3-3 地吹雪も怖くない
パタパタパタ、と軽い足音が廊下に響く。
「ラウル! 見つけた」
金色のふわふわした髪を揺らしながら、アイスブルーに飛びついたのは、ティルダード王子だった。
母親は違うというが、やはりアフタルに似ている。
ラウルは冷静にティルダードを受け止めたが、やはり感情は隠せないようだ。
目許が微笑んでいる。
「殿下。どうなさったのですか。お勉強の時間では?」
「もう終わったよ」
ティルダードは、小首をかしげた。
「珍しいね、ラウルが誰かと話し込んでるなんて。仲良しさん?」
「違います!」
「ぜってー、違う!」
二人の声が重なった。
ティルダードは一瞬きょとんとした表情を浮かべたが、すぐに楽しそうに笑いだした。
「いいね。ラウルがそんな大声出すの、初めて聞いたよ。闘技場でお目にかかったことがありますよね。アフタル姉さまの守護精霊でしょ? ぼく、ティルダードです」
「シャールーズだ。よろしくな。で、普段のアイスブルーはどんなだよ。まぁ、大体の想像はつくけどな」
にやにやしながら、シャールーズは王子に尋ねた。
どうせ嫌味ばかり言って、つんつんしていて、自分では「厳しさこそが、殿下を成長させるための優しさです」とか、ほざいてんだろ。
「たぶん、それ正解」
アイスブルーにしがみついたまま、ティルダードがシャールーズを見上げてきた。
「えっ。俺、口に出してたか?」
「ううん。でも皮肉っぽく笑ってたから。ラウルの悪口を考えてたんでしょ。なんとなく分かる」
「じゃあ、訊くが。どんな悪口だ?」
「えーとね。『甘やかしていては人は成長しません』って言って、すーっごく厳しいとか。ねちねちとしつこく嫌味を言うとか」
「ほぅ、興味深いな。お前、勘がいいぞ。大体合っている。他にどんな感じなんだ?」
シャールーズの口車に乗せられて、ティルダードはぺらぺらと喋りだした。
「あとね、おやつを制限するの。ひどいんだよ、ぼくは蜂蜜がたっぷりとかかった揚げ菓子が好きなのに。ちょっとしか、かけさせてくれないの」
「なるほど。俺は甘いものがうまいとか、分からんが。好きなものを止められるのは、つらいよな」
「うんうん。それにね、寝る時もご本を読んでくれないの。『ご自分で読めるでしょう』っていって、絵本を渡すんだよ。ふつう、読んでくれるよね」
「確かに、寝物語は大事だよな」
突然、シャールーズはアイスブルーに肩を掴まれた。細身のくせに、どれだけ握力があるんだよっていうくらいの力だ。
肩が鈍く痛む。
「いい加減に、誘導尋問はおよしなさい。それから寝物語の意味を、完全に間違えています。はしたない。これだからあなたは」
「はいはい、俺はエロ精霊だよ。で、お前は鬼畜精霊か」
ぎろりと蒼氷の瞳ににらまれ、また地吹雪が吹き荒れる。主にシャールーズの周りに。
こいつが睨むと、気温が下がる気がするし、怖いんだよ。
「絵本くらい、読んでやれよ。冷てぇな」
「哲学書や、歴史書をご自分で読んでおられる殿下に、なぜ絵本が必要なのですか?」
「じゃあ、蜂蜜くらい許してやれよ」
「皿どころか、碗……いえ、鉢くらいの器に入った蜂蜜を食べたがるのを制止するのは、間違っていますか。あれは蜂蜜をかけるではなく、蜂蜜に沈める、です」
シャールーズは肩をすくめた。
宝石の精霊だからと一括りにはできないし、現に自分だって他人に対する情けには欠けていると自覚している。
次代の王となるティルダードを甘やかしてはいけないのも、分からないではないが。
賢そうに見えても、まだまだ子どもではないか。しかも母親である正妃に頼ろうともしていない。
(頼れない状態……ってわけか)
シャールーズは腕を組んで考え込んだ。
サラーマに送られた宝石は四つ。
普通に考えれば、正妃にも宝石精霊がついているはずだ。
先代や先々代の正妃と契約したにしても、元の主によほどの執着がなければ、次の主を求めるものだろうし。
(けどなぁ、アイスブルーは王と契約を交わさなかったっていうしな)
自分が箱の中に閉じ込められている間に、妙なことになっているのかもしれない。
宝石というのは、本当に不便だ。
これがせめて鳥や獣なら自由に動くこともできるのに。
石というのは、自分だけでは移動もできないし、箱の蓋を開けることすら不可能だ。
「あ、でもね。ラウルは遊んでくれるよ」
思考に耽るシャールーズの様子を、ティルダードは不機嫌と勘違いしたようだ。
くいくい、とシャールーズの服を引っぱる。
あどけないのに、子どもなりに気をつかっているのかもしれない。
「遊ぶって、何をしてくれるんだ」
シャールーズは屈みこんで、ティルダードに視線の高さを合わせた。
「シャトランジっていうゲームなんだ。あのね、王と将に歩兵、象にラクダ、あとね馬と戦車の駒があって、盤の上で競い合うの。古くに交易で入ってきたゲームなんだって」
「ふぅん、戦の模擬みたいなもんか」
「でもね、象っていうのが分からないんだ。見たことないし」
象ねぇ。確かシンハにはいたが、サラーマには存在しないのか。
「ラウルが絵を描いてくれるんだけど……その、なんていうか独特で」
ティルダードは視線を泳がせた。
「独特?」
「こ、個性っていうのかな。あれ」
おいおい、声が上ずってるぞ。
「もしかして、壊滅的に絵が下手なのか」
「そんなこと言ってないよ。ただ個性的というか、独創性にあふれているというか。丸い物体の上に巨大な蛾がとまっていて、真ん中あたりから蛇がうねって飛び出てるのって、動物じゃなくて怪物なんじゃないかなって」
「殿下、もうその辺で」
突然、アイスブルーがティルダードの言葉を遮った。
妙な空気が、三人の間に流れる。
なるほど、シンハにいた頃は絵を描いたことなんかなかったから。こいつの個性には気付かなかったな。惜しいことをした。
もっと早くに知っていたら、からかってやったのに。
「じゃあさ、ラウル。ちゃんと象がどんなのか教えてよ」
「ですから、耳が大きくて鼻が長くて……」
「もしかしてあの蛾って、リボンじゃなくて耳なの?」
アイスブルーはおろおろしている。あまつさえ、嫌っているはずのシャールーズに助けを求めるような視線を向けてきた。
自分の主のことくらい、自分で何とかしろ。
冷静そうなこいつが、子どもに翻弄されているのは見ていて楽しい。
「それで『ぱおん』と鳴くのです」
ぶーっ!
とうとうシャールーズは吹きだした。
「ぱおん! ああ、そうだ。確かにぱおんだ」
再び地吹雪が吹き荒れたが、もう怖くない。
「よかったぜ。見た目と同じで、冷めた大人になっちまったかと心配してたんだ」
「あなたに心配されるいわれはありません」
「冷てぇこと言うなよ。で、ティルダード。お前はゲームは強いのか?」
シャールーズの問いかけに、ティルダードはもじもじと手を動かした。小さな手が掴んでいるのは、アイスブルーの服だ。きっとしわくちゃになるだろう。
「まだまだラウルには勝てないけど。いろいろ戦略も考えてるんだ。ちゃんとね、負けた理由とか改善点とかも筆記帳に書いてるんだよ」
「お前、実は相当頭がいいだろ」
とはいえ、絵本を読んで欲しがる子どもであることにも変わりはない。
「ぼくなんかよりも、ラウルの方が頭がいいしゲームも強いし、すごいんだよ」
「ほーぉ」
「あのね、ぼくはラウルみたいな立派な大人になるんだ。ぼくの憧れなんだよ」
「だとよ。よかったな、アイスブルー」
しゃがんだままのシャールーズが見上げると、アイスブルーは背中を向けていた。
ただティルダードが彼の足から手を離さないものだから、完全には後ろを向いてない。
銀の髪からちらりと見えた横顔が、赤く染まっているのは見間違いではないだろう。
「で、なんでお前はそのゲームが好きなんだ?」
「だって、立派な王になるためには必要だよ。サラーマは、カシアとウェドっていう強い国に挟まれてるからね」
「戦のためか?」
「……ちがうよ。戦なんかしたくない。民の安全を守るのは王の務めだもん。でも、いざという時のために、備えておかなきゃいけないし。ぼく、アフタル姉さまを人質みたいにしてお嫁に出すの、反対なんだ」
そう告げるティルダードの表情は、子どもではなかった。
早くに大人にならなければならないことを自覚しているからこそ、絵本を読んでもらう子どもの自分も大事にしたいのかもしれない。
「お前は、いい子なんだな」
「いい子?」
「んー、ちょっと違うか。いい男だ。俺たち、精霊が仕えるにふさわしい」
シャールーズの言葉に、ティルダードは花が開いたような笑顔を浮かべた。
それはまるで早朝に蓮が、大輪の花を鮮やかに咲かせるように。
「ねぇ、聞いた? ラウル。ぼくね、褒めてもらったよ」
「ようございましたね」
「えへへ、いい男だって」
ぴょんぴょんと飛び跳ねながら、ティルダードはラウルに嬉しそうに報告した。
◇◇◇
ベッドに上体を起こしたアフタルは、廊下から聞こえてくる声に目を覚ましていた。
「……ありがとう、ティルダード」
弟はいつまでも幼いから、守ってあげたいと思っていた。
けれど、そうではなかった。
あなたは、このサラーマを背負う覚悟を持っている。
ならば自分もその道を共に進もう。
アフタルは立ち上がると、本棚から書物を取りだした。