は」


 では、失礼とエラは短い髪をかきあげながら去っていった。

 エラを守るように、長髪の騎士が隣に立つ。近衛騎士団長のアズレットだ。

 銀の髪をかきあげ、アズレットはシャールーズを一瞥した。



 不穏な雲が広がっていくのを、アフタルは感じていた。


 その時だった。

 ゴーン、ゴーン、ゴーン、と重い鐘の音が鳴ったのは。

 

「ど、どうして?」


 王宮で鳴る鐘に呼応するように、サラーマの王都で鐘が鳴り響く。

 王の崩御を告げる鐘だ。

 まるで王都自体が絶叫しているような音に、耳が痛くなる。

 それまで釘の棒を構えていたミトラが、立ちつくした。ヤフダも椅子から立ち上がり、瞼を閉じる。


「お母さまが、離宮で静養なさっています。ティルダードとともに、離宮へ向かいましょう」

「アフタル、いいわね。ティルダードを連れてきて。あんた、手伝いなさいよ」


 ミトラに命じられ、シャールーズは無言でうなずいた。


「どういうことなんですか? お姉さま方」


 ガツンッ! と激しい音とともにミトラが棒をあずまやの柱に打ち付けた。その赤い髪は燃えるような憤りを、暗い緑の瞳はやるせない怨嗟に満ちていた。

 こんなミトラを見るのは、初めてのことだった。


「エラ伯母さまに先手を打たれたわ」

「伯母さまの好きにさせてはなりません。アフタルとティルダードは、彼女にとって格好の駒なのですから」


 時が来たのだと、ヤフダは呟いた。




 これまで国王の崩御を隠蔽されていた民の怒りは大きかった。

 王宮の門には民が押しかけ、騒いでいる声が風に乗って王宮の奥にまで届く。


「ティルダード。返事をして」


 いまだ鳴りやまない鐘の音。アフタルは自身の準備はそこそこに、ティルダードを捜した。


「こっちにもいねぇぞ」


 シャールーズが手分けをして捜してくれるが、弟の気配はどこにもない。

 ヤフダとミトラは、馬車と御者の準備をしている。

 おかしな話だ。

 これだけ騒ぎが起こっているのに。大臣たちの姿を見かけない。

 ふとシャールーズが、アフタルを背後に隠すように立った。


「誰か来る」


 広い背中から顔を覗かせると、廊下を駆けてくるのはゾヤ女官長だった。


「姫さま。早く脱出なさってください」

「まだです。ティルダードを連れて行かないと」


 けれど女官長は首を振った。


「殿下は即位の準備があるとおっしゃって、エラさまがお連れしました」

「即位って、あの子はまだ十歳なのに」


 女官長は唇を噛みしめ、眉間にしわを寄せた。


「……エラさまが、摂政としてお立ちになるようです。議会の承認も得ていらっしゃいます」

「まさか、そんな」


 ゆっくり時間をかけて、あの子が育つのを待とうと。王族や大臣たちの考えは揃っていたはずなのに。

 見えない圧力に押しつぶされそうだ。

 アフタルは苦しさに、瞼を閉じた。


「エラってのは、そんなにまずい奴なのか?」

「エラさまは、元々サラーマの王族が精霊と関わることを、良しとされていませんでした。王が蒼氷のダイヤモンドと契約を結んでおられなかったのも、エラさまに配慮してのことです」

「けどよ、あの女はカシアに嫁いでたんじゃねぇのか」

「まさか、未亡人となりサラーマに戻ってこられるとは」


 ゾヤ女官長の口調は苦々しい。


「姫さま、現在の王都をどうご覧になりました?」

「とても乱れていました。闘技士といってましたが、サラーマにはいるはずのない剣奴けんど……奴隷の存在。それに神殿での……」


 神殿の小部屋でのことを思いだし、アフタルは拳を握りしめた。


「フォルトゥーナ女神を信ずる者にとって、聖娼とは、普通に行われていることなのですか?」

「いいえ」


 王宮に閉じこもっているアフタルと違い、ゾヤ女官長は外の世界をよく知っている。しかも年齢は、三十代後半か四十代くらいだ。

 その彼女が、聖娼など知らないと断言するのならば、秘されていた慣習が表に出てきたのだろう。

 ぞくりと、背筋を悪寒が走った。


(王が不在というだけで、こんなにも簡単に国は堕ちていくのものなのですね)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ