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宝石精霊の溺愛  作者: 絹乃
1 シンハライトの精霊
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1-1 捨てられました

「アフタル・サラーマ。あなたとの婚約は白紙に戻させてもらう」


 そう冷たく言い放つのは、一年後には婚儀を行うはずの婚約者、ロヴナだった。

 婚約してから半年、十八歳のアフタル王女は何を言われているのか、すぐには理解できなかった。


「な、なぜですか? 理由を仰ってください」


 きっちりと結い上げた金の髪。アフタルの深緑の瞳に映るのは、小馬鹿にしたように笑うロヴナの顔だ。


「理由? それはあなたが、たいそうつまらない女だからだ。あなたの母親は後宮では美姫と名高かったそうだが? 残念ながら母親似ではなかったようだな」

「王女さまって間近で見るの、初めてだけど。アフタルさまって華もないし地味だし、色気もないのねぇ」


 ロヴナに寄り添う赤いドレスの女性が、まとわりつくような甘えた声を出す。

 名前を確かフィラといった。

 女性にしては短い髪だが、派手なドレスとの対比でたいそう艶やかに見える。


 要するにフィラと結婚したいから、婚約はなかったことにしたいのだろう。

 ロヴナは、フィラをとろけるような瞳で見つめている。

 婚約期間は半年だったけれど。ただの一度も、ロヴナはアフタルのことをそんな潤んだ目で見たことはない。

 極寒の北風。それがロヴナがアフタルを見る時の目つきだ。


「でも、仮にも王女なんでしょう? 婚約破棄なんてしたら、問題になるんじゃないの」

「正妃の娘であればな。このアフタルの母親は妃としては位が低かったのだ。だから商家である我がキラドに降嫁することを、王はお認めになったのだろう」


 キラド家も舐められたものだ、とロヴナは吐き捨てた。


「そんな風に悪態をつかないで、ロヴナさま。確かサラーマ王の祖先は呪術で、政敵を倒したはず。あの王女がロヴナさまを呪うかもしれないわ」

「優しいな、フィラは。心が清い上に、美しくもある。アフタル王女にわずかでも君の気高さを分け与えてやれるとよいのにな」

「まぁ」


 フィラはロヴナの腕に両手を絡ませて、満足そうに笑った。サラーマには珍しい赤い口紅が、強烈な印象を与える。

 肩と鎖骨を露わにした深紅のドレス。

 豊満な胸元を彩るのは、派手で大ぶりなエメラルドだ。

 赤と緑の取り合わせに、目がちかちかしそうになる。


 とはいえ今のアフタルは、首元が詰まり、手首までしっかりと袖のある深草色のドレスだ。飾りといえば耳に真珠を付けているだけだし、金の髪はきっちりと結い上げ、ドレスと同じ深い緑の瞳に華やぎはない。

 この上もなく地味というのは、分かる。痛いほど分かる。


 政略結婚なので、ロヴナに対して恋するなどはなから諦めている。

 なおもアフタルの欠点を並べ立てるロヴナの言葉を聞いている内に、どんどん気持ちが冷めていくのが分かった。


(ごめんなさい。お姉さま方。わたくし、役立たずの妹のようです)


 アフタルは心の中で、二人の姉、ヤフダとミトラに謝った。母親が正妃である姉たちは、不思議とアフタルのことを可愛がってくれた。常々彼女たちは教えてくれたのだ。


 ――いいですか。アフタル。殿方と表立って争って、女が得をすることはありません。あなたが幸福になるためにも、我慢は必要ですよ。ただし、どうしても我慢できないときは石壁に怒りをぶつけなさい。



 ――そうよ。男をてのひらで転がすのよ。弱々しさ、儚さを偽装なさい。どうせ男は、そんなの見抜けないもの。従順に振る舞うこと。それが幸せになる秘訣よ。ちなみに怒りをぶつける時は、釘を何本も打ち込んだ棒で石壁を叩くのがいいわよ。


 石壁に釘の棒。それ以外の教えは、しっかりと守ってきたけれど。

 アフタルは瞼を閉じた。


 この政略結婚は、サラーマ王家には経済的な後ろ盾を、大商人のキラド家には第三王女との婚姻で貴族としての称号を得ることが目的だ。

 サラーマ王国は大国カシアとウェドに挟まれた、小国だ。後宮に複数の妃を住まわせ、これまで王女たちの婚姻で同盟を締結したり、国内の基盤を強くしてきた。


(ロヴナとの結婚がなくなれば、わたくしの存在価値はなくなってしまう)


 アフタルは、唇を噛みしめた。

 刹那、これまで笑っていたフィラが脅えたように眉根を寄せる。


「いやだ、この王女さま。あたしのことを睨んでる。ほら、まるで呪うみたいに。じっとりとした目で」


 怖いと身震いしながら、フィラはロヴナの腕にしがみついた。


「睨んでなんかいませんし、呪いなんてありえません」

「嘘っ。あたし、知ってるのよ。深緑の瞳は、憎悪と嫉妬を宿しているって。やめて、謝れっていうのなら、いくらでも謝罪するから。あたしを呪わないで」


 がたがたと体を震わせながら、フィラはロヴナの背後に隠れてしまった。

 なんて下手くそな小芝居。アフタルが呆れたのは一瞬だった。


 パァン! という音が室内に響く。続いて感じたのは頬の熱さ。痛みは遅れてやって来た。

 ロヴナに頬を叩かれたのだと気づいたのは、その後だった。


「憎むのなら、このぼくを憎め。フィラは関係ない」

「な……っ?」


 言葉が継げなかった。

 一方的に婚約を破棄されて、あっという間に悪者に仕立て上げられて。

 アフタルは何もしていないのに。ただ婚約者に呼び出されただけなのに。


 呆然と立ち尽くしていると、部屋の扉が開き屈強な男たちが駆け込んできた。足音は数人。

 あっというまにアフタルの体は、床にねじ伏せられ、何本もの剣が突きつけられる。

 鋭く光る銀のやいば。重なる剣の隙間から、寄り添う恋人同士が見える。

 怒りに顔を赤く染めたロヴナ。口もとだけで笑うフィラ。


「この宝石を慰謝料としてくれてやる。二度とぼくとフィラの前に、その薄汚い顔を見せるな」


 ロヴナは床に小箱を投げつけた。


「ほら、さっさと拾え。地味なお前にふさわしい石だ。おっと、その状態では無理かな」


 何本もの剣が、アフタルと小箱を隔てている。


(どこまで馬鹿にするつもりなんですか)


 アフタルは床についた手を、指の関節が白く見えるほどに握りしめた。


 その時だった。

 ゆらりと何かが小箱から立ち上がったのは。

 人の影のようなそれは透明で、その部分だけ空間が歪んでいるように見える。

 フィラが短い悲鳴を上げた。


「ほら、呪いよ、きっと幽霊よ。王女が呪いをまき散らそうとしているのよ」

「ちが……っ」


 フィラに幽霊と呼ばれた者は、アフタルに突き付けられた剣をなぎ払った。


 ガシャ! ガシャン!

 けたたましい音を立てて、キラド家の護衛の手から剣が落ちていく。


「……助けてくれるんですか?」


 アフタルは思わず問いかけていた。実体もない、まるで空気のような存在に。


「なぜ?」


 その透明な影は、しゃがみこむとアフタルの頬にくちづけた。

 そして耳元で囁いたのだ。

「俺を選べ」と。


 アフタルはうなずいた。


 透明な影を恐れていた男たちは、我に返ってアフタルを無理矢理立ち上がらせた。

 ドレスの襟を引きちぎられ、その中に小箱を突っ込まれた。

 なんて無礼な。


 アフタルは、きっちりとまとめていた髪を下ろした。

 大きな窓から吹き込む風が、アフタルの髪をふわりと揺らす。腰まである波打つ髪は陽光を宿して黄金色に光り、地味に見えたドレスは、布地と同色の糸で織りこまれた繊細な模様が浮き上がって見える。

 ロヴナが息を呑むのが伝わってきた。


「ロヴナさま。もうお会いすることがなければ、お互い幸いですね」


 ドレスのスカートをつまみ、優雅に礼をする。

 伊達に十八年も王宮で育っていない。淑女としての心得は学んでいる。

 そう、淑女は人前でみっともなく泣いてはいけないのだ。

 常に気高く、凛々しくあれ。

 王宮に戻って、これからのことを考えよう。


「気に入ったぜ」


 どこか、とても近いところから声が聞こえた。



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