奈落の底から 34
お待たせしております。
インドラの火。
古き戦神の名を冠したその古代魔導具は先史文明を破滅に追いやった要因の一つとして伝承にその名が残っている。記述には栄華を誇った大都市を一夜にして灰にしたとか、英雄王の率いる軍勢をたちまち消滅させたとか眉唾な話が散見されるが、恐らく事実なのだろうというのが通説だ。
何故ならその古代魔導具には、標的の防御能力を無効化するというふざけた能力が備わっているからだという。古代魔導具の中には全ての攻撃を防ぐ”護りの天蓋”と呼ばれる万能結界や王都全域を覆いつくせる極大結界があり、各王国にはそういったものが備えられていながらも先史文明は崩壊している。つまりそういった護りを貫く大破壊が行われたのだろうと察せられ、その筆頭が今俺達の上に落ちてきているインドラの火なのだ。
そして何より面倒な事に古代魔導具と呼ばれる存在は、意外なほど頑丈でかなりの数が現存していると聞く。動力源となる魔石が貴重すぎておいそれとは使えないものの、壊れることなくいざという時に備えて各国の宝物庫の片隅で埃を被っているとか。
その”いざ”が今この時であり、何処かの誰かが放ったインドラの火が俺達ごと魔物の大軍を焼き払わんと破滅の時が刻一刻と迫ってきている。
「本当に撃って来るとはな。ユウキの予言通りになりよった。着弾まであと5寸(分)といったところかの」
「人は過ちを繰り返す生き物なのね。エルフの私達が言えた事ではないけれど」
リエッタ師の独り言はセラ先生の強い視線で咎められた。話の内容から人間の愚かさをエルフが嗤った訳ではないようだ。言えた義理ではないという言葉から他の要素がありそうな気がする。
「ユウキさん! ルックが騒いでいるのですが、何かあったのですか!?」
愛竜のルックに騎乗したレオンがひらりと俺達の隣に降り立ったのはそんなときだ。普段は大人しいルックがきゅいきゅい! としきりに声を上げている。相棒の異変を受けて俺にまず話を持ってくるのはどうなんだと思うが……今回は正解なのが困りどころだ。
「レオン、いいところに来たな。お前と始まったこの騒動を締めもお前と一緒に迎えたいと思っていたんだ。面白いものを特等席で見せてやるから楽しみにしてな」
「はあ。ユウキさんがそう仰るなら……ほら、ルックも落ち着くんだ」
「フェルディナント! いったい何事だ!?」
レオンがルックに果物を与えて落ち着かせているなか、慌てた声で物見塔に駆け上がってきたのはマグルリット王女だった。殺気立った顔で配下に町の民の退避を命じている王子に向けて叫んだ。
「マルグか! 君は逃げろ、今ならまだ間に合うはずだ! インドラの火が落ちてきている!」
「なん……だと!? まさか!」
王子の手にあった俺の双眼鏡を奪うようにして上を見上げるが、その頃にはもう既に視認できる距離まで黄色い塊が迫ってきていた。俺が思っていたより数段早い、こりゃ退避は無理だろ。
「ユウキ、いったい何があった!?」「ユウキ!」
上で騒いでいる王子の異変に気付いたのかクロイス卿とバーニィが俺達の元へ駆け寄ってきた。後ろには一緒にいたのかエレーナやアードラーさんたち、それにエドガーさんとリーナまでやってきている。
その後ろにはライカとアリシアまで。思わぬところで全員集合だな。
「上から魔物ごとこの町を消滅させる攻撃が落ちて来てる。もう肉眼でも見えるな、あれだあれ」
俺が指差す先には既に拳大にまで大きくなった黄色い物体がある。そのインドラの火とやらは思いっきり超高空にまで打ち上げる方法らしい。真上から降ってくるって事はそういう軌道のはずだ。直前まで視認できないから迎撃されにくい性質を持っていると考えるべきだろう。
「はあ? なによそれ。私達ごとまとめて始末しようってこと? やってくれるじゃない」
エレーナの声には隠しきれない憤りがこもっている。俺もその意見には同感だ。
「この町ごと周囲の敵を滅ぼすなんざ軍団魔法だって無理だ。ってことは……おいおい、古代魔導具を引っ張り出したのかよ。くそ、北部は戦争しすぎてどの国が他国を滅ぼせる魔導具を隠し持ってたかなんて解りゃしねえ!」
さすがはクロイス卿だ。この状況の裏事情をほとんど把握してしまった。
「殿下が住民に退避を呼びかけておりましたが、これは間に合いませんな」
俺の隣に立ったエドガーさんが迫ってきている黄色い光を見つめて言う。
「ですね。発見が遅れました。今からじゃ動き出した時点で直撃でしょう」
これでもちゃんと探していたつもりだが、真上から落ちてくる軌道だとは知らず見つけるのに手間取った。魔力反応も遠すぎてできなかった。まあまだ千キロルは離れているからそれを探るのは無理があるのだが
「でしたら今すぐ逃げるべきなのでは? ライカ、あの人はどうしてそんなに落ち着いているの? 貴女もそうだけど、ここにいては皆死んでしまうのではなくて?」
「ええと、アリシア。それはね……」
「ユウキ!! 何を悠長にしているのだ! お前と助力して下さった皆様と共に避難せよ。ここに残るのは私だけでいい」
「おい王子、何言ってんだ」
「これはこの地を治める私の仕事だ。貴殿にばかり良い格好をさせるわけにはいかんのでな。皆様をお連れした移動手段があるのであろう? それを用いてこの地を離れるのだ」
「落ち着け、フェルディナント。取り乱すなど君らしくもない」
「マルグ、君も早く逃げるのだ。アスローンの希望の灯ををここで絶やすわけにはいかぬ。ああ、できればロニヤ姫も連れて行ってくれ。あの子の生涯をここで閉じさせるのはあまりにも不憫だからな」
「落ち着けというに! フェル、よく周りを見ろ! この地に破滅の炎が落ちてくるというのなら、何故それを知るユウキは、そして名高き御二人はこのように平然としていると思うのだ?」
「そ、それは……」
俺の隣でライカも似たようなことを言っている。
「アリシア、私の師匠がここにいるのよ? 古代魔導具だがなんだか知らないけど、そんなもの全部わかってて対策済みに決まってるじゃない。だから私達は安心して師匠の行いを目に焼き付ければいいの。師匠ったら最後はいつもとんでもないことするから、凛様と彩様へのお土産話が増えるのよねぇ」
「え、ええっと……ライカ?」
一応セリカたちは逃しているが、流石に全部対策済じゃないと悠長にこんな場所でのんびりしていない。俺に慣れた皆は落下してくる破滅の炎を指さしたりして、物珍しい光景を楽しんでいるようだ。揃いも揃って肝が太い連中だ。
「ユウキ! 本当に対策があるのだな!? このキルディスが灰になる未来は回避できるのだな!?」
目を血走らせた王子がこちらに詰め寄ってくるが、レイアとユウナが彼を押し止めてくれた。しかし王子の勢いは止まらないが、自分の領地の町が理不尽に消されそうになっているのでその焦りはわからないでもない。
「もちろんだ。俺が何のためにこに城壁をあそこまで巨大に作ったと思ってるんだ。色々仕込むためにあの大きさが必要だったのさ」
「仕込む、だと? まさか貴殿はあのときからこれを見越して……」
王子の声には答えず、俺は隣に立つリエッタ師を見た。
「別にお二人がここまで付き合ってくださることはないんですけどね。後は自分の仕事ですし」
「気にしないでいいのよ。自分が好きで残っただけだから」
「おぬし達の作品の出来栄えも気になるしの」
「一応、間違うと貴方がたも無事ではすまないんですけど」
「お主がしくじる姿が想像できんから問題ない。それにリエッタの奴もじゃ。あやつ、儂の知る限り魔法に失敗した記憶がない。お主と同じように息をするように魔法を使いおる。あやつに関しては心配などする方が無駄じゃ。さて、見せてみよ。儂にも秘密にしよった最後の大仕掛けを」
俺はそこまでたいした事をしたわけじゃないんだがな、と思いつつ準備が万端整っているかの確認をレイアとユウナに行った。俺の代わりに調整を行ってくれた二人は、何の問題もないと視線で返事をしてくれた。
そろそろ肉眼でもその黄色い光は確認できるようになっているが、キルディスの民が騒ぎ出す様子はない。まあ、知らせても混乱するだけだから王子にも黙っていた件だしな。
俺は寝椅子に横たわったままこの地に張ってある結界を解除した。そして最後の隠し玉の起動準備を始めた。
このキルディスを守っている結界が切り換わったのだが、それに気付けたものはここにいる実力者達以外にはいないだろう。
「いつ見てもあなたの魔法は本当に静かで綺麗ね。セラちゃんに教わったのかしら?」
「ええ、そうなりますね」
展開の静かさは俺よりキキョウの方が上だ。彼女はいつ魔力を行使したのか悟られないくらいの静かさで魔法を使いこなす。キキョウの前に立ちはだかる者は魔法でやられたことさえ気付かすこの世に別れを告げているだろう。
リエッタ師の言葉に謙遜しながら彼女を見ると、俺の視線に気付いて目礼してきた。
「嘘をつけ。儂がなにを教えんでも勝手に学んでいきおったわ。あやつには基礎の基礎を授けたに過ぎん」
俺が最後の仕掛けを作動させようと魔力を練り上げると隣の二人が俺の魔法がどうたらと話し合っている。俺にとっても初めてのことだから集中したいんだがな。
「ええ? 基礎の基礎を教えただけでここまでになるの? どう教えたのか気になるわ」
「こやつ、発動までは無詠唱でやれるくせに肝心の魔力操作がからきしでの。だが、教えたのはそれくらいじゃ。あとは勝手に覚えたからの」
あの、先生たち。そういう話は他でやって欲しいんですが……
「へえ、そうなんですか! 師匠は御自身のことは何も語らない方なので新鮮です。他にもなにかご存知ですか?」
おい馬鹿弟子。お前何を……
「そうじゃな。あやつがレイアを従者にしてすぐの頃じゃ。セリカ王女からの依頼で北部の森に出向いた時にそこで出会った高位精霊にあやつはの……」
「先生、しくじったら全滅する状況なのでお静かに」
昨日真竜の件で盛大にやらかされているのだ。これ以上何か暴露されるのかわかったもんじゃない俺はセラ先生を止めた。先生には意見を求めることが多いので、俺が出くわした事件はほぼ全て話してあるのだ。
「今更お主が何をしようとも展開した術式は変わらんわい。大人しく魔力を練っておれ。だが、無駄話もここまでにしておくかの。ほれ、落下速度が加速したぞ」
インドラの火が大昔にここまで猛威を振るった最大の理由がこの落下の加速だ。見つけたと思った瞬間には猛烈な加速をして成すすべもなく着弾して終了、というのが通例らしい。
だから対抗策としては撃たれたとの確認が取れたらこちらも報復としてインドラの火をどこかの国に打ち返すという、そりゃそんなことしてたら先史文明崩壊するわなと納得したくなる方法が取られたとか。
「うわ、あれが世界を焼く神の火なのね……」
「なるほどな。ありゃよく見りゃ対消滅弾だ。結界だろうがなんだろうがまとめて消し去るぜ」
「ふうん、で? どうすんのよ?」
クロイス卿と話していたエレーナが俺の背中をつついた。そばにいるバーニィやリーナもそうだが、その顔には全く不安が見えない。
「とりあえず逃げたらどうだ? 転移環なら貸してやるぞ」
俺の勧めにエレーナは鼻で笑った。
「冗談でしょ。こんな面白い見世物、特等席で見物するに決まってるじゃない。帰したクローディアに土産話の一つも要るでしょう?」
セリカを姫の名で呼ぶ事に引っ掛かりを覚えながらも俺がしくじるとは全く考えていないらしい。
「じゃあ、よく見ておくといい。話の種くらいにはなるだろうさ」
下の方では町の民があの光に気付いて騒ぎ出しているが、今から逃げ出そうにも手遅れだ。既に空の大部分を黄色い光が覆うほど迫ってきている。
さて、何処のどいつがこの件を企んだかの答え合わせは後でするとして……
ずいぶんと舐めた真似を事をしてくれたもんだ。首謀者には地獄で後悔してもらう。
俺の報復は極悪だぜ?
キルディスの町の上空数十メトルまで猛烈な落下速度で落ちてきていた巨大な黄色い光弾だが、突然その動きを止めた。空に漂う光弾を誰もが訝しげに見つめるなか、次の瞬間にはまるでここから再発射されたかのように上空に向かって打ち上がっていったのだった。
誰もが呆気に取られて言葉もない中、俺は他人事のように呟いた。
「へえ、そうなるのか。確かに理屈通りだが、実際の動きを見るとそのまますぎて何がなんだか解らんな」
「し、師匠!!?? な、何が起こったんですか!? 落ちてきたはずの攻撃が、なんかまるで撃ち返されたみたいにどっか行っちゃったんですけど! なんなんですかあれ!?」
隣にやって来たライカが慌てまくって俺の腕を掴んでぐいぐい引っ張っている。
「ライカ、落ち着けって。今のでこの町を襲っている最後の障害を取り除いた訳だが……」
「殿下、御無事ですか!?」「今の光はいったい何事でありましょうか!?」「それに落ちてくるはずの光が突如方向を変えたように見えたましたぞ! もしやまた真竜の襲撃でございますか!?」
物見塔に次々と王子の側近や名だたる戦士団の団長達が駆け込んでくるが、そうまくし立てる彼等に対して王子や他の皆は一様に俺に視線を集中させるだけだった。
後から続々と現れる関係者全員から発する”またお前か! さっさと説明しろ”という無言の圧力を受けた俺はたまらず降参した。
「解った、解った。説明するから皆も落ち着いてくれ。黙っていた事は謝るが、いろいろ込み入った事情もあったのさ」
「で、さっさと説明しなさいよ。さっきのあれは一体なんだったのよ?」
司令部のある大天幕に移動した俺達だったが、今の事件の説明があると聞いて天幕に入りきらないほどの大勢が集まってしまい、結局広場前に移る事になった。そして痺れを切らしたエレーナが開口一番切り込んできたのだ。
「概要はさっき説明しただろ。インドラの火とかいう古代魔導具を使って何処かの誰かがこの町ごと周囲の魔物を消し飛ばそうとしたんだよ」
「今の言葉は確かであるか?」
当然初耳だった俺達以外の多くの騎士や戦士たちは俺の言葉にどよめくが、その中で戦士団を代表して大戦士団”黎明の光”レギン老が発言した。余談だが俺達が魔物の海を搔き分けて救出したロニヤ姫とは血縁らしく、彼女が救出された時には涙の再会があった。今では婚約もあって王子への絶対的な忠誠を誓っている。王子にとっては本人の与り知らぬ所で一方的に決まった婚約だが、この歴戦の勇将の忠誠を得られたとあっては無碍にできぬとなし崩し的に認めさせられている。まあ、ロニヤ姫が嫌がってないのならいいのではないかと思う。王子は……色々と頑張ってくれ。
「俺は外部と連絡手段があるとだけ言っておく。だが、この町に向けて何らかの攻撃が行われたのは紛れもない事実だ」
これまでの実績で理解されたのか俺の自作自演を疑う奴はいなかった。俺が企んだとしても何の得もないしな。
「確かに古代魔導具はこの地方に幾つか存在するという話だった。戦乱続きでどの国が保有しているかまでは定かではないが……だがまさか伝説の魔導具を使用して我等ごと滅ぼそうとするとは……」
「この話の真偽は別にどうでもいい、後で好きなだけ事情を探ればいいしな。皆が聞きたいのはそんなことじゃないだろう?」
「その通りだ。私の知る世界を破壊に追いやったインドラの火はいかなる防御結界も無効化すると聞いていた。故に余の悪運もこれまでかと諦めかけたが……ユウキよ、いったい貴殿は何をしたのだ? あの光景は思い出しても理解できん。先ほどのライカ殿の言葉ではないが、本当にあの光弾が撃ち返されたかのように飛んでいったからな」
王子の言葉に皆がそうだそうだと頷いている。例外は俺の近くに座る最大の功労者である彼女だけだ。
「王子や王女なら聞いたことはないか? <呪術>における奥義のひとつ、”呪い返し”の存在を」
俺の問いかけに王子は顔を顰めた。この感じ、恐らく彼も被害を受けた事があると見た。彼を始末できれば王位継承権はギルベルツの義弟に行くという話だから、きっと経験済みなのだろう。
「呪詛返しか、無論のこと知っている。王族こそが呪術師の最大の顧客であろうからな。しかし何故呪詛返しのはなしをここで……まさか!? 冗談であろう? 呪詛と魔導具の攻撃が同列に括れるはずが」
「俺も最初はそう思っていたさ。だが、物事には例外ってもんがある。その反則じみた例外をこの町にいる皆は今のこの瞬間も味わっているはずだ。むしろその恩恵は戦士団が一番与っているはずだが?」
俺の言葉に真っ先に反応したのはレギン翁だった。
「なるほど、リエッタ様の付与魔法か! だが、本当にそんな事が可能なのであろうか? 呪詛と魔法攻撃は分野が違いすぎるように思えるが」
「そこはリエッタ師の規格外さを褒め称える場面だな。俺だって心底驚いたよ、呪詛返しの陣を付与魔法で応用してこの町全体に展開させちまえるんだからな。どうやっているのか理屈がさっぱり理解できない」
「大丈夫よ、慣れれば皆出来るようになるわ」
相変わらずの穏やかな笑顔で意味不明な事を言い出すリエッタ師に俺は呆れた視線を送っておいた。
誰かが”すげぇ! 付与魔法ってそんなことまでできるのかよ!”と興奮していたが、セラ先生がそんなはずがあるか、こやつが非常識なだけじゃと一蹴していたが、全く以って同感だ。
俺は最後の最後にこれが来る事を見越して準備を始めていたが、その時の計画は<結界>を展開して攻撃を弾くくらいしか思いつかなかった。そうこうしている内に敵が持ち出したインドラの火の情報を掴み、このままだと<結界>が無効化され直撃を受ける可能性が高い事が解った。
だが、こちらは受身に立たざるを得ない状況で選択肢が少ない中、防衛戦で防御無視攻撃は流石に厳しい。こりゃどうしたもんかなと無い頭を捻っていたら、リエッタ師という救世主が登場したわけだ。
お姉さんが何か力になれないかしら、といつもの穏やかな笑顔のままで”そんなひどい事をする人にはそのまま攻撃を跳ね返せばいいじゃない”と言い出した彼女に、俺はクランの最高幹部としての凄みを覚えずに入られなかった。
彼女は子供達に惜しみない愛情を与える優しいだけの人ではない。組織の頂点としての非情さ、冷酷さもきちんと併せ持っているのだ。だが考えてみればそれも当然か、母親というものは我が子を守るために敵に猛然と牙を剥く生き物なのだから。
「ふむ、今の話を聞いて思ったのだが、このままだとあの都市を跡形もなく消し飛ばす古代魔導具がこの北のどこかの地で炸裂するということか?」
俺達の奇想天外な迎撃方法に盛り上がっている連中に冷や水を浴びせる一言はマルグリット王女から発せられた。
そう、この件の最大の問題はこの後なのだ。
「その通りだ。呪詛返しは知っての通り、この攻撃を放った箇所に向けて戻っていることになる。何処の王都か都市かは知らないが、発射した場所に帰っていく事になる。そこに住む無辜の民は本当に可哀想な事になると思うが、防御不可能な攻撃を迎撃するにはこれしか方法は無かった」
当然ながら半分は嘘である。防御を無効化するとはいえ魔導具から発せられる以上、魔力を用いた攻撃であることには変わりない。クロイス卿が説明してくれたが”インドラの火”は消滅弾が結界ごと全てを消し去ってしまう攻撃であるようだが、魔力由来であるなら、魔力で消し飛ばせる理屈なのだ。
この場合魔法ではなく純粋な魔力の発露、最近だとアリア姉弟子がダンジョンボスの黒竜に無意識でぶっ放したあれをやれば対処できるはずだった。
だがこちらもインドラの火は初見だし、この予想に絶対はなかった。それに引き換えリエッタ師が構築してくれた呪い返しの付与魔法は俺が<アイテムボックス>に仕舞っていたライカのユニークスキルの消滅弾をちゃんと弾き返したので、確実性のあるこちらを採用するのは当然だった。
まあ、それでも一抹の不安があったので魔力ですべてを吹き飛ばす準備もしてあった。リエッタ師が俺の魔法が本当に静かで綺麗だと言っていたのはそういうことだ。
余談だが、自分の奥の手である消滅弾が呪い返しで反射してしまうという衝撃の事実を知らされたライカは青い顔をしていたが、普通は呪い返しが効くのは呪詛だけだ。リエッタ師の付与魔法の腕が常軌を逸しているだけなので何も問題はない。本来は護符や宝玉に籠めて身につける個人用だし、俺も彼女の魔法の行使をその場で見ていたが、何故この町全体に効果を広げられるのか皆目見当もつかなかった。
「気にするこたぁ無ぇだろ。俺達や何の罪もない街の連中まで一緒に始末しようとしたんだ。俺達が文句を言われる筋合いなんざねぇよ」
沈黙を切り裂いて口を開いたのはランデルだった。ギルベルツの手の者としてこちらを裏切った彼の言葉に無言の敵意が集まるが、このような発言をする事が自分の仕事だと思っているのか、殺意が混じる視線を受けても彼は小揺るぎもしなかった。
「その者の言うとおりだ。あの光が何処に向かうかはまだ解らぬが、恨むなら我等を標的にした者達を恨むべきだ。こちらは純然たる被害者なのだからな」
「この件を王子にも黙っていて悪かったが、俺も確証があったわけじゃない。徒に不安を煽りたくは無かった」
知っていたなら先に話せばという空気もあったが、俺がそう機先を制すると霧散した。もし仮に俺が”他の国が俺達を魔物ごと皆殺しにするために何か企んでいる”と話したとしても既に城壁内に篭もった後ならどうにもならない。無駄な混乱が生まれるだけである。
情報公開は大事だが、何を公開すべきかは厳選する必要がある。正しい行いだからと言ってすべて御開帳して御破算になったら意味がない。
「とりあえずこれで話すべき事は以上だ。あんなもん連打はできないからさっきので本当に最後の最後だ、後は今日を生き延びればこの危機は脱した事になる。だが、気を抜くなよ。今が一番死にやすいってのは歴戦のお前らに説明する必要な無いな? 明日には大宴会で最高の酒と飯を俺の奢りでたらふく食わせてやるから気合入れるように伝えろ」
血の気の多い戦士たちが最も好む”他人の奢り”と言う言葉に周囲の空気が一気に熱を帯びた。それを嗅ぎ取ったレギン翁の大喝がこの場を締めるのだった。
「ふっ、聞いたな皆の衆、<嵐>殿は我等の胃袋をずいぶんと甘く見ているようだ。明日はせいぜい彼を震え上がらせてやろうではないか! よいな、大金に目が眩み無駄死にをするな。そのような愚か者はヴァールハラで名誉は受けられぬと知れ!」
「今の話は肝心な点が抜け落ちていると思います」
真竜の到来により強力な異境の魔物が全て消えうせた事もあり、今日は戦士たちがこれまで通りに狩りを再開している。リエッタ師の付与魔法でこちらの圧倒的有利で狩りが出来る機会はこれが最後なのでそれを逃すまいと戦士たちは血気盛んに戦い始めている。
そして大天幕に戻った俺達だが、開口一番にアリシアが疑問をぶつけてきた。
「そもそも何故あのような兵器で攻撃を受ける事になったのですか? 私達がここで今も戦い続けている事は他国も解っていたはずです」
確かにその辺は戦士たちには話していなかったが、連中は単純なので何が起こったかを説明すれば納得してくれたし、戦士はあまり細かい事を気にしない生物だ。
しかし今ここに集う者達はだいぶ毛色が違う。この件の背景にまで気が回せるなら話してもいいだろう。
「そんな難しい話じゃないがここから先は全てが政治だ。生臭い話だが、聞きたいか?」
「そうじゃの。儂も危うく消されるところであったし、聞く権利はあるじゃろうて」
その時大天幕に入ってきたのは冒険者ギルドのグラン・マスターであるドーソン翁とギルマス二人だった。先ほどの騒ぎはあっと言う間に始まって終わったので民の退避を行う前に事が済んでいた。だが一歩間違えば自分達も消滅していたとあって事情が知りたいと多くの者が広場前に駆けつけていたのだ。この3人は住民の動揺を鎮めていたのだが、一段落してこちらにやって来たのだろう。
「貴方ならすべてご存知だと思いますが、まあいいでしょう。ですが、そう考えると連中はグラン・マスターまで始末するとか相当血迷ってますね」
「忍んで来たから儂の存在を掴んでいなかった可能性はあるが、溺れる者は藁をも掴むというからの、彼奴等とて命の危機が迫っておれば平常心ではいられぬわ」
「えーと、師匠。どういうことなんですか? 確かにアリシアの言うとおり、あの攻撃の原因が知りたいんですけど……」
ライカよ。アリシアはともかくお前は一応高位貴族なんだからこうなる可能性も頭に入れておくべきなんだぞ。政治をカオルに任せすぎたか、俺も少しは教えないと駄目かな。
他の皆はもちろん不慣れなバーニィやアードラーさんも事情を把握していると見えた。ため息をついた俺は政治音痴な弟子に講釈を垂れる事にした。
「ライカ、お前が一国を治める王族の立場で考えてみろ。お前の領地のすぐ近くで奈落の底が開いて大量の魔物がその町に殺到している。解っている事実はこの状態は20日続くこと、敵の数は50万にも及ぶ大軍だ」
「ふむふむ。本当にとんでもない事態ですよね、これ」
「だがまあ今のところは対岸の火事だ。数こそ異常だが魔物が群がっているのはその町だけで、近隣の町を素通りしてそこに向かっているからな」
「そうですね。その町は御愁傷様って感じですけど」
「だが、20日後は? 操られてその町に殺到していた魔物たちがその呪縛から解放された後はどうなる?」
「あ……ヤバいかも。師匠がいなかったら数十万の魔物が無作為に暴れだすって事になるんじゃ」
「しかも冬眠から叩き起こされて腹を空かせた奴等がな」
自分が統治者の立場になったらその最悪の未来に表情を無くすライカ。被害者に同情の視線を向けていればよかった時期が過ぎれば、今度は自分達が被害の当事者になるのだ。
これ以上の言葉は不要だろう。数十万の魔物が北方で餌を求めて暴れだすとなると諸国はとても対抗できない。特にレオンが周辺各国に自分達の窮状を訴え、救援を求めているのでこの危機を理解していないはずがない。冒険者ギルドも最大級の警戒を促したと聞いている。
そのとき、何処かの誰かの頭に閃くものがあったとしても不思議はない。
自分達が蹂躙される未来が脳裏をよぎると同時に、我が国には都市を容易く滅ぼせる古代魔導具が存在すると。
幸いな事に今なら魔物はキルディスの町に集っていて一網打尽にできる。巣食う何十万もの魔物を一挙に仕留められる機会は今を置いて他にない。
そして更に幸運な事に、本来なら古代魔導具の起動に必要なのは2等級の魔石だった。とてもではないが貴重すぎて手に入れられないが、その代用品となる連結式の魔石を友好国が比較的安価で手に入れたと耳にした。
為政者とはどれだけ建前を並べようが、結局は自分の国や町が一番大事なのだ。そしてそのこと自体は何も恥じる事はない。
だからここまで材料が揃っていれば、キルディスの街を犠牲にして北部諸国全てを魔物の被害から守ろうという発想が出てきたとしてもなんらおかしい事はない。
文句を言っていいのは生贄にされるキルディスの民だけだろう。
まあ、相手の出方が解っていれば対策も取れるんだけどな。
「して、仕組んだ国は解ったのかの?」
「そこまでは。ユウナの配下が候補を3国にまで絞りこんでくれましたが、その古代魔導具が国の王都にあるのか、それとも他の都市にあるのかまでは調べきれませんでした」
ユウナ自身が出向いてくれれば結果は違ったかもしれないが、あの時の彼女にはクランでのいざこざの後始末を頼んでいたし、その後にはフランツの決闘騒ぎとその後始末もあった。こちらの件と後始末、どちらを優先するかなど比較する必要さえない。
「インドラの火は小山のように巨大な魔導具と聞いている。この冬季においそれと移動できぬはずじゃから恐らく都市の内部から撃ったと思われる。民の被害は残念じゃが、愚かな王を持ったと諦めてもらうしかないの」
グラン・マスターも冷たい事を言っているが、こうしなければこちらがやられていたのだ。運が悪かったと思ってもらうしかない。あの光弾の行き先は<マップ>でも表示されなかった。いずれ人口の減少で被害箇所が判明するだろう。
「ここから先は王子達に任せますよ。連中を煮るなり焼くなり好きなようにするといい」
「うむ。これほどの一件を一国の独断で強行できようはずがない。間違いなく諸国への根回しと関与があるはずだ。連中の不義を糺してくれようぞ。マルグ、君にも力を……どうしたのだ?」
「いや、すまない。考え事をしていただけだ、気にしなくてもいい」
王女の悩みはなんとなく察していたので俺は助け舟を出してやった。
「ラヴェンナ国王は王女がキルディスに向かったと知って床に伏しているとさ。今は例の義弟殿が実権を握っているそうだ」
「そ、そうだったのか。ユウキ殿、情報感謝する」
父親が自分がここにいると知りながら見殺しにしたのではないかと憂いていた王女は俺の言葉に安堵の息を漏らした。だがまず間違いなくギルベルツには話を通したはずだ。自国の都市を魔導具で破壊するなんて通達なしで行うはずがない。ただでさえ古代魔導具を隠し持っていたと知れたら厄介なのだ。絶対に事前に協定を結んでいるはずで、その妥結に時間がかかってここまで日時がずれ込んだのだろう。
「正直、ここから先の政治的暗闘が面白そうだよな、この事実を盾に相手を責めるか、これを隠して交渉の切り札にするか。どっちにしても楽しめそうだ」
この群雄割拠の北部で皆が平等に利益を得る協定など無理に決まっている。どこかに割を食っている奴がいるはずであり、そこから食い荒らすか、これから発展するキルディスの力を見せて仲間割れを誘発するか。いくらでも企めそうだが、それを楽しむ権利を持つのは今まで苦労してきた王子と王女だ。
余所者は余所者の分を弁えるとしよう。
「さあて、最後の面倒も片付いた。あとは撃ち洩らした敵を徐々に始末するだけで俺の仕事は終了だな」
「おい、先ほど戦士団に警告を発した貴殿の言葉とも思えぬぞ。本当にもう何もないのであろうな? 真竜に古代魔導具まで出てきたのだ。まだ何かあってももう驚かんぞ」
「大丈夫だって、俺が知る限り、これで打ち止めだ。俺の想定をそう何度も越えられてたまるかよ」
もう充分、腹一杯だ。これ以上は何も要らん。不慮の出来事は十分に出し尽して、逆さに振っても出てこないはずだ。
「殿下! 殿下はおられますか! 大変です、水、水が!」
そのとき、周囲の警戒に出ていた飛竜騎士のレオンが天幕に飛び込んできた。その顔には驚愕が張り付いており唯事ではない事をうかがわせた。
「もう何もないのではなかったのか?」
「…………」
ぐうの音のもで無い俺が無言を貫いていると、痺れを切らせたレオンが言葉を続けた。
「殿下、水が! あの真竜が放った攻撃によって抉られた大地から水が流れてきています! 恐らくは中央部を流れる大河ヨイデルと支流で繋がったものと思われます!」
レオンの報告はたぶんに願望が含まれていたが、<マップ>で確認した所、彼の言うとおりだった。
その言葉が意味する事はただ一つ。
寂れたダンジョンの町に過ぎなかったギルディスが、城壁、環境層の発見と続き、今度は大河からの支流が開通、つまり水運まで手にしたということだった。
<統一王国歴史概論>
第一巻、序論より抜粋。
近い将来に北部統一王国の王都になる旧名キルディスは敵の襲撃を三重の城壁で防ぎ、ダンジョンから多くの恵みを生み出しつつその果実を水運にて各地へ運ぶ事により空前の繁栄を迎える事になる。
その隆盛に多大な貢献を為したとされる異郷の存在は度々指摘されているが、いずれの歴史書にもその名を刻まれる事なく謎に包まれている。
ただ同時代の史料に頻繁に現れる”嵐”と呼ばれる存在との関連は興味深い事情として研究者の間で話題に上る事がある。
統一王国の名称が伝統由来の過去の英雄の名ではなく”嵐”から取ったものではないかという仮説は根強い支持者がいるからだ。
楽しんで頂ければ幸いです。
何処かの大都市が灰になりました。主人公に敵意を抱いていた一団が主導したのですが、彼等も一緒に消えてなくなりました。
遅れました申し訳ない。
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