見捨てられた場所 16
お待たせしております。
「も~! 私が見てないとホント、ユウはダメなんだから!」
「いや、面目ない」
今、俺は正座してリリィからのお説教を受けている。周りは朝日が清々しいよい朝だが、目の前に浮かぶ相棒は湯気が立ちそうなほどの剣幕でお怒りだ。しかしそろそろ半刻(時間)にもなる。
いい加減説教を終わらせてくれてもいい頃合いだと思うのだが、そうは問屋が卸さないようだ。
「ユウ! 反省してないでしょ?」
しまった、相棒とは繋がっているので言葉にしなくとも考えが伝わってしまう。不用意だったな。
「反省してるって。少し勇み足が過ぎた、自覚はあるよ」
「リリィ、兄様もこう仰っているのだし、もうよいのではなくて?」
朝っぱらから盛大に怒られている俺にソフィアが見かねて声を掛けてくれたが、我が相棒の怒りは収まる様子を見せない。
「ダメだよソフィア。ユウにはちゃんと言って聞かせないと。私くらいしかユウに注意してあげる人いないんだから」
これから学院に登校する上の妹が気遣わしげに俺を見てくるが、今回に関しては完全に俺が悪いのでリリィからの小言を甘んじて受けるしかない。
「とーちゃん、リリィちゃんにおこられてるの? だめだめさん?」
すっかり元気になってたくさんの朝食を食べ終えたシャオが正座させられている俺の膝の上に乗ると曇りなき眼で見上げてきた。その純真な顔が俺の精神を容赦なく削ってくる。
「そう! ユウはダメダメなの! だから反省中!」
「にいちゃん、ちゃんとはんせいしなきゃだめ」
イリシャまでもがリリィと一緒にめっ、と怒ってくる始末だ。妹が怒っても迫力より愛らしさしか感じないが、どうやら夢で”視”たようで俺が何をしたか解っているらしい。
「お、まだ説教中か? 今回は珍しく長いじゃんか」
更には制服姿の玲二と雪音までがこちらにやって来た。すでに店に向かった如月やセリカ以外の皆に俺の叱られるさまを見られてしまったことになる。
「そりゃそうでしょ、ありえないもん! 私が一緒に居ないと危なくてしょうがないってユウも自分も解ってるはずなのにさ!」
「そういえばリリィが怒ってばかりで、理由を聞いていなかったわ。いったい何かあったの?」
玲二たちもそのことは就寝中だったはずだが俺が何がしたのかは理解しているらしく、二人して苦笑している。
「そっか。ゴメン、まだみんなにユウの罪状を知らしめていなかった。聞いてよ、ユウったらほんと信じらんないの。昨日の深夜に一人で勝手にダンジョン攻略に行こうとしたんだよ!」
なぜ俺がこんな真似をしでかしたのか、少しばかり説明がいるな。
暗黒教団はそのイカれた教義とは裏腹に先史文明の遺産を数多く抱えている。その最たるものが距離関係なく会話できる通話石であり、これがほぼ唯一の供給源であることから各国が悩みの種でありながらも教団との関係を絶てない原因でもある。
国側としては教団本部に積極的にこちら側の人間を送り込むことで世俗化を図り、利益を最大化すべく務めてきた。バーニィーの兄貴であるフェンデルさんが枢機卿に就き、伯爵位を弟に譲って本部行きになったのも国の意向である。ランヌ王国は俺が魔力切れで使えなくなった通話石の回復ができることで断交を決めたが、この国から人を出したことは南部周辺諸国への影響力を増大する意図もあったとか。
話が逸れたが、そういう訳で連中は不思議な魔道具を山ほど持っている。強力な品は厳格な管理をされていたそうだが、かのグレンデルの跳梁は教団本部の力関係を一変させてしまった。奴が滅んだ後は二度と同じ愚を犯さぬように貴族側も本腰を入れたが、相当な魔道具が本部から散逸したと聞いている。
グレンデルという巨魁が堕ちた後は残りカスばかりとはいえ、殉教した聖地である王都で派手な騒ぎを起こせば奴の後継として名を上げられるらしく、この国は血気盛んなイカレ信者が続々とやって来ている。
当然バーニィーが王都内部への侵入を防いでいるが、その分目の届かない城壁外の貧民窟で勢力を築いており、そしてそいつらの手には散逸した強力な魔道具があったわけだ。
連中の拠点にあった掘削の魔導具は2本だが、奴らはそれを交互に使っていたようで俺が自分の物のした方の回数は残り4回だった。先に使った方はまだ1回残っていたのだが、帰還するときに使いボロボロに崩壊してしまった。
俺にとってはこの魔道具の詳細な効果を把握する絶好の機会になった。普通なら一瞬で復元するダンジョンの壁が30微(秒)ほど、国王や護衛たちが全員通り抜けられるくらいの時間効果を発揮するらしい。
国王たちは王都の地下のダンジョンということで貴重な魔道具を使わずにその足での帰還を望んだのだが、護衛たちが必死の抗議により却下された。地下16層から地上に戻るとなると半日近く時間がかかるし、二人とも当然ながら家族に知らせずにお忍びでここにやって来ている。特に国王は翌朝までに戻らないと騒ぎになるのは明らかであり、泣く泣く貴重な魔道具が砂に変わり果てる光景を目にすることになった。
勿体ないことをしたと嘆く国王たちを尻目に、俺の頭の中は先ほどの思い付きで一杯だった。国王の私兵たちが周辺の死体を適当に片づける(どうぜここでは死体漁りが何もかも持っていくので危険な品は俺が回収した)なか、バーニィーとも別れたあと俺はその足でダンジョンに向かった。
向かってしまった。
好奇心に負けて深夜に探索はしないという相棒との約束を破った。本当にこれは反省しきりであり、何一つ反論できない。相棒がダメダメ言うのも甘んじて受け入れるしかないのだ。
なにしろ俺は致命的な失策を犯してしまった。
冷静になって振り返ればいったん落ち着いて翌朝にでも挑めばいい話だった。その時にはリリィも同行しただろうし、仲間も視界を<共有>し有効な助言をくれたであろうことはこれまでの経験から明らかだ。
しかし、この半月(45日)以上何も進展せず足止めを食った事実が俺自身自覚せずとも焦りを生んでいたもかもしれない。この思い付きを物は試しとばかりに一人で実行に移してしまったのだ。
「師匠、それでどうなったんですか?」
「35層の攻略は全く進展がありませんでした。お師さまが早速試したいと思われるお気持ちも理解できますが……ここまで後悔を口にされるなんて、なにがあったのでしょうか?」
ライカとキキョウが俺の失敗を聞いて興味津々だ。
場所は王都の”美の館”内にある如月が経営する喫茶店だ。弟子二人と共にアリシアとミレーヌも茶を共にしている。
あれからしばらくの間リリィの説教が続いたものの、弟子たちとの約束がありお叱りの時間はいったん終了した。しかし最近目を離し過ぎたよ、とあっちも反省したらしい相棒は俺の肩に座って二度と勝手なことは許しませんと監視中だ。
「ユウが勝手なことやって自爆するのは結構あるんだけど、私が見てないときにするのは禁止なのに。まったくも~」
未だお怒り中である相棒だが、正直俺も自らのやらかしに目を覆いたい気分であり、彼女が怒ってくれるから自分が冷静になれるところもあった。
「自爆ぅ? 師匠がなにか失敗したんですか、珍しい」
朝なので甘味ではなく軽食を口にしているライカが驚きの顔をしているが、俺はかなり失敗している方だと思う。致命的なものにしていないから取り返しがついているだけで、むしろ失敗を重ねて成功への道を探る探索をしているつもりだ。
今回はその取り返しのつかない失敗なのである。
「まあ、説明してもいいが、これはアリシアの方が詳しいか……」
彼女に話を向けようとしたが、アリシアとミレーヌの姉妹も中々忙しそうだった。
「姉さん、そのパンばっかり取らないで。もう、私の分も残しておいて」
「あ、ごめんなさい、このクロワッサンが焼きたてで美味しくていくらでも入ってしまいそう。それにこのバターの香りが芳醇なこといったら! あ、アリシアそのスコーンは?」
「ええ、チョコチップが入っていて何もつけなくても最高においし……あ、先生、なにか?」
この喫茶店は開店と同時に開く訳ではないので朝の軽食を食べられるのは従業員だけに限られる。しかし客より店員の方がいいものを食べているともっぱらの評判であるこの店舗だからか、甘味以外の食事もお気に召したようでなによりである。
「いや、気の済むまで食べてくれ。如月も満足そうだしな」
奥で店主である如月もまんざらではない顔をしているが、俺が視線を向けるとこちらにやってきた。
「良い朝ですね、みなさん。お客様にお出しする品ではなくて恐縮ですが、お味は如何ですか?」
「素晴らしいです! 朝からこんな幸せな思いをさせていただいて感謝いたします。キサラギ様!」
「この紅茶も本当においしいです。ご、ごめんなさい、私あまり言葉が上手ではなくて、この気持ちをうまく言い表せないのです」
俺の両隣は弟子二人が占拠したが、俺が少し横に動いて如月が椅子に座れる隙間を開けた。席に着いた彼は店員に手を上げて卵料理を持ってこさせた。
「あ、これ濃厚で美味しいんですよね! 私だけ食べたらカオルとシズカに申し訳なくなっちゃう」
「後でお土産に包むから持ち帰るといいよ」
玲二が日本で滞在したホテルで作り方を学んだ半熟の卵焼きは皆が手を伸ばした。ここに来る前に朝食を済ませたはずだが、食は細くては冒険者はやれないので誰もが旺盛な食欲を見せた。
「このふわとろ卵、何度食べてもおいしい! すっごい濃厚だし」
「バターとたっかい生クリームたくさん使ってるだけあるよね、ここのコックも腕を上げたじゃん」
リリィも絶賛しているが、せめてものを食べるときは俺の肩から降りてほし、いやなんでもありません。
「あの、先生、先ほど何か仰いませんでした?」
アリシアは何度止めるように言っても改めず、俺を先生と呼ぶ。剣士の彼女に何が教えられることはないのだが、ライカ達にこうやって何か話すだけでも天才には得るものがあるらしく満足げだ。
「ああ、ダンジョンの構造は二人の方が詳しいだろうと思ってな。いや、辛いことを思い出させるるつもりはなかった」
「いえ、大丈夫です。家族もダンジョンに挑んだのですから、ああなることも覚悟の上でした。今のお話に関連する事柄でしょうか?」
20層ボスに挑んで壊滅状態に陥った過去を思い出したのか、顔に陰が出たアリシアに謝罪したものの彼女の中で折り合いがついていたのか、前向きな答えが返って来た。
「弟子二人はダンジョン経験が乏しいから実感しにくいだろうからな。君も35層の大扉は見せたよな?」
彼女たちには俺が扉を開く鍵となる5種類の宝珠を探してもらう関係上、動画で大扉を見せたことがある。
ちなみに二人にもあれだけ手伝ってもらったのに新しい種類の宝珠は全く出なかった。他の色はそこそこに姿をみせるものの、出たのは赤青黄色の3色のみだ。累計で開けた宝箱は1万を優に越えたはずなのにだ。
もう宝箱からはこれ以上出ないんじゃないか? と俺が思うのも無理はないと解ってもらえると思う。実はあと2種類が何処で手に入るのか、可能性自体は浮かび上がっているのだが、実行に移すのは困難を極めた。
だから新たな方法で扉を突破できる可能性に飛び付いても何ら不思議なはいと思うのだが……え? だからって相談なしに一人で行くな? ごもっともです。
「あ、はい。20層で攻略失敗した私達には縁遠い話でしたけど」
「現状であの殺戮人形を倒したのは君と俺だけなんだし、攻略成功と言っていいはずだぞ」
「家族をあれだけ失って成功と言い張るのはあの愚か者だけでしたわ。事実としてあの一戦でパーティーは壊滅したのです」
ミレーヌが遠い目をして仲間を大勢失った日を思い返している。暗い話になりかけたので俺は話を続けた。
「君達はあの扉の先には何があると考える? 想像でいい、聞かせてくれ」
俺が問いかけた意味を考えているのか、アリシアはカトラリーを置いて思案を始める。
「そうですね。私達もこれまでに潜ったことのあるダンジョンは3つ程度なのですが、あれほど大きな扉の先となると、まず考えられるのがボスの部屋でしょうか、35層という区切りの層という点でもありえそうです。またウィスカの環境層の入り口もあのような扉でしたので、大きく変化する可能性もありそうですね」
アリシアは少しだけ考えた後でそう答えた。彼女の意見を聞いて俺の馬鹿さ加減が余計に強調された気がする。
「俺の失敗とはそれなのさ。君が僅かな時間で考えて思いついた事をまるで考慮せず、あの面倒な鍵を探さずに通れる可能性を見つけただけで試しに行ってしまった。少し冷静になれば、相棒や皆が傍に居れば残り回数が少ないから慎重に行ないとまずいと思い至れるはずなのにな」
自虐めいた俺の言葉は珍しかったのか、皆が気遣う視線を送って来た、あれだけ怒っていた相棒が慰めてくれたほどだ。
「ま、まあ仕方ない面もあるよね、あれだけ宝箱あけたのに宝珠は結局まだ3種類しか見つかっていないもん。ユウが確認だけでもしたいと思う気持ちはわかるよ、私は相談してほしかっただけだし」
「お師様、お話から察するに35層の攻略は為されなかったのですか?」
皆からこの先の言葉を促された俺はため息と共に自分の失敗を披露することにした。
「攻略以前の問題だった。魔導具自体は問題なく作動して、扉横の壁に穴を開けることには成功したんだが、その先はボス部屋でな。それでそこからが俺の想像力のなさが起こした問題なんだが、ボス部屋のボスってのは基本扉が開いてから動き出す。それはキキョウたちも例のダンジョンでボスを周回で狩った時に見たはずだな? で、ちゃんと扉を開けて動き出したボスを倒さないと出口側の方の扉も開かないらしい。つまり……」
ため息とともに紡がれた俺の言葉の意味を正確に読み取ったのは、さすがというか如月だった。
「そうか。今のままだと入り口と出口で2回魔道具を使用する必要があるんだね。ああ、なるほど。残り4回しかない魔道具の貴重な1回を浪費しちゃったのか」
勿体ないことをしたね、と如月も俺の痛恨の失敗を惜しんでいる。本当にその通りだ、好奇心が猫を殺すという地球の格言があると聞くが、まさにその通りだった。
しかも部屋の中央で鎮座するボスらしき存在が居たのだが、俺が正規の手順で入らなかったからか変な靄に包まれて全く動かず、倒しても何も落とさず扉も開かなかった。
ちゃんと5種類の宝珠を集めろということなんだろうが、あれだけやっても出ないんだから仕方ない。財宝は山程溜まったが、今の俺は借金返済よりもダンジョン攻略に重きを置きつつある。理不尽な足止めを食らっている今、先に行ける方法があればそれを選ぶに決まっている。
「で、でも! それは師匠が実際に使ってみて初めて分かった事じゃないですか、不可抗力な面もあるのでは? そこまで師匠がすべて悪いって訳でもないと思います」
ライカが盛大に失敗した俺を擁護してくれているが、これはどんな言い訳もできない。
「そう言ってくれるのは有り難いが、冷静になって全ての可能性を吟味すれば想定出来た話なんだよ。アリシアも俺に聞かれただけでボス部屋の存在を想定できただろ? 魔道具の使用回数が限られているんだから行動に移す前に落ち着いて考えるべきだったのさ」
いつものように仲間たちと話し合っていればボス部屋の可能性にたどり着き、そこからさまざまな準備と想定ができたはずだ。無為に回数を使って逃げ帰るという無様を晒さずに済んだはずなのだ。
「ですがお師様、ライカさんの意見も一理あるのでは? 残り回数が何回でも使用して先に進めれば結果として間違っていないと思います」
キキョウもそう言い募るが、その言葉に俺は首を横に振るしかない。
「そりゃ先に進むことが大前提だが、魔導具で開けた穴はすぐ塞がれてしまうからな。部屋の出口の先が階段なら幸運だが、その日のうちに帰還できる転移門まで見つけられないと帰還石で戻ることになる。そうなりゃ全てが振出しに戻るわけだ」
2回しかない貴重な機会をすでに1回消費してしまった。それで得られたのは容易に想像できる事実という無益な結果に終わった。
当然ながらボス部屋で帰還石は効果を発揮しないというのはダンジョン共通だ。使うだけ壊れて無駄になる。ウィスカは異常なまでに貴重かつ高価なので、試してみる馬鹿はいない。
「それは残り回数が4回の時点で大差ないと思いますけど……」
「だが、4回あれば2回試せるからな。一度は情報収集と割り切って動けるんだし、これは大きいぞ。次は事前情報もなしに未踏破層を初見突破して……おそらく40層のボスを打倒して転移門にまでたどり着けないと攻略成功とはいえないからな」
今の所、安全に転移環を置ける場所が転移門の傍だけしかない現状ではそうなるが……無謀だろと自分でも思う。
つくづく適当に一回使ってしまった事は愚かでしかない。
俺の頭の中身は並み以下だが、仲間や従者たちは優秀だ。情報を共有すればこの程度の意見は即座に出て貴重な一回を安易に用いるようなことはしなかっただろう。
弟子達が来てからもひとしきり嘆いていたが、そろそろ切り上げるか。
この大失敗で即座にダンジョン攻略再開、というわけにはいかない。
成功のためには入念な準備をする必要があるが、これまでのようにひたすら宝箱を集めて開けまくり、出ない宝珠を探す虚しい時間を繰り返す必要がないだけましだ。
残りの宝珠に関する可能性は……この子込みが失敗に終われば嫌でも実践せざるを得ないのだ、その時に考えよう。
「ああ、今思い返しても自分の馬鹿さ加減に腹が立つ。だが今は切り替えないとな、いつまでも愚痴っていても仕方ないし。ライカ、食ったら動くぞ。獣王国ののバザールだ、アリシア達はあそこ初めてか?」
元々弟子達にゲルハルト親方の防具を作ってやる約束で、二人は既に採寸も済ませている。
だが二人に相応しい高品質な素材が無いので世界中から様々な品が集まるバザールに今日は向かう予定だったのだ。
「はい、師匠」「新大陸は初めてなので楽しみです」
「そうか、初めてならなかなか楽しめると思うぞ。取り合えず二人は変装だ、目立ちすぎるからな」
現役と降りたとはいえ元Sランク冒険者二人なので不用意に街を出歩かせるわけにはいかない。獣王国は新大陸の玄関口として冒険者がひっきりなしにやって来ている。見目麗しい二人の顔を知る者もいるだろう。
「それはユウも一緒でしょ? さあさあ着替えた着替えた」
最近俺を自由にさせすぎたよ、と謎の反省をしているリリィは俺についてくるようだ。ダンジョン以外で俺に同行するのは久し振りだな。
「あれ? 師匠も変装するんですか、珍しいですね」
認識阻害の魔導具を使うまでもない簡易な変装はユウナ仕込みだ。一見しただけでは俺だと解らない程度には誤魔化せている。
「向こうの屋敷に行くだけなら必要ないが、今日は市街に出るからな。顔が割れてると面倒だが仕方ない」
「お師さまの偉大さを理解しているのです。一目見たいと集まるのは当然なのでは?」
「待ち人は獣神殿における救い主ですもの。あの国の王都でユウキ様が気軽に出歩かれれば騒ぎになりますわ」
何故かキキョウとミレーヌが俺を持ち上げてくる。特にミレーヌは陶酔したような顔をしているが、俺にとっては憂鬱でしかない。
「いつか聞こうと思ってましたけど、そんな面倒に関わるなんて師匠らしくないですよね?」
「あれ? 話してなかったか? あの件はセレナさんに頼まれたんだよ。俺は彼女に大きな恩がある。娘のためと頭を下げられたら受けざるを得ないからな」
「ああ、そういう流れだったんですか。彩さまもあの方には懐いていますし、凛さまも感謝されてましたよ」
ライカも俺の言葉に納得顔だ。セレナさんには俺と凛華は共に頭が上がらない。あの人のためならこの程度の労苦は喜んで背負いたいくらいだ。
「そういうわけで変装して買い物なのさ。準備が出来たら向かうとするか」
「ランヌ王国と新大陸が一瞬で移動できるなんて、何度経験してもあの魔導具には驚きます」
既にオウカ帝国などにもライカと共に行き来するアリシアだが、まだ転移の瞬間は緊張するらしい。
「便利な分、色々とややこしい面もあるけどな。行くぞ、あっちはここより一刻(時間)ほど時差がある。混み始める前に移動するぞ」
獣王国のバザールはこの王都ラーテルの一番の名所だが、立地という意味ではいささか恵まれてはいない。王都と港に近い場所で商売を始めたことがその成り立ちだから仕方のない面もあるが、主要な大通りから離れているし、交通の便もさほど良くない。だがむしろバザールに合わせて都が発展している面もあり、融通が利く点もある。
最近では俺がラコン達を盛大に迎え入れるた最も大きいが使えなかった第三埠頭を浚渫した影響もあり、バザールの形も変化しつつある。人の流れに変化があれば敏感に察知する、こういう柔軟さが簡易な移動式店舗の強みだ。
「ししょーししょー、あれ何ですか?」
「大陸西部の特産だとさ。買ってみるか? キキョウ、買うならそれより隣の奴にしろ。その方がものがいい」
「お師さま、お気遣いなく……ありがとうございます」
キキョウが仲間たちに土産を見繕っているので、彼女の分まで買って手渡した。それを見た弟子二号は南国の果実らしきものを両手に持ち、俺の前に突き出した。何に対抗してるんだお前は。
「はいはい。大将、それも包んでくれ」
「へへっ、男は甲斐性だぜ、旦那!」
謎の声援を受けた俺は買い求めた果実(甘酸っぱい風味で面白かった。これは当たりだ。後で皆の分も買い足そう)を齧りながら先を歩く目立つ二人に視線を向けた。
「噂通り、いえそれ以上の人出ですね!」
「獣王国とは言え、意外と人族の姿もあるのね……」
「アリシアとミレーヌ、はぐれるなよ?」
俺が初めてここを訪れたとき同じような感想を漏らす二人に声を掛ける。物珍しげに周囲を見回してばかりの二人は掏摸から見れば絶好の餌だ。そして獣人には掏摸が天職だろ疑いたくなるほど
の種族がいる。
「おっとごめんよ!」
小柄な体躯ながら俊敏な鼠の獣人が彼女たちの間を素早くすり抜けていった。何度見ても鮮やかなもんだな。
「へへっ、バザールをよそ見して歩いちゃいけねえぜ、人間のお嬢さんがた」
捨て台詞を吐いて逃げ出そうとした鼠獣人の手には二つの物入れがある。アリシアたちが、懐に手を入れて驚いているのを見ると、おそらく取られたことさえ気付かなかったのだろう。
「ああ、ここじゃあんたみたいのが出るからな」
「ぎゃっ!」
俺は横を走り去ろうとする鼠獣人の首根っこをとっ捕まえた。ユウナ曰くスカウトになるために生まれてきたような種族(目立つので新大陸限定)とのことだが、確かに見事な腕前だ。
「うわ、なんだお前! は、離しやがれってんだ」
じたばたと暴れる鼠獣人だが、なんだろう。種族的特徴なのか、妙に愛嬌があり口元に笑みを浮かべてしまう。
「お師さま、衛兵に突き出しましょう。野放しにはできません」「そうですそうです」
潔癖なキキョウとライカは法の裁きを受けさせろと言っているが俺は取り合わなかった。
「官憲が掏摸一匹で真面目に仕事するわけないだろ。こいつが賄賂払って即座に放免だよ」
貴族のお嬢様達には縁遠いだろうが、都市の掏摸には大抵元締めがいて官憲と金銭で癒着している。これはこの国に限ったことではないし、文句をつけても始まらない裏側の世界の話だ。
「くそ、あんなお嬢さん二人組ならいいカモだと思ったのによお」
俺に首根っこを掴まれながらも悪びれることない鼠獣人に女性陣が形の良い眉を吊り上げるが、そう怒らんでもいいじゃないか。
<あ、ユウが気に入った。相変わらず変な部分に刺さるね、本当に好みが変なの>
<ほっといてくれ>
人混みが苦手な相棒は定位置その2である俺の懐に退避済みだが<念話>でこちらの内心を見抜いてきた。
「お前らみたいなのがいて警戒しないはずがないだろ。案の定引っかかったしな」
俺の言葉に鼠獣人は二人から掏った物入れを探るが、そこから出てきたのは硬貨の代わりの小さな石だった。
「ち、畜生。騙したな? なんてこんな酷いことすんだよ! あんまりだ!」
「おいおい、盗人が吐く台詞じゃねえな」
4人には予め財布を俺が預かって<アイテムボックス>に入れており、身代わりの物入れを渡してある。掏摸は人の懐を探るせいか、それっぽいものを感じると偽物でも即座に抜いてゆくからそれを利用したのだ。
俺に首根っこを掴まれたまま嘆いている鼠獣人だが、こいつは自分の死期を悟ってはいないようだ。背後に二人の死神が控えている。
「先生、そろそろよろしいでしょうか?」「乙女の懐に手を入れた罪は万死に値します」
「えっ?」
殺気に反応して振り向く鼠獣人は、その恐ろしさにぶるぶると震えだした。
「ま、待ってくれ! 人間になんか興味ないぞ。せめてふさふさの毛皮がないと俺だって嫌だ!」
「先生の前でそのような言葉を……死にたいようですね」
「女性としての魅力がないとこの方の前で口にするとは……最期の言葉はそれで構いませんか?」
いや、たぶんこいつの言ってる意味は違うと思うが……己の言葉が二人の怒りをさらに増幅させたことに気付いていない鼠獣人だが、こいつの言葉に耐えられなくなってしまった奴がもう一人いる。
「ふっ、ははは。そりゃまあそうだな、確かに一理ある」
「もう、ユウキ様!」「先生!」
俺もセレナさんやラナに親愛は感じてもそういう相手として見たことはない、外見における種族の壁は大きい。
<ユウはケモナー属性ないもんね。この世界がケモ度高いってのもあるけど>
相棒が何か言ってるが、理解しないほうがいい話題であると本能が訴えているので返事はしなかった。
「おいお前、官憲に突き出されたくなかったら道案内しろ。ここらで掏摸やってんだ、地理に明るいだろ?」
俺たちが向かう店は<マップ>で解っているが、このまま無罪放免というわけにもいかんからな。
「も、もちろんだ。このバザールの地を誰よりも熟知してるのがこの俺、人呼んで駿足のペケタよ」
俺の提案にペケタと名乗った鼠獣人は残像が残るほどの速さでがくがくと頷いた。確かについこの間までSランク冒険者やってた人間が出す殺気は恐ろしいものがある。
「じゃあ案内してくれ。”ギジスの店”って名前だけ聞いてるんだが」
俺が出した名前にペケタが驚愕の表情を浮かべた。そんな大店なのだろうか?
「ギジスの旦那の店だってぇ? あんたら何者だよ、まともな奴が行く所じゃないぜ」
随分と後ろ暗い商売をしている奴らしい。俺たちがその筋の人間だと考えたのか、まだぶるぶると震えだすがこんな正統派美人を4人も連れている時点でどう見ても堅気だろうが。
<正統派かなあ? 相当癖のある面子な気がする……ユウにハーレム願望がないと解ってなきゃお説教コースだよこれ?>
今日は色々と仰いますね、リリィさん。
「俺は店名しか知らないんだが、一体どんな店なんだよ?」
その問い掛けにペケタは声を潜めて返してきた。
「盗品を主に扱ってんだ。昔は真っ当な商売してたらしいけど、今の店主は金のためなら何でもやるって評判だぞ」
「へえ、そうなのか。まあどうでもいいか、案内してくれ。そうしたら開放してやる」
「あ、あんた今の話を聞いてなんで行こうとするんだよ! 止めといたほうがいいって。あそこと争って何人も死んだって聞いてるんだ。女連れで行く店じゃないぞ」
青い顔で言い募るペケタだが別に俺は喧嘩を売りに行くわけではないし、この4人は全員凄腕の冒険者だ。侮るような馬鹿は命で代償を支払うことになるだろう。
「平気だよ、俺たちは買い物に行くだけだ。商売だよ、商売」
なにしろ”二つ名持ち”の魔物素材、それも変異種のスパイダーシルクは彼女たちの防具素材にもってこいの品だ。情報を得たときから最優先で確保したい第一候補だった。
きな臭い話も聞かされたが、そっちの住人なら俺もやりやすい。
金貨を積むか血を流すかは向こうの出方次第だが、俺はどちらも得意分野だ。
楽しんでいただければ幸いです。
主人公はやらかしました。大失敗です。
ダンジョン攻略は作中にもある通りまだ先の予定です。
もしこの拙作が読者様の興味を引いて頂けましたら評価、ブックマークなど入れていただくとこれに勝る喜びはございません。何よりも作者のモチベーションが超絶鰻登りになります。更新の無限のエネルギーの元になりますので、何卒よろしくお願いします!




