見捨てられた場所 10 閑話 深夜の散歩
お待たせしております。
俺の名はゾンダ。ユウキの頭の舎弟をやらせてもらってるケチな野郎さ。”石切り”の二つ名で昔は通ってたが、ユウキの頭がご自身の異名を吹聴することをお好みにならねえから自分じゃ名乗ることもすっかり減った。
ザインの野郎はまだ平然と”喧嘩屋”の二つ名を口にするが、あいつはそこらへんの機微がまだ解ってねえ。だがその青臭さが頭のお気に召すようで、特に何も仰ってはいねえようだな、運のいい野郎だ。
ユウキの頭には俺を含めて8人の舎弟がいる。あの大掃除の際に頭直々に助けられた俺達と”クロガネ”結成時に合流したボストン達三人だ。この8人が組織の運営に実質的に携わっている。
俺たち8人はそれぞれ本業を持ちそこから得られた収入を組織に入れている。俺はかつての”石切り”の名の通り職人たちの取り纏めが本業だ。
ザイン達は賭場、ゼギアスや瑞宝は娼館経営など王都の裏側で生きる者たちを束ねている訳だが、組織に金を入れるという面では俺の五分の兄弟であるエドガーに誰も敵わわねぇ。
俺も小耳にはさんだだけだが、兄弟が半月(45日)で組織に流した金は金貨1000枚を超えるというじゃねえか。俺の娘でもあるジャンヌが働く”美の館”の売り上げはとんでもねえと聞くし、上納金という意味では兄弟がダントツ一位だ。しかしそれが組織の序列に直接反映されるわけでもねえ。
俺たちが最も重んじるのはその生き様よ。誰しも頭のように鮮やかに生きられるわけじゃねえが、人生折り返した俺みたいな中年でも、少しでもあの背中に近づきたいじゃねえか。
”クロガネ”はあっという間にデカくなった。今じゃ王都外にもいくつかの傘下組織を加えるありさまだし、頭数だけならそろそろ万の大台に達するとも聞く。かつてはシロマサの御大率いる”シュウカ”に居た身としては後を継いだ組織が隆盛を極めるのは感無量だが、そう何もかもうまくいってるわけじゃねえ。
事実、頭はこの拡大路線に不満を覚えてらっしゃる。図体ばかり大きくなっても中身が伴わなければ意味がないと常々仰っておられるし、そのお言葉には同意見だ。前にも縁故で入ってきた野郎が頭に非礼を働いたし、虎の威を借る狐というオウカの言葉がここまでしっくりくる話は中々無ぇな。
頭の意を汲んだ俺たちは性急な拡大には首を縦に振らねえが、下の奴等が人数の上積みを功績のように考えてやがるので加入申請は収まる気配を一向に見せねえ。
頭の威光に憧れるのは男として解るが、半端者を次々に入れても劣化が進むだけだってのを新入り共は全く理解してねえ。頭や御大が一度キッチリ締めて下されば話は早えんだが、お二人は組織の運営に口出しはなさらねえんだ。
頭はいざとなればシロマサの御大と俺達だけを連れて新しい組織を作り上げるおつもりだからな。その時にあの馬鹿どもがどんな顔をするか見ものだぜ。
幹部の俺達だが、組織の仕事が毎日あるわけじゃねえから、各々は好きに日々を生きている。ゼギアスの野郎は頭の支持を得て学校建設へ邁進しているし、イーガルは国の事情である港湾拡大をさらに大々的なものにすべく精力的に動き回っている。
そんな中、俺とザインが精力的に動いていたのが王都内にあるスラムの解消だった。このスラムこそが余所者の流入を最初に招いた諸悪の根源なので俺とザインの手下どもを総動員して浄化を行った。頭の援助を受けながらも徐々に王都の暗がりを消し、半年以上も掛かってなんとかスラムと呼ばれていた地区を王都内から抹消できたのは我ながら一生ものの大仕事だったぜ。苦しい時は頭からのご助力も頂いたし、他の幹部からの応援もあったとはいえ、”クロガネ”でも屈指の出来事だとして御大からお褒めの言葉も頂戴したくれえだ。
お次は王都の外壁の外にあるスラムに手を出そうとしたんだが、あそこは頭から直々に手を出すなと釘を刺されちまった。頭の仰ることも理解できた、実際に俺の知り合いの町の衆にそれとなく話を振ってもいい顔はしなかったしな。
口では応援するだの協力するだの言うくせに、どいつもこいつも王都の民より他所からやって来た奴らを優先するのかよ、と顔に書いてある。
だがそういった反応も解らなくはねえ。王都の町の衆の力になって来たから今の俺たちの隆盛があるのは確かだ。だが、かといって苦しい立場にあるあいつらを見捨てていい理由にはならねえはずだと幹部会で説いたら頭は組織として動かなければ、個人としての活動であれば構わないとお墨付きをいただいた。他の幹部連中も城壁外のスラムに心を痛めていたようで、それぞれが自分の財布から資金を出してくれたので、俺とザインは奴らに手を差し伸べるべく動き始めたのだった。
「俺は近々、”外”の貧民窟に出向くことになると思う」
そして今日、俺たちを集めた頭がついに待ち望んだ一言をくださった。
「か、頭。ついに動かれるんですね! 頭なら必ずやあいつらを救ってくださると信じてましたぜ!」
ザインの野郎が興奮して頭に詰め寄っているが、あいつが行かなければ俺が行っていた。俺達だけじゃ外郭と呼ばれる場所に影響力を及ぼすのが精いっぱいだが、頭が直々に動いてくださるなら話は全く変わってくる。
王都内のスラムとはけた違いの規模になっているあそこは俺個人ではどうにもならねえと思い知っているが、頭が動かれるとなれば話は別だ。あのお方に不可能なんざ無ぇからな!
「そういう訳であっちを少し調べてくるが、ここからが本題だ。お前ら、首突っ込んでくるんじゃねえぞ?」
感激で他の奴等との会話がほとんど耳に入ってこなかったが、頭のその一言で我に返った。
「そんな! こういう時こそお役に立てる絶好の機会じゃないですか!」
ゼギアスがそう言い募ってくるが、頭は取り合わねえ。その内ついてくるなよと念を押され、リノアの嬢ちゃんが乱入してきてその場は流れたが、ザインの野郎が俺を強い意志の籠った眼で見つめてきた。こりゃあ俺と同じことを考えてやがるなと察した俺は頷くことはなく、同意の意思を視線で返した。
頭がお一人で動かれるってのに、その供をしねえなんて馬鹿な話があるわきゃねえよな。
となりゃあ善は急げだ。あの様子だと頭はリノア嬢ちゃんを何とか撒いてからスラムに向かわれるはず。準備する時間は十分にあると見たぜ。
「お父さん、また変なことしてるわね……」
「ジャ、ジャンヌ! こ、これはだな……」
早速家に帰って準備をしていたら帰宅した娘に現場を見られちまった。今日はエドガーの所に向かうはずだったので気を抜いちまってたぜ。
「似合わない変装なんかして、何か企んでるでしょ?」
「馬鹿なこと言っちゃいけねえや。俺は特に何も……」
人相を変えるべくカツラを被ろうとしていた姿を見られたとはいえ、娘に悟られるわけにはいかねえ。そうなればエドガーの兄弟から頭まで情報は一気に伝わっちまうだろう。
「まったくもう、どうせユウキさん関係なんでしょう? いつも謝るのは私なんだからね」
仕方ないなあ、と見逃してくれる俺の娘はこの地上に生まれ落ちた天使だ。嫁に出すのはエドガーが許そうが、俺が認めた野郎じゃなくちゃ許さねえ。
「し、心配ねえって。今日はちょっとばかし出掛けるだけよ。危険なことなんてありはしねえさ」
俺はそう言い募るのだが、ジャンヌは疑わしそうな顔を隠さない。くそう、父ちゃんの言葉を信じねえとは……これまでに”やらかし”で信用がないのは解りきってるがよ。
「本当? ユウキさんが親分さんのお屋敷に向かったとはお店で聞いたけど、家に戻ってみたらお父さんはこそこそ変装しようとしてるし。何しに行こうってのよ?」
頭の動向に関しては、あの店の店員たちは俺達よりも数段上を行く。何しろ向こうから情報をもらって俺たちが御大の屋敷に駆け付けるのだから間違いない。
つまり隠し事はできないってことだ。まあ、可愛い娘にはすぐ見抜かれちまうから隠せやしないが、俺はこう切り出すのが精いっぱいだった。
「そ。そう、あれだよあれ、深夜の散歩って奴さ」
「へっ、やっぱ来やがったな、ザイン。お前も下手な変装しやがってよ」
まもなく日も暮れようという時分に王都の南門を出ようとするやつは少ない。それが見知った顔であれば声掛けるのも当然ってもんだが、こいつも俺と同じ考えだったようだ。髪色を変えて変装したつもりなようだが、仲間である俺の目を欺けるはずもねえ。
「俺はの名前は”ガイン”だ。そこんとこ間違えねえてくれよ、ゾンダの旦那」
こ、こいつ、へんてこな偽名にしやがって。そんなんで隠したつもりかよ、お前の後ろにいるいつもの手下どもが顔を伏せて笑ってやがるぞ。
だが、こいつだけ名前を変えるってのは許せねえ。俺たちは頭のもと、全てにおいて同格なんだからな。
「そうかい。だがガインさんよ、お前さんも勘違いしちゃ困るぜ、俺の名は”ゴンダ”ってもんだ。よろしく頼まあ」
「いや、どう見ても今考えただろ? 後ろにいるホーキンスの兄貴とか笑ってんじゃねえか! だがまあ、あんたも来るよな、頭がこれから向かわれるってのに俺たちが供をしねえなんて許されねぇよ。スラムは俺たちの”担当”だからな」
強い意志を秘めたザインの眼光に嫉妬めいた気分が沸き上がる。俺の半分程度の人生だってのにその胆力、意志の光は誰にも引けを取らねえ。こいつやジーク、ゼギアスが十年、二十年を経験を積んだらどれほどの男になるのか想像もできねぇや。
「あたぼうよ。頭お一人に全部お任せして俺らが指くわえて見てるわけにはいかねえや。お供は出来なくとも後をこっそり尾けてお姿を拝見するくらいは許されるだろうよ、なあお前ら?」
「へへ……」「そうだそうだ、俺らが頭を案内してやらねえよと」「違えねえ、まったくもってちげえねえや」
俺の手下どもが野太い声を上げて同意した。別に集合を掛けたわけでもないのに俺が準備を終えて家を出たら皆集まってやがった。それもご丁寧にどいつもこいつも下手な変装済みときた。
なんで嫌がると聞けば大将とおんなじ理由だぜと返されちまった。”ウロボロス”の屑共の下で奴隷以下の扱いを受けても耐えてきた俺の手下どもだ、結束力はザインやゼギアスの集団よりも上だと自負してるぜ。
「で、俺はお前らに動くなと言ったはずなんだが? 聞こえなかったのか?」
やべえ、頭に速攻でバレた。
スラムの廃墟群が視界に入ったあたりで思い切り耳を引っ張られた。我ながら情けねえ悲鳴を上げて飛びあがると、忘れたくても忘れようがねえお人の声が聞こえるじゃねえか。
「あ、あれ? ど、どちらさんで?」
見れば頭は両腕で二人の耳を掴んでいる。反対側ではザインの奴が俺と同じようになっているが、あいつめこの状況でシラを切りやがった。頭相手にやるじゃねえか!
「あん? 何言ってんだ、下手くそな変装しやがって。髪の色を変えただけじゃねえか」
呆れた頭の声が俺たちの鼓膜を叩くが……よし、頭のご機嫌は悪くねえ。俺たちくらいになると声音と気配で頭の機嫌は読み取れるってなもんだ。今は呆れてはいるが、そこまでお怒りじゃねえ。理不尽には叱らない方だしな。
「兄さん、どなたと勘違いなさっているか知らねえが、俺はガインって名前だ。お探しの喧嘩屋とは別人だぜ?」
あ、あいつ。攻めるなぁ、だが悪くねえ選択だ、頭のことを分かってやがる。怪訝な様子から状況を面白がる顔に変わりなさった。そしてそのまま俺に問いかけてきた。
「じゃあ、あんたは俺の知る”石切り”のゾンダじゃねえってことか?」
……か、頭が俺の二つ名を呼んでくださったのは初めてだ!! 感激のあまり二の句が継げなくなっちまったぜ。
「お、おう、そうだぜ若い兄ちゃん。俺はゴンダってケチな野郎よ。石切りのゾンダとは赤の他人だぜ」
「そうかい、この目にはどこからどう見ても俺の舎弟どもに見えたんだが、赤の他人と言い張るならそれに納得してやるよ。んで、お前らこれからどこに行こうってんだ? 貧民窟は夜に出歩くには腕に覚えのあるお前らでも少しばかり危ないって話だぜ?」
ぬう、何と答えたもんか。馬鹿正直にお供させてくれと言えば帰れの一言でお終いだ。それを分かっているから俺もザインも勝手についてきたんだからな。
何かうまい言い逃れはないか。さっきもジャンヌに同じようなことが……あっ!
「なあに、ちょいと野郎どもが雁首揃えて深夜の散歩に洒落こもうって話でなあ。スラムでも冷やかそうかって流れでよ」
なあ、お前ら、と周囲を見回すと心得た手下どもは一斉に頷きを返した。
それを聞いた頭は破顔一笑した。実に邪気のない明るく、そして周囲の視線を引き寄せる快活な笑い声だった。
「そうか、散歩か! それなら止めても仕方ねえな。ちょうど案内が欲しかった所だ、良ければこの王国から見捨てられた最後の場所の道案内を頼むわ」
「お安い御用でさあ、頭!」
だからザインよ、設定を即座に投げ捨てるんじゃねえ、頭が笑ってるぞ。
「とりあえずお前ら固まるな、小さな集団に別れろ。だが一人にはなるなよ、多くても三人だ」
頭がまず俺たちに命じたのはバラけることだった。俺もザインも勝手についてきた手下どもが合計して40人ほどいた。この数でスラムに乗り込めば宣戦布告に等しい。
昼間の内に頭も言っておられたが、今日の所は実地調査だ。喧嘩を吹っ掛けに来た訳じゃねえからな。
俺んところもザインのとこも喧嘩慣れした野郎ばかりだ。俺自身は参加できなかったがライカールの出入りにも20人以上の人員を送り込んでいる。相談することなく数人の集団に別れて自然に歩き始めた。
もちろん俺とザインは頭のすぐ後ろだ。このお人は己の手で全てを切り拓く方で、先導など畏れ多い。なにより前を歩くと頭の背中が見えねえしな。
「ゴンタにガイン……ああ面倒臭ぇ、ゾンダにザイン。お前ら詳しいな? ここの情報をくれ」
「へい、今歩いているのは”外郭”と呼ばれてます。今は俺たち”クロガネ”の影響下にあると言っていいかと」
「組織としては動いていないはずだが、お前らの仕業か」
頭はちらりと俺とザインを見た。確かにこの”外郭”は仕切ってた三下を叩き潰し、歯向かう奴らが居なくなるまで叩いたが、頭の悪い阿保どもを黙られたのは頭の威光だ。”クロガネ”の総大将であるユウキの頭に歯向かう馬鹿がこの王都に存在するはずがねえからな。
「ゾンダの親爺さんが質の悪い連中を一掃しましたので」
「ザインがここの縄張りの主を叩き潰したおかげでさぁ」
揃って互いを褒めるような形になっちまったが事実なので仕方ねえ。
「そうか、二人ともよくやった」
だが、頭からのお褒めの言葉はどんな金銀財宝よりも価値があるぜ。俺は口の端が持ち上がりそうになるのを堪えるのに苦労する羽目になった。
「ここからは”中層”に入ります。スラムの闇はこのあたりから本番でさあ。ここだけで5つの組織が鎬を削ってやすが、その方法が聞いただけでも反吐が出るやり口で」
「どうせ安い金で食い詰めた奴らを集めて互いに戦わせてるんだろ? よくある手口だ」
「へい、ご明察で。あの屑ども、自分の拳で喧嘩も出来ねえ半端者のくせに能書きだけは達者で、俺達がここまで深入り出来ねえことを理解してすぐに引っ込みやがるんでさあ」
ザインの説明を聞くと連中を思い出す、俺たちが気に入らねえくせに表立っては何もせず金に困った連中を使い捨ての刺客として放ってきやがるのだ。そんな三下相手に怪我をするような雑魚は混じっちゃいねえが、本当に頭にくる奴等だぜ。頭のお許しさえあればあんな連中、一夜にして根絶やしにしてやれるってのによ。
だがそれと同時に頭の仰る言葉も理解できる。ここまで膨れ上がったスラムを俺達だけで掬い上げるのは絶対に無理だ。”クロガネ”全体なら出来るかもしれねえが、その場合は王都内をほっぽり出してこちらに掛かり切りになっちまうだろう。
頭が昼間仰ったとおり、このスラムの連中を見捨てるのは仁義に反するが、俺たちはまず第一に王都の皆のためにある組織だ。順序を間違っちゃいけねえ、手を広げ過ぎて本当に大切なものを守れなくなっては元の木阿弥ってやつだ。
だから、だからどうしても期待しちまう。頭は俺たち凡人とは違う、頭ならなんとかする方法を見つけてこの掃き溜めに蠢いている連中に手を差し伸べる事が出来るんじゃないかってよ。
そんなことを考えていたからか、俺の足を路地裏から伸びた弱弱しい手が掴んでいたことに気付かなかった。
「うわ、なんだこいつ! なにしやがる……って、お前酷ぇ怪我じゃねえか!」
「かえ……せ。お前ら、弟たち……をかえ……せ……」
考え事をしていた俺の足を掴んだのは手酷い暴行を受けて襤褸切れと化したまた10にもなってないような少年だった。ここの奴らはどいつもこいつも痩せてるから実際はもう少し年上かも知れねえな。
「ゾンダの親爺さん、どうしたんだ? おうおう、派手にやられてんなこいつ」
俺がそのガキの首根っこを掴んで持ち上げたが、猛烈な殺意とこちらを睨む眼光だけは些かの衰えもなかった。へえ、俺を前にしてその胆力、大したもんだな。
「ふざけやがって……家族を、どこにやりや、がった? 返せぇっ!」
俺やザインを前に気を吐くガキだが、その直後に血を吐いて咳き込んだ。吐血か、こりゃあ臓物やられてんな、怪我を直しても長くねえかもしれねえな。
「おい、人違いしてんぞ? 俺たちは人攫いなんざしてねえ。誰と勘違いしてやがる?」
ザインが呆れた声で聴いているが、憎悪に濁ったその瞳からは怒りと殺意しか返ってこない。どうしたもんかと悩んでいるとそのガキに横合いから液体がぶっ掛けられた。この匂い、ポーションじゃねえか! 高価な魔法薬を名前も知らねえガキに惜しげもなく使えるお人を俺は一人しか知らねえ。
「おいお前、俺達に話を聞かせてみろ。なに、悪いようにはしない」
怪我の痛みが消えて放心しているそのガキから事の顛末を聞いた俺たちは……
久々に激怒した頭の恐ろしさを味わうことになる。
「お前ら、ここを何処だと思ってやがる! 命がいらねえよぐぼぁっ」
俺に向かって啖呵を切った馬鹿の顔面に拳を叩き込む。相手はこれ以上何もしゃべることなく意識を失った。隣ではザインや手下どもが周囲の荒くれどもに容赦なく攻撃を加えていて、いきなり乱戦の場となったこの店の前では混乱が広がった。
ここは”常闇”と呼ばれるこのスラムで最も危険と呼ばれる地帯だ。伝え聞くのはとてつもなく危険で、迷い込んだ余所者は抜け出せる方法はひとつだけ、翌朝に死体となってゴミと一緒に運び出されるという話だ。
そのこの国の闇の最奥に大きな店がある。とある連中が拠点としているらしいが、その前に屯している堅気には見えない男ども相手に俺たちは拳を叩きつけた。
そんな場所で喧嘩をおっぱじめる理由はひとつだ。
頭がそうお命じになったからだ。
セディと名乗ったガキの説明では親を亡くしてこのスラムで隠れるように弟妹たちと生きていたらしいが、最近幼い子供たちが行方不明になる事件が多発したそうだ。こんな場所なので人買いに攫われて売り飛ばされてもおかしかないが、セディもこの暗闇に生きるものとして最低限の自衛はしているようでこれまで無事に生き残って来たという。
だが、今日になって突然奥地から出てきた奴らが問答無用でこいつの兄弟姉妹を連れ去っていったという。勿論こいつは抵抗したが多勢に無勢で瀕死になるまで暴行を受けた。
頭が仰るにはあばらが臓腑に刺さってて危険だったとか。今俺の隣で三下に殴りかかっている様子を見れば誰も信じないだろうが、頭は金貨数十枚はしそうな高位ポーションをそこらの水のように気兼ねなくお使いになるからな。吐血していたし間違いのない話だろう。
そして頭がもっとと嫌う行為の一つが子供を大人の都合でいいように使うことだ。これまでもガキを働かせて親の自分は寝ているような屑は容赦なく潰してきたお人なんだ。
この話を聞いた瞬間に気配が変わった。これからこのスラムに血の雨が降ることは間違いのない事実だ。
そして俺達に陽動を命じると、セディから詳しい話さえ聞かずにスラムの奥地に向けて歩き出した。
ああなった頭を止めることは出来ねえ。
しかし、店の中が静かだな、暴れる俺達がやかましいのは当然だが、店の中で頭が大人しくしているはずがねえ、ここ以上の惨劇が繰り広げられているだろうが、その喧噪が聞こえて来ねぇぞ。
お前たちはここで待てと頭から厳命を受け、異質な雰囲気を纏う連中が巣食う店に一人入っていった頭の背に思うことはあるが、ここはぐっとこらえるしかねえ。
舎弟の俺たちに出来ることは、その行動を全力で支える事だけよ。
「手前ら、何者……その面、まさか手前、”石切り”のゾンダか!? ”クロガネ”が何でこんな場所に居やがるんでぇ!」
「黙って死んどけや、この雑魚が!」
確かに俺は多少名を売った方だが、いきなり名前を言い当てられるとは思っても見なかったぜ。この暗闇で変装までしてるってのに、なんで顔が割れたんだ?
周囲に俺に向かってくる敵がいないことを確認した後で今倒した奴の顔を改めて覗き込んだ俺の脳裏に不意に嫌な記憶が蘇りやがった。
「こ、こいつは”ウロボロス”の!」
名前は忘れたが、俺達を随分と安く使ってくれた覚えがあるぜ。この野郎、あの夜の大掃除を生き延びやがったのか!
「ゾンダの親爺! こいつら残党だぜ! ”ウカノカ”と”ウロボロス”の生き残りだ! 王都を叩き出されてこんな場所に隠れてやがった!」
俺と同じ事実に行き当たったらしいザインの叫び声で周囲は一気に緊迫した。襲われてるこいつらも俺達が”クロガネ”だと解ったようで、死にもの狂いで抵抗してきやがるが所詮は雑魚の集まりだ。それに俺たちは頭の手足になるべく鍛えに鍛えているが、こいつらはスラムに逃げ込んできた負け犬だ。相手になるはずもなく、あっという間に駆逐されてお終いだ。
どこに隠れていたのか知らねえが、俺たちに出会っちまったのが運の尽きよ。”クロガネ”は地の果てまでお前ら残党を追い詰めて必ず叩き潰す。他でもない頭がそう宣言した以上、お前らに明日は訪れねえのさ。
「お前ら、人手がいる。手を貸してくれ」
俺たちの周りに起き上がる奴らが居なくなったころ、店から顔を出した頭が俺たちを呼びつけた。当たり前だが、傷一つ負ってらっしゃらねえ。流石だぜ。
「レネ! リース!」
「お兄ちゃん!」「あんちゃん、こわかったよぉ!」
頭の後ろから出てきた子供たちの中に家族の姿を見たセディはすっ飛んでいった。へへ、どんなもんでぇ。頭と俺達が居りゃあこの王都でどんな悲劇的な運命も跳ね返せるってもんだ。
んあ? おいおいどうなってんだ? 感動の再会をするセディたちの後ろからガキどもがわらわら出てくるぞ? いったい何人いるんだ?
「ここの屑どもは貧民窟から子供を相当数攫ってきてたようだ。俺一人じゃ追いつかねえ、お前らがいてくれてよかったぜ。ちと頼むわ」
「へい、おいお前ら、このガキどもを安全な場所まで運ぶぞ。とりあえず”外郭”まで連れてきゃあ大丈夫だろ。おいセディ、お前らもいったん移動するぞ、いつまでもここに居ちゃ危ねえからな!」
泣いている小さな弟妹を宥めていたセディは俺の声でようやく周囲に気を回せたようだ。ガキどもを手下どもが護衛するように周囲を固めて運び始めている。この騒ぎでここらは大きな注目を集めているが、俺達を恐れてここの住人たちは息を潜めている。安全に移動できるだろう。
セディたちもその列に加わったのを見届けた後、俺とザインは物陰で木箱の腰を下ろしている頭に恐る恐る近寄った。
今の頭だが……異常なほど機嫌が悪い。これまで見たことないほど最悪だ、いったいこの屑どもは何をしやがったんだ?
「頭、ご命令通りに」
「ああ、助かった。今日は調査だけのつもりが、大騒動になっちまったぜ」
そう仰りつつ懐に手を伸ばした頭が取り出したのは……こりゃ本当に珍しいことに、煙草だった。
「お前らも煙れよ。異世界産だ、極上品だぜ」
シロマサの御大から何度か頂戴したこともある葉巻って奴だな。そいつを燐棒とかいう簡単に火をつけられる道具で火をつけるんだが……頭は力を入れ過ぎなのか、何本も折って駄目にしちまった。
「くそっ」
「頭、俺が……」
小さく毒つく頭の姿を見てその内心は俺みたいな粗忽者でも簡単に想像できた。思わず頭の手から燐棒を奪い取り、難なく擦って葉巻に火をつけて差し上げた。
胸いっぱいにそれを吸い込むと、頭は深い溜息とともに紫煙を、何か途轍もなく重い何かも同時に吐き出したようだった。
「屑共が、ここまで胸糞悪くなったのは久々だぜ。煙草の力でも借りねえと素面じゃとてもやってられねえ」
頭から回ってきた葉巻を吸ってみれば、確かに超がつく上等品だ。本当ならばこの美味さを有難がる所なんだが、頭の様子を見ればとてもそんな気分にはなれねえ。
「頭、俺達からもご報告すべきことがありやすが……一体店の中で何が?」
ザインの問いかけに頭は無言で懐から出した小さな箱を地面に投げだした。その小箱から漏れ出た中身に俺たちの視線は釘付けだ。
「こいつはカナン! そうか”ウロボロス”の残党なら持っていても不思議はねえが……頭、こいつでなにを?」
それから聞かされた話に俺は我を忘れそうになったぜ。どんなイカれた頭をしていれば攫ったガキをカナン漬けにした上、殺し合いさせて賭けで儲けるなんて発想が生まれるんだ?
頭の口からガキどもが全員健康だと聞かされなければ今すぐ生き残りを狩り出して全員ぶち殺していたことだろう。
頭の事だ、きっとすべてのガキどもを回復魔法で癒したに違いねぇ。だからあんなに時間がかかったんだ。
胸糞悪い気分を葉巻で押し流しながら、全てのガキどもがこの場を離れるのを見守ったあと、俺たちは非道が行われていた店の内部に足を踏み入れたんだが、そこで繰り広げられた異様な光景に息を呑むことになった。
「か、頭! こいつはいったい!?」
「ああ、こいつらは簡単に死なせるわけにはいかねえからな、徹底的に苦しめて、自分の罪を自覚させる。生きたまま溶かされる恐怖と苦しみを存分に味わってもらってる最中だ」
店の中は巨大な薄緑色の物体が占拠していた。その中で誰がどう見ても極悪人の面をした連中が蠢いている。
「前に話したろ? ダンジョンに生息するアシッドスライムだ。外じゃ5寸(分)で消えるが、それだけの時間があれば人間一人くらいは余裕で溶かしきっちまう化け物だ」
そしてそいつらは頭の仰る通り、手足が溶けかかって無くなっていた。悪人面した奴らが一様に恐怖と苦悶の表情でもがいているのを見て、暗い感情が腹の底から湧いてくるぜ。
良いザマだ。たっぷり苦しんで死んでいけ。お前らには地獄さえ生温い。
俺たちは生きたまま溶かされる屑共を嘲笑いながらその死を堪能した。どいつもこいつも悪逆の限りを尽くしておきながら命乞いしてきたようだが、スライムに囚われたままじゃ何も聞こえねえ。
最後は全員が絶望の表情を浮かべて消えていった。冥府で焼かれながら己の悪行を悔やむがいいさ。
いい気味だとその死を笑う俺達だったが、衣服を除いて全てが溶かされ、そしてまたダンジョンモンスターの活動期限が尽きて塵になってスライムが還っていった。
いろいろあったが、これにて一件落着を見たと思ったら……
溶けて消えた誰かの懐に納めてあったのか、”クロガネ”の仲間内でしか使えない割り符が出てきて裏切り者の存在が発覚し、話が全然違う方向に大きく転がり出すなんて、あの時の俺は想像もしていなかったぜ。
楽しんでいただければ幸いです。
今回はゾンダの閑話でした。
すみません。また遅れました。一丁前にスランプ気味です。次はもっと急ぎたいですね。
もしこの拙作が読者様の興味を引いて頂けましたら評価、ブックマークなど入れていただくとこれに勝る喜びはございません。何よりも作者のモチベーションが超絶鰻登りになります。更新の無限のエネルギーの元になりますので、何卒よろしくお願いします!




