見捨てられた場所 1
お待たせしております。
「今回は随分とご無沙汰を致しまして、大変申し訳ございません」
「いや、エドガーの奴から事情は聴いてたぜ。今度は北で大暴れだったそうだな。活躍を知って俺たちも鼻が高いってもんだ」
俺は久々となるシロマサの親分さんのお屋敷にお邪魔していた。これまではクランに監禁されていようがダンジョン攻略中だろうが五日と置かず親分さんのお顔を見に参上していたのだが、北の地はまとまった暇が見つけられず伺うことができなかったのだ。
身内なら気兼ねはしないが、流石に日も落ちた夜遅くに出向く非礼を犯すわけにもいかず、異変解決後に改めて参上することになってしまった。
20日以上も日を開けたのはこれが初めてのことになる。まずは詫びを入れることから始めたが、エドガーさんが事前に話を通してくれていたようで、親分さんは俺の事情をご存じだった。
「それにお前さんの所の嬢ちゃんがよく顔を出してくれてな、俺としちゃあそっちのほうが有難かったぜ。リーナが不機嫌にならずに済んだからな、お前さんからも礼を言っておいてくれ」
俺がこちらに向かえない時、ここに残った雪音が色々と動いてくれていたのだ。それについて雪音は俺に何も伝えてはこなかったが、彼女の気遣いに深く感謝している。
俺が何か言葉にせずとも望むこと以上の働きをいつもしてくれる雪音にはこの国に戻ってから幾度となく礼を述べたが、彼女は控えめに微笑むだけだけで、なぜかセリカとソフィアが歯噛みしていた。
やはり雪音への礼は日本でやるべきだろうな。余計な世話と言われるかもしれないが、俺は必要だと考えている。彼女の抱える問題もなかなか面倒だ、そりゃ帰還する気が微塵も湧かないわけだと理解できた。
「必ず伝えます。彼女には気を使わせてしまいました」
「そうしてくんな。あれはいい嫁さんになるぜ、内助の功ってやつだ」
雪音の心を射止める超がつくほど幸運な男か……たとえ彼女が認めても俺と玲二が許可を出さねば絶対に認めるつもりはないな。
「そんな男が現れたらまずは俺が彼女に相応しい本物がどうか試してやりますよ」
「……そういう事じゃねえんだがな。ま、人の色恋に口出すのも野暮ってもんか。お前さんなら自分で何とかすんだろ」
親分さんが不思議なことを言っているが、まるで雪音が俺に惹かれているとでもいうつもりなのだろうか? 本気でお薦めしないし、彼女は俺の”中身”を知っているのだ、最初から相手になんざしないだろう。
「依頼で北に出向いたのですが、土産に適したものが少なくてすみません」
土産も何もそもそも物資が欠乏しかけていたのだが、親分さんの所に顔出すのに手ぶらというのは何とも締まらない話である。何とか土産になりそうなものを探してみたのだが、やはり冬の北国に期待するほうが間違っているか。
かといって何も用意しないわけにもいかない。より具体的には今親分さんと向かい合っている彼の私室の扉のすぐそばには孫のリーナ嬢が俺の土産目当てにそわそわと待っているのだ。
今日は何を持って来たのか知りたくて仕方ないらしい。雪音が何を選んだのかは聞いていないが、彼女の選択次第では落胆させてしまう恐れもある……いや、その心配はないか。
「北とは縁のない品ですが、こちらはこれまでにないほど楽しんでいただけるはずです」
「へえ、お前さんがそこまで言い切るたぁ、期待しちまうなぁおい」
俺が隣に置いていた風呂敷を自信満々に差し出すと、親分さんは相好を崩してそれを解き始めた。そして桐箱に収められた透明な酒瓶数本を見て笑み崩れた。
「おいおい、こいつは気張ってくれたようだな。しかもおあつらえ向きによく冷えてやがるじゃねえか!」
「親分さんのお好みからすればいささか甘口かもしれませんが、それは次回のお楽しみということで。銘柄は如月のお墨付きですのでご安心を」
親分さんは俺の言葉を待たずに立ち上がると奥の押し入れから小さな箱を取り出してきた。その中には水晶製の器が仕舞われているのだ。なぜそれを俺が知っているかといえば、その品を贈った張本人だからだ。
「まだ隠し通せていたんですね」
言外に意外でしたと滲ませると酒瓶の封を切って新酒特有の香りを楽しんでいた親分さんは微妙な顔をした。
「この部屋で飲む相手はお前かアドルフの野郎くらいだしな。貰っといてなんだが、ちょいと上等すぎるぜ、こいつは。おいそれと使えねえじゃねえか」
創造品である水晶椀は親分さんの他に公爵や伯爵……国王にも渡っている。誰か一人だけに渡すと臍を曲げる面倒な連中なので大人しく全員に行き渡る方が被害は少ないのだ。主に俺の。
「元はご家族に隠れて酒を飲むための品ですよ。気兼ねなく使ってください、割れたらまた用意しますので」
創造品なので元手は魔力のみだ。膨大な量ではあるが今の俺なら一寸(分)もあれは全快する程度なので気にもならない。
「そう言ってくれると気が休まるぜ。ほら、お前も飲りな」
「いただきます」
「お前さんが持って来た奴だろうが……ははっ、こりゃ凄ぇ。自慢するだけはあるな」
「……ですね。俺も驚きました」
親分さんからの手酌を直々に頂戴して地味に感激していた俺だが、喉を通る酒精の爽やかに一瞬言葉を失った。確かにこれは凄い、如月がわざわざ出向いて買い付けてきてくれただけのことはある。
そう、この品は創造品ではなく紛うことなき異世界産、日本製なのだ。その高品質を知っているからこそ俺は自信満々差し出せたのだ。
「あー! おじいちゃん、またお部屋でお酒のんでる! いけないんだ!」
「あちゃあ、見つかっちまった」
突然部屋の扉を開け放って祖父の隠れ飲みを見つけたリーナ嬢が両手を腰に当てて怒っている。
目に入れても痛くないほど可愛がっている孫娘のお怒りに親分さんは弱っているが、もとよりこの私室の扉を断りもなく開け放てるのはこの子だけだし、近くで俺達の様子を窺っていたのも知ってはいたが。
この子の狙いももちろんのことお見通しだ。
「リーナちゃん。こいつでひとつ秘密にしちゃくれないかい?」
「わあ、ありがとうございます、お頭さん」
親分さんの部屋で孫娘が秘密のお菓子を食べる事が恒例になりつつある。母親代わりのジーニの姉御はかなり厳しい教育方針らしく、親分さんが孫に甘い祖父になっている感じだ。
大きなチョコ菓子を頬張っているリーナ嬢を見る親分さんの視線はこの上なく優しいものだった。俺もイリシャやシャオを眺めるときはこんな目をしているのか? 想像できないな。
「そういえば、リーナちゃんは春から学校行くんだって?」
「はい、歳の近いのみんなと一緒に行きます。学校楽しみです!」
「お前さんらは本当によく動くもんだな。俺らの頃とは大違いだぜ」
「俺は全く関与してはいませんが、庶民でも頭の出来が良ければ上に行ける確率が上がりますから、それが解ってる奴等が意図したようです」
俺が話しているのは組織主体となって今度作られる教育施設だ。学校といえば教会が行う日曜学校や神殿が担当する青空教室などがあるが、どれもこれも僅か数刻(時間)で終わる簡単なものに過ぎない。
無料だから当然な面もあるのだが、組織の中で誰かがこれじゃいけねえ、と思い立ったらしい。
子供のうちからちゃんとした教育を与えれば、いつかはこの国を背負って立つような人材も生まれるはずとの考えだ。
その思想には賛同するが、識字率が一桁のこの世界で教育分野に馬鹿げた額の金と労力をかけるのは数奇者扱いで、実行に移したものは皆無であった。
だが今のクロガネならこういう事に金と人間を使えるほど大きくなっている。本当ならこういう慈善活動は先程述べた神殿やら教会の領分だ。
そしてその数奇者がここにいる。仲間たちも教育がもたらす大いなる価値を理解してくれたので、俺が頷いて学校建設は軌道にのることになる。
今現在はクロガネの構成員の子女が通えるとしているが、建物も講師陣ももう揃っているのですぐに門戸は一般に開放されるだろう。
一番難儀すると思われたのが教師の確保だが、これが一番早く解決した。
ゼギアスや瑞宝が所属していたウカノカは夜専門の特殊な商売を中心に行っているが、そこの常連客にかつて貴族が通う王立学校で教師をやっていたという老人がいた。
どうにもならないほどの色狂いで娼館に通い詰め過ぎて借金まみれのようだが、その知性にはいささかの陰りもないとくれば教師の打診をするのも当然だった。
俺の伝手やそれなりの地位にあったらしいその老人が知り合いを引っ張ってきて頭数は揃ったようで、後は開校を待つばかりとなっている。
「リーナも沢山友達を作るといいさ。爺ちゃんもこの歳になってようやく解ったが本当のダチ公ってのは有り難えもんさ」
孫娘の頭を撫でつつそう諭す親分さんは俺にちらりと視線を向けたが、対する俺は微妙な顔を返した。
実は親分さんと公爵の野望である互いの孫娘も親友にしよう作戦は続行中であり、その学校で”偶然”二人は出会う予定なんだとか。
細部を俺に投げてくる無責任さなので、どうなっても知りませんよと断りつつもバーニィの婚約者でもあり、公爵令嬢シルヴィアお嬢さんの筆頭メイドでもあるアンジェラに相談はしている。
もちろんあちらも思案顔だ。無茶振りが過ぎると二人で文句を言っていたら何故かバーニィの野郎が嫉妬しやがった。
「ただ勉強する場所ってだけじゃなく、色々体験して学ぶ授業もあるそうだし、楽しみにしておくといい」
「うん!」
リーナ嬢の笑顔で彼女に聞かせても良い話は終わった。
学校を始めた本当の理由は、ちょいと暗い話になる。
あれはサラトガ事変の前、王都のゴミ掃除を終わらせて少し経った頃だ。
あの件でザイン達は大いに名を上げたが、塵芥のように沸く残党を潰して回っていた時に俺はゼギアスたちと偶然鉢合わせることになった。
程度の低い残党はあっという間に叩き潰されたが、そのうちの一人が死に際に捨て台詞を吐いた。
薄汚い娼婦の息子どもが、と。
罵詈雑言というわけでもない。ゼギアスたち”ウカノカ“はほぼ全て娼婦の子供たちで構成されているから事実なのだ。ゼギアス本人に至っては母親の顔さえ知らず娼婦たちを母や姉として生きてきたほどだ。
だが、そう詰られて平然としていられる奴ばかりではない。そいつの断末魔の叫びに多くの男たちが下を向いて悔しさに耐えていたのだ。
こいつはよくない、その時の俺はそう思った。
別に大したことを言ったわけではないのだが、すべてはそこから始まっている。
「下を向く俺たちに向けて頭はこう仰った。自分の生まれを変えることは出来ない。だが、その生まれを引け目を感じさせないものに変えることは己の努力次第では不可能ではない。疎まれる周囲からの目を、環境を他ならないお前たち自身で変えてみせろ、これから生まれてくる未来の弟妹達のためにもってよ。俺はあの瞬間にイカレちまったよ、一生ついていくのはこの人だって確信したね、もう痺れに痺れたぜ」
「おいゼギアス、お前まだ日も高いってのにもう酔っ払ってんのか?」
「か、頭! いや、これはですね……」
別に連絡したわけでもないのだが、俺が親分さんの屋敷に出向くと何故か幹部連中がわらわらと集まって来るので、その後は呑み会をするのが定例となりつつある。
今回もリーナ嬢が菓子を頬張りながら皆さん首を長くしてお待ちですよ、と教えてくれたのでじゃああいつ等と合流しますかと親分さんと席を立ったのだが……そこで行われていたのはゼギアスによる独演会だった。
しかも内容はあの時のやり取りだし。
「それ話盛ってないか? 俺そんな偉そうな事言ったかな。その割に大して手も貸せてなかったしな」
「確かに仰いましたよ、俺や仲間たちがしっかと耳にしてます。それにお力添えも頂いてます。エドガーとゾンダの両兄貴に話を通して頂いたのは頭ですよね。あの二人がいなければ資材や大工の手配はこうまで迅速にいきませんでした」
全て言い当てられ、俺は二の句が告げなくなる。
「まったく、お前達に隠し事は出来ないな。ゾンダ、あの時は助かった。相当に無理をしてくれたと聞いたぞ」
既に礼は告げてあったがゾンダにはこの場で改めて伝えておいた。
「とんでもねぇ。使ってもらえて光栄ってもんですぜ。学の無ぇ俺等は今更ともかく、ガキどもに勉強させて将来に選択肢を与えてやろうなんて大したもんですぜ」
この辺りじゃ親の仕事を子供が継ぐのが当然とされているが、それはもちろん長男の話だ。次男は予備でまだマシだが、三男以降は厄介者だ。ゾンダもこれまで苦労してきた男だし、生まれた瞬間に稼業が決まることに思うことがあるようだ。
俺個人はゼギアスの試みに手を貸しているが、実はかなり危うい界隈に手を突っ込んだ話になっている。徒弟制度に真正面から喧嘩を売る行為でもあるし、平民を啓蒙することは王制にとって良い結果だけを生む訳ではない。
多分大組織であるクロガネ主導でなかったらこの試みは国や各ギルドによって潰されていただろう。これもやれるもんならやってみろと言う静観に近い態度だ。
「動いたのはあいつだから、褒めるなら奴を褒めろ。それとゼギアス、流石の手際だが一番油断できない時期はこれからになる。お前には不要な言葉かもしれんが、気を抜くなよ」
「はい、万事ぬかりなく」
気合の入った顔で答えるゼギアスだが、どう見ても入れ込んでいる。自分や仲間の悲願でもある事業だから責める気はないが、入れ込み過ぎて明らかに視野が狭くなっている。
俺はジークに視線を送った。僅かに頷いてくれたので後は彼がゼギアスを気にしてくれるはずだ。
「瑞宝、雪音が世話になったと聞いている。本当にありがとう、彼女も心強かったと思う」
「あの人がこの辺りを歩くのは少し難しいと思われましたので、差し出がましいとは思いましたがお役に立てたようで何よりですわ」
「俺はどうもそこらへんは気が回らなくてな。君が居てくれて良かったよ」
「勿体ないお言葉です」
クロガネはむさ苦しい野郎共ばかりなので、彼女やジーニの姉御のように細やかな気遣いができる存在は本当に貴重だ。
「それより頭、この度は北の地でまた盛大に暴れて回られたようで。活躍のお噂はこの南の果てまで届いてますぜ。ですが俺達にもお声掛け頂けりれば何時何処でも馳せ参じましたものを」
これまで黙っていたザインが口火を切って俺に恨み言を言ってきた。こいつの熱意は買うが、物理的な限界はある。
「気持ちは嬉しいが、ここからだと大陸縦断することになるからな。大勢連れてっても現地に辿り着いたときにはもう手遅れだっただろうさ」
だからこそグラン・マスターは俺をまっ先に飛竜便で送り込んだのだ。
それくらい俺が言わなくともジークから聞いていそうなものだが、それでもザインは悔しそうだ。
「ですが……そういう時こそ命の使い時でさぁ。頭の為に……」
「馬鹿野郎、お前の命は安くねえんだ、大事にしろ。北の騒動も命を大事にしねえ馬鹿共ばかりで結局千人以上死んだからな。ザインはもうどこで野垂れ死んでいい雑兵じゃねえことを自覚しやがれ、手下が数百人もいる身だろうが」
「へい、あいすみません」
俺に叱られてどこか嬉しそうなザインを尻目にジークを見た。お前の仕事だろうが、と目で訴えたが彼はさっと頭を下げるだけだ。
こいつ、俺が話したほうが効果あると思って敢えて話さなかったな? ……仕事のできる奴だぜ、まったく。
「まあいい。今回土産物は少ないがその分土産話はたっぷりあるんだ。飲みながら話すとしようか」
こうして俺は皆と一席を囲んだ。最初はここにいる連中だけで始まるのに、何時の間にか色んな奴等が合流して三桁後半の大宴会になっちまうのが常であり、今回も同じ道を辿ることになる。
……俺が食い物と酒を提供してるので勝手に集まってくるんだろうなとは思うが、気にすることでもない。本当に今更だしな。
「これが話に出た精霊石な。使い方は魔石とまったく同じなんだが、見た目の綺麗さはこっち圧倒的に上だな」
「これがあの精霊石……なんて美しさなの……」
瑞宝は手渡された大ぶりの精霊石を見て言葉を失っている。
伝説だと精霊の気まぐれでもたらさせる奇跡の石とかよくわからん設定らしいが、俺はあいつらを使って製造したので感じ入っている瑞宝ほど有難味は感じない。
他の奴らも淡い煌めきを放つ石に触れたそうだが、瑞宝が絶対に離しそうにないのでそれぞれの前に精霊石を放ってやった。
「今回は土産になりそうなのがこれしかない。向こうは雪と氷ばかりだし、食い物はこっちから持ち込む羽目になったからな」
「頭にかかっては伝説の石も数ある品ですかい。規模が違いすぎらぁ。こいつはジャンヌが喜びそうだ」
俺との付き合いも長くなったこいつ等なら各自の前に放った時点でくれてやる意味だと理解している。
ゾンダはいそいそと精霊石を絹布で包むと懐に仕舞い込んだが、エドガーさんが既に渡している可能性が高いな。
余談であるが、今は美の館で働いているエドガーさんの娘であるジャンヌ嬢だが、彼が罠にかかり姿を消していた頃はゾンダが自分の娘として匿い育てていた。
ジャンヌ嬢は実に性根の立派な少女で、実の親が戻ったあともゾンダ夫妻の所に良く顔を出している。私には二組の両親がいるんです、とよく彼女は口にしている。
それにしてもギルドのやる事だから期待はしてなかったか、ちゃんと緘口令は守られたようだ。
俺は真竜に追いかけ回された後、グラン・マスターに連絡を取って真竜撃退の件は秘密にするよう頼んでおいた。
最初は不満そうな反応だったドーソン翁も真竜が面白半分で俺を追いかけ回した事を聞くと即座に指示を出したのだ。
俺も完全に想定外だったが、真竜があそこまで俗っぽいとは思わなかった。
もしあんな性格のやつが人間如きに遅れを取ったと噂されれば腹いせに適当な国を消し飛ばしかねない。
これが長生きしたエルフみたいに枯れきっているなら無視したと思うが、暇と金を持て余して他人に絡むのが趣味みたいな奴とでは危険度が違い過ぎる。
ライカとの時は上手く宣伝に成功したから同じ手を使おうとしたのだろうが、その代償で国が一つか二つ消し飛んでも責任は持たないと警告すると黙ってしまった。
俺は完全に撒けた自信がある(如月のワームホールを使って異世界経由で帰った)ので不安はないが、もしそんな話が広まり、あの暇竜の眷属の耳にでも入ったら……人間領域が更に減少することになるだろう。
奴等とは徹底的に不干渉、これに勝る対処はない。
「わあ、きれい。いいなぁ」
瑞宝の手にある精霊石に目を輝かせるリーナ嬢だが、視線を向けられた彼女は困り顔だ。
「リーナちゃん、ほら、これ持ってジーニの姉御にも見せてあげな」
「はい、お頭さん! ねー、おかーさーん!」
これでいい。ジーニの姉御なら間違いのない対応をしてくれるだろう。駆け出してゆくリーナ嬢の後ろ姿を見ていると瑞宝が礼を言ってきた。
「頭、ありがとうございます。この精霊石は魔力総量からして6等級でしょうから、金貨8枚の価値があります。あの子にそれを知らせずに持たせるわけにはと」
「まあ、不用意に出した俺が悪いな。お前等もそれは持って行っていいが売るなよ? 貴重すぎて簡単に足がつくからな」
「頭からの品を売るわきゃねえ。こいつは派手に飾って手下どもに自慢するんだよ」
リーガルの言葉にうなずいてみせるが、そんな事しない連中だとは解っていたものの一応言っておいた。この”クロガネ”の幹部ともなると金に困る生活などしていない。正業で稼いだ金で組織の運営費を持ち寄っているし、上納金なども取っていない。各自が好きに自分の懐から持ち出している。
他の組織じゃ捧げた金の額で序列を決める所もあるようだが、ここじゃそういうのは一切ない。その順ではエドガーさんの一強になるからな。
序列を決めるのは人格、器量、男気、懐のデカさなど数値化しにくいものばかりだ。
それが嫌ならここを出ていけばいいと常日頃から言っていて、それでもここまで大きくなっている。よくこんな制約ばかりの窮屈な組織に嬉々として入ろうと思うんだろう。特殊な性癖でもなければ俺なら入らない。親分さんの手下にしてくれるなら考えるが。
「で、話は変わるんだが、これは親分さんの御耳にもお入れしたい件になります」
各々、だいぶ酒も進んだ頃合いになったとき、俺は声音を低くして周囲の奴等にだけ届くように話しかけた。
「ほう、お前さんが俺に断りを入れるか。こりゃ相当なヤマだな」
面白そうな声を出す親分さんだが、その眼光は鋭さを増し近くの幹部どもも空気を変えた。
「お前らがそう身構える程の件でもねえよ。俺は近々、”外”の貧民窟に出向くことになると思う」
俺の言葉で周囲の空気が一気に剣呑なものに変わった。
彼らにとってその場所はそれほどの意味を持つ。
「か、頭。ついに動かれるんですね! 頭なら必ずやあいつらを救ってくださると信じてましたぜ!」
俺の言葉はザインを相当待たせていたのか、彼はそれを聞いて思わず立ち上がっている。おかげで周囲の視線を集めて仕方ない。
「座れザイン。期待させて悪いが、組織の基本方針は変わらんぞ。俺たちは連中とは距離を置く、その理由も前に言った通り、俺たちは王都の町の衆のための組織だからだ。何度も話し合っただろうが」
「そ、そりゃあ覚えてやすが……」
この話題は複雑かつ非常に神経質な問題を孕むので俺は事前に彼らの了解を得ておく必要を感じていた。
俺の立場ならあれしろ、と命じれば即座に動いてくれるだろう彼等相手に話をつけるくらにには面倒なのだ。
「頭が仰ることも理解しています。実際、結成当時にあちらに手を出していたら正直な話、共倒れになっていたでしょう」
「だがよ、ゼギアス。あいつらを見捨てるのは俺達の流儀に反するだろうが。俺達はああいう連中を助けるために徒党を組んだはずだ」
「ああ、その通りだザイン。だがその台詞の前に”王都に生きる”という言葉がつくがな。あいつらはどう考えても例外だ」
「ぐっ……」
普段はあまり言葉を発しないボストンが口にした事実にザインは押し黙った。
王都には貧民窟と呼ばれた場所がかつて二か所あった。一つは王都内の南地区にある悪所でそこは”クロガネ”が徹底的に手を入れて今ではボストンが頭を張る”バイコーン”が面倒を見ている。元は下町を根城にしていた彼らだし、掌握は容易かった。
問題はもう一つの貧民窟にあった。俺も<マップ>で規模を把握してはいるが、実際にそこを目にしたのは一度のみで詳しいことはよく知らない。その一度というのもソフィアを狙う暗殺者集団をもれなく地獄に叩き込んで今となっては懐かしい”ヴァレンシュタイン”の連中と初めて王都にやってきたときだけなのだ。
目下ランヌ王都最大の問題に発展しつつある貧民窟は王都の城壁の外にある。その事実が”クロガネ”の介入をややこしくしていた。
今は跡形もない王都内の貧民窟は当然ながら落伍した王都の民が行き着く最果てだ。この場所は軽犯罪の増加による治安低下はもちろん衛生状態の悪さによる疫病発生の恐れなど良いことは何一つないがどんな国でも放置され、まともに解決した国など存在しない(クロガネは自力で達成し、これにより不動の名声を得た)。
それに対して城壁外の貧民窟は外からの流れ者が住み着いている。最近の好景気につられた先のない奴らが一縷の望みをかけ、現実に打ちのめされてあそこで屯している。
俺が初めて見たころからすでに城壁外の一部を占拠していたが、今ではその数倍にまで規模が膨れ上がっている。そして貧者たちの多くが好景気の恩恵が全く与えられていない北部から流れついている。
なぜこんなことになっているのかは理解しているが、俺にはどうにもならない事なのは確かだ。
すべての原因は国の政策にあり、今の貧民窟の状況はある意味で国王が望んだことでもあるのだ。だからアリシアの件を始末に行ったときあの場所を利用されたことに俺は思わぬ反撃を食らったなと口にした。
国王の思惑はともかく、”クロガネ”としては座視できない現実だった。教会や神殿のように弱者救済を看板に掲げているほど御大層な組織じゃないが、設立当初からあいつらを見捨てるのは矜持が許さないとザインのようなことを言い出す奴は結構いた。その意気と気概には頼もしさを感じたが、その鼻息のまま突っ込ませるわけにはいかなかった。
拡大を続ける貧民窟の規模の大きさもあったが、まずなによりも自分たちの立ち位置が問題だった。
さっきから何度も言っているが、”クロガネ”は王都の民のための組織だ。構成員はほぼ全て王都の民だし、現在は他所からも受け入れているので様相を変えつつあるが、基本的に王都の民のために動くことを主眼に置いている。だからこそここまで巨大になれたし、そこに至るまでには王都の民からの助力が欠かせなかった。
だが、城壁外の彼らを救済に走れば、今度は王都の民の支持を失うことになるだろう。結成当時からすでにかなりの規模だったあそこに対処するにはほぼ全力を投入する必要を感じたし、自分たちそっちのけで余所者を助ける姿を見れば王都の民はどう思うか。
これは僻みというより差別意識が本質なのだ。なにしろ貧民窟の連中は税を支払っていない。少数だが金を支払って王都内に移住してきた者たちがいる中、食えなくて故郷から脱出してきた彼らは当然ながら税金が支払えるはずがない。
きちんと王国の民として義務を果たしている自分たちより半端な余所者を優先するのかと思われたら”クロガネ”の根本が揺らぎかねず、最初期にそれをやらかしたら組織として立ち行かなかっただろう。
だから俺は城壁の外は俺たちの管轄じゃないと最初に宣言し、守るべき者たちへの優先順位をつけた。義侠心そのままにすべてに手を伸ばしていれば、早晩崩壊していただろうことは想像に難くないし、規模が読めないくらい肥大化した貧民窟を見れば俺の予想は当たっていたといえる。
とはいえ、俺も彼らに対して負い目がないとは言えない。だから抜け道は用意してある。
「お前らの考えに口を挟む気はない。個人としての行動なら許しているだろ? 皆色々やってるのは知ってるからな。”クロガネ”という組織で動かなきゃ文句はないさ」
口では否定的でも幹部連中はそれぞれ施しや協会や神殿の慈善活動に私費を投入している。
それを指した言葉のつもりが思わぬ逆襲を食らうことになった。
「頭のように冒険者ギルドを仲介して、彼等向けに多くの依頼を出しているほどではありませんけれど」
エドガー会頭が全ては頭の思し召しであると仰っていましたよと瑞宝に言われて俺は二の句が告げなくなった。
「俺のことは今は良いんだよ。エドガーさんに依頼しただけで何かしたわけでもないしな」
「で、でしたらなぜ頭が今になって?」
ザインの疑問はこの宴会場にいる他の皆も知りたいようだ。いつしか周囲の喧騒は消えて誰もが俺の言葉に耳を傾けている……別に隠し事ってわけでもないが、幹部だけ集めて別室で話した方がよかったかもな。顔から見てゼギアスとジークは事情を理解していそうだ。
「少し前にお前らに捕り物してもらっただろ? ライカールから戻ったときのことだ」
「え、は、はい。覚えてやす。余所者が俺らの縄張りで舐めた真似を」
「ああ、その連中がどこから王都に入り込んだのか、今になっても判明していないんだとさ。王都中を調べつくしても出てこないってんだから、残りはあそこしかない。いかにもな場所だし、何かあるはずだ」
”クロガネ”にも捜索協力がいったはずだがザインは聞いてなかったようだ。慌てて相棒であるジークに視線を向けて肯定の頷きを返している。
「そういう訳であっちを少し調べてくるが、ここからが本題だ。お前ら、首突っ込んでくるんじゃねえぞ?」
「そんな! こういう時こそお役に立てる絶好の機会じゃないですか!」
背後で誰かがそう叫んでいるが俺は聞き入れるつもりはない。
「前回のライカールで懲りたんだよ。お前らはっきり言っとかないと勝手に動くじゃねえか。とにかくお前らは動くな。特にザインとゾンダだ。二人とも今の組織力でもあの大きさの貧民窟は抱えきれないことは理解してるだろ?」
この二人は情が篤いので俺が動くと知ったら即座に手勢を集めかねない。実際にバツが悪い顔をしているのでこちらの想像は間違っていないだろう。俺が思い立ったら即行動する性質なので、こいつらもそれが染みついているのだ。
現段階はあくまで貧民窟の調査だ。手勢を集めて乗り込んだら”クロガネ”が支配しに来たと思われかねない。向こうの奴らは喜ぶかもしれないが、こちらは彼らすべての面倒は見切れない。
「そこは、わかってやす……」
「お前たちもあそこの情報はほどんど揃ってないんだろ? だからまずは調査してどんな場所なのか、どんな奴が幅利かせているのか確認してくる。こんな最初期の段階で人間を大勢動かすんじゃねえぞ」
釘を刺しておかないとこいつらは暴走しかねないのだ。士気が高すぎるのも考え物だな。
「……」
「返事」
「頭のご命令とあれば否やはございません。ですが、頭のことですからすぐにお呼びがかかると考えて準備は整えておきます」
この場を代表してザインがそう口上を述べたが、呼ばねえって。なんでそんな確信した顔をしてやがるんだこいつは。これから現状を把握しようとしている段階なんだっての。
「話は聞かせてもらったわ!」
そう反論する間もなく俺たちの近くにある扉がどばん! というけたたましい音と共に開かれ、俺は深いため息をついた。
声の主が誰なのか、顔を上げたり〈マップ〉で確認する必要もない。
親分さんのお屋敷でこんな馬鹿な真似が出来る馬鹿は非常に限られている。
「リノア、お前は連れて行かないからな」
幼少の頃からここに出入りしているため実に遠慮がないこの馬鹿は周りの幹部連中を押し退けて俺の前に仁王立ちだ。
「なんでよ! あそこはウチの管轄でもあるわ! 私が適任のはずよ! セリカの報復なんだし、徹底的にやるわ!」
ザイン以上に盛り上がるリノアに俺は無言で懐から取り出した手鏡を差し出した。
管轄というのは最近忘れがちだが、リノアの実家が王都を縄張りとする暗殺者一家であり、後ろ暗い連中の管理もその一環であるからだ。
国王が命じた捜索にはリノアの一家も駆り出されたはずで、成果がない事を気にしているようだ。
セリカとリノアは一時期そっちに預けられて姉妹のように育ったらしいので非常に仲が良い。今にして思えば出会った頃から二人で行動していることが多かったな。
「な、なによ…」
「それで自分の顔を良く見てみろ。おまえは顔だけは何処出しても恥ずかしくないんだ、あんな場所に連れていけるか」
貧民窟の民度は最低の更に下をいくだろう。王都一の看板娘と異名を取りつつあるリノアをつれて行く理由はない。
「だ、大丈夫よ、ちゃんと変装するし。それにあんた前回私を呼ばなかったでしょ、だから参加するの!」
北の騒動でお呼びが掛からなかった事に不満を感じているようだが、いくら高い技量を持つとは殺しができないこいつを連れてく理由がないのだが。
もちろん口にはしない。余計こじれるだけなのは解っている。くそ、それにこの顔は既に決定事項だ、来るなと言っても勝手に付いてくるなこれは。
「お前の面倒は見ないからな」
「逆でしょ、私があんたを助けてあげるのよ」
ふふん、と不敵に笑うリノアだが俺に参加を断られた幹部どもから羨望の眼差しを周囲から注がれていることに気付き、ふわっ、と変な声を漏らした。
こうして国にも”クロガネ”にも見捨てられた場所に俺は足を踏み入れることになる。
楽しんでいただければ幸いです。
新作が難航したのでこちらを更新することにしました。話の大筋は固まっているのですが上手く転んでくれません。木津家は3週間以上経っている始末。
先にこちらの更新を続けます。
もしこの拙作が読者様の興味を引いて頂けましたら評価、ブックマークなど入れていただくとこれに勝る喜びはございません。何よりも作者のモチベーションが鰻登りになります。更新の無限のエネルギーの元になります。何卒よろしくお願いします!




