準備 その2
準備後編です。
二日目も同じ事を延々と行ったが、昨日よりも体の動きが格段によくなり、魔法技術も上がっている実感がある。土魔法を操作して土壁を作り、炎で焼き固めて即席の風呂を作り、リリィと二人で入ったりもした。
風呂の価値は素晴らしい。頭が覚えていなくても体が覚えているのか、俺とリリィは昨日までの水浴びにはもう戻れなくなってしまったな。
使い終わった後も土魔法で風呂の形を崩せばいいだけだから、非常に簡単だ。MPを結構消費するものの、魔法という技能の凄さを改めて感じた。
三日目も同じだ。モンスターは一向に現れず、レベルは一切上がらなかった。しかし、魔法技術は中々のものになっている。放つ魔法一つ一つに指向性を持たせられるようになり、30発までなら瞬時に照準がつけられるようになった。しかも体に負荷をかけるべく、無詠唱で走りながら行っている。
この日の他の収穫は体力の向上くらいだった。筋力や瞬発力の向上に回復魔法は本当に有効なようで、見る見るうちに走る速度、全速力で走れる時間が上がってゆく。
森の中で筋トレも行った。木のツルをつかった、地獄の苦しみといわれる”猿渡り”である。手足のみで体を支えるため非常にきついが、回復魔法を併用することで何とか乗り切った。その格好はサルに似ているからこの名前が付いたのだが、リリィが大笑いしてくれやがりました。ゆるさん。
<マップ>を用いて使えそうなアイテムも探してみた。その結果、薬草ばかり40束も取ってしまった。
薬草の群生地を他の冒険者から聞いていたからつい取りすぎてしまった。
当然取りつくしてはいない。取りつくさなければまたその場所に薬草が生えて来ることは知られている。群生地を潰してしまうのは他の冒険者への迷惑にもなるしな。ただ、調子に乗ったことは確かなので、詫びに浄化の魔法”ピュリフィ”をかけてきた。これで少しは生成が早まるといいのだが。
他にも珍しい木の実やら呪術具として使えるキノコやら色々手に入った。なので、この日は早めに街に戻り、初めて薬草の収集クエストを完了してみた。冒険者ギルドに持ち込んでみると10束で銀貨3枚になった。
まだアイテムボックスには昨日採取したのとあわせて50近く残っていたが、さすがに全て出すと怪しまれるな。<マップ>スキルで薬草の場所が分かりました、なんて言えないので程々にしろとのリリィの意見に従っておいた。
まだ時間があったので初日に冒険者からオススメされた雑貨屋や武器防具屋を見て回った。リリィが<鑑定
>で掘り出し物を探すのよ!! と非常に意気込んでいたが、俺は乗り気ではなかった。
金がなくて買えないからだ。いくら掘り出し物があっても指を咥えて見ているだけなんて辛すぎるぜ。
できることといえばせめて次に買うべき防具の値段を見ておく位だな。しかし、一番安くて金貨4枚だった。ずいぶんと遠い先の話のような気がした。
重い足取りで宿に戻ると手に入った銀貨三枚で出来るだけの食事を頼んでおいた。
この宿の自慢でもある老主人の作る料理は最高だった。他を試したことなどないが、素材の味を最大限に生かしているこの味を気に入っている。人によっては味が薄いという奴もいるかもしれないが、俺にいわせれば他の店の味付けは濃すぎるように思う。好みは人それぞれだとは思うが、肉と塩を交互に食うようなシロモノを料理とは呼びたくないな。
相変わらず無愛想な主人だが、女将さんの方が請け負ってくれた。旦那はどこで修行を積んだのかとか、隠し味はなんだと他愛のない会話をしていると、奥の小さな厨房から金属が落ちる金音と老主人の呻き声がした。
女将と二人で奥に駆け込んでみると老主人が腰を抑えて蹲っていて、地面には大きな鍋が転がっている。さっきの音はこれらしい。よくみると下の戸棚が開いており、そこから鉄鍋を取ろうとしたのだろうか。
「腰かな。女将さん、旦那さんは腰をやっちゃってるのかい?」
「ああ、そうなんだ。昔大怪我してから癖になっちまっててね。あんた、動けるかい?」
多分ヘクセンだろう、ぎっくり腰だ。滅茶苦茶痛いんだよなこれ、これから俺のために美味い飯を作ってくれるってのに。迷惑かもしれないが、ここは俺が一肌脱ごうじゃないか。
余計なことを言うなと女将さんを叱る老主人に近寄って腰に手を当てて、そのままエイドを使用する。
老主人の苦悶の表情が消え、何が起こったのかわからないようだが、魔法は成功したようだ。
「あんた……僧侶さまだったのかい」
「真似事だよ、本職じゃない。でも効いたようでよかったですよ」
「ありがとうよ、主人に代わって礼を言うよ。だけどうちには僧侶様に払う寄進なんて……」
そうだった。僧侶は高い金を取るんだった。しかもモグリを許さず、今みたいに勝手に治療することも禁じているらしい。理由は他の僧侶の営業の妨げになるからだそうだ、実に素晴らしい理屈である。いつか刺されるな、あいつら。
「いいよ、そっちが治してくれと頼んだわけじゃなですし、俺が勝手にやったことなんで」
ついでとばかりに女将の膝にもエイドをかける。前から女将が左足を引きずっているのが気になっていたのだ。
「ああ、なんてこった。もう治らないと薬師にもさじを投げられてたこの足が、全然痛まないよ!」
涙を流さんばかりに喜んでくれた。善い事した後は気持ちが良いもんだ。
「すまないが、これは内緒にしておいてください。理由はわかるでしょう?」
ふたりは了承してくれた。これがバレたら僧侶ギルドから請求が来るらしいのだ。驚きの守銭奴っぷりだった。建前としては全ての僧侶はギルドに所属しているはずで、治療を行ったからにはギルドが代金を徴収する権利があるという暴論を振りかざすようだ。もはや僧侶じゃなくて商人だな。
その後は宿屋の老主人の仕事を手伝った。二人は当然固辞したが、元は俺の頼みである。<交渉>スキルでこちらから頼み込んだら、しぶしぶ了承してくれた。これでも料理は得意なのだ。<料理>スキルはLV7だし、昔からライルは家事を手伝っていた。俺の芋の皮むきの手際を見て老主人ことハンク爺さんも何も言わなくなった。
女将さんことハンナおばさんの買い物も手伝った。銀貨三枚分の食事はやはり多かったようでもう一度買い物に出掛けたからだ。
<鑑定>スキルを使って良い品質の材料を買い求め、またもや<交渉>スキルで値切りをする。<交渉>LV10の威力は凄まじく、最終的に4割近く値切っていた。ハンナおばさんは終始笑顔でご機嫌だった。
夕食をとるころには宿屋≪双翼の絆≫亭には笑い声が絶えなくなっていた。人見知りのリリィを引っ張り出して挨拶させると、ハンク爺さんは秘蔵の蜂蜜酒を出してきてくれ、リリィは夢中になって飛びついた。すると普段は厳しいハンクの相好が笑み崩れた。
やはり人間、腹を割って話してみないと分からんもんだな。
腹ごしらえの後はまた体を動かした。街の門は、北門、南門共に夜の八時ごろには閉まる。いつも同じ時間に閉まることから間違いなく時計の存在はあるようだ。スキルか水時計かは分からないが。
仕方ないのでひたすらに走り回る。大通りを走ると怪しまれるので人気のない小道を跳ぶように走る。ふと思いついて思い切り飛び跳ねてみた。自分でも信じられないほど飛び上がり、民家の屋根の上に着地してしまった。屋根が抜けたらどうしようかと思ったが、存外頑丈なようだ。風魔法を使い、体重を軽くして屋根づたいに走る。
<魔力操作>には無限の可能性があった。風の刃を飛ばすだけだと思っていた風属性も様々な使い方がある。こうやって体重を減らす事もできれば、消すことも出来た。
さらにはその状態で背中から風を受けることで僅かだが飛ぶことも出来た。あの時は思わず感動してリリィと空中散歩を楽しんだ。
みんなもっとこの魔法という概念を頭柔らかくして使う必要があると思うな。特に土魔法は色々とできそうだ。水魔法と火魔法で土魔法を組み合わせて風呂が出来たことはその好例だろう。
瞬発力を鍛えるために屋根の上を跳びながら宿に戻るころには、かなりの時間を動いていたから完全に息が上がっている。だがこれでも初めのころに比べれば持久力も大幅についた。
明日が最後の訓練の予定だが、繰り上げてダンジョンに入ってしまおうかとも思う。借金を考えれば今すぐにでもという思いは強い。だが初志貫徹だ、一度決めたことは守ろう。
明日は訓練の総仕上げだ。そして最後の準備をする、そう決めた。
訓練五日目は曇り空だった。雨が降り出しそうな雲ではなかったので、予定通りいつもの恵みの森へ出発する。懐にいるリリィはいつものごとく寝坊助だった。
既にハンク爺さんから15食分の食事を受け取っている。アイテムボックスの詳細を告げる訳にもいかず、お弁当が15個だった。出先で食べることを考えてくれたのだろう。サンドイッチが多かった。気を利かせてくれたのは間違いないが、折角時間が止まるのだから熱々のままで大丈夫ですと言えればよかった……。
すっかり俺の訓練場と化した草原でいつもの通り、走り回りながら弓矢状の魔法を連続で打ち込んでゆく。目標は土魔法で作り出した人形の頭部だ。この作業にも随分と慣れ、無詠唱で静かなまま28発の様々な属性の矢が狙い違わず土人形の頭に命中してゆく。
今度は<魔力操作>で複雑な工程を組んでみる。自分が森の中で走りながら木々をすり抜けて草原にある土人形を狙うという難しい内容だ。昨日は散々に失敗し、大量の炭と建材がアイテムボックスに収納されている。森が少し減ったかもしれない……。
原因はイメージ不足だろう、<構造把握>と<空間把握>で周辺の木がどこにあるのか分かっているから、どの魔法の矢がどのように飛べば命中するかイメージすればいい。自分でも無茶苦茶言っている気がするが、<並列思考>を使えば可能だった。スキルチートはすごい。
30本の魔法の矢をイメージしてそれぞれの目標を設定する。しかも威力を上げるために打ち出す矢そのものに高速回転を加えた。意外とやれば出来るもんだな、自分は全速力で走りながら木々の隙間から見えた土人形を目掛けて、射出する。
消音性を高めた魔法の矢は乾いた音を立てて土人形を打ち抜いてゆく。音からは大した威力は感じられないが、実際はとんでもなかった。50体作成した人形全ての頭部が打ちぬかれている。魔法の矢は30本だから打ち抜いた矢が新たな人形の頭部を破壊したことになる。しかも破壊された土人形を見れば、頭部はおろか胸部まで抉り取られている。回転をかけて威力を増した結果だった。
「よし、成功した」
この訓練は大体もういいだろう。イメージさえ出来れば何とかなる訓練だから一度成功してしまえばこのままでも大丈夫だ。実戦では緊張して命中率が2、3割落ちるだろうから、その分矢を増やせばいい。
ステータスを確認して消費したMPをみる。この2回で約40消費していた。自然回復が一分間に15までいくようになったから、3分もすれば完全回復だ。迷宮の異常な遭遇率でも対応できるだろうし、レベルが上がれば最大値も上がるはずだ。つくづくこの森でモンスターが出ないのが惜しいな。
その後は筋力訓練に精を出した。ステータス欄でのSTRは2しか変わってないが、今じゃ俺より大きい石を持ち上げられるようになっている。表記と実際は違うのかなとも思うが、HPとMPさえわかればどうでもいいか。
暇を見つけては<マップ>で何かを探したり、石を投げて<投擲>スキルを磨いた。石投げは地味だが侮れない。古来より戦場で矢と共に活躍したのは石礫である。ナイフを投げてもいいし、鍛えれば自由自在になるだろう。投げるのに適した石を数十個アイテムボックスに入れておいた。
起き出して来たリリィが近くに泉を見つけたので水分を補給する。水魔法で水を得ればいいと思ったが、味が全然違ったのでなるべくこちらを利用している。水魔法はなんというか、旨みのない工業用水のような味なのだ。自分で言ってて良くわからないが。
水に味などと思うかもしれないが、意外と違うものだ。名水が有り難がられる理由が分かる。なのでいつでも使えるようにアイテムボックスに大量に保管しておく。なんと、貯水量まで把握できた。何度も言うがこのスキルとんでもないな。ちなみに2トンだった。
曇り空が晴れ、日が中天にのぼるまでアイテム採取とマラソンを繰り返した。アプルと呼ばれる木の実を大量に見つける。甘味の少ないこの世界ではご馳走であるらしく、市場でもあまり見かけない。リリィと二人で腹いっぱいになるまで食べてしまった。だが、まだまだ余っている。宿に持ち帰るとしよう。
訓練の総仕上げとして、最後の魔法修行を行った。まずリリィに考えられる限りの強力な結界を張ってもらい、無数の矢を生み出した。すぐに射ち出すことはせず、大きく弧を描いて自分に戻ってくるように設定する。もちろん威力は最大である。
軌道は自分にも分からないようにしてその襲い来る矢を打ち落とすのだ。一歩間違えれば死ぬ修行にリリィは反対したが、ここで死ぬような目に遭うのも迷宮で死ぬのも同じだろ、と良く分からない理論で押し通した。
俺はゆっくりと息を吸う。慎重に自分に向かう矢を射出してゆく。5本、10本、100本…すぐに数え切れないほどの無数の矢が弧を描いて俺に向かってくる。
真っ先に来る23本の矢を同じ属性の矢で迎撃する。やはり完全に迎撃は出来なかった。5本打ち洩らし、横に飛んで矢をかわすものの、また弧を描いて俺を襲ってくる。今度は他の矢と共に数を増している。
次々と襲ってくる矢に対して俺は次第に防戦一方になってゆく。<並列思考>が追いつかないのだ。
自分を狙う矢を見つけ、軌道を読み、相殺する矢を発動し、襲い来る矢と同じ軌道に乗せて射つ。この4工程をひたすら繰り返すが、3つ目の工程あたりで自分に届いてしまう。横に飛んだりして避けるが、その行動で<並列思考>を邪魔されてしまう。わかってはいたものの、思った以上にきつい訓練になりそうだ。
効果的な攻略などない。たとえ死の淵にあろうとも、ただひたすら愚直に先ほどの4工程を繰り返すのだ。一番やってはいけないことは理解している。混乱し、普段の動きが出来なくなることだ。一つのミスが新たなミスを呼び込む悪循環が最悪だ。そうなったら立て直せず、多くの矢をその身に受けることになるだろう。
避けられない矢を障壁を展開することで防ぎ、弾かれた矢を打ち落としてゆく。障壁でいつまでも守っていたら意味がないからすぐに消して次の矢に備える。ひたすらに同じことを繰り返した。
これを魔力が枯渇するまで続けた。時間にして30分ほどだろうか。さすがに倦怠感が強く、倒れこんだ。
全ての矢を打ち落とした後、また同じ矢を作り始めた俺を見てリリィが悲鳴を上げていたが、無視した。厳しくなければ訓練ではないし、訓練だからこそ限界まで挑戦する意味がある。
実戦はいかに余力を残して戦い続けられるかが重要だから訓練とは意味合いは異なってくる。へたり込むまでに消耗してしまっては次に襲われたときに死んでしまうからだ。
しばらくして魔力が戻ってきた。さすがに上がっていた息を整え目を開けると、リリィが目の前で仁王立ちしていた。非常に怒っていらっしゃるようで、さすがにやりすぎたようだ。
「危ないことしないって言ったよね!」
「危なくはないぜ。食らう前に障壁作るつもりだったし」
心配してくれているので無碍にも出来ない。だが、この修行をやめることも出来なかった。魔法を発動するまでの時間が驚くべき速さで短縮できているのを実感していたからだ。
結局同じ訓練をあと4回行った。二回目からリリィは呆れて何も言わなくなってしまったが、やった価値はあった。一度に撃ち出せる魔法の数、早さが朝よりも見違えるほどに上がったからだ。
小技だが、魔法の矢を透明化して発射待機させることにも成功した。持続させるだけでMPを使うので山ほど使うわけにも行かないが、一、二本ならすぐにでも撃ち出せる。騙し討ちの技で主に人間用だと思うが取れる選択肢は多いほうがいい。
これにてこの場所での最後の訓練とした。帰り道の最中、全く使っていなかったナイフを振り回してみた。扱いは上手くなった実感はあるが、<短剣術>に武技は存在しない。新しい武器がほしいところだな。
結局モンスターは一度も出なかった。理由をリリィに聞いてみると知らずに<威圧>スキルが発動していたらしい。野生のモンスターは強い奴に敏感だから、近寄ってこなくなるらしい。リリィは知ってて使っていると思っていたらしい。
夕暮れ時に街へ戻る。恵みの森は街の北側に存在するのでいつも北門から出ていたが、今日は南門から帰ってみた。
気紛れというのもあるが、明日からダンジョンに降りるため、有効とされているポーション類を眺めに来たのだ。買いに来たのではない、眺めに来たのだ。患部に摺りこんで使う薬草と違い、飲み干せばすぐに効果が出るらしいが下級のポーションでも銀貨5枚とかする。今の全財産が銀貨1枚の俺には無理な話だ。
マジックアイテムショップ”八耀亭”はすぐに見つかった。大通りから少し外れた場所にあるが、俺は<マップ>スキルがあるし、この街で3件しかないから冒険者風の連中の後を付いていけばよかった。
外見は普通の雑貨屋と変わらないが、中に入ると濃厚な魔力が充満しており、ただの店ではないことが分かる。
お目当てのポーションは売れ筋なのか、色々と種類もあった。横にいたリリィが<鑑定>しろとしつこい。
ポーション 価値 銀貨2枚 品質 下
調合により生み出された魔法回復薬。飲むとHPを20回復する。
材料 魔力草 薬草 水
薬草はあるが魔力草は見たことないな。品質悪いし、価値は銀貨2枚だ。売値が銀貨5枚になっているのに。見てみるとポーションの売値は一律銀貨5枚だった。それが20本ほど小瓶に入って売られている。その他にケースに入ったマナポーションやらハイポーションなども売られていた。こちらは既に金貨の世界で、1枚と3枚だった。とても手が出ない。
全てのポーションをざっと<鑑定>してみると、品質がピンキリだった。HPの回復量も25から50までとばらつきがある。俺のように<鑑定>でも持っていなければ見た目同じ液体だから見分けは付かないのだろう。
その中で、これは!というものもあった。最高品質のポーションであり、なんとHP回復量は70もあった。ちょっとしたハイポーション並みである。いざという時の保険として一つ持っておくのも悪くない。
手持ちが足りないので、ギルドへ行き薬草を換金することにした。今日収集した20束を含めると手持ちは70近くある。一気に20ほど換金し、銀貨6枚を得た。積み上げた薬草を前にしてギルド職員は驚いていたが、たまに一気に換金する奴が来るらしく、俺もその一人と思われたようだ。
ただ、薬草一束と魔力草と水で銀貨5枚のポーションなのだから、調合も魅力的だった。
「調合は失敗も多いよ。専用の器具も必要になるし、初期投資で金貨5枚くらいはかかったはずよ」
諦めます、はい。しかしリリィさん、俺の心を読むのはやめてください。
銀貨を握り締めて先ほどの”八耀亭”に向かう。幸い売れていなかった最高品質のポーションを購入した。
マジックアイテムショップはポーションの他にも目玉商品がある。魔導具と呼ばれる文字通りのマジックアイテムだ。モンスターが体内にごく稀に持っている”魔石”と呼ばれる石を動力にして、様々な魔法を一般人でも使えるようになるアイテムらしい。
無論、本職の使う魔法には遠く及ばないし、何しろ高価だ。金貨数百枚がザラの世界で、凄いものは王宮の宝物庫に収められているという話だ。上級貴族はより高価なマジックアイテムをステイタスの象徴としているし、大抵は指輪か護符の形なので守護のアイテムであればこの上ない身の守りになる。下手なボディガードよりもよほど有効らしい。
無論そんな貴族御用達のアイテムばかりではなく、庶民向けのアイテムも多い。周囲を明るく照らす魔道具や種火を作り出すアイテムなどはいつでも人気がある。費用も高いが金貨数枚ほどで庶民にも何とか手の届く範囲なので広く使われている。そういえば宿屋の厨房にもあったな。
俺とリリィは様々なアイテムを眺めては値札にため息をつきつつ、松明の代わりになるトーチの魔道具はいつか買おうと心に決めた。
「おやまあ、妖精連れとは珍しい客だねぇ」
背後から声をかけられた。振り向くとカウンターにおばあちゃん店主が座っていた。リリィのことが見えるらしい。人見知りの彼女は俺の背後に隠れてしまった。
「彼女が見えるのですか?」
店主はこの世界では珍しい眼鏡のつるをくいと押し上げた。
「こいつのおかげさ。しかもハイ・フェアリーじゃないか! 冥土の土産に良いものが見れたわい」
しわがれた声で笑う、まさに魔女という形容がふさわしい容貌だが俺の第六感とも言うべき何かが油断をするなと伝えてくる。<危機管理>スキルが警告を発していた。
「精霊使いの方かと思いましたが、魔導具の店のオーナーならありえませんし、呪術師ですか?」
「有り得ないのはあんたのほうだろ?<隠蔽>なんてはじめて見たよ、あたしゃ」
<鑑定>持ちさ、と誰にも聞こえない声音で言うとこちらに手招きした。
俺のことを知られている! 俺の中の警戒度が最大値を振り切り、無意識のうちに魔法をいつでも撃てるように待機させていた。
「誰彼かまわず覗き見するのはどうかと思いますが」
「そう警戒しないどくれ、危害を加えるならもうやってるよ。なに、力を使うのも気になった奴だけさ。今置いている中で最高のポーションを迷わず買った子供がいるとなりゃ調べてみたくもなるもんだろう?
そうしたら妖精まで一緒じゃないか、これは話のひとつでも聞いてみたくなってもおかしくないだろ」
茶でも出すから入りなと言われてしまっては上がるしかない。店員をやっていたおさげ髪の女の子に後を頼むとさっさと奥へ行ってしまった。なんか女の子から睨まれている気がするんだが…。
見かけは魔女そのものだが、その足取りは闊達そのものだった。あの姿が擬態である可能性も高い。油断などしていないが気は抜けない。リリィも<念話>で要注意と伝えてくる。
通されたのは応接間のような場所ではなく、やたら生活感のあるリビングだった。腰掛けた老婆は椅子を勧めてくる。座るとティーセットが勝手に動き、ハーブティを入れてくれた。どうやらこれも魔道具らしい。
リリィには蜂蜜を出してくれた。昨日も気づいたのだが、妖精族は蜂蜜を貰うとひたすら黙って食べ続ける習性でもあるのか。普段、賑やかな彼女が無心で蜂蜜を頬張っている。
「自己紹介をしておこうかの。あたしゃこの店のオーナーで呪術師のセラというもんじゃ。お前さんのことはいらんよ。さっき見てしもうたからの。ユウキ・ゲンイチロウというのじゃろ?」
「ユウと呼んでくれると助かります。苗字持ちは色々と面倒なので」
老婆ことセラは思案顔になった。
「ふむ。色々とありそうじゃの。まあよいわ。ここに呼んだのは色々と話を聞かせてもらおうと思っての」
だからその物騒なものをしまっておくれ、と老婆は俺の横を見ていた。完全に隠蔽したと思っていたが見破られていたようだ。
「非礼をお詫びします。田舎者ゆえの無作法とお笑いください」
「いきなり呼んだアタシも悪いさ。気にしないでおくれよ」
5本出していた魔法の矢を一つずつ消してゆく。最後の一本を消してセラはようやく安心したようだった。彼女がどうやって魔法の存在を感知していたか見当をつけた。恐らくは魔力の流れだろう、魔道具や自分の魔力以外の異物を感じていたに違いない。
<隠蔽>だけでは消せないものもあるのが分かったのは収穫だった。
「さて、話ということでしたが、話せることと話せないことはありますよ」
「かまわんわい。近頃退屈での、<鑑定>持ちで妖精連れなんて格好の暇つぶしじゃ!」
本当に楽しそうに笑うセラを見て、不躾さを怒る気もなくなってしまった。
「<鑑定>ね。このティーポットが400年前に北カリグのバルドゥール工房で作られたもので、エディションナンバー40ってくらいしか分からないですよ」
俺を値踏みしていた視線は驚愕に変わった。
「お主、<精密鑑定>持ちか! こりゃあ驚いた。100年に一度お目にかかるかどうかの希少スキルじゃぞ!」
マズったかもしれん。<調合>よって派生スキルは混ざっちゃているから、みんな同じ鑑定結果だとおもっていた。リリィはため息をつかれてしまったが、蜂蜜に心奪われていたお前も同罪だからな。
「待て、待っておれ。その力があるなら見てほしいものがあるんじゃ!」
セラはどたどたと音を立てて奥へ引っ込んでゆく。その姿はどう見ても長い年月を生きた老婆ではなかった。<擬態>の可能性が否応にも高まったが、<鑑定>してみたい気持ちを抑え込んだ。
人の情報を盗み見することをリリィが極端に嫌がるのだ。俺もモンスターや明確な敵でもなければ彼女の機嫌を損ねてまで<鑑定>しようとは思わない。
やがて戻ったセラは両手一杯に様々な魔道具を持ってきていた。まさか全部<鑑定>させる気か。
「大陸中の貴族から鑑定を依頼されたものじゃ。あたしも鑑定し終えているんじゃが、おぬしにも頼みたい。無論、礼はするぞ、あたしの<鑑定>とどう違うのか試してみたいんじゃ」
婆さんが目をキラキラさせないでくれ。断れる流れではなかったので一つ一つ鑑定してゆく。
俺が<鑑定>結果を喋り、セラがそれを書き取ってゆく方法でどんどん進めていった。どうやら普通の<鑑定>は正式名称と価値、簡単な効果しか出ないらしい。由来や以前の所持者など貴族が喜びそうな一文は<精密鑑定>ならではらしい。強力なアイテムは回数が設定されているものもあり、その残数まで教えると飛び上がらんばかりに喜んでいた。この反応、こいつ絶対婆さんじゃないな!
「いや、お主本当に大したものじゃ。一人立ちしておるのか? 今は仕事は何をやっておるのじゃ? 良ければうちで働かんか? そこの給金の倍、いや3倍は出すぞい」
セラは矢継ぎ早に質問を浴びせてくる。ちょっと落ち着いてほしい。
「冒険者をやろうと思っています。まだ駆け出しも駆け出しですが」
「いかん! 冒険者などでその才能を潰すなどもっての他じゃ。その<精密鑑定>があれば一生遊んで暮らせる金が手に入るというのに」
俺の事情は特殊すぎるんだが。何度も断ったが一向に諦める気配がない。俺もさすがにこの<鑑定>がとんでもないチートスキルだというのは分かっているのだが――。
「秘密を絶対に守っていただけますか?」
声を落とし、軽く凄んでみる。いかん、<威圧>スキルが勝手に発動した。
「む、無論じゃ。この商売柄、秘密を軽々しく喋る奴は長生きできん」
脂汗を流して頷くセラに罪悪感をおぼえながら、例の物を懐から取り出した。
「何じゃこの紙は、ほう! 魔約定かの! お主、その年で面倒なものを抱えて……………………」
黙ってしまった。気持ちは分かるぞ、俺の宿主はこれでショック死したからな。
「セラさん? 大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃないのはおぬしの頭じゃ!? 何じゃこの契約は!?」
ぎゃあぎゃあ喚いているセラに一連の流れを説明する。老婆の顔が苦渋に満ちたものになった。
「冒険者ギルドの差し金かの? ジェイクめが。冗談でもやっていいことと悪いことの区別もつかんのか?」
「ギルドではないようです。お前ごときにそこまでするほど暇じゃないとはっきり言われましたから」
ジェイクというのは誰だろうか? ギルドのお偉いさんか?
「まあ、そうじゃろうのう。しかしこの魔約定、何も書いとらんのう」
セラの手から紙切れを取り返す。かなり乱暴に扱っているのだが、いつ見ても新品同様になっている。保護機能がついているらしい。かつて<鑑定>して依頼主を割り出そうとしたが無理だった。相当強力な魔法のようだ、実に忌々しい。
「自分の事情はご理解いただけたかと思いますが」
「分かった分かった、さすがに勧誘は諦めるわい。じゃが、返すアテはあるのかの?」
「ダンジョンに潜りますよ。普通の依頼じゃどうしようもなさそうなので」
「ここの迷宮は飛びっきり危険じゃぞ。分かっておるな?」
頷いておいた。俺のステータスを<鑑定>していればある程度は分かるのだろう。それ以上は追求してこなかった。
その後もう一杯茶をご馳走になり、席を立った。<精密鑑定>の礼として<調合>の仕方とマナポーションを一本貰った。
<調合>には専用の器具が必要なのは聞いていたが、この店でも扱っていた。セットで金貨20枚。遠い目をしていたら、材料さえ持って来たら器具を使ってもいいといってくれた。もちろん対価は払うが。
更にダンジョンで珍しいものを手に入れたらギルドではなく、うちに売りに来いといわれた。どうせギルドには売れんじゃろ、とたかをくくっているようだが頷いておいた。
最後にひとつの石を貰うことになった。はじめは使えないガラクタ類として紹介されたものの中にあったものだ。<鑑定>するとこういう結果だった。
通話石 価値 金貨500枚
かつての魔法文明カストゥール時代に時空魔法と錬金術を組み合わせて作られた貴重品。
離れた相手と会話することが出来る。使用には魔力を消費するが、石の中に充填可能。
初期ロット生産で充填量が後期品よりも多い。指定番号24。 魔力残量 0/300
魔力を充填すれば使えると告げると仰天し、実際に籠めてみたら淡い青に光り始めた。満タンに充填するころにはセラの手に新たな石が数個握られていた。これもやるんですね。
ためしに使ってみたら問題なく会話可能で、番号を指定すればその石に会話が届く仕組みだった。それにしても時空魔法なるものも気になる。<鑑定>したら最終職である時魔道師なる職業で習得できるらしい。
しかし、セラにこちらの手の内を見せすぎたかもしれないと反省する。スキルなどは<隠蔽>が効いているとはいえ、魔力量は通話石の補充量から推定できるし、こちらの事情も話してしまった。もっと厳しく行くべきかもしれないが、按配が難しい。
上機嫌のセラにこちらの思惑がどう取られたかは分からない。しかしひとつの通話石を預けられ(売るなといわれた。心を読まれたようだ)、いつでも訪ねろと言ってくれた老婆の目は獲物を捕らえた肉食獣そのものだった。向こうから来そうな勢いである。通話石を預けられたことで”いつでも呼び出せる”と同じ意味であることに気づいたのはしばらく後だったが。
さらにサービスで使っていない空き瓶を押し付けられた。この婆さん、おそらく俺がアイテムボックス持ちだと気づいていやがる。両手が埋まりそうなのに袋の一つも用意してこない。使うのを見てみたいのだろう。だが、そうはいかん。秘密は秘密であるから意味があるのだ。
礼を言って”八耀亭”をあとにする。最後は見送りにまで来てくれ、先ほどのおさげの髪の女の子には更に睨まれた気がする。俺何もしてないよ。
全く喋らなかったリリィはまた行こうねとご機嫌だった。『蜂蜜をまた貰いにいこうね』が正確な気もする。しかし、意外な知己を得たな。この街で関わらずにはいられない店なので喜んでおこう。あちらも何か隠している気はするが、それはお互い様だ。
さて、これで準備は全て終わった。後はハンク爺さんの飯を食べて、明日からのダンジョンに備えよう。
ユウの波乱万丈という言葉でさえ生ぬるい愉快な冒険はここから始まろうとしていた。
その夜――――”八耀亭”
「お師匠様、お店の閉店作業が終わりました」
「そうかい、アリア。もう上がっていいよ、お休み」
アリアと呼ばれた少女はそのおさげ髪を弄りながら師匠であるセラを見やった。
「どうしたい? アリア。何か言いたげじゃないか。お前にしては珍しい」
「そ、その、お師匠様があの金髪の少年を妙に気に入っておられたので……」
普段冷静な愛弟子がここまで反応するのも珍しい。だが、セラは少し考え込んだ。この弟子は私を超える逸材だが、思い込みが激しいところがあった。呪術師としては必要な性格だが、人間関係にはデメリットも多い。言葉を選ぶ必要があった。
「確かに珍しい小僧だったね。あの歳であの落ち着きといい、妖精持ちといい、滅多にいるもんじゃないねぇ」
実際はそれどころではなかった。<隠蔽>は発動して取得したスキルの詳細は見えなかったが、それでもスキルの数はわかる。間違いなく100個は持っていた。凄いを通り越して最早異常である。
さらにステータス上は職業『村人』だったが明らかに魔法を使っていた。無詠唱の上に、属性も見えなかった。ここが私のホームでなかったら魔力の不自然な流れに気づかなかったかもしれない。
村人で魔法が使えるということは転職経験があるということだ。しかも初期職である村人に戻す必要があるということになる。<調合>に興味を示していたということは呪術の心得もあるということか?
とても15の少年の経歴には見えなかった。はぐれ妖精を連れた少年など、まるで稀人伝説のようではないか。
さらに、絶対アイテムボックスを持っている。魔約定を取り出す際に魔力を感じたからだ。
実物など拝んだことがなかったが、物を取り出す際に魔力など普通は使わない。確かめるために色々と持たせてやったが、向こうから袋をくれとも言ってこなかった。きっと後で仕舞うのだろう。
あの姿も見かけどおりではあるまい。これは「私」も人のことは言えないが。
あの魔約定の異常ささえ、あのユウという少年を形作る力の一つに思えてくる。
だが、否定的にとらえる事もない。こちらに利益ももたらしてくれた。あの<精密鑑定>おかげで依頼した貴族どもから相当にふんだくれるし、何しろ通話石を使えるようにしたことは実に大きい。
あの石を大国に売りつければ間違いなく白金貨10枚は堅い。それほどの価値があるからだ。世界の主要国に売りつければその価値は更に上がる。魔力の補充方法を秘伝にしてしまえばうまくいけば一生儲けられる。
つまり、絶対に敵に回してはいけない相手であるということだ。うまく味方にすればこの上ない利益と退屈しない時間をくれそうである。
問題はそれをどうやってこの娘に伝えたものか……。
「お師匠様?」
「時間が出来たらでいい、あの少年を見ておけ。いずれ何かやらかすであろう」
「はい、お師匠様。あの男の全てを監視いたします」
アリアよ……盛大に勘違いしておるな……身寄りのないこの娘を引き取ってもう長いこと見ておるが、この思い込みの強ささえなければもっと別の人生があっただろうにと思わずにはいられない。
「アリア、おぬしは勘違いをしておるぞ」
「いいえ、お母様。あの男はお母様の美貌に近づく害虫に決まっています!駆除しなければ!」
「これ。我が教えを与えたときからお主はもはや娘ではない、忘れた訳ではあるまいの」
アリアは慌てて頭を下げた。自ら禁を破っていたことを気づかなかったのだろう。
「す、すみませんお師匠様」
「それに齢100にもなろうかという老人を捕まえて何を言っておるか」
「お師匠様が何かご事情があって、そのお姿であることはわかっております」
<擬態>は見破られておらぬようだが、やはりカンのいい子じゃ。魔法職としても申し分のない才気である。これが良い方向へ向かえばいう事ないのじゃが。
「もうよい。とにかくこの話はここまでじゃ。よいな」
「はい。分かりましたお師匠様」
こやつ、絶対分かっておらんな。
セラはこれからの日々に頭の痛い問題が出来たことも理解してしまった。
ようやくダンジョンに向かいます。ヒロインはリリィ以外、まだ大分先になりそうです。