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宝石精霊の溺愛  作者: 絹乃
3 落ち着く喧噪
14/62

3-4 困るんです

 夜更けてもアフタルは本を読んでいた。もとは羊皮紙に古サラーマ語で書かれていた内容を、語学の得意なヤフダと文官たちが、現代のサラーマ語に翻訳してくれたものだ。

 こうして勉学に耽るのは、久しぶりのことだ。


「……キラド邸でフィラが話していたことは、間違いではなかったのですね」


 びっしりと書かれた文字を追っていたアフタルは、顔を上げた。

 フィラは確か、サラーマ王の祖先が呪術で政敵を倒したと言っていた。

 この本によれば、古代に三国の国境を接する湖で、ウェドと戦ったときに精霊の加護を受けたとある。

 ウェドは一神教の国、そしてカシアは神を奉じない国。どちらの国にとっても、多神教であり精霊と契約をするサラーマは認めがたいだろう。


「呪術……」


 なにか引っかかる。

 けれど答えはもやもやとした白い霧の向こうにあって、すぐにたどり着けそうにもない。

 その時、お腹がくぅーと鳴った。

 はしたない音に、アフタルは辺りをきょろきょろと見回す。

 調べ物をしているアフタルの邪魔をしないようにか、シャールーズはソファーにごろりと横になっている。


「聞こえてないぜ。盛大な腹の音なんか。飯なら、あそこに置いてあるぞ」

「……聞こえてるじゃないですか!」


 つかつかとソファーに歩み寄ると、アフタルはクッションを投げつけた。

 もちろん顔に命中するはずもなく、片手で受けとめられたけれど。


 夕食をとらずにいたアフタルのために、部屋には夜食が用意されていた。ミーリャという目の細い侍女が、運んできてくれたものだ。

 小麦の薄い生地の中に、羊肉や玉ねぎ、ハーブを炒めた物が入っている。

 飲み物はレモン果汁と蜂蜜がたっぷり入ったジュースだ。

 去年までは食事には、ワインが添えられていたものなのだが。


「本当に食べなくて平気なんですか?」


 アフタルはシャールーズに問いかけた。

 一人で食事をするのは慣れている。ティルダードと食事を共にすることは、たまにはあったが。姉のヤフダとミトラは偏食が激しいとの理由で、それぞれ自室で食事をとっている。


「腹が減ったら、アフタルを抱きしめるさ」

「……そういうのは、どうかと思います」

「なに言ってんだよ。俺の腕の中、好きだろ?」


 かぁぁー! とアフタルは顔が真っ赤に染まった。

 確かにシャールーズの腕の中にいると、安心できる。だからつい甘えてしまったけれど。

 改めて言葉にされると、とてつもなく恥ずかしい。


「嫌いなのか?」

「どうしてそんなゼロか百なんですか」


「んー」とシャールーズは、自分の顎を手で撫でた。あの大きな手が、自分の背中に回されていたのだと思うと、もう恥ずかしくて死ねる。


 アフタルは慌ててレモンジュースを飲んだ。そしてその酸っぱさに噎せてしまった。


「おいおい、大丈夫かよ」

「へ、平気です」


 顔を覗きこんでくるシャールーズを、手で制止する。

 ここまでアフタルの中に踏み込んできた人はいなかった。

 だから、どう距離を取っていいのか分からなくなる。


「ゼロか百って言ったよな。俺は『なんとなく好き』とか『嫌いじゃない』とかって曖昧なのはいやなんだよ」


 アフタルの隣の席に座り、シャールーズが顔を見つめてくる。

 その美しい瞳に、戸惑った表情のアフタルが映っている。


「覚悟決めろよな。俺はアフタルを選んだ。アフタルも俺を選んだんだろ」

「……はい」

「じゃあ、迷うことねぇな」


 シャールーズは柔らかく微笑んだ。

 本当にこういうのは困る。

 アフタルが再びグラスに手を伸ばそうとしたが、慌ててグラスを倒しそうになった。


「おっと」


 とっさにシャールーズがグラスを押さえてくれる。

 骨ばった長い指。そのせいか、アフタルが持っている時よりもグラスが繊細に見える。

 恋人のよう……いや、人と精霊が恋人になっているのだと自覚した途端に、羞恥に見舞われた。


「ご、ごめんなさい」


 照れてしまって、アフタルは両手で顔を覆った。


「謝るこたぁ、ねぇぜ。恥じらうのは、俺のことをすごく好きだからだろ? そうじゃねぇなら、嫌悪するよな」

「う……ううっ」


 正論すぎて、反論できない。

 こういう感情は、皆どうやって習うのだろう。どうやって慣れるのだろう。

 家庭教師はそんなこと、教えてくれなかった。これまで習った学問の中に、そんな項目はなかった。


「まぁ、落ち着け。もう噎せるなよ」


 グラスを受け取ろうとするアフタルの手は無視された。

 シャールーズはそのまま手を伸ばすと、グラスの縁をアフタルの唇に触れさせた。


「ほら、少しずつ飲めばいいから」

「じ、自分で飲めます」

しもべの仕事を主が奪ってどうするんだ」

「そうなんですか? 侍女にこんなことをしてもらったことは、ありませんけど」

「侍女は仕事で王宮に仕えているだけだろ。アフタルに忠誠を捧げた侍女がこれまでいたことがあるのか?」


 言われてみれば、そうかもしれない。

 アフタルは素直にグラスの縁に口をつけた。

 甘酸っぱいレモンジュースが、流れ込んでくる。

 こくり、とアフタルは一口飲んだ。ワインでなくて良かった。こんな状況で酔ってしまったら……大変だ。


「なーんてな」


 アフタルがジュースを飲むのを確認して、シャールーズが悪戯っぽく片目を閉じた。


「あんまり簡単に信じるなよな。冗談だぜ」

「え?」

「素直すぎるから、からかいたくなるだろ」


 今度は盛大に噎せた。そして咳きこんだ。

 行儀が悪いが、アフタルは椅子に座っていられなくなり、床にへたり込んでしまった。


(信じられない!)


「おいおい、大丈夫かよ」


 シャールーズがアフタルの側にしゃがみ込んで、背中を撫でてくれる。

 それでもまだ咳は止まらない。


「……ばっ、馬鹿っ」

「うーん、馬鹿かもしんねぇな」

「嫌いですから!」

「それは困るなぁ。俺がアフタルのことが好きだからさ」

「うっ」

「アフタルは本気で俺のこと、嫌いじゃないだろ? 好きって言ってたもんな」

「……うぅ」


 冷静にならなくては、平静でなくてはと思うのに。自分の心なのに思うままにならないなんて。


「ほら、まだ食事は終わってないぜ」


 ひょいとアフタルを抱えて、シャールーズは立ち上がった。

 無精ひげは相変わらずだし、髪もぼさぼさだし。意地悪もされるのに。


「……なんで、こんな人を好きになっちゃったの?」

「光栄だな。嫌いになりたくても、なれねぇってことだからな」


 シャールーズの嬉しそうな笑い顔を見て、自分まで幸せを感じるなんて。

 おかしい。おかしすぎる。


「食事をしますから、椅子に降ろしてください」

「んー。もうちょとくらい、いいだろ?」

「そういうところが嫌なんです!」

「そうやって顔を赤くするところが、可愛いな」


 もう、いや。


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