見捨てられた場所 9
お待たせしております。
かつては人気がなく閑散としていた王都の各神殿も随分と様変わりし、今では多くの参拝客が行き交い賑わいを見せる場所となっている。それは特に唯一の巫女を抱える時の神殿で顕著であり、昼夜を問わず祈りをささげる者たちが姿を見せている。
その活気は周辺にも影響を与えている。シロマサの親分さんが”シュウカ”で辣腕を振るっていた時は休日のみ神殿前の通りに商人が店を出してたというが、今では毎日何らかの出店が出店し、それを目当てに王都の庶民が足を運んでいる。今日は……銅貨一枚で暖かいスープが飲めるのか。へえ、隣じゃあ銅貨三枚で大きい黒パンが買えるようだ。それによく見ると客たちは両方を買い求めている者が多く、パンをスープに浸して食べている。
恐らくパンとスープが相乗効果を生み出す味にしているのだろう、なかなか商売上手な店主たちだ。それを見た周囲の者たちも購買意欲をそそられているようだ。
それにしても……二つ買っても銅貨4枚か。物価の高い王都ではありえない安さ、ということは俺からの供給を受けているリノアの実家系列の店、ひいては”クロガネ”の息の掛かった人物が経営している店か。
当然というべきか、今の王都では絶大な影響力を”クロガネ”は及ぼせる。国王が冗談とは思えない顔で気心の知れたシロマサが首領でなければ殲滅していたぞと笑っていた程だが……強すぎる光は同等の闇を生み出す。それはどんな組織でも同じことだ。
そして腐敗は周囲に伝染し拡大する。そうなる前に腐った部分は切除しなくてはならない。
きっと俺はそのためにこの組織に残されたのだ。冷酷な懲罰者として教訓を与えるために。
とはいえ俺自身はまだ裏切り者の輪郭さえ捉えていない。それに俺が全ての始末を終えてはザイン達の顔を潰すことになるから、それを炙り出すのは彼等の仕事になるだろう。
だから俺は急いで事を為すつもりは今のところない。
時の神殿に足を運んだのもこちらの方が俺にとって優先すべき事柄であるからだ。
神殿の裏庭は参拝客が入れないこともあり、表と違い普段は静寂に包まれている場所だ。
だが今日はいささか趣が違った。裏庭の片隅に数人の石工たちが作業をしているのだ。
「お前ら、時間押してんぞ。急げ、だが手は抜くんじゃねえぞ」
石工たちに無茶を言う棟梁の聞き慣れた声が風に乗って聞こえてくるなか、俺は彼等に近寄った。
こちらの気配に気付いた棟梁が俺を見て頭を下げてきた。
「これは、頭。間もなく完成しやすぜ、ご足労頂きやしてすみません。本来でしたらお迎えに上がる所を……」
「気にするな。ちょうど良い頃かと思って顔を出しただけだ。また無理言って悪かったな」
「無理だなんてとんでもねぇ。大工はともかく石工は例の普請にありつけず暇してましたから。臨時の仕事を有り難がってますぜ。ですが、こんなもんでいいんですかい? 頭のお知り合いならもっと色々細工を施せますぜ」
「ああ、目立たないくらいがちょうどいいのさ。墓碑にも何も書かれてないだろ?」
俺がゾンダに頼んでいたのは異郷で非業の死を遂げたイリシャの母にしてアイラさんの娘であるケイトさんの墓だった。アイラさんは埋葬することを喜んでくれたが墓を建てる気配がなかった(職権濫用だと考えたらしいとイリシャ付きのコニーが教えてくれた)ので俺が勝手に動いたのだ。
墓を建てる事をアイラさんには報告したが彼女は黙してそれ以上なにも言葉を告げることはなく、この日を迎えている。
きっと色々思い詰めている気がするが、赤の他人がしたり顔で何か言えることでもない。だから俺は行動で表すだけだ。
墓は小さなものだが、しっかりとした作りだ。教会じゃないから十字紋はないが、大きな墓石とそれを囲むように堅牢な黒く輝く石が敷き詰められていた。
「ありがとう。良い仕事をしてくれた」
関わった職人で分けてくれと金貨の詰まった皮袋を二つゾンダに手渡した。皮袋からちらりと覗く金色が周囲の石工たちの喉を鳴らした。
「へい、確かに頂戴しましたが……いくらなんでも相場を越えすぎですぜ?」
「急ぎの仕事を引き受けてくれたからな、詫び込みだ。これから職人たちは忙しくなる。また何か頼むときもあるだろうからな」
いずれまたあるであろう俺の急ぎ仕事を受けてくれという意思を込めた金であると告げて彼等を納得させた。
「よし。こんなもんだろう。頭、俺達はこれで失礼いたしやす」
「ゾンダ、後で俺はあの夜の事で親分さんにご報告申し上げるつもりでいる」
仕事を終えて立ち去ろうとする彼の背に向けて俺は言葉を投げた。彼は頭に血が上ると周りが見えなくなる悪癖があるが、平時であれば機転の利く男だ。俺の言葉から全てを察してくれた。
「分かりやした、万事整えておきやす」
周囲の石工たちが何の事だと首をかしげるなか、深刻な顔をしたゾンダは重々しく頷いて足早にこの場を去って行った。
それから間もなくして、背後から数人が近づいてくる気配を感じた。振り返ると、この時の神殿の大神官であるアイラさんが数人の側付きを連れてやって来るところだった。その中には俺があの人間牧場から連れ帰ったマイカという少女も含まれている。
「私事でこのようなことまでしていただくわけには……」
「勝手に動いたことですので、お気になさらず。それよりいかがですか? 至らぬ所があればなんなりと。碑銘を入れた方が良ければ、今からでも対応しますが」
「母親失格の私からは何も言葉にする資格はありません。ユウキさんに、心からの感謝を申し上げるだけです」
俺に対し深く頭を下げるアイラさんに続き側付きもそれに習うが、まだ作法に慣れていないマイカは神官たちに遅れること数微(秒)、慌てて頭を下げた。
戸惑うマイカの姿に苦笑しつつ、墓の前に立っていた俺は居場所をアイラさんに譲る。
彼女は衣が汚れることを厭わず膝をつき、墓石の前で祈りを捧げている。長く、そして深い祈りを見つめながら俺はあることを思い出す。
「アイラさん、こちらの方にこの花を手向けても宜しいだろうか」
「これは……あの子が好きだったサライナの花。覚えていてくださったのですね……」
「何度かアイラさんから思い入れのある花だと聞いていましたので、おそらくはと」
「……サライナの花は秋の花なのです、きっと入手されるにはご苦労のあった事でしょう。そのお心遣いに心から感謝いたします」
確かにこの花は手に入れるのに多少手間取った。何処探しても見つからず、激務のユウナの手を借りてようやく発覚したのが秋の花であるということ。初春に入りかけた今の時期にあるはずもなく、結局はライカール王宮内の温室に咲いていた花を拝借して来た経緯がある。
連絡してくれたソフィアには何故花が必要なのかと問い詰められるし、なかなか難儀した。
「マイカもケイトさんのために祈ってやれよ、彼女もきっと喜ぶはずさ」
「わ、私もいいのかな……ここの皆はよくしてくれるけど、まだ一番下っ端だし」
「良いに決まってるだろ。ケイトさんはこの場所じゃアイラさんとお前しか知り合いがいないんだ。お前が知らん顔したら可哀想だろ」
「う、うん……」
俺に促されておっかなびっくり墓に近づいたマイカはアイラさんの斜め後ろで祈りを捧げ始めた。まだ神殿に来て数日のマイカだがそう悪くない扱いに落ち着いたようだ。新米に押し付けられる雑務は結構あるようだが、あの村で奴隷として働かされていたころに比べれば楽園だという。食事が日に三回も出ると聞いて泣いて喜んだそうだし、あの痩せ具合からも相当悲惨な環境にいたのは間違いない。
そんな場所にいても目が死んでいなかったこの娘を拾い上げてきたわけだが、これからどう生きるかは彼女に任せるつもりだ。神殿に残るもよし、自分の人生を己の手で切り開くもよしで、自分で決めろと最初に伝えてある。案外神官の道も似合っていそうだ。
二人がケイトさんの魂の安寧を祈り続けているのを背後で見守っていると、背後から近寄ってきた誰かが俺の手をそっと握った。振り向かなくともわかる、このひんやりとした手の持ち主は俺の可愛い妹だ。
「にいちゃん、これなに?」
大神官たちが揃って祈っている光景に疑問符を顔に浮かべて俺を見上げるイリシャだが、こちらと目が合うと、はっとなって慌てて顔を背ける。
振り返れば彼女の後ろには側付きのコニーを筆頭に見習い巫女数人と護衛のロキが欠伸をしつつ、のそのそと歩いてきた。こいつやる気ないな。
「まだご機嫌斜めか? イリシャ」
俺はこの数日というもの、イリシャからそっぽを向かれ続けているのだ。まあ、これは俺が悪いのは認める。妹が行かないでと泣いて頼むのに魔法で無理やり眠らせて真正の屑共を地獄の底に叩き込みに向かったからだ。
俺自身怒り狂っていたのでどんな静止があっても止まるつもりはなかったが、マイカの件や村にいた実験体扱いされていた残りの子供たちをある場所に送り届けたりと色々あって戻りが遅くなってしまった。そして遅く帰還した俺を心配してくれた妹が見たものは、俺の背で眠りこけるマイカだった。
いったい何をしてたんだ? と俺の妹様は大層お怒りなのである。
「にいちゃんわたしの言うこときいてくれないし」
ふん、と俺の顔を見てくれないイリシャだが、俺の手はしっかりと握りしめているので機嫌はだいぶ直りつつあるようだ。
「俺はいつもお前のことを考えている。これもその一つだよ」
「このおはか、どうしたの? にいちゃんがつれてきた子もいっしょにいるし」
そう俺に問いかけるイリシャの顔を見て、俺はアイラさんがまだ何も語っていないことを悟った。確かに彼女にも受け入れるには時間が必要な内容だが、墓まで建てた以上隠していても仕方がない話だ。
アイラさんから話すのが筋だとは思うが、ここは俺がしゃしゃり出るとするか。
「イリシャ、ここに眠っているのは君の母親だ。あの日に見つけて俺がここに埋葬した。だからアイラさんは娘さんの魂の安寧を願って祈りを捧げている」
「おかあ、さん? ……よくわからない、いたことないし」
俺の言葉に衝撃を受けた風でもなく、ただ理解できないという表情を浮かべたイリシャは俺の腰にしがみついてきた。
「わたしにはにいちゃんいるからいい。ほかはいらない」
「イリシャ」
「それにシャオにソフィアさまにれいちゃんやゆきちゃん、きーちゃんもいるし、コニーやロキだっている。わたしにはたいせつな人がいっぱいいる。見たこともないおかあさんはいらない」
「……」
俺は無言で妹の頭を撫でた。この子には常に世界を広げるように言ってきた。二言目には俺が居れば他は何もいらないと言い出す下の妹だが、イリシャにも俺の身内や仲間は大切と思える存在になっていたようで嬉しい限りだ。だが、自分を生んでくれた存在を厭うのは自分の生まれを否定するようなもので、俺の心情としては少し悲しい。
しかし俺が言葉で諭してもこの子が本心から意見を変えるとは思えない。母親の顔さえ知らずに生きてきたこの子に母を想えと言われても厳しいだろう。
俺にしがみつく妹を抱き上げて互いに言葉もなくアイラさんたちの祈りを見守っていると、ほどなく二人が立ち上がった。一心に祈っていたようで、巫女であるイリシャの存在にも気づかなかったようだ。
「これは巫女様、こちらにお出でになるとは伺っていませんでした」
「にいちゃんいたからきてみただけ。だいしんかん、このおはかにはわたしのおかあさんがねむっているの?」
イリシャの言葉にアイラさんは一瞬俺に視線を向け、観念したようにため息をついて、その通りですと力なく頷いた。
「アイラさん。自分も彼女のために祈らせてもらっても宜しいでしょうか?」
祖母と孫娘の間にそこはかとない緊張感が漂っていたが、俺はそれを気にすることなく口を開いた。
「え、ええ。勿論ですとも。この哀れな娘の魂の安らぎを願ってあげてください」
許しを得た俺はイリシャを抱きながら墓碑の前に向かう。腕の中の妹が体を強張らせる感じがしたが、イリシャには俺がケイトさんに抱くこの感情を知ってほしいのだ。
「にいちゃん、なんで……」
「イリシャ、俺はこの人に心から感謝しているんだ」
「えっ?」
そう、感謝だ。俺はこのケイトさんに心底感謝している。彼女の悲しい定めに同情も禁じ得ないが、それ以上にありがとうと何度伝えても言い足りないほどだ。
「だってそうだろ? この人が居なければ君と出会えていないからな。イリシャとこうして一緒に居られるのも元をただせばすべて彼女のお陰なんだ。感謝しきりだよ、彼女の存在があってこそイリシャも今俺の腕の中に居てくれるんだ」
「……それは、そうかも」
だから遠い未来の話で構わない。いつか、いつの日かイリシャがこの墓の前で生みの母に感謝の言葉を告げる事が出来れば、俺は嬉しく思うだろう。
俺は満腔の感謝をケイトさんに捧げながら、隣のイリシャが静かに目を閉じて考えに耽るのを見守っていた。
「にいちゃん、もういくの? もっとゆっくりしていけばいいのに」
「他に行くところがあるんだ。イリシャは今日のお勤めをしっかりな、また後で」
「うん、ばいばい」
名残惜しそうに俺を見る妹を諭し、だらけきっている駄犬に殺意の混じった視線を投げてしゃきっとさせると俺は神殿を離れた。目指すは同じ地区にあるシロマサの親分さんの邸宅だ。
ここらへんは元は親分さんの邸宅がある以外は目立った特徴のない地区だったが、”クロガネ”の拡大と共に組織の土地や建物が並び立つようになり、今では完全に組織専用の区画と化している。
今通り過ぎたのは五百人はゆうに収容出来る館で用途は主に宴会用だ。集会のために作られたはずだが、俺が宴会を催すと勝手に集まってくる連中を呑ませるための空間と化している。
向かって右手に見えるこれまた大きな建物は”マルシェ”と呼ばれる組織の者達が利用する大市場だ。大小の露天商が店を開いているが、屋根付きの建物なので急な雨にも店仕舞いせず営業が続けられるし、なにより場所代を取ってないのでその分安価で品を提供できる。一応客は組織の者達に限るとしているが、それ以外の町の衆が普通にやって来ているとかいないとか。
それにここからでは見えないが奥の建物は幼い子供たちを共同で面倒を見る保育所がいくつも軒を連ねているし、ゼギアスが心血を注いでいる学校なども建てられている。
まさに”クロガネ”の独立国みたいな様相になってきているが、ここで繰り広げられている光景はまさに下町の風情だ。子供たちが路地を走り回っているし、主婦たちは慣れた手つきで大量の野菜の皮むきをしながら談笑している。あの量からして忙しい料理屋からの依頼だろう、組織の口利き屋がそこらの家にも仕事を振っているのでオバちゃんたちは手空きの時間にこういった小遣い稼ぎをしているのだ。
こういった光景を作り出せたのも連中が巨大化して細部にまで手を伸ばせるようになったからだが、相応に弊害も産み出している。
”クロガネ”の名を語る偽物や詐欺などまだ良い方で、酷いものだと犯罪を俺たちの名で被せてきたりする事もあった。
その最たるものが今回の裏切りだろう。いくら既存の組織が集まって最初からそこそこの数がいたとはいえ、結成一年足らずで8000人を越える頭数を揃え、更にはもう裏切り者が暗躍し始めるとかいくらなんでも性急過ぎだろと思う。
こうまで展開が早いと作為的なものを感じずにはいられないが、早合点しても良いことはない。
「おう、そこ行く兄ちゃん。今日の果実は最高に出来が良いぜ。買わなきゃ損ってもんだ」
露店商の親父に声をかけられた俺は思索から現実に帰ってきた。見れば色とりどりの果実が小山に積み上げられて売られている。
目が合ってしまった段階で俺の敗けだ。並んでいる果物を適当に数個買い求めると外皮を拭いて噛りつき、とたんに口の中に広がる甘味に目を見開く。満足そうな親父には悪いが、俺が驚いたのは果物の甘さについてではない。
このアプル、俺がリノアの店に融通してやった環境層の果物だ。甘さといい形の良さといい、馴染みがありすぎる。別にくれてやったものをどうしようが何も思わないが、無料で渡した品物を俺が金払って買うという事実に名状しがたいものを感じる。
「どうでえ、兄ちゃん。美味いもんだろ?」
微妙な顔をした俺に不安を感じたのか、店の親父が声をかけてきた。
「ああ、確かに。この大きさでこの甘さは凄いと思う。土産にするから10個ほど包んでくれ」
「へへ、毎度!」
俺は銀貨と共に手渡した布袋に親父が果実を入れているのを眺めながら世間話に興じることにした。
「最近の景気はどうだい?」
「悪かねえな、俺んトコは縁があって”クロガネ”様々だが、他の同業も景気は良さそうだぜ」
「へえ、人が増えたって聞いたから色々面倒な事になってると思ったが、そうでもないのか」
「兄ちゃん、さては外から来たんだな。確かに人は増えたがその分国が仕事を増やしてるのさ。ちゃんと働けばまともに飯が喰えるくらいは稼げるぜ。探せば格安で喰える場所もあるしよ」
店の場所は秘密だぜ? 俺の分がなくなっちまうからな、と笑う親父と別れた俺は袋を手に路地を進む。
彼のように好景気を甘受するものも居れば、何一つ上手く行かず貧民窟でのたくる奴もいる。だが、なによりあそこで這いずっている連中の目が俺は嫌いだった。富めるものを妬むのは一丁前なくせに、さりとて自分からはなにも動こうとはせず自分の星の巡りを呪って時間を無為に潰している奴らばかりだ。
俺が潰した屑共はまさにそういった連中で、”クロガネ”を妬む癖に文句を吐くだけで行動は何一つ取らず、己より弱い者を食い物にしていた。
人生悲喜交々だが、確実に言えることがひとつある。
己がどんなに辛い境遇にあったとしても、それを理由にして他者を傷つけていい道理はない。
まったく、最初は国王から調査を引受けただけだったのだ。ここまで首を突っ込む気はなかったんだがな。だが災厄が詰まったの箱のように俺達が関わった負の遺産が次から次へと出てくるのだから仕方ない。
まさか暗黒教団とウロボロスの残党、それにイリシャの母親に”クロガネ”の裏切り者までいやがったとは完全に想定外だ。行事がてんこ盛り過ぎる。
いくら俺達が王都から叩き出した連中が貧民窟に巣食っていたという笑えない話でもそいつら全員同じ場所にいるなら好都合だ。
潰す。
あの貧民窟の最奥は潰す。王国も準備を整えて一気に動く予定だし、痕跡ひとつ残さずにこの世界から綺麗さっぱり消し去ってやる。
その後で教会の人間たちに浄化を任せればいい。一番厄介な場所を俺達が担当するのだ、教会からも文句はないだろう。
「これは、頭! お疲れさまでございます!」
屋敷に辿り着いた俺は顔馴染みの下足番から挨拶を受けた。
「ああ、親分さんはいらっしゃるな?」
「へい、幹部の皆様も既にお待ちでございます」
「なに? あいつらも来てるのか。別に呼んだわけじゃないが、まあいいか。それにしても早いな、ゾンダに話をしてからまだ2刻(時間)と経ってないはずだが……」
「頭がいらっしゃると解れば、皆様は我先にとこちらに向かわれますから。おい、ボサッとしてねえでお履き物を頂戴しろや!」
下足番が鋭い声で背後の新人らしき若者を叱咤した。すみません、と声をあげてこちらに近寄る少年といっていい見かけの若者の顔を見た途端、とある夜の記憶が甦った。
「なんだお前、結局”クロガネ”の厄介になることにしたのか」
「えっ? あ、あんたはあの時の!」
先程までは下を見ていた少年は俺の声に顔を上げ、こちらを指差して驚いている。
しかし、彼の驚きは下足番の拳骨によって掻き消された。
「このボケ! この方を誰だと思ってんだ! 俺達の頭だぞ! お前、頭に向かってなんて口聞いてやがる!」
「す、すみません! え、でも頭ってことは、まさかあんたがあのユウキの大将!? あのいけ好かない”ウロボロス”の連中を叩き潰した本人なの……なんですか?」
驚きすぎて固まっている少年に向けて再度拳を握りしめた下足番を止めた。奴の拳骨は強烈だと評判なのだ。
「おい、そのへんにしとけ。ま、過ぎたことはいいや。妹と弟は元気にしてるのか?」
「あ、はい。ここの人達が長屋を用意してくれました」
「そうか、良かったな。お前が命を張った甲斐があったじゃねぇか。あそこの連中もお前くらい根性入ってればまだ見所あるんだがな」
磨けば光る珠も汚れに塗れれば拾い上げる者さえいない。その点ではこの少年は幸運だったのだろう。
「あ、あの、頭。俺、あんたに謝らないと……」
「おい、この屋敷でいきなり下足番見習いから入れるってのは期待されてる証拠だ。応えてみせろ、そのころにはお前の名前が俺の耳にも聞こえてくるだろうぜ」
「は、はい。俺、頑張ります!」
結局、俺の靴を取らなかった少年は下足番から再度の拳骨をもらって悲鳴を上げていたが、あのガキの将来が楽しみなのは確かだ。
半殺しになりながらも家族を助け出すために百人近い敵集団に殴り込んだのだ。あそこの住人になにも期待してなかった俺が思わず感心してしまったほどだ。
貧民窟から拾い上げてきただけの価値があると思いたい。
奴の未来は今始まったばかりだ。
「この度は突然の訪問を失礼いたします」
「なに、気にすんなって、俺とお前の仲じゃねぇか。それより、おめえさんが急に現れるだけの事があったんだろ? あいつらも呼んでさっさと話を始めようぜ」
「恐縮です」
親分さんの許しを得て広間に入ってきたのはいつもの5人にボストンとリーガルにベイツを合わせた8人だ。"クロガネ"の設立時に中心的な役割を果たした面子なので、八本指だの八葉だのと様々な異名がつけられては全く定着しない笑える状態になっている。
「頭、お呼びと伺いましたが……いかなるご用命でしょうか?」
瑞宝が全員を代表して俺に問いかけてくるが、どう答えたものかな。
「俺は親分さんにご報告に上がっただけで、お前らを呼んだつもりはないんだが。ここにいる面子なら話を聞かせても構わないが、ゾンダから何を聞いてきたんだ?」
今思い返しても俺はザイン達を集めろと言った記憶はない。親分さんに報告するとだけゾンダに伝えたはずだ。
「ゾンダの叔父貴からはスラムのことでヤバい話があるとだけ聞かされたな。頭の事だから、きっと何かやらかしたんだろうなと思って駆け付けたぜ」
イーガルが失礼なことを言いやがるが、今の話は半分本当で半分嘘だ。俺が事を起こしたわけではないし、なによりやらかすのはこれからだからな。
「今の話に文句はあるが、まあいい。その前にゼギアス、お前は戻れ。今のお前がこの件に首を突っ込む必要はない」
突然俺に帰れと言われたゼギアスは当然ながら反駁した。
「そんな! 頭、俺は頭の手足ですぜ。貴方のために働くのが仕事です」
「今のお前はそれより大事なことがあるだろうが。あと少しなんだろう? そっちに注力しろ」
彼らが中心になって心血を注ぎ進めている学校建設は最終段階にきている。何日も泊まり込んで作業をしていると聞いているから、あいつはそちらに向かわせてやりたかった。
「あ、ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」
何度も頭を下げながらも、彼はこの場を辞した。
「……」
しかし、まあなんだ。正直、ゼギアスが本気で帰るとは思わなかった。あいつの情熱は知っているが、少々入れ込み過ぎだな。俺はジークに視線を向けた。ゼギアスと双璧を為す視野の広い彼は抜かりなく、と頷いてくれた。
「話を進めるぞ。前に貧民窟に出向くことは伝えたと思うが、あそこの最奥は色んな連中が巣食ってやがってな。その内の一集団にウロボロスのウカノカの残党が居やがった」
俺の言葉を受けて部屋の空気が冷えたのは錯覚ではないだろう。その2組織に煮え湯を飲まされたのはザイン達だけではない。イーガルやボストン達もできる事ならあの夜の大掃除に参加したかったと口を揃えたほどだ。
「へえ、あいつら。性懲りもなくまだ王都周辺に居残ってやがったか。城壁外のスラムは管轄外で見落としていたぜ」
シロマサの親分さんが長く患った病の原因がウロボロスの呪術師にあると伝えてあるので元”シュウカ”のベイツは殺気を隠さない。
「おいおい、ベイツ。俺達にも獲物は残しておけよ。連中には俺たちも借りが山ほどあるんでな」
獰猛な笑みを浮かべるイーガルも奴らを殲滅する戦意は旺盛のようだが、話が進まないので割って入ることにする。
「盛り上がってる所悪いが、主だった残党はあの夜にすでに始末済みだからな。ゴミ共の話は脇に置くとして、問題はその最中にこれが見つかったことにある。親分さん、俺がご報告に上がったのはこの件です」
俺が懐から取り出した小さな金属板を見て、察しの良いものは顔色を変えた。残党の棲家にあって良い品ではないからだ。
「おい、ユウキの大将。それはまさか、割符か?」
「ああ、その通りだ。しかもこれは内部用の簡素化された割符だ。知っての通り、こいつが外に出回ることは有り得ない」
幹部連中の手に渡り検分されている割符は、ランデック商会が仕事の依頼を発注するときに使用する品だ。割符自体はよく見かける品だが、これはクロガネ内部でしか流通しない、出来ない品なのだ。構成員であればこの金属の割符で仕事の精算が可能であり、要は組織内で貨幣としても使用可能なのだ。
逆に言えば”クロガネ”以外ではただの金属片であり、わざわざ持ち歩く必要などない。
「これをウロボロスの残党が持っていた、と? ”クロガネ”の構成員でなければ持てないこの割符を?」
「そうだ」
「ボストンの旦那。割符の通し番号が3000番台だ、こりゃ相当新しいぜ?」
「3000、ということはここ一月(90日)以内に作られた割符か。ならば昔の品を取っておいたという話にはならんか……」
「俺も時期に関してはエドガーさんに確認した。そして、ここから導き出される答えは一つしかない」
ボストンの呻くような声に俺ははっきりと答えた。
だが次の台詞は怒りに燃えるザインに取られてしまう。
「”クロガネ”の中に裏切り者がいやがるのさ……絶対に生かしちゃおかねえ……!」
静まり返る広間を尻目に、俺は親分さんに向き直った。
「そのような仕様になりました。全ては不甲斐ない我々の責任です。裏切り者にはこの金看板に傷をつけ、親分さんのお名前に泥を塗った報いを必ず受けさせます」
「裏切りか……思えば前の時もすべての始まりは一人の裏切りだった」
「御大……」「オヤジさん……」
かつてのシュウカの凋落は話に聞いている。末端の裏切りから崩壊が始まり、金庫番だったエドガーさんが生死不明になって壊滅が避けられなくなったと。
「だがいまはあんときとは違う。なにより今の俺達にはこいつがいるからよ。これをどう始末つけるのか、新時代のお前らの力、見せてもらうぜ」
親分さんから直々に指名を受けたからには僅かなしくじりも許されない。心して事に当たるとしよう。
「とはいえ、さしあたりお前らに特段何かしてもらうこともないんだがな」
「なんでえ、折角気合い入れたのによ。裏切り者を捜索しなくていいのかよ」
イーガルが肩透かしを食ったぜと言わんばかりだが、もとよりお前らにまで話す予定ではなかったのだ。
難しいお話はおわった? と広間の向こうから孫娘のリーナ嬢が顔を出した時点で真面目な会合は終了だ。その後はいつも通りの酒の入った宴席となるが、今回は俺の来訪は大々的に告げてないのでここにいる面子だけで飲んでいる。
「問題ない。近々国が貧民窟の最奥に手を入れる予定でな。生け捕りなんか一切考えてないから皆殺しになるだろう。そうしたら突然人員が急減した組織が裏切ってるって寸法だ。俺たちはそれから動けばいい。むしろ余計な動きをするなよ? 感づかれたら潜られる。普段通りでいろ」
「すでに上まで噛んでる話なのか……どこの馬鹿か知らねえが、簡単には死ねねえだろうな」
「しかし、随分と発覚が早い。過去の事もあり裏切りは警戒していたが、まだ組織が成熟していない時期に露見するとはな。いや、ここはユウキの頭の慧眼を褒め称えるべきか。裏切った奴もまさかこんなに早く知られるとは夢にも思うまい」
「裏切り者か。紛れ込んだとすればまず間違いなく結成当初の下部組織だな。勢力拡大のために望むものを囲い込み過ぎた。今度は前と同じ轍を踏むわけにはいかない」
イーガルはこの件に下手に深入りすると大火傷すると知って腰が引けているが、ベイツはいずれ裏切りが出ることを予見していたようだ。そしてボストンは前回の”シュウカ”の件が相当堪えたのか、暗い顔で酒を呷っている。
三者三様だが、彼らを含めたこの8人の誰かが裏切っていることは有り得ないからこの場の空気は弛緩している。
彼らのことは信頼できる。皆の性根のまっすぐさを信じているというより、俺を裏切るとどうなるか、これまでの愚か者の末路を散々見てきた彼等なら身に染みて理解しているからだ。
「へっ、相変わらずだなお前は。余計な心配してんじゃねえよ、あの時は俺らの力が足んなくて無様を晒したが、今度は違げえ。なんせ頭が居てくださるんだからよ」
ボストンと犬猿の仲のゾンダが励ましているのか貶しているのかよく解らない言葉を投げている。普段は温厚かつ理性的な振る舞いで周囲を落ち着かせるボストンもゾンダ相手となると頭に血が上る。売り言葉に買い言葉で彼らしくない激しい言葉が出てきてしまう。
「それくらいはお前に言われなくても解っている! お前こそ今の繁栄が全て頭のお陰だと本気で理解しているのか? 今回の事もそうだ、先ほどから嫌にしたり顔で語りおるではないか。何をした? お前と言いザインと言い、この場でもっと騒ぎそうなお前たちが不自然なほど沈黙を守っているではないか!」
「そ、そりゃあよ。俺達にもいろいろあるんだよ。お前には関係ねえ」
途端に歯切れ悪くなったゾンダを見てボストンは好機とばかりに畳みかけた。
「数日前に孤児院に大量の孤児が入居したこともお前たちの差配だろう? こちらに雑事だけ投げおって、説明の一つもなしとはどういう事だ! ザイン、お前もだ! ジークも事情を知っているはずだな?」
「ボ、ボストンの旦那。俺は別に……」
「その態度、語るに落ちるとはこのことだな。言え、何をしたのだ?」
「おいおい、ここは俺たちしかいねえんだ。秘密はナシだぜ」
「言えないことをしたという訳か? ザインの沈黙は気になっていた」
ボストンの追及はザインを巻き込んで激しくなるが、そりゃあいつもはあいつが真っ先に喋りだすのに今日は借りてきた猫のように大人しい。イーガルとベイツも追及に参加し、怪しく微笑む瑞宝は全てを見透かしているかのようだ。
「皆、そこまでにしてやれ。こいつらも言うに言えないのさ」
「頭、それはいったい? 頭に関することなのは間違いないようだが?」
ボストンの問いかけに俺は意地の悪い笑みを浮かべて冷や汗をかいているザインとゾンダを見つめた。
「こいつら、俺があれだけ来るなって念を押したその夜に、俺を追いかけて貧民窟の”常闇”についてきたんだよ。つまり、あの日の出来事をすべて見知っている訳なのさ」
楽しんでいただければ幸いです。
遅れました。申し訳ない。
次回は閑話の予定です。ゾンダ視点でお送りしたいと思います。
もしこの拙作が読者様の興味を引いて頂けましたら評価、ブックマークなど入れていただくとこれに勝る喜びはございません。何よりも作者のモチベーションが超絶鰻登りになります。更新の無限のエネルギーの元になりますので、何卒よろしくお願いします!




