見捨てられた場所 19
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教皇庁。
それは貴族社会で避けては通れぬ教会勢力の首領だ。世界三大勢力の一角とされる教会の最高意思決定機関として国家すら無視できない力を保持し続けている。
他の2勢力、冒険者ギルドと商業ギルドと同様に世界中に根を張る組織だが、教会はその中でも頭一つ抜けた存在だ。なにしろ俺というかライルが住んでいた寒村にさえ教会とその助祭が配されていて村の中心を担っていたくらいなのだ。
その権勢の源は教会税という独自の徴税権を持っていることや国の政治に密接に関わってきたことによる貴族との関係に現れている。
それに比べると神殿勢力は随分と格下である。しかし国中の町や村に教会を建立し、綿密な情報網を作り上げる手腕や貴族を主に支持基盤とする教会と民衆の緩い民間信仰を源泉としている神殿勢力とでは自然と棲み分けが出来ていた。
そんな教会の頭がわざわざこんな地味で労力ばかりかかる案件に首を突っ込んできたという。さらにユウナが調べてきてくれたところでは”聖女”サマの影まで見えているとか。
いったい何の用だと聞きたくもなるが、まあ事情も透けて見えてもいる。俺が手を出したから向こうも干渉してきたんだろうが、こっちは特に関わる予定はないんだよな。貴族じゃなければ基本的に彼らに縁はないのだ。
「聞いていると思うが既に話は9割がた纏まっていた。後は君を呼んで文書に調印して終了という段階まで来て突然破談にされたのだ。理由を尋ねても使者が追い返されるだけ、完全に不干渉の立場を決め込んできた」
「貴方相手によくそんな態度取れましたね」
子爵は貴族階級の中では下級に属するが、彼は王都の冒険者ギルドのマスターを務めている男なのだ。現役貴族がその地位に就くことを考えれば無意味に機嫌を損ねていい相手では決してない。彼の面子を潰したことで、この一件が元で教会に対する国の態度が硬化する可能性だってあるのだ。
「私程度をどのように扱おうとも構わんのだろうさ。事実として君が次の交渉に出向くと情報を流した途端、教会から弁解の使者が派遣されたのだからな。狙いなど見え透いている」
俺を呼ぶためにひと手間かけたのは明らかだが……
「しかしまあ、なんでまた教会の最高権力が俺なんかのために出張ってきたんですかね?」
その理由を知りたくてここにやって来たのが今日の目的だ。貧民窟関連の話は俺の中でもう終わっているのだが、俺の問いを聞いたドラセナードさんは変な顔をした。背後のユウナも動揺した気配を見せている。
「今や”嵐”の名を知らぬ権力者は愚者の烙印を押される。話題の君が接触を持って来たのだ、興味を示すのも当然ではないか。ユウナよ、主人の認識を改めるのも従者の仕事だぞ? その点をジェイクは何も言わないのか?」
「以前はユウキ様に差し出口を申し上げることも有りましたが、浅慮であったと痛感しています。ユウキ様の望むすべてを為すのが従者の務めです。たとえ他者がどのような思惑を抱いたとしても、我が主がそれに流されることも傀儡になることも有り得ません。我等従者はユウキ様の手足であり、そのお考えに意見をするなど畏れ多いことです」
妹分を窘める口調だった彼にユウナは毅然と返したが、内容が狂信者のそれだった。それにはドラセナードさんはもちろん俺も閉口してしまう。
「ユウナ、君が必要だと思ったことは遠慮するな。それが俺を助けることになる」
「……はい、わかりました」
もちろん必要な情報は常に<念話>で貰っているのだが、この場はこう答えておくべきだろう。彼女の返答もドラセナードさんを納得させる面が多く出ていたし、俺もそれを望んだ。
「それはそれとして、飲みます?」
交渉を行う部屋の席に着いた俺は隣に腰を落ち着けたドラセナードさんに酒瓶を揺らして見せた。俺の突然の発言に驚いた顔をした彼だが、不敵に笑った。
嫌がらせ目的での飲酒なのは彼にも解っている。交渉相手が酒飲んでいたら気分を害するだろうが、それでこっちの態度、真面目に付き合ってられるかと表明しているというわけだ。
「いただこう。君の出す酒に外れはないからな、教会の者どもなど私の知ったことではない」
どうせろくな交渉になどならないと踏んでいる彼もこの席で飲酒をすることを選んだ。ユウナが小さくため息をついているが、俺たちは揃って聞こえないふりをした。
彼女も誘ったが、辞退されてしまった。
「ふむ、良い赤だ。この渋みが何とも言えぬ品位を感じさせる。何処の国の葡萄だ?」
「異世界産です」
如月が日本で買ってきてくれたものなので"おうしゅう"とかいう産地であることしか知らない。たぶん仏か西だな。この風味は独じゃない……あれ? 俺は何を言っている?
「異世界産だと!? 金で買えない価値があるぞ! 陛下を差し置いて私が楽しむのは……いや、しかし」
「向こうもすでに飲んでますから気にせずとも大丈夫ですよ。あとこいつを」
「おお、これはランデック商会でもめったにお目にかかれない逸品! ワインとのマリアージュが素晴らしいな!」
酒肴としてチーズやちょこれいとを出し、ふたりで酒盛りをおっぱじめていると扉が叩かれ、入室を求める声がかかった。
「入れ」
「子爵様、この度は我らの要望を叶えていただいたこと……」
入室していた年若い男が俺たちを見て絶句している。そりゃ交渉相手が酒飲んでりゃそうなるわ、狙ってやったけどな。
「来たか。座るがいい」
横柄な声で言い放つドラセナードさんが教会関係者に着席を促した。相手側に用意された椅子は6席。向こうの人数と同数だが、席に着いたのは2人だけだった。すなわち交渉担当はこの2人というわけだ。
残りの6人だが、その内訳は修道女の格好をした女性が2人と鎧こそ身に着けていないが明らかな騎士階級が2人だ。騎士のうち一人は女だった、これは珍しい。
「我等は交渉に赴いたはずだが、これはいったいどういうことか?」
「交渉だと? 釈明の間違いではないのか? 私はすでにそこにいるベルンと細部まで交渉を済ませて後は締結する寸前まで来た所でご破算にされたのだ。ここはいったいいかなる理由でそのようなことになったのかの釈明の場だと思っていたのだがな」
騎士の内、大柄な男が恫喝する声音で問いかけたのに対し、ドラセナードさんはそれを上回る怒りの声で返した。その高圧的な口調はこの怒りの大きさを如実に伝えている。
「それについては我ら教会にも言い分がございます。まずはそれをお聞きどけくださいますか?」
怒りに満ちたドラセナードさんの声音にもひるまず声を上げたのは法衣を纏った年嵩の男だった。
「ウィルソン殿からそのように言われては、拝聴するにやぶさかではないな」
<ウィルソン高司祭はランヌ王国における教会の最上位者です。彼がこの場に現れること自体が>
高司祭か。位階を示す首帯をつけてないから傍目にはわからないが、度胸があるのは解った。全身で不機嫌を示す彼に堂々と発言できるほど肝が据わっている。
<教会も半端な覚悟で手を出してきたわけではないということか。まあこの場で気にするべき人物は彼ではないようだが>
<恐らくはあの者の目付で同行したのでしょう>
<念話>でユウナと情報を共有しながらも二人の会話は続いてゆく。
「教会としましても、本来であれば子爵様の申し出を諸手を上げて歓迎するつもりでございました。王都の城壁外にあるスラムに関しては我等も僅かな支援しか行えず、彷徨える民たちに救いをもたらすにはまるで足りない実情でした、それを子爵様は大いなる慈悲によってお救いなさると聞き、その振る舞いはまさに王国貴族の鑑、ご母堂であられるネーナ様のご遺志を継がれたと市井の民も感涙に喘ぐことでしょう」
「世辞はよい、本題に入れ」
<高司祭ともあろうものがなんと醜悪な、敢えてユウキ様の功績を省いて話しています>
<別に売名行為でやるわけじゃないからいいけどな、そのために彼に依頼したんだ>
ユウナの怒りを宥めつつ、話に耳を傾ける。
「しかしながら、一つの噂が教会内に疑惑を生み出しました。その真意を糺すために我等はこの場を設けていただいたのです」
「疑惑、か。教会ともあろうものが何をそのように恐れるのか知らぬが、気になるのなら問うがいい」
そう言ってドラセナードさんは視線を俺に向けたが、俺は本当に教会と縁がないので何を疑われるのかさっぱり見当もつかない。ユウナも静観の構えだ。
高司祭に代わり、ベルンと名乗った青年が俺を見て口を開いた。
「はい。あくまで噂でありますが、そちらの少年が中心となって神殿による教会への浸食を目論んでいるのではないかとの懸念が」
「はあ? 俺が教会をだぁ? あんた真面目な顔して何言ってんだよ、冗談はもう少し笑える奴にしろ」
俺はベルンという青年の言葉を一笑に付した。彼らも俺たちのように酒に酔っているのかと疑いたくなるような内容だ。俺の心底馬鹿にした言葉にドラセナードさんも続いた。
「ベルン、言葉には責任が伴う。教会の代表者としての君の言葉と受け取っていいのだな? 私とのこれまでの交渉のすべてを叩き壊す理由が、その世迷言でよいのだな?」
冷酷な声で教会への断罪の刃を振り下ろさんとする彼に対し、ベルンという青年も食い下がった。
「子爵様、本来であれば我等としても歯牙にもかけない話です。しかしそこにいる少年は王都中の神殿を影響下に置き、南方はおろか大陸でも屈指の勢力に拡大した”クロガネ”の支配者です。笑い話と切って捨てるわけにはまいりません」
「それは……確かに一理ある、か」
「いや、一欠片もないですよ。なに本気にしてるんですか? 俺が神殿を使って教会を侵食だと? 馬鹿も休み休み言えよ、そんなことして何の得があるってんだ」
「ですが! 貴方の庇護下にある時の神殿の巫女の口癖は”巫女の世界のすべてを貴方に捧げる”ことだそうですね。それを聞いた我等の懸念もご理解いただけるかと」
「……あー、あいつそういえばそんなこと言ってたが、まさか本気に取ったのかよ。子供の言うことだぞ」
イリシャが神殿入りした理由は色々あるんだろうが、俺にはいつも巫女の世界を牛耳ってそしたら俺にあげるとか確かに言ってた。いや、貰っても困るというのが俺の偽らざる本心だが、少なくとも下の妹がそれを目指して頑張っているのを知っているので無碍にもできないので放っておいたら、まさか教会が本気に感じてたなんて想像するほうがどうかしている。
「未来視の能力が覚醒した本物の巫女の言葉ですよ? 予言であると受け取る方が自然です。その巫女を妹としている貴方が教会に過剰なほどの好条件で話を持ちかけてきたのです。その真意を伺いたいとご本人に登場願うのがそこまで奇異に映りますか?」
まさか、その切り口で攻めてきたか。正直この展開は読めてなかったな。
こんなどうでもいい話題にわざわざ説得力を持たせてくるなんざ、あちらさんも準備して理論武装してきたな。
「そうだな、まずは妹の言動で余計な心配をかけたことは兄として詫びよう。そちらが危惧する意図はないことを誓って言えるが、その証明として子爵閣下から持ちかけた協力は撤回させてもらおう。この件から完全に手を引けば疑いは晴れるはずだな?」
「え? いや、それはその通りですが……協力関係を白紙に戻すと言われるのですか?」
こちらの提案にベルンは面食らった顔をしている。まあこちらがこう出ることは向こうとしても想定外だろうからな。
「ああ、閣下には尽力を頂いたが、教会の懸念を払拭するにはそれしかないだろう。このままでは各神殿にも迷惑がかかる、それはこちらとしても本意ではない」
「いえ、当方といたしましては貴方からの明確な否定が頂ければそれで……」
ははは、困ってる困ってる。王都の教会としても俺の提案は渡りに船だったはずだ。伸張著しい神殿勢力に押されっぱなしで良いところがない教会側としては世間への得点稼ぎに使える格好の事例で、なおかつ最大の問題になる資金面も全て俺が持つという話で進んでいたのだ。
この件に関しては技術や経験、組織力などを含めても教会以上の存在はおらず、双方にとって最良の相手だったはずなのだ。
ベルンが口にした教会への浸食云々もただの建前に過ぎない。俺にどんな思惑があろうとこっちは金を出すだけで実際に現場で動くのは彼等であり、不穏なものを感じ取れば即座に気付いて止められる。
それくらい実際に貧者救済で活動し経験豊富な彼らが解っていないはずがない。
それになにより、これは王都の教会のみの事情であり、教皇庁は無関係だ。一地方のそんな理由で人を派遣するほど教会の総本山である教皇庁は暇ではない。
「俺達としては教会に頼むのが一番だと思っていたが、こればかりは仕方ない。自前で人員や組織を一から準備するさ。雇用も生まれるしそこまで悪いことにはならんだろう」
「ですが、そうなれば活動開始まで年単位でずれ込むのでは? その点、我ら教会ほどノウハウを兼ね備えた組織はほかに存在しません。何卒ご再考をいただきたい!」
「ふっ」
隣のドラセナードさんが苦笑を隠せないでいる。元はこちらが協力を要請していたのに今では渋るこちらを教会が引き留めている構図になっているからな。
教会側としてはこの機を逃せば長きにわたって神殿の後背を眺め続けることになるから、その分必死なんだろう。そう見れば彼らも被害者だな、教皇庁からの横槍で彼等にも得がある話が流れようとしているのだ。
「と、このように現地の人間は声を上げているわけだが、貴女の見解を伺いたいところだな?」
俺はベルンやウィルソン高司祭ではなく、彼らの背後に立つ修道女の一人に話しかけた。
切れ長の瞳を持つ知的な印象を持つ美女だが、その視線は挑むように俺を見据えている。
「何故わたくしに話を? 高司祭様がお答えくださると思います」
「遠く聖王国の教皇庁からはるばる来られたことだし、貴女の意見を伺いたいのさ。こちらの予定をすべて破壊してこの場を設けたんだ、貴女にも言いたいことがあるんだろう?」
聖女の実姉にして回復魔法が得意だった貴族の少女を聖女にまで押し上げたのは彼女の策略だという。まさに英雄的政治手腕だ。そんな彼女がわざわざこの場所に来ているのだ。物見遊山で暇を持て余している訳ではないだろう。
「まさか初対面で見抜かれるとは、流石の慧眼というところですね。よほど良い耳をお持ちのようで」
「教会の”漆黒”ほどではないと謙遜しておくさ。クロ―ディア・エルバート嬢、それとも”聖女の頭脳”とお呼びすべきかな?」
こうして役者は揃い、それぞれの思惑を抱えたまま夜は更けてゆくのだった。
楽しんでいただければ幸いです。
短くてすみません。更新できなさそうなのでここで出します。
年末進行が憎い今日この頃。次は水曜で頑張ります。
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