見捨てられた場所 18
お待たせしております。
「大目標は40層の初見突破かぁ。普通に考えれば無理ゲーだよね」
相棒が肩の上で俺達が成し遂げねばならない難題を口にする。喋りながら焼き菓子を食べるもんだから食べかすが俺の肩の上に零れているんだが、リリィさんは気にするそぶりも見せない。
俺を最近自由にさせ過ぎたから見張るという言葉は本気らしく、二人で冒険者稼業を始めた頃のように相棒は常に傍に居てくれている。
「無理でもそれが現状唯一の可能性だ。何とか押し通りたいな」
「まあそうだねぇ。ここを抜ければユウも無茶な魔導書を使う意味もなくなるし、止めさせるためにも成功させたいところだけどさぁ」
リリィがちくりと刺してくるが、時を止める魔導書を用いて行う日課は毎日続けている。それにより極度の疲労を伴うので皆は良い顔をしないものの昼前にはすべての仕事を終えあとは自由時間になるのだ。今日も環境層での採取や31階層以降の宝箱をすべて回収して帰還した。
宝箱の中身はまだ開けていないが、本日の収穫としては金貨4000枚といったところだ。それに獣王国のダンジョンで黒竜を討伐してお宝も頂戴してきたが、肉が出なかったのが残念である。
掘削の魔道具を用いて先へ進む決意をしているのでもう宝箱を探らなくてもいいとは思うのだが、生来の貧乏性がなせる業なのか、つい回収に出向いてしまう。環境層の食べ物などがその最たる例で、いったいどれほど溜め込んだのか<アイテムボックス>の機能に数を数えられる便利機能があるのだが、一つの根菜が9桁に達した時点でもう十分だと感じたのに体は収穫を続けていた。
俺の貧乏性もここに極まれりだが、いくらでも仕舞っておけるし腐る心配もないのならいつか役に立つときもあるだろう。
そんなあくる日の午後、俺と相棒はアルザスの屋敷の一室で長椅子に腰掛けながら壁に掛けられた白板(異世界品)に視線を向けて考え込んでいた。
「さて、どうしたもんかね」
「事前情報なしってのは本当に痛いね。まったくもう」
「それに関しては弁解のしようもない。悪かったって」
「責めてるわけじゃないよ。事実を行っただけだもん」
議題は先ほどリリィが口にしたウィスカの攻略である。普通に考えれば正気を疑いたくなるような内容だが、あの宝箱をひたすら開け続ける狂気の沙汰を繰り返すよりはマシだと判断した。今ではアリシアとミレーヌが善意で開封を買って出てくれているが、本当に出ない。全く出ない。
記録を取っていたので判明したが統計の結果、宝珠が出る確率は1割以下で、さらにそこから5種類すべてを集めなくてはならないのだ。レイアが報告してくれたところによると一番出る赤の宝珠がその7割、青が2割、黄色が1割でそのほかにあと2種類の宝珠が必要だ。
もう絶対新しい種類は宝箱からは出ないだろ、というのが俺たちの共通認識だ。じゃああと2つは何処から出るか、という問いに可能性は見つけてあったりする。
実は31層からの敵を倒すとドロップアイテムの他にごく稀に中身が空っぽという謎の宝箱を落とすことがある。かねてより仲間たちからは、もしかしたら中身がある宝箱も存在するかもしれないと話していたのだ。設置された宝箱からここまで出ないとなると、その中身が探し求めている宝珠である可能性は高い。しかし、本腰を入れて捜索に乗り出す現実的な選択肢としては採用されなかった。
何故ならこれまでに5桁を超えるレッドオーガ・ウォーロードを倒してきたが宝箱に遭遇したのは10回にも満たないのだ。それは設置型宝箱からの宝珠入手よりも圧倒的超低確率だ。
そして求めるべき宝珠は2種類あり、ここからの層に現れるモンスターも2種だ。この符号はとても無関係とは思えず、それぞれのモンスターが宝箱を落とす可能性は高いと踏んだ。
しかしながら、それこそが最大の難関だった。この階層の極悪さの象徴であるシャドウ・ストーカーは狙って倒せる敵ではない。こちらの索敵を超える隠蔽を持ち、オーガと戦っている最中にこっそりスキル封印攻撃をしてくる奴を倒すのは至難の業だ。一人で挑む俺では範囲攻撃でオーガ共ごと巻き込むしか方法がなく、倒したことはあるもののそれは両手で数えられる回数に過ぎなかった。
そして大抵はその後に封印攻撃を食らい、拳銃で敵を倒すことになるわけだが……その状態でシャドウ・ストーカーを狙って倒すのは不可能に近い。
つまり今のままでは宝珠を手に入れる可能性は皆無に等しい。無謀でも掘削の魔道具で壁を掘って先に進めるなら賭ける価値は大いにあった。このダンジョンでは先に進めばお助けアイテムが手に入る流れなのだ。途中の宝箱で探し求めていた色の宝珠が出る可能性だってある。この層で立ち止まるよりは挑む方がいいと考えた。借金返済だけ考えればここであと半年も粘れば確実に返済可能だと思うが、もう既に俺の中で目的と手段が入れ替わっている。
相棒や玲二たちはこの階層は複数のパーティーが人海戦術で無理やり押し通るのが最適解だよと口を揃えたが、他が20層のボスで足止めを食らっている現状ではどうしようもない。むしろウィスカ最強パーティーとして名高かったアリシアたち”悠久の風”が壊滅状態に陥ったことで他が二の足を踏んでいるらしく、俺以外の攻略は完全に停滞していた。
元がそうだったが、相応の実力者が一度安全な戦法を生み出してしまえばここは圧倒的に稼げるダンジョンなのだ。現状に満足してしまえば攻略は滞り、俺が来るまでのウィスカと同じ状況に戻っていると受付嬢たちが零していた。余談であるが、その停滞した状態でもギルド別の売上高は他の追随を許さず引き離す一方らしい。放出してないアイテムをそろそろ換金したいんだが、これ以上は値崩れするから少し待てと言われている有様だ。
「別に失敗しても帰還石で戻るだけだし、死ぬわけじゃない。大胆に攻める手もあるが……」
「それでも攻略の機会は一度しかないんだし、考えられる状況は対策しておかないと。このダンジョンは力でゴリ押しがほぼ不可能なギミックばっかりだしさ」
ユウがここまで手古摺ってるだけはあるよと呟く相棒に同意する。上級と区分けされるダンジョンは魔物の強さもさることながら、先に進ませない仕掛けばかりだと聞く。このウィスカは数の暴力にばかり目が行きがちだが、特にそれが顕著だと思う。暗闇やら砂漠地帯やら嫌がらせ階層は敵の強さより妨害ばかりだし、果ては転移で上に戻される29層があるときた。全て力で解決できない問題ばかりで、つくづく一人で挑むダンジョンではないと思わされる。だからこそここまで稼げた面もあるが、本当は仲間を多く集めてそれぞれの特技を生かして乗り越える局面なんだろう。
……そうして数を生かした戦いを経た上で20層のキリング・ドールで皆殺しになるのか。あいつは数で攻めると死体を量産するだけだ。やっぱり鬼畜難易度だわ、このダンジョン。
「35層のボス部屋を突破したら、すぐに階段がある可能性だが……」
俺は立ち上がって白板に文字を書き始めた。これは俺だけでなく後で仲間からも意見を募りたいので気になったことをまとめておく必要がある。皆はまだ仕事場や学院にいる時刻だ。
「無理でしょ。地図見てよ」
りりィが自分の体よりはるかに大きい紙を指さした。そこには35層の詳細な地図があるが、他の層と比べると7割ほどしか埋まっていない。ボス部屋の向こう側がすぐ階段だと考えるにはあまりにも広すぎる。
「だなあ。中ボスだと転送門がある小部屋も期待できないし」
「そもそも35層のこっち側に転送門あるしね。ボス部屋抜けたらもう1個あるのは都合良すぎでしょ、それに階層の特性も変わる可能性があるよ。区切りとしてもちょうどいいし、その場合スキル封印攻撃とはおさらばだね!」
「それなら朗報だ。あれが攻略を一番難しくしてたしな」
以前にギルドで調べてもらったが、スキル封印攻撃をしてくる敵はこれまで一度も確認されなかったらしい。訝しむユウナの実兄であるジェイクを実際に体感させてようやく納得させたくらいなので、彼が各国のギルドに問い合わせたら逆に詳細を求める声が絶えなかったとか。
それほど珍しくありえない特殊攻撃とこれで縁が切れるなら万々歳だ。奴がいなければレッドオーガも煩い敵でしかない。いや、食いしばりは厄介だな、銃で狙っても至近距離以外では結構外すこともあるし。
「結局封印攻撃に対策は取れなかったしねぇ」
「奴を倒せばあの攻撃に対する防御手段が手に入ると思ったんだがな」
運よくではあるがこれまでに数回シャドウ・ストーカーを倒しているので奴のドロップアイテムは手に入っている。通常、レア共に手にしているが、特にレアアイテムは凄まじい効果を持つ超逸品で、世界に衝撃を与えるほどの効果を持っていた。
しかし、俺たちの攻略の助けには一切ならなかった。
今でも鮮明に思い出せる。俺も相棒も仲間たちも〈鑑定〉してその効果を知った時口を揃えたものだ。
”いや、そっちじゃない!!”と。
「あれはあれで最強だとは思うけどね、攻略に全く使えないけど」
「ヤバすぎて表に出せないしな、そんなのばっかり溜まっていくぜ。とにかく新しい敵が出て色んな仕掛けが俺たちの行く手を阻むだろうな」
「今までの流れを考えると確定だよね。ここから先はモンスターが強くなっただけ、なんてお気楽な構成にはならないでしょ」
だからこうやって今の内から対策を練って準備しておこうとしているのだ。どうせダンジョンに挑むのはだいぶ先になる。準備もそうだが、他の予定が迫っているのだ。
「とりあえず今の俺の最大の手札は魔導書だな。これがあれば大抵の障害は切り抜けられるが……」
「時間を止めて対処できる仕掛けならね。今回の宝珠集めとかには役立たないし、それにあれ絶対体に良くないんだから、あんまり使うべきじゃないって」
毎朝使っていることを暗に責められているが、皆俺の体を心配してくれている。もう使わなくていいと頭では思っているのだが、つい使用してしまうのだ。相棒も日課を行う時刻には夢の中なので制止されることはない。
「攻略成功と言えるのは40層のボス撃破で転送門で帰還することか。ボス部屋の扉が今回みたいな特殊な仕掛けで開かないとかないよな?」
初見突破しなくてはならない縛りがあるのに仕掛けで進めないと詰むことになる。帰還石で戻れるとはいえ、その場合は2度と先には進めないから、大人しく5種類の宝珠を集めるほかない。あの気が遠くなる作業を考えると是非とも一度で成功させたい。
「各階層のボス扉は基本変なギミックないはずだよ? 最悪、私が調べてもいいけど……」
相棒はただの妖精ではない。全てを識る存在に接続して知りたいことを知れるが、非常に曖昧かつめちゃくちゃ消耗するので俺は2度と頼むつもりはない。借金返済から始まったこのダンジョン攻略は俺の我が儘そのものであり、相棒に過度の負担をかけてまで成し遂げる気はない。苦労するのは俺の担当だ。
「それはいいよ、俺が好きでやってることだしな。相談に乗ってくれるだけでありがたいさ」
「そりゃ私はユウの相棒だもんね! 35層のあの扉も中ボスだから仕掛けがあったんだと思うよ、こればかりは他のダンジョンの情報を仕入れたいね、クロイスのおっちゃんやエレーナにでも聞いてみる?」
そうだな、他の経験者に話を聞くのもいいだろう。それに今の俺なら伝手は格段に増えているじゃないか。
「こっちには<アイテムボックス>があるんだし、使えそうな魔導具やらなんやらを集めるとしようか。それと各国のギルドにダンジョンの情報を提供してもらうか」
知識は力である。特殊な仕掛けやその解除方法などを収集しておけば類似した状況に陥っても対処可能だ。一回限りの挑戦なのだし、やれることは全部やっておきたい。
「そうだ、クランにも頼めば? 世界規模の7大クランならいろんな情報持ってそう。大幹部なんだしそれくらいの権力はあるでしょ」
「その手があったか! 名案だ、後でルーシアにでも頼んでおくとしよう」
一応クランには貢献しているつもりなので、これくらいの融通は利かせてくれるだろう、それにあまり仲が良くないギルドに提供していないような情報も多数握っているはず、ギルドとクラン両方に顔が効く俺ならではの方法ではないだろうか? とにかく情報だ、様々な角度から多くの情報を得て不安要素を少しでも消して挑みたいものだ。
その後もああでもないこうでもないと二人でやっていると、ばたばたと屋敷内を元気に走り回る複数の足音が聞こえてきた。
「あ、とーちゃんだ!」「おお、ユウキがおる。珍しいのう」
シャオと彩華は屋敷で追いかけっこでもしていたらしい。そのまま部屋に入ってくると俺が座る長椅子をぐるぐると回り始めた。
「ええい。ちょこまかと。大人しく捕まるがよい」「えーやだ。シャオにげるもん」
だからって俺の周りで走り回る必要はないだろうに、こちとら考え事をしているんだ。えーと、やはりダンジョン内で野営をすることも視野に入れるべきか?
<どうだろ。確かに時間がかかることもあるだろうけど、転移環で屋敷に戻れるのは確実なんだし無理しなくても>
元気いっぱいな闖入者たちが騒いでいるので俺は<念話>で相棒と話し続ける。
<だが、転移環は維持が難しいからな。安全地帯以外ではまともに使えない。誰かに見張りを頼むことになるな>
<ユウナとレイアは喜んで請け負うと思うけど……ユウが乗り気じゃないなら無理かな? 別に頼んでもいいと思うよ>
<ダンジョンの壁に窪み作って安全地帯は作れるが、その効果は精々半刻(30分)が限度だし、やはり本格的な野営を考えないと……てかやかましいな>
俺の周りを走り回る幼女二人が騒がしいのでそれぞれとっ捕まえて腕の中に引き寄せた。これで考えに集中できるというものだ。
「むー、うごけない」「おのれユウキめ! 妾を誰と心得るか!」
がきんちょ二人が腕の中から逃れようとじたばたしているが、周囲で騒がれてはかなわないので拘束を解くことはしなかった。それからも二人は何か言ってたが生返事を返して相棒と二人で思考の海へ没頭してゆく。
やはり今すぐできる施策としては分身体の技量向上だな。初見殺しの罠も分身体なら気兼ねなく試せるし、ロキの権能だからか封印攻撃にも無関係だった。先ほど相棒はモンスターの配置変わるかもと言っていたが、あれほど強力な能力なのだからしれっと出続けてもおかしくはない。気を抜かず精進を続けよう。
後は……40層のボスが何者かにもよるが、これまではボス戦に苦労した経験はあまりない。己の能力のみが試されるボス戦だが、俺にとっては与しやすい。これまで行く手を阻んだ仕掛けは個人の強さとは縁遠いところにあったからな、
<今ふと思ったんだが、ウィスカのダンジョンって全何層なんだろうな。40層が最終ボスだったりなんてことが?>
<可能性は無くもないけど、違う気がするなぁ、その場合は一気にダンジョンクリアまで行かなきゃならないわけ? 更に難易度上がるから考えるの止めようよ、こればかりは備えてもどうにもならないし>
全40階層のダンジョンは決して珍しくないと聞くが、俺もまだ先はあるような、そんな漠然とした予感がある。これまで散々苦労させられてきたので、なんとしても踏破して留飲を下げたいものだ。
そう言えば随分と腕の中の二人が静かだなと思い視線を向けてみると、揃って夢の中に旅立っていた。シャオも彩華も俺の肩に顔を埋めるようにして寝息を立てている。
寝入るほど時間経ったのかと<時計>を使ってみるとなんと3刻(時間)以上が経過していた。思った以上に思索に耽っていたようだ。
これからどうするにせよ、仲間の意見も聞きたいし各国ダンジョンの情報も欲しい。今すぐ動く案件ではないのだから今日はここまでにしておこう。
眠る二人になんか食べるかと尋ねると一瞬で覚醒してケーキと答えた。
そろそろソフィアたちも学院から戻ってくる頃合いだ。皆と共に茶を囲むとしようか。
「あれ? ソフィアさまだけ? れーちゃんは?」
帰宅した皆と甘味を摂って彩華が名残惜しそうに帝宮へ戻った後、シャオが思い出したようにつぶやいた。
「ああ、玲二はまだ学院だよ、あいつ今忙しいからな」
彼はもう10日前後に迫っている武闘大会の関係者として精力的に動いている。異世界に出張っていて遅れた分を取り返そうと毎日遅くまで学院にいるのだ。
「シャオ、れーちゃんのおむかえいく!」
何を思ったか娘がそう言い放ち、すたすたと歩き出した。おお、とその行動を見守ったのも束の間、シャオは俺の所に駆け寄ってきた。
「とーちゃん、いっしょにいこ?」
まあ学院までの道を知らないからそうなるわな。だが俺もあちらには最近ご無沙汰だったので状況を知りたいとも思っていたから娘の申し出は渡りに船でもあった。
「わかったよ、皆は……そりゃ行かないよな」
ソフィアたちはその学院から帰宅したばかりなのでもう一度向かうと言い出す者はいなかった。俺はシャオと手をつなぎ、その後ろを護衛のクロが首輪の鈴をちりちりと鳴らしながら学院までの道を歩き始めた。
「とーちゃん、あのおみせなに?」
俺はシャオの歩みに合わせてゆっくりとアルザスの街路を歩いている。この子は周囲すべてが新鮮なようで、しきりに見回して俺に質問攻めだ。
「あれは本屋さんだな、難しい魔法の本が売ってるぞ」
「そのとなりは?」
「あれは魔道具屋さんだが、今日はお休みみたいだな」
「ふーん、あ! おいしそうなにおいがする!」
よくわかってない声を上げてシャオは頷くが、学生相手に軽食を売る屋台を見かけるとそちらに一直線だ。しかしお前さんさっき甘味お腹一杯になるまで食べたよな?
玲二が実行委員を務める武闘大会は学院初の催しとあって、これまでにないほど力が入っている。それは特設された専用の戦いの舞台がある時点でも明らかだ。
学院の広い裏庭に石工や大工を多数動員して突貫工事で作られた決闘場は今、観客席を作っている最中だった。随分と金がかかっている設備だが、最近押されっぱなしの北部貴族たちの権勢を示す行事として見栄を張る必要があるのだろう。
玲二はその決闘場の上で他の委員たちと共に作業の推移を見守っていた。
「れーちゃん!」
「え? シャオか!? ああ驚いた、ユウキが連れてきたのか」
シャオは玲二の姿を見つけるとそのまま彼に抱き着いた。ここに居るはずのない姿に驚いていたが、俺を見てその理由を察したようだ。
「おむかえにきたの。れーちゃんおそいんだもん!」
「俺はまだ仕事が残ってるんだが、参ったな」
玲二が困った顔をしているが、他の委員たちは俺にばかり視線を向けている。部外者とはいえそんなに注目しなくてもいいと思うが。
「あ、あの、貴女がユウキさんですよね? ボリスを再起不能にしたっていう」
「ボリス? 誰だそれ?」
玲二がシャオに言い聞かせているなか、学生の一人が俺に話しかけてきた。たしか玲二の派閥の一人だったと思う。幾度か話したことがあった気がする。
「え? レイジが居ない時に喧嘩売ってきたフューゲル男爵家の次男をボコボコにしたって聞いたんですけど」
「ああ、そういえばそんなこともあったな」
玲二が日本に行っている間に代わりに学院に顔を出していたのだが、彼の席に座っていると謎の小太りが俺に因縁をつけてきたのだ。聞くに耐えない寝言を吐いていたのでさっさと起きるように”諭して”してやったのだ。すぐに目が覚めたようで泣きながら謝って来たが俺はこの手合いが大嫌いなのでその取り巻きともども念入りに顔面整形してやったっけ。
まあ、どうでもいい話だ。
「じゃあやっぱり事実だったんですね! あいつが居なくなって学院の空気も良くなりました。貴方にぜひお礼を言いたくて」
「礼を言われるようなことじゃない。気にするな」
この学院でも俺の存在は知られるようになってきた。最初の頃はお礼参りに貴族の私兵がごまんとやって来たのだが、差し向けた貴族もろともも半殺しにしたら一気に大人しくなった。これまでは北部貴族どもが随分と偉そうに振る舞っていたようだが今ではそんな空気は微塵もないとか。雪音やソフィアが学ぶ場所なのでかなり環境は整えたつもりだが、馬鹿はいつでも湧くからその都度対処する必要があるのだ。
「れーちゃん、いっしょにかえろ?」
シャオにまとわりつかれた玲二は帰宅を余儀なくされたようだ。周囲の委員たちに謝罪してこちらへ向かってくる。
「娘の我が儘に突き合わせて悪いな」
「シャオには敵わねぇな。いやまあいいんだけどさ。準備はほぼ出来上がっているから、ここで見てるだけだったし」
日本にいたせいで長期不在を申し訳なく感じている玲二だが、見た感じ進捗は問題なさそうだ。
そしてこの光景を見る限り、波乱の武闘大会になるのは確定だった。何事もなく大会が開かれる可能性もあったが、それは儚い夢と消えてしまった。国王たちの望み通りのデカい騒ぎになりそうだ。
「ソフィアたちを退避させる予定で正解だった。お前も当日は友人や知り合いを決して近づけさせるなよ?」
「……どうにもならないのか?」
玲二も俺の懸念……すでに確定事項に変化したが。それを感じ取って苦しい顔をしている。
「お前がこの大会を成功させようと頑張っていたのは知ってるが、堪えてくれ。とりあえずお前の見せ場までは何も起こらないさ。最終日の午後だけ気を付けておけばいい」
「わかったよ、余計な怪我人が出ないように最善を尽くすさ。まったく、全部仕組まれてたとはな」
悔しがる玲二には悪いが、今回は順序が逆らしいからな。武道大会を狙って事件が起こるのではなく、事件を起こすために武道大会の開催が許可されたようなのだ。彼が今回の実行委員であったことが不幸だったとしか言えない。巻き込まれる学生はもっと不憫だが、怪我無く逃がしてやるから勘弁してくれ。
夕闇迫る決闘場はその色彩も相まってこの先の事件を暗示するかのように不穏な空気を醸し出していた。
神殿から帰宅したイリシャが眠気を堪えて船を漕ぐような遅い時間帯に、俺は出かける準備をしていた。
「兄様。お出になられるのですね」
夜着に着替えたソフィアが俺を見つけて近づいてくる。まだ夜は冷える時期なので背後のアンナが肩掛けを纏わせていた。
「ああ、こんな時間を指定してくるんだ、ろくな要件じゃないが話くらいは聞いてやらないとな」
「その、兄様には心配無用と思いますが、あそこはある意味で教団以上に闇が深いと聞きます。十分にお気をつけて」
「ああ、ありがとう。でも大丈夫だ、俺も無策で挑むわけじゃないからな」
体を冷やしてはいけないよと告げて俺は転移環で王都に跳んだ。”美の館”から向かったのは冒険者ギルドだ。
そこに今回の主役が待ってくれている。
「忙しい身である君を呼び立てて申し訳ないな。今回は私の不徳と致す所だ」
そこで俺を出迎えたのはギルドマスターであり、王国の子爵でもあるハーフエルフのドラセナードさんだ。彼の隣にはユウナも俺の到着を待ちわびていた。
「お気になさらず、むしろ今回は俺がご面倒をおかけしてしまったようで、申し訳なく思っていますよ」
「そう言ってくれると救われる思いだ」
口数少ない彼の様子に内心溜息をつきつつ、ユウナを見た。氷の女との異名をとる彼女が俺を見て救われたような顔をしている。さらに深い溜息をつきたくなった。
「先方は?」
「一刻(時間)ほど前に到着したが、下で待たせている。なに、早く来たのは向こうの勝手だ、精々立たせておけばいい」
普段温厚なドラセナードさんの辛辣な言葉に、彼の内心が窺える。
当然だがこのハーフエルフは怒り狂っている。彼の手腕で実務者同士の擦り合わせまで終わりかけていた交渉が一気にひっくり返されたのだ。言うまでもなくこれは彼の貴族としての顔に泥を思い切り塗りたくる行為である。
だが逆説的に王国の子爵にして冒険者ギルドマスターである彼の権威を意に介さず横槍を入れられる相手が出張ってきた証でもあるが……どう考えても悪手だろう。彼の面子を叩き潰してまで割り込む必要があったのか疑問である。
彼に幼いころから散々世話になってきたユウナがどうかお越し願いたいと内々に頼み込んでくるくらいに弱り切っていた。彼女も板挟みにさせてしまったな、悪いことをした。
ギルドの一室に通された俺は部屋を見回して気付いたことがある。長机に椅子が8脚、ということはここで始めるのだろうか?
「てっきり別の場所で交渉するのだとばかり思っていましたが?」
俺の疑問にドラセナードさんは鼻を鳴らして答える。
「ギルドが私の領域だとして何の問題があるのか。彼らの目的は既に果たされているのだからな」
まあ、そりゃそうでしょうけど。夜更けのこんな時間帯に交渉を要求してくることといい、明らかに表に出せない秘密交渉をする気満々だ。
「こちらは既に義理を果たした。奴等にどんな思惑があるのか知らんが、精々話を聞いてやるとしよう。教会、それも教皇庁が出張って来たのだ。君を前にどんな弁舌が飛び出すか、楽しみだよ」
こうして夜更けに教会における最高権力、教皇庁との交渉が幕を開けることになる。
楽しんでいただければ幸いです。
シャドウ・ストーカーが何を落としたかは別の機会に披露するかと思います。
交渉まで終わらせるつもりが無理でした、次回に続きます。
もしこの拙作が読者様の興味を引いて頂けましたら評価、ブックマークなど入れていただくとこれに勝る喜びはございません。何よりも作者のモチベーションが超絶鰻登りになります。更新の無限のエネルギーの元になりますので、何卒よろしくお願いします!




