見捨てられた場所 2
お待たせしております。
「さあ、行くわよ! こっちの準備はできてるんだから!」
俺の内心などお構いなしのリノアは早く早くと急かすものの、こちらはそれに取り合うつもりはない。
「やる気に溢れてるところ悪いが、今日はこいつらに釘差しに来ただけだからな?」
暗に行かないと告げるのだが、俺に慣れたこの女は容易く信じようとはしないのだ。
「ふーん、そうなんだ?」
全く信じてない声音でわかったと言うリノアだが、自分の家の皆が忙しいはずなのに俺の隣に腰を下ろして、卓の上にある料理や茶に手を伸ばし始めた。
こ、こいつ。俺を全く信じちゃいねえ。目を離したらその隙に逃げ出すと解っていて隣を占拠したのだ。
まあ、そうするつもりだった俺がなにか言えた義理でもないのだが。
結局親分さんの屋敷を辞した後も俺にくっついてきたので、こちらは秘策を繰り出すことにした。
「おい、今日はもう俺は屋敷に帰るが、お前も来るか?」
「そうね、そうしようかしら」
俺の全てを見通してやると言わんばかりの目でこっちを見てくるリノアに内心でため息をつきながら転移環で屋敷に帰ると、ちょうど同じく帰宅したシャオとかち合った。
「あ、とーちゃんだ!」
今日はオウカ帝宮に遊びに行っていたようだ。我が娘ながらとんでもない場所に気軽に出向くなあと戦慄を覚える。足元をちょろちょろしている飼い猫のクロが今日も異常無しと目で伝えてきた。
「リノアおねーちゃんもいる! やったぁ!」
なにが『やった』なのかは解らないが、リノアに抱きついた娘は嬉しそうだ。リノアの方も子供の相手は慣れたもので纏わりつくシャオをいなしている。
「シャオはいつも元気一杯ね」
「うん! とーちゃん、おなかすいた!」
常に動き回る娘はいつでも腹ぺこだ。よく食べてよく寝るこの子はすくすくと育っており、出会った頃の痩せた印象は既にない。
「ああ、ご飯にしよう。リノアも食ってけよ、時間の余裕はあるんだろ?」
俺と貧民窟へ出向くつもりだったなら暇はあるだろう。
「まあ、あるけど……」
じとりと俺を見るリノアの顔にはあんたを見張るからね、と書いてある。
なるほど、俺の悪辣な作戦とリノアの目敏さの勝負というわけだな。
「あら、二人揃って帰ってくるなんて珍しいわね」
「お帰りなさい、兄様、リノアさん」
ちょうどセリカとソフィアが談話室に揃っていたので俺はリノアの視界に入らないように気を遣って作戦を書いた札を見せた。
その内容に目を丸くした二人だが、その隣では俺の意を汲んだ雪音がすでにその理由を話してくれていたようで、ソフィアは楽しげに、セリカは溜め息をつきつつ従ってくれた。
「ちょうどいい時に来たわねリノア。呼ぶ手間が省けたわ」
「えっ、何かあるの?」
「如月さまが日本で甘いお酒を沢山仕入れて下さったのです。セリカ様がどれをお店に出そうか迷っていたのでまずは試飲をしようかと思いまして。リノアさんも如何ですか?」
「私も飲む!!」
最近では酒と言えば強いものばかり好まれる傾向があるが、女性陣にはちときつい。
それを聞いていた如月は日本で様々な酒を手に入れており、これなら女受けも良いだろうと思われる品も数多い。
身内でその品評会をしようと言う話である。一も二もなく飛び付いたリノアだが、腰にしがみつく娘はぽかんとしている。
「とーちゃん、なにかあるの? シャオもいっていい?」
「お前さんにゃまだ早いよ。俺達はご飯にしようか」
「うん! あ、れーちゃんみっけ!」
帰宅した玲二を見つけて突撃する愛娘を眺めながら、早速雪音を含めた四人で飲み始めるリノアを視界にいれた。
〈玲二、悪いがあと頼むな〉
〈別にいいけど、文句言われたら全部ユウキに流すからな〉
〈ああ、それでかまわない。取りあえずリノアを寝かしといてくれ〉
〈りょーかい。だけどまず間違いなく怒ると思うぜ?〉
〈それでもあそこにいきなり連れてくよりマシさ。じゃあ手筈通りによろしく〉
<俺は責任持たないからな、ユウキが機嫌とれよ?>
<念話>を終えた俺は夕飯を頬張る娘を眺めつつ、いまだこちらに注意を向けてくるリノアに視線で詫びた。
悪いな、お前も状態異常の耐性は生まれ持っているようだが、異世界産の薬には敵うまい。今日の所は諦めてくれ。
妹たちに『リノアを酔い潰せ』と頼んだ俺は、あえなくその術中に嵌まってゆく彼女を眺めながら密かに出かける準備を始めた。
あそこの特殊性からして、その本性は夜にこそ現れる。リノアもそれを分かっていて動向を申し出たはずだが、絶対に女子供を連れ歩くような場所ではない。
この国から、そして”クロガネ”から見捨てられた場所なのだ。
どれだけ控えめに見積もっても……この世の地獄になっているはずだ。
「ねえあんた。私に何か言うことあるんじゃない?」
翌朝、見慣れぬ内装の部屋で目を覚ましたリノアは開口一番俺に対して文句を垂れた。
「おはよう。いい朝だな。よく眠れたようじゃないか」
悪びれない俺の言い分にリノアの額に青筋が立ったのが見えた。
「ええ、一服盛ってもらってぐっすりよ! 深夜に目が覚めたけど、よくわかんない場所に連れ込まれてるし、隣にセリカがいなかったらとても安心なんでできなかったわよ」
普通に翌朝まで熟睡かと思ったら途中で目が覚めたらしい。睡眠薬に対する耐性まで持ってるのかと内心驚きつつ、次善策も功を奏したようで一安心だ。こいつの性格からして覚醒と同時に俺を追いかけただろう。
「で、ここどこよ? なんかすごい豪華だけど」
「どこって、日本だよ」
「へえ、二ホン……ってあの日本? 玲二たちの故郷っていう? ウソ!? ホント!?」
事態を呑み込めなかったリノアは俺の言葉を聞くと周囲を見回してはしゃぎ始めた。
ここは異世界における俺たちの拠点だ。もっとも俺に何かわかるはずもなく、すべて如月が対応してくれたので偉そうにはできない。
俺が北での騒動に巻き込まれている間、彼が苦労して整えてくれたのだ。
ここも俺の依頼通り、指折りの最高級宿の一層まるごとを借り切ってくれた。いくらかかったんだと聞いても問題なかったと繰り返すばかりで教えてはくれないのだ。
一応こちらの品を金に換えたのは間違いないようで、彼の私費を持ち出していないことは確認してある。
「身内以外じゃお前が初めて案内したことになるな」
この貧民窟の一件がなければ学院の武闘大会絡みのキナ臭さから異国の姫たち、エリザやフィーリアなどを先に避難させる予定だったが、想定が狂ったな。いつものことだが。
「うわぁ、ここが異世界の日本。うわ、うわ凄い 本当にこれ押すと部屋が明るくなるんだ。魔導具じゃないのにすごい! 動画で見た通り水とお湯が同じ所から出てくる! すごいすごい、うちにも欲しい!」
「朝からうるさいわねぇ、いったいなにを……ああ、リノアが起きたのね。ってなんでユウキがここにいるのよ! あっち行きなさ、あたたた」
大きな寝室を走り回って部屋の機能に驚いているリノアの声に隣で酔い潰れていたセリカが目を覚ましたようだ。起き抜けの顔を見られて恥ずかしそうだが、痛飲しすぎて二日酔いになっている。
「お前まで潰れるなよ。ソフィアと雪音はちゃんと抑えてたぞ。ほら<エイド>」
俺の回復魔法は時間を巻き戻す。飲み始める前の彼女の状態に戻してやると恨みがましい目で俺を見てきた。
「うるさいわね、あんたの卑劣な策に陥れられたリノアのために一人くらい付き合わないと可哀想でしょ」
一時期リノアとともに育てられたセリカは姉妹同然の仲だ。リノアを酔い潰す策も不本意だったようだが、渋々納得して一緒に酔い潰れることを選んだようだ。
「まったくよ! 酔い潰すだけじゃ飽き足らず絶対に追ってこれないように異世界に隔離するなんて根性捻じ曲がってるわよ、あんた!」
部屋の探索を終えたらしいリノアがセリカと共に俺を責めてくるが、全く気にもならない。むしろ俺の心情は凪いだ海のように穏やかだった。
「悪かったとは思ってるよ。だが、それと同時にお前を連れて行かなくてよかったと俺は心の底から安堵している」
知らぬうちに口の端を歪めていたらしい俺の顔を見てリノアが顔色を変えた。ずっとそういう世界で生きてきたから”匂い”と”気配”には敏感なのだ。昨夜は大掃除だったのでその後、徹底的に洗浄したはずだが拭い切れなかったみたいだな。
いや、血ではなく、殺意の残滓を感じ取ったか? やはりこいつ殺しの才能だけは飛びぬけている。だが不要な才能だ。リノアは生涯、手を血に染める必要などない。
「そ、そんなになの?」
「ああ、だが朝から話す話題じゃないな。顔洗ったら飯にしようぜ、ここの朝飯は俺の仲間たちも文句なしの大絶賛だぞ」
俺の提案に二人はもれなく飛びついた。
王都の城壁外にある貧民窟は大雑把に区分けして3層に分かれている。城壁を背に半円状に広がっていると思ってくれていい。
まずは外郭。ここは浅い層なので外部の人間も出入りする。ここまで巨大な貧民窟になるとこれ一つが町の機能を持っている。小規模ながら市が開かれていたり、経済活動が行われている。神殿や教会が慈善活動を行っていたり、冒険者ギルドが安価とはいえ仕事を斡旋したりしている。
まだ日常を維持している区画と言っていいだろう。
次は中層。主にこの貧民窟で暮らす貧者たちが生活している区画だ。すでにここが混沌の坩堝と化しており、暴力が支配する場所だ。強盗、置き引きなどは日常茶飯事だが、悪所ならではの裏組織が牛耳っていて弱肉強食の世界が広がっている。とはいえ、これはどこの貧民窟も同じことだ。
そして極めつけが常闇と呼ばれる区画だ。こここそが最も初期に作られた貧民窟であり、当然ながら城壁と隣接している。王都の東門と南門の中間地点に隠れるように作られたその場所が肥大化してここまで巨大化してこうなってしまった。
この『常闇』だが、全容がようとして判明しなかった。いくつかの勢力が縄張りを張っているくらいは情報として流れているが、それだけだ。
国王が幾度も密偵を送り込んでも音信不通となり俺に助力を頼んだくらいなのだ。
国王としては忸怩たる思いだろう。自分の手で滅ぼすと決めた相手なのに他人の助力を乞うのは噴飯ものだ。この件は俺の敵でもあるので手を貸すことに否やはないが、国王からすればこの煮えたぎる殺意は己だけものであり、他者の手は借りたくないはずだ。
そして俺も貧民窟からは意図的に手を引いていた。”クロガネ”の接触はもちろん、調べたがっていたユウナにも手控えるように命じていたほどだ。
その理由はいくつかあるが……手を出せば厄介なことに自分から首を突っ込むことになると解りきっていたからだ。そしてその思いは昨夜のうちに確信に至っている。
もう覚悟を決めたので気にはしないが、昨日までの俺の判断は間違っていなかったと言える。
少なくともリノアに詳細な説明をしたい場所ではなかった。もうすべて処理済だが。
「一応、私婆ちゃんに報告を上げる必要があるんだけど……」
「今日の所は外郭を回ってみようぜ。一番闇は薄いが、それでも王都とは空気が倦んでる」
「私はあんたが口にしなかったその中心部が気になるんだけど?」
「ゴミ掃除はもう終わったから何もない。だから報告する必要もないな」
俺の口から明確な拒絶を感じ取ったリノアは追及を止めた。実に賢明な女である。
「……あの”ウロボロス”や”ウカノカ”みたいな奴等だったってのは理解したわ」
「あれよりも数億倍酷かった。人間の持つ醜悪さの極みみたいな場所だった。知らん方が人生楽しい、深入りはやめとけ」
久々に人間の愚かさを味わった。王都の掃き溜めの底の深淵だけあって、本当に救いようのない屑どもが大勢湧いていた。俺も屑を消し炭するのに良心の呵責が不要だったのは幸いだった。
「なんてこんなことになったのかしら? 世間じゃウチの国は景気良いって言われてるのに」
「だからだろ? 光が強けりゃその影も色が濃くなる。王都はもう満員だし、入り込む隙間はない。だか故郷でやっていけない食い詰め者は王都を目指し、落伍してあそこに棲む。構造としては単純な話だ。それで納得しとけ」
俺の最後の言葉にリノアは神妙にうなずいた。彼女もその立場からある程度は聞いているのだろう。
巨大化した貧民窟の責任の大半は国王にあり、それすらも国のある目論見の一環であることを。
つまり深入りしてもよいことは何もない。彼女たちとしても貧民窟の状況を正しく把握して満足しておくことが一番良いのだ。
「あんたは事情を把握してるんでしょ? あそこ、解決までどれくらいかかりそうなの?」
「どうかね。もともと5年くらいの計画だったようだが、だいぶ早まっているように見える。それに外部要因も加わってそうでな、下手打つと雪崩式にすべてが全速力で走り出しかねんのが不安だ」
「うわぁ。あんたが居なけりゃ絶望してたかも。何とかしてね」
「こっちに振るなと言いたいが、まあやることはやるよ。差し当たっては貧民窟だがな」
この国には知り合いが多すぎて見捨てられない。そして国王に問題提起しても意味がないのだ。
この問題の根深さは、もしそうなっても構わんと国の上層部が割り切っていることだ。上層部とは国王やアドルフ公爵までその認識でいることが最大の問題なのだ。一度酒の席で本当にこのままで大丈夫なのか聞いてみたが、恨みが根深過ぎてて俺にはついていけない。調べれば彼らは完全に被害者だし、俺の知り合いにも割を食っている人が大勢いた。
奴らを叩き潰すという国王たちの意思には俺も賛同している。
だが何が問題って、国の繁栄と敵の撃滅が同時に進行していて、現状では相当うまくいっている点だろうな。この貧民窟の問題も彼らは重要視していない。些事だと思っている。
権力者たちにとって貧民窟など警邏を動員して焼き払ってしまえばいいと本気で考えているからな。
領主にしてみれば自分の領民とは髪の毛一本、血の一滴に至るまで自分の物、命を懸けてでも守るべき存在だ。なにしろ彼等は税金を支払い、自分たちを、領地を富ませてくれる存在なのだ。北部で人口が流出している事態は北部貴族の力が削がれていることを意味する事態でもある。
だが税金を払わない貧民窟の連中はただの害悪を撒き散らす迷惑だ。視界に入れることさえ汚らわしい存在になる。
王都内に存在した貧民窟は”クロガネ”が支援してそこにいた連中は立ち直った。そうすれば再起した者たちは税を支払うので国の増収につながる。俺も公爵にただ貧民窟を潰すのではなく、再起させる必要性を説き、実は彼から僅かであるが支援を引き出していた。
とはいえ”クロガネ”は多大な苦労の果てにそれを成し遂げたので、その偉業は後世に讃えられるだろう。それはオウカ帝国の摂政宮である凛華が詳細を聞きたがったことでも明らかだ。
普通はあんな場所に手を入れようなどとは思わないからな。王都内は俺たちの縄張りだという奴らの根気と執念の勝利だ。
そうして放置され、巨大化した王都外の貧民窟に俺たちは足を踏み入れた。
「もっとひどい場所を想像したけど、意外と活気あるわね」
「外郭はまだマシだな。見ろ、外から来た奴も商売したりしてる」
俺が指さす先には地面に野菜を並べている農民らしき姿がある。物陰から子供が品物を狙っているのだが、それも日常の光景だろう。
「ああ、王都に入るのにもお金がいるし、中で商売するのにも保証金いるしね。外からやってくると意外とお金かかるのよ」
王都生まれなのでそういう面倒には縁がないリノアだが、苦労話は聞いているようだ。物価が高い印象しかない王都だが、そういった経費が初めから組み込まれていたのか。
「だったらここで売った方がまだ儲かるのか、なるほどな」
「王都で商売したっていう箔は大きいらしいけどね。昼間は意外と下町と変わらないのね、着替えてきたから注目も集めてないし」
俺はともかくリノアは目立つ容姿をしているので変装させて薄汚れた町娘の格好をしている。そのお陰で周囲に溶け込んでいるが、俺は……いつも通りだ。<隠形>を使ったわけでもないのに誰からも注目を集めない。相棒曰く地味面で良かったね、と言われた。喜ぶべきことなのだろうか。
「適当に情報を拾っていくか」
懐から銅貨の詰まった袋を無造作に出しながら露店に向かってゆく。
「また油断して。まったくもう、背中は私が見てあげるから感謝しなさいよ?」
リノアが俺から距離を取りながら小声で呟いた。周囲の視線が金の入った袋に注がれるのを感じつつ、貧相な野菜が並んでいる店の前で俺は店主に話しかけた。
「親父さん、ここで店を出して長いのかい?」
「あん? なんだ坊主、見ない顔だな」
「ああ、最近流れてきた。一応冒険者やってる、あんたもここの住民じゃなさそうだけどな」
懐からギルド証をちらつかせつつ随分と痩せた野菜を手に取る……が、そういえば故郷でもこんなもんだったな。最近の俺の比較対象が環境層の品だったから忘れてたわ。
価格も銅貨1枚からで、この場所ならこんなもんだろう。
「おう、俺も近くの村から出稼ぎだ。客の質は最悪だが、王都は入るだけで日が暮れちまうからな。腐らせちまうならここで捨て値で売った方がまだマシだ」
萎れた葉野菜を手に取りながら銅貨で支払う。
「ここは誰でも商売できるのか。意外だな、仕切ってる奴が居そうなもんだが」
「昔は居たそうだぜ? だがよ、その都度”喧嘩屋”が出張って潰したそうだ。今じゃ外郭は”クロガネ”の支配下みたいなもんだ。ここには手を出さねえって規則らしいが、やっぱり大した連中だよ。おかげでいろんな奴らが安心して商売できる。そら、あそこで奉仕活動してる教会のシスターたちも”喧嘩屋”が出張るまでは滅多に顔出さなかったって話だぜ」
店主の視線の先には尼僧服を着た教会の少女たちが炊き出しを行い、それを目当てに長蛇の列ができている。
「教会も偉いもんだな。よくやるよ」
「王都内は”クロガネ”の傘下扱いの神殿が幅を利かせてるからな。その分こっちに力入れてるんだろうさ。”喧嘩屋”といい”石切り”といい、あそこには凄ぇ漢が揃ったもんだぜ」
石切りはゾンダの異名で実家が石切り屋だったことからその名がついたと聞いている。
「もともと素質があったんだろ。組織じゃなくて個人が優れているのさ」
”クロガネ”に頼る必要のない奴等ばかりだ。俺は当然だと思っていたが店主は違う感想を持ったようで、突然不機嫌になって俺を睨んできた。
「おい坊主、忠告しといてやる。お前、王都の中でそんなふざけた台詞吐くんじゃねえぞ。物陰に連れ込まれてズタボロにされるからな。”クロガネ”の大頭に対する忠誠心はヤバい、俺も遠目に拝んだ事があるが、お前と大して変わらねえ歳だってのに空気が、雰囲気が全然違う。お前なんぞが大頭と出会ったら卒倒しちまうぜ?」
大頭ってたしか……こんな農家のおっさんまで広まってるのかよ。
すっかり毒気を抜かれた俺はおとなしく忠告を受け入れた。
「わ、わかった。気を付けるよ」
「わかりゃあいいんだ。お前もユウキの大頭にゃあ感謝すんだぞ。あのお人が”クロガネ”を作ってくれて随分と暮らしやすくなったんだ。このスラムだって何とかするはずさ、このまま放置するはずがねえからな」
どいつもこいつも他人に勝手に期待をかけすぎだ。俺は万能の存在でも何でもない、自分の両手に抱えられるものしか守るつもりはないし、出来ないことは出来ない。するつもりもないってのに。
「あんたの本心がどうあれ、みんな信じてるわよ? あんたなら絶対に何とかするって」
適度に距離を置いたリノアが俺だけに聞こえる声で笑いかけてきた。
「無茶言うなってのが、正直なところだがな。人間格好をつけるのにも限界はあるし、俺にも優先順位はあるぞ。身内や仲間をないがしろにしてまで会ったこともない奴らを手助けする義理はない」
「とか言いつつ、結局は手を出すことになるユウキなのであった」
勝手に人の未来を決めつける馬鹿娘に一言言ってやるべく先を行く背中に追いすがったその時。
「おっと、ごめんよ」
中年男が俺にぶつかるふりをして人の懐に手を伸ばそうとしたので、そのまま前蹴りをくれてやった。
「ぎゃあっ! こっ、このガキ! なにしやがる!」
「掏摸が被害者面してんじゃねえよ。失せろ屑野郎」
雲霞の如く湧き出すこの手の屑に何か思うことはない。さっさとその場を離れようとした俺だが、そうは問屋が卸さなかった。
俺は珍しく失念していた。屑の周りには屑が湧くものであることを。
「おいおい、俺のダチ公に随分な真似してくれるじゃねえか」「あーあ、こりゃ骨が折れてるわ。酷いもんだ」「ただ軽くぶつかっただけじゃねえか、どう落とし前つけるつもりだ? ええ?」
俺が蹴り飛ばした男の周囲には6人もの男たちが現れていた。口では心配していたが、本心ではないことは顔を見れば一目でわかる。
「なんだ? ここは変人が多いんだな」
「何言ってやがんだこいつ?」「おとなしく金を置いて消えろや、命まで取られたいのか?」「おいおい、治療費だよ治療費。骨が折れてるんだからその分の金も貰わないとなぁ」
寝言を吐きつつ凄んでくる様は滑稽だ。思わず吹き出してしまった俺を見て周囲の野郎どもに殺気が混じり始めた。
「ははは、すまんすまん。悪気があるわけじゃないんだ、そう怒るなよ。お前らの望み通りにしてやるからさ」
「このガキ、ふざけたこと抜かして……ぼぎぇっ!」
俺の因縁をつけようとした奴は腹を蹴られて吹き飛んで悶絶している。腰の骨を砕いた感触があるので止めを刺した方が慈悲深いか? いや、きっとここにはそれを処理して金に換える奴がいるだろう。
「ったく、世界は広い。全員俺に蹴り飛ばされたくてわざわざ湧いてきたんだろ? 望み通りにしてやるよ、二度と明日の朝日は見れないだろうが、後悔するほど大した人生を歩んているならここにはいないだろうしな」
「てめぇ、俺たちを誰だとおごっ!」
「生きる価値のない屑だろう? さっさと死ね」
残りの屑を蹴り飛ばすのに大した時間はかからない。痙攣する男たちはまだ息があるが、それらを狙う無数の瞳がある。今までは彼らは狩る側だっだが、今は弱者だ。
やはり人生には刺激が必要だ。彼らも人生の最後になかなかできない経験をしたことだろう。
「あんたって基本的に容赦ないわよね」
何らかの技能を使用しているのだろう、俺と距離を保ちつつもリノアは声を届かせた。
「命は取らなかっただろうが。その後は奴らの選択だ」
俺もむやみに人死にを出したくはない。ただでさえこの奥地では昨夜、局地的に流血の洪水があったので今日は控えようとしたのだ。だが喧嘩を売られたなら話は別だ。
「ま、いいけど。下町に見えてもやっぱりスラムだったって分かったし。ほら、次が来たわよ」
リノアが楽しそうに声をかけた先には俺に近づく女がいた。
「へえ、兄さん。若いのにえらく強いんだねえ。暇なら私と遊ばないかい?」
俺は女の言葉に戸惑った。意味は解るが、今の時刻はまだ昼前だ。彼女の仕事が何であれ、早すぎないかと思ったのだ。
「別に構いやしないが、今からか?」
「ああそうさ。本業の連中を出し抜くには今が頃合いなのさ。それで、遊んでくれるのかい? ならこっちについてきな」
女の背を追いながら、俺はその行き先に興味を持った。このまま向かえば中層にたどり着くことになる。
「俺は流れ者だが、あんたはここで長いのか?」
「そうさねえ、もう2年になるかな。古参に入るだろうね」
そりゃあいい。俺の目的はここの情報を手に入れることだ。お互いの目論見が成功すれば素直になっているだろうし、その提案に乗るとしようか。
「へえ、色々と楽しめそうじゃないか」
「ああ、後悔なんてさせないよ、この世界の広さってやつを教えてやれるはずさね」
妖艶に笑う女の年齢は読み取れない。30の半ばに見えるが、苦労を重ねた顔色が判断を難しくさせている。
まあいい。これも滅多にできない経験だし、ここはひとつ楽しませてもらうとしよう。
案内されたのは粗末な建材で作られた掘っ建て小屋だ。突風が吹けば倒壊しそうなおんぼろさだが、他も似たような造りだ。当然壁も薄く、会話などは隣の家からでも聞こえそうである。
「適当なとこに座っておいてよ、準備してくるからさ」
「ああ、解った」
「兄さん、あんた初めてじゃないね? 金額次第で望みも聞いてやってもいいよ。好きな体位は?」
「秘密だ」
俺は早く行けと手で女を追い払った。あの女、なんてことを言いやがる。この小屋の外ではリノアが剣呑な空気を出しているし、今の俺の状況は何故か相棒が周囲に触れ回っている。これから先の行動一つで俺の運命があずかり知らぬところで決まりそうだ。
俺を連れ込んだ女は<マップ>によると外で体を拭いているようでしばらく戻らないだろう。仕方なく小屋の中を見回した俺は見たくないものを発見してしまう。
もよとりその気はなかったが、知らぬうちにため息が出てしまう。生活が楽ではないのは暮らしぶりを見ればわかるが、もうちょっと何とからなかったのだろうか。幼い子供がいるなら控えた方がいいんじゃないか? いや、だからこそ手段を選んでいられないのか? くそ、こうやって感情移入し過ぎると深入りすることになるんだよなあ。
「おい、昼間から誰を連れ込んでやがる!」
思案に暮れていた俺を現実に引き戻したのは男の野太い怒号だった。随分早い登場だなと展開のいい加減さに呆れつつもその場に留まっていると、随分な大男が薄い扉を蹴破る勢いで飛び込んできた。
「ちょいとあんた! 仕事のはずじゃ!?」
女が後から男の姿を見つけて追いかけてくるが、そんなものはもうどうでもいい。
「おい小僧、人の女に手を出してただで済むと思ってるんじゃねえだろうな!」
「なあ、普通美人局って事後にやってくるもんなんじゃねえのか? 脅しもにならんぞ、段取り悪すぎだろ」
「う、うるせえガキが! お前は黙って金を出せば……」
大男は最後まで言葉を続けられはしなかった。俺の飛び膝蹴りが奴の顔面に突き刺さっていたからだ。
俺の膝を食らって吹き飛ぶ大男を見て女の顔が青ざめる。先ほどの掏摸の集団を見ていればこうなることくらいわかっていそうなものだが、頭が弱いのかもしれない。この女も足運びから素人じゃないと思うのだが。
「畜生、腕だけの若造なんてどうにでもあしらえるってのに、この馬鹿は!」
部屋の奥に飛び込んだ女が刃物を持ち出そうとしたのでごく弱い魔法を放ち、その腕から刃物を弾き飛ばした。だが、俺の視線は飛ばした刃物に向けられている。なんだ、こいつは!?
「今のは魔法かい!? なんてこった、凄腕じゃないか。降参だよ降参! 部屋の中で当たり前に魔法を使いこなす天才相手に勝てっこないさね。参ったよ、その余裕からして全部お見通しみたいだしね」
魔法は小さく、そして弱く打つ方がよほど難しい。詠唱して強力な一撃を放つのが魔法の基本だが、真逆のことを行うには高い技量が要るからだ。そのこと一目で見抜いたこの女(おそらくは元スカウトだと思う)は抵抗の無意味を悟り両手を挙げた。
「ちょうど手駒が欲しかった所だ。そこで伸びてる旦那を起こせ。人を嵌めたんだ、それなりの代価を支払ってもらうぜ」
「ああ、解ったよ。命あっての物種さね、こんな凄腕相手に逆らう馬鹿な真似はしないさ」
こうして美人局を利用して俺は現地の情報提供者を手に入れた。
もちろん初めからこの女のすべての目論見を見抜いて敢えて誘いに乗ったのだ。
本当だから信じてくれ相棒、ソフィアに変なことを吹き込むのは勘弁してくれ。
誘いに乗る意味? まあ、特になかったかもしれない。怪しさ満載だったから面白そうでついつられてしまったんだが……有罪? そうですか。
「普通、あの状況てホイホイついていく? 見ていてこっちが呆れたわよ!」
何故か怒っているリノアが合流した後、俺は先ほどの夫婦から手に入れた気になる情報を確かめるために教えられた場所へ向かっている。
「今は何の手掛かりもないしな。向こうから来てくれたのが有り難かっただけだ」
「むぅ……確かにあんな年増になびくあんたじゃないけどさぁ、なんか頭にくる! 後でこれはみんなに報告しないとね」
その必要はない。すでに俺の身内には知れ渡っている。相棒は本当に容赦がなくシャオにまであいびきってなに? と如月に尋ねて困らせているそうだ。すまん、如月。勘弁してくれ。
「それよりリノア。ここから先はついてこなくてもいいぞ。これは俺の個人的興味でここの調査とは何の関係もないからな」
「私も気になるからついてくわ。確かにあの刃物、ただの石を割って作ったとは思えない出来栄えだったもの。知っての通り私も刃物にはうるさいからね、あれを作ったのは只者じゃないわよ?」
話題に上ったのは先ほどの女が手にした刃物だった。すぐに魔法で弾き飛ばしたが、思わず二度見してしまうほど珍しいものだった。その刃物は石で作られたものだったのだ。
貧民窟で流通するに相応しい道端で拾える素材でこしらえたものといえるが、その出来栄えは異常なほどだった。黒曜石がナイフとして使えることは有名だが、あれは普通の石だった。
つまりただの石をナイフとして昇華させるほどの腕前を持つ者がこの貧民窟にいることになる。興味を惹かれた俺は食料の提供と引き換えにその店の場所を聞きだしたのだ。
「話じゃ店も不定期でやっているかどうかも怪しいって事だが……」
裏路地に隠れるように品を並べているという事なので探すのも一苦労だ。王都の通りならともかく、こんな悪所じゃ力なく座り込んでいる輩は大勢いるし、いちいち声をかけて回るのはさらに面倒だ。
〈マップ〉はこういう時全く役に立たないので自力で探す必要がある。
「あ、あれじゃないの? あそこの暗がりで物を広げているわよ」
リノアが指さす先には確かに敷物の上に売り物を広げているように見えた。暗がりでよく見えないが、棒状の何かが並べられている。
間違っていたとしても何かあるわけでもないのだ、俺たちは規模が小さすぎて露天商ともいえないその店に近づいて、そして息を吞んだ。
こりゃあ大したもんだ!
俺の動揺はリノアにも伝わっていた。その瞳は信じられないものを見たと告げている。
とんでもない代物がここにある。素材は石やクズ鉱石を用いた貧相なものだが、技術がおかしい。伝説の名工が精魂込めて作り上げたといわれても納得できるような完成度なのだ。材料は石やクズ鉱石なのにだ。
「なあ、これはいくらになる?」
薄汚れた襤褸の外套を頭から纏った小柄な店番(店主だろうか)に売り物を一本手に取って訪ねてみるが……本当にいい出来だ。異様なほど手に馴染む。これだけの腕があるんだからもっといい素材を使えよと説教を垂れたくなるほどだ。俺よりも刃物を投擲する機会の多いリノアに至っては衝撃を受けている。
「えっと、銅貨3枚かな? 買ってくれますか?」
さらに驚くことに声の主は子供で、それも女の子だった。この貧民窟にあまりにそぐわない声に現実を忘れかけてしまったほどだ。
「買ったわ。全部出して、いくらでも買うから」
「ええ!! あの、その、ちょ、ちょっと待って。あわわ」
リノアが発する本気の声に気圧された女の子だが、取り出した大銀貨を見てその子は腰を抜かしてしまった。先ほど俺が見せた銅貨の袋でも掏摸が目の色を変えたほどなのだ。その上の上の大銀貨を見て驚くのも無理はないのかもしれない。
「か、母ちゃんに聞いてくる」
母ちゃん? まさか作成者はこの子の母親なのか? てっきり男だと思っていたが、女性か。世の中名工がこんな場所にも隠れているもんだな。
慌てて立ち上がったことで、その女の子が頭からかぶっていた外套がずり落ちた。
その姿を見て俺たちは再び驚くことになる。
小柄な体躯は噂通りだが、彼等の特徴を最も表す髭が当然ながら彼女にはない、だが髭と同じくらい有名な三つ編みに似た特殊な髪の編み方を見た俺は彼女の種族に思い至った。
エルフ、獣人と並ぶ亜人種の一角。生まれながらの戦士にして大酒豪、そして鍛冶の腕は右に出るものはいない。
「君はドワーフなのか!」
楽しんでいただければ幸いです。
開始六年目にしてようやくドワーフの登場です。密かに主人公のイチオシ種族だったりします(つまり妙に親切です)。
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